何者かになること

“No need to hurry. No need to sparkle. No need to be anybody but oneself.”
急がなくていい。きらめかなくていい。自分以外の何者にもならなくていい。

Virginia Woolf

大学時代、広告業界で長くインターンしていた。特別な何者かになることがこの人たちに認められるということなら、私はいいやと思った。浅薄に消費されたくない。雑に要約されたくない。わかりやすいパッケージにされたくない。

会社で仕事をする指標に、定期評価がある。上司からのフィードバックがある。工夫して取り組んだことが評価されるとうれしい。だからもっとフィードバックを読み込んで、満たそうとがんばる。会社は役割と役割のコミュニケーションの世界で、個々の人間性が隠れやすい。うっすら感じてはいたけれど従っていた上司の尊敬できない性格を、退社後に目の当たりにした。この人に認められたいと、こういう人が集まる会社で認められたいと思ったことを後悔した。

この前Xで、「めっちゃ意識の高い人」と言われた。夫に話したら「ぷっ」と笑われた。かけ離れた人間だからだ。

私は小柄で、マッシュボブで、薄いメイクをする。スニーカーやオーバーオールが好き。よく言えばかわいらしい、悪く言えば子どもっぽい。だから昔から、「クールで綺麗なおねえさん」に憧れている。構成要素はわからないけど漠然と憧れている。それを矯正歯科の先生に話したら、「私嘘つけないのよ。紺ちゃんにおねえさんの素質はまったくないわ」と断言された。衛生士さんも深くうなずいていた。帰って夫に話したらまた笑われた。

彼らの中には、私のイメージがある。Aではない、ときっぱり言えるということは、Bであることが明確なのだ。私がのびのび生きていて、周りの人がそれをポジティブに受け取ってくれているのは、マスメディアや会社の評価よりも、ずっと大切なことのような気がする。わざわざ言葉にして肯定されなくても伝わってくる。

私は今の感じで、私でいたい。なるものではなく、もうここにいるのだ。好きなことに夢中になっていたら、私は発光せずとも、光のなかにいられる。