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  • 家を出て、水路沿いに歩き、角の地蔵様に手を合わせたあと、狭くて暗い道がある。小学4年生になっても、何度通っても慣れない道だった。道沿いに、瓦と土と苔が積み重なった小さな草むらがあり、その奥に、口を開けたままの防空壕があった。お化けと蛇が怖く、目をぎゅっとつむってダッシュしていた。行きも帰りも。

    大きな犬に吠えられる家の前を抜ければ、通学路は田んぼの中のあぜ道が続く。道路沿いを歩けば速いのにと、いつもうらめしかった。平和学習の登校日だろうが別の日だろうが、太陽の下、変わらない道を歩くことに飽き飽きしていた。小石を水路に落とさないように蹴り続ける遊び、頭を垂れた稲穂から米をしごきとり、水路に撒いて追いかける遊びをしていた。時間はつぶすべきもの。自販機も、駄菓子屋も、歩行者用の信号もない町。

    中学生になって、オレンジの連絡帳に、英語の日記を書き始めた。担任の英語教師が3年間添削してくれた。母の冷やし中華がおいしくないとか、好きな歌手がミュージックステーションで新曲を歌ってた、プールに行って疲れたけど楽しかった、バスケで突き指した、作文コンクールで入賞したけど来月の全校集会でみんなの前で表彰されるのが嫌、文房具屋で新しいシャープペンを買った、など、どうでもいいことを簡単な単語と文型で書いていた。英語で日記を書くためのガイド本をもっていたので、中学卒業の時点で、高校で学ぶ文法をひと通り使ってみていた。幼稚園の時、ももぐみのKくんがかっこいいと言ったことを、母は私が高校生になっても忘れず、「Kくんのこと好きなんでしょ~」と茶化してきた。料理をまずいと思うのは私の味覚がおかしいせい、畑の野菜を食べて喉がイガイガするのは贅沢病、歌手は山口百恵に比べたら全部大したことない、体育で疲れるのも突き指するのも与えた体をうまく使いこなせない私が悪い、私がコンクールで入賞したら中身ではなく功績を集落全体に自慢して回る人だった。私は生き延びるために、彼女が読めない英語で日記を書いていた。彼女に読まれてもたいしたことじゃない、と思われるかもしれないが、当時の私には死活問題だった。彼女にとって、私は自我をもってよい人間ではなかった。私が死ねば、また新しい子を産めばいいと思っている節すらあった。

    実家を出て、大学に入り、フランス文学とヒューマニズムを知った。渡辺一夫先生は、戦時中の日本を経験した仏文学者だ。大江健三郎の師としても有名。終戦少し前から終戦後まで書き溜めた日記がある。日本政府にまったく同意できず、絶望し、死の危険にさらされ、自死の考えにも何度も至り、しかし、自分の愛する仏文学とそれに従事する反骨心のある学者が生き延びることは戦後の日本に必要なはずだと希望を捨てなかった。東大の特設防衛団の副団長だったため、妻と子どもを疎開させ、空襲の中の東京に残った。

    いうまでもなく授業のできる状態ではなかった。大部分の学生は戦線あるいは軍需工場・農村に駆り出され、僅かに残った病弱者は研究室図書の松本の疎開に従事するという有様だった。前途ある青年を上司の許可なく図書管理の名目で松本に留まらせ、空襲の激しい東京に呼戻さなかったのは先生だった。

    二宮敬「解題 渡辺先生の『日記』について」(渡辺一夫『敗戦日記』、ちくま学芸文庫、p.265)

    日記は、検閲を避けるため、フランス語で書かれていることが多い。没後、日本語に訳されて、『敗戦日記』として出版された。

    私は、渡辺先生の本をできるだけ集めている。市販の文庫を少しずつ買うことから始め、古本の単行本と続き、全集も買った。帯や付録などがついた綺麗なもので、さすがによい値段しただけある、と思っていたのだが、発送時の小さなミスのお詫びにと、古書店主は渡辺先生の直筆サイン入りの別の本も同梱してくださった。こう書くと、古本マニアみたいな感じだけれども、ここまで古書を集めているのは、渡辺先生のものだけである。

    『ヒューマニズム考』や『フランス・ルネサンスの人々』は2冊あったと思うが、『敗戦日記』には及ばない。単行本があり、全集があり、ちくまの全集があり、昨年出版されたちくま文庫も買い、私の家には『敗戦日記』が4冊ある。現代仮名遣いにしたもの、先生の写真が追加になったもの、解説が増えたものなど、時代ごとの新情報があるのだ。

    夏になるといつも読みたくなる。外国語で書いていた切迫性は、先生には到底及ばないが、似たものを感じ、自分に英語があってよかったと思う。先生は下記のように書き残していた。少しでも多くの人に読まれることを願い、あとがきに筆を執った諸先生方に応答するつもりで、私は今日の文章を書いている。

    1945年3月1日
    今日、僕はあらためて日記の筆をとることにした。気持が変ったのは、筆をとらしめるに足る説得的な理由、いささかの希望を見出したからである。ここに記す些細な、あるいは無惨な出来事、心覚えや感想は、わが第二の人生において確実に役立ってくれよう。僕が再生し、復讐するその時に。こういう言葉が、ごく自然に出て来たが、それほど決意は固く、かつ熟慮の上ということだ。

    渡辺一夫『敗戦日記』、博文館新社、p.8

    1945年6月6日
    この小さなノートを残さねばならない。あらゆる日本人に読んでもらわねばならない。この国と人間を愛し、この国のありかたを恥じる一人の若い男が、この危機にあってどんな気持で生きたかが、これを読めばわかるからだ。

    渡辺一夫『敗戦日記』、博文館新社、p.30

    1945年8月18日
    母国語で、思ったことを何か書く歓び。始めよう。

    渡辺一夫『敗戦日記』、博文館新社、p.69

    英語でも日本語でも、もっと書けるようになりたい。私の文章には両言語ともvoiceがある、と昨年英文学の先生に言われ、初めてその視点で自他の文章を批評する目をもち、へえ、これがvoice、となった。voiceを見つけたのであれば、次に行こう。両言語とも、言葉の綺麗さは求めていない。何度も味わいたい美文みたいなものに興味がない。結果的にそうなってもいいが、どこに目をつけるか、切り取るか、どう深められるか、どういうリズムや口調にするか、誰に届けようとしたいか、何に一石を投じたいと思うかなどを考えるほうが私には大切である。

    広告代理店でインターンをしていたときに、「刺さる広告」「ターゲットに刺さるように」という言葉を聞いた。取引先の人がslackで、「忙しすぎて脳死してます」と言っていた。熊本地震の数日後、地下鉄の駅で、近くの人が「ガチャ爆死した」と愚痴っていた。私はできるだけ、こういう言葉を選ばないようにしている。これは自覚のある過剰であり、人に強制するものではない。他者のそういう言葉に触れて不快に思うこともしない。ただ、私はよくも悪くも根がフォーマリストである以上、私の文章ではその志向をできるだけよい方向に使いたい。自分のvoiceが力を発揮するように、痛みのあるメタファーは、必然性があるときに使いたい。

    「致命的」と書き、いや、これは命に関わるようなことではない、とデリートボタンを押す。そのような手つきを、渡辺先生から学んでいる。

  • 夏休みで学生が少ないことを見越して、図書館に行った日。駅に、思いのほか人がいた。駅から出ると、オープンキャンパスの案内をもらった。周りを見渡せば、記念写真を撮ったり、スタンプラリーをしていたり、スタッフに道を尋ねていたりする人たちがたくさんいた。

    結婚して3年くらい経った夏、夫と美大のオープンキャンパスに行った。進学しようか迷っていたのだ。会社のキャリア面談で、人材育成の仕事の次に何をしたいか提出しなきゃいけないのに、書きたい部署がなかった。強いて言えば、研修設計の考え方が、デザイン部の人たちの考え方と親和性がありそうだったけれど、デザイン部には大学でデザインを学んだ人しか配属されないし、プロダクトやグラフィックやUIに興味があるかといえばまったくなかった。なんか、デザインの、具体的な分野をとっぱらったときの、通底する抽象的な考えみたいなものに惹かれていた。そういうのにアクセスするにはどうしたらいいか考えた結果、「美大に行ってキャリアチェンジ案」が出てきた。

    1泊2日のオープンキャンパスの旅を計画した。大学から発表されているスケジュールを読み込んで、聴きたい講義を選び、時間割を作った。夫を誘ったら快諾してくれたので、ふたりぶんの宿を予約した。

    大学の最寄り駅を降りて、大学まで向かう道は、緑が多くて、長くてうねうねしていた。今ほど、うだるような暑さではなかったように思う。葉っぱの影を踏んで歩く遊びをするような、若さと涼しさがあった。

    進学を検討している者とはいえ、マジョリティの高校生の邪魔になってはいけないからと、遠慮しながら講義室に入り、席を見つける。後方の席が人気なのはいつでもどこでも同じなので、前の方に座った。横にいる夫が、「自分はまったく美大に興味がないが、妹が心配なのでついてきた兄」のような、かつ「『同席を求められたから来ましたけど、本題は何ですか、私の時間を使うからにはいい議論ができるんでしょうねえ。あん?』みたいな、ばちばちに仕事のできる入社15年目くらいの先輩」のような感じで、完全に浮いていた。

    講義が始まる。聴く。終わる。周りが退席し始める。私たちは座ったまま。私が、ねえ、どうしてあの人はこの場をデザインしないの、とつぶやく。夫が、「そうだよ、話にならない」と言った。きらきらした広告案件や、華々しいキャリアの具体物はどうでもよかった。それをもとに学生が集まってきて、授業をしている、授業をしてあげている、のがわかった。そういう講義が続いた。美大だからこそ学べる、というものが見当たらなかった。私がつぶやき、夫が切った。私は文学部で、彼は工学部で、そして会社で、大切っぽい抽象的なものを獲得していた。それは美大で手に入るのかもしれないが、美大の専売特許ではない、と気づいた。

    いくつかの講義を聴き終わって、お昼過ぎ。もういいやと思った。もうここにいる必要はない。明日の聴講予定もなしにしよう。「もし夫と大学で出会ってたらどんな感じだったんだろうシミュレーション」に変更した。私も彼も、文系と理系が別々のキャンパスの大学で学んだ。「講義のあとに学食で待ち合わせて、いちばん安い、具の少ないカレーをプラスチックの食器で食べながら、くだらないことを話す」みたいなことをした。彼は最初、「初めて恋人と学食でごはんを食べる」みたいな空気を出していたけれど、直前の講義への感想となると「15年目の先輩」の切れ味で饒舌になった。分野は違っても、興味がなくても、何かの設計思想のレイヤーでは見えるものがあるし、自分のものを交差させたときの意見もある。

    帰り道、彼がこう言った。「紺ちゃんはねー、自信や自覚がないんだよねー。ぼくが『できてるよ』って言っても聞かないしねー。数年後に、『あ!』って自分で気づくというか、そうしないと納得しないんだよね」

    私は美大に行かないことにした。言葉に関わる仕事がいいのかなと思って、他もあたってみた。広報の大学院は、広報経験者がキャリアアップのために行くところみたいだった。言語聴覚士の専門学校では、身体全体を見る重みを感じて、自分の「言葉の仕事」という見方が荒いと気づいた。翻訳も独学したけど、人の文章を訳すよりは自分の文章を書いてしまいたい。臨床心理士も考えて、夫と予備校の説明会にも行ったけど、「そういえば、自分にカウンセリングが効いた試しがないじゃん」と気づき、「予備校で出会ってたらどんな感じだったんだろうシミュレーション」をして帰ってきた。

    結局、行きたいところがないのでどこでもいいです、と出したキャリア希望は、デザイン部のトップデザイナーの隣で働く、自分で希望を出したら見つからなかっただろうな、という言語化しにくいポジションとして返ってきた。彼女はインテリアデザイン専攻で入社して、プロダクト、グラフィック、UI、UX、全部ハイレベルにできる人。布や画材や道具がたくさんある、美大生のたまり場みたいなアトリエで、私が具体と抽象の話、美大のオープンキャンパスの話をした時、彼女は途中で吹き出した。苦笑いでうなずきながら、「わかる」と言った。下の世代の人たちは、大学でグラフィックを専攻したら、仕事でずっとグラフィック、というのを好み、抽象的な横断をしない傾向にあると言った。別の日、撮影帰りの車の中で、「あなたはいわゆるデザイナーじゃないけど、やってきたこと、やってることはデザインだよ。一般的な具体をやってないだけ」とフィードバックをくれた。会いたかった、具体と抽象を往復できる人。どこに行ったら会えるのかわからなかったから、いろんなところに行って、自分なりに考えてきた。行き詰まりは息詰まり。プールで潜り続けて、足掻く。まだゴールじゃないのをわかってるのに、一度浮き上がってしまわないと入ってこない新しい空気。お金を払って美大で学んでいたかもしれないAdobeのPhotoshopとIllustratorを、仕事でそれなりに使えるようになったあと、私はデザインの会社に転職した。そこでは、抽象的なことを考えられることと、倫理観をもっていることは、同義じゃないんだと学んだ。

    履歴書だけ見たら、私の経歴はスッと綺麗なほうなんだと思う。でも、そこに書かない、うだうだぐだぐだがたくさんある。やりたいことがぱっと浮かぶ人と、浮かばない人がいるとしたら、私はぱっと浮かんでるくせにそこに気づかず、選択肢をできるだけ直接確認してつぶしてから、残ったものを「これしかないのね」とようやく気づくタイプ。私は私でいることがたいへんなのだけど、周りにいる人、特に夫は夫でたいへんみたいである。

    夫はリアルに「入社15年目くらいの先輩」になった。私は文学部に戻った。ねえ、妻が大学生ってどんな感じなの、と聞いたら、「もう、たいへんだよ」と言った。研修継続申請書類の、「宣誓書」の保証人欄にサインしながら、「ぼくは『大学所定の諸規則を遵守するよう指導監督』しなきゃいけないからね。ちゃんと勉強させなきゃいけないんだから。ほんとうにたいへん」と言った。そういえばこの人も、私の会いたかった人。どこに行ったら会えるのかわからなかったけど、なぜか会えた人。そばにいてまなざしや言葉をくれる人。

  • おたより帳

    栄の本屋を出たら、階段で女性がうずくまっていた。思わず声をかけると、「ちょっと歩きすぎちゃったみたいで。くらくらして。大丈夫です」と言われた。こういうときに限って、コンビニやドラッグストアが近くにない。茶葉もビールも違う。何かあるだろうと入った韓国雑貨店の奥で、飲んだことのないペットボトルのサイダーを買い、さっきの女性のところに戻って渡す。こんなに人が行き交う場所なのに、誰も彼女に気をとめないのが不思議だった。だけど、たとえばその人たちも、「あと少し」と思いながら涼しいところに向かっているのかもしれない。何事もなさそうに体が動いているから、他者から気をとめられないだけなのかもしれない。

    ということが、先月は2回あった。2回目は自販機まで走ってポカリを買った。私は夏が嫌いなので、外出の予定は極力抑える。抑えているのに、そのわずかな数の外出日に、体調不良の人に会ってしまい、これは外出すると事件を見つけてしまうコナンくんなのではと思った。が、『ひらやすみ』のドラマで、心身の限界が来ているヒデキに、ヒロトが「俺はいつでも暇だかんな」と肉まんをひょいっと渡すシーンを思い出し、私もヒロトのようにあろうと決めている。

    イギリスの文芸誌 Granta のニュースレターで、Summer Reads 2026という記事が届いた。寄稿者や編集者が、この夏、本とどんなふうに過ごしているか。輪郭を奪う暑さの中、溶けそうなときに人が求めるのは、涼しさではなく構造なのかもしれない。

    AEA VARFIS-VAN WARMELO
    I’m looking for structure and accountability this summer so I have founded and will be running a two-person book club where we will read one book and one book only: Grapes of Wrath. I’m not sure why I want to read this so badly that I’m willing to let admin (the enemy of pleasure) get involved, but it’s possible that London’s rolling heatwaves have made me feel some kinship with the Dust Bowl, or perhaps they’ve laid the ground for the broad and biblical moral theatre Steinbeck excels at.

    この夏は構造と責任が欲しいので、ふたりだけの読書会を立ち上げて運営することにした。読むのは1冊、『怒りの葡萄』だけ。どうしてこの本をこんなに読みたくて、事務仕事(楽しいことの敵)までやろうとしている気になっているのかはわからない。ロンドンの繰り返す熱波のせいで、ダストボウル(『怒りの葡萄』に出てくる大規模な砂嵐)に親近感を覚えているのかもしれないし、その熱波が、スタインベックが得意な壮大で聖書的な道徳劇の下地を作ってしまったのかもしれない。

    https://granta.com/summer-reads-2026/

    本屋で買ったのは『哲学史入門』シリーズの4冊だった。分析哲学のあたりで、そういえばラッセルとかの原典を読書会で読んでいる先輩たちがいたなあと思い出す。構造を求める友人がいるっていいな。主催は、難しい英語を読むのが趣味の人だった。ある日、突然倒れた。数年分の記憶を失くした。それでも言語能力は残り、活躍なさっている。彼がどこかで、「昨日の自分と今日の自分がなぜ同じと言えるのか」と話していたことをよく覚えている。

    私は過去と現在の連続性の感覚が、おそらく他者と比べてとても薄い。記憶を失くすのではないのだけど、何か自分に蓄積していく感覚みたいなものがない。蓄積していってはいるだろうに、その自覚がないというか。細切れの瞬間瞬間を生きているようで、いろいろなことをすぐに忘れる。

    私の時間は蓄積しない。時間が蓄積する結果できあがる自己認識や自信が私にはない。自分になりそうなものをかき集めても、少しの振動で吹き飛ぶ。点と点をつなぐと線になり、それが通常らしいが、私は今ここの点だけだ。医者は「点として輝け」と言う。私は便宜上「私」と言っているが、「なんだ私って」といつも思っている。

    2023-12-02 飛散する私への言葉

    自分の認知パターンをたくさん分析して、対策を試行錯誤した。だから「見える化」と「見えない化」が得意だ。見えると忘れない、見えると忘れられない、見えないと忘れる、見えないと忘れられる。やりたいことや予定やメモはすべてノートに書き出し、閉じずに、机に広げておく。朝起きて、それを読み、続きを書いていく。私がアプリなどを極力使わないのは、その会社がつぶれた時に困るというリスク回避もあるけれども、パソコンやスマホを閉じると、充電が切れると、電波が途切れると、見えていてほしいものが見えなくなるから。目の前に何もないと、「ただ見えないだけ」なのに、ぼーっとして、やることがわからず、ノートを開けばいいということもわからず、「自分は何もできてない」と思って落ち込み始める。

    言われたことは目に見えずに透明だから、覚えておきたいことは書いておく。放置すれば忘れられる。たとえば誕生日の数字とか、テレビの野球中継とかのイメージに嫌な記憶がついている場合は、時が経っても突然再起動しやすい。そういうのはできるだけ見えなくする。時計はデジタルではなくアナログ、テレビは買わない、みたいに。

    小川洋子の小説を読んだ。語り手が「わたし」と書いていた。私は「私」がいい。ひらがなは飛散してしまいそうで、私に合わない。三文字もいらない、一文字でいい。漢字の重さが欲しい。

    最近、ハビットトラッカーの代わりに、「おたより帳」を始めた。過去の自分から、現在の自分に引き継ぐイメージ。1日1ページ、何を勉強したか、ポモドーロを何回まわしたか、どれくらい運動したかを書く。増えていく、書き終わったページの厚みが、自分の蓄積の見える化になる。ハビットトラッカーの、余裕のないみちみちした鎖で自分を縛っていたところから、少し風通しをよくした。年々暑くなっていく世界で、ずっと冷たいままの私に、ひょいっと差し入れするような感じ。コンビニの肉まんのように、すぐに冷めてしまうけど、ある瞬間には確実に温かいような、やわらかい動き。

  • 大学生の時、池内紀『ゲーテさんこんばんは』を読んだ。ゲーテの名前や著作から、いかめしい人だと思っていたので、「なじみの店でお酒飲んでそうなおじさん」みたいなゲーテの人物史とその書き方に、おおなるほどと思ったのだった。以来、なんかいかめしいなと思う作家や哲学者には「さんづけ」をする。ウィトゲンシュタインさんはすごく偏屈で、でもなんか必死で生きてたんだなと思った。ショーペンハウアーさんは、「天才以外死ねばいい」みたいな感じだが、同時代に人気の学者に嫉妬していた一面も知ると、人間味のあるぶっとんだおじさんになる。

    研修生継続が承認されれば、秋から批評理論と文学を学ぶことになる。制度上は学部研修生なんだけど、大学院生扱いされている。自走できる、モチベーションが下がらない、自分のテーマをもってる、書き続けていて読者がいる、という意味で、大学院で教わるべきことは身についているらしい。先生との関係づくりのために1年目は彼の授業を取ったけれど、それはイレギュラーで、基本は年4~6回の個別チュートリアルをもとに自走して論文を書く。

    批評理論といって出てくる人は何人もいるが、聞いただけでは、まあいかめしい。「さんづけ」をするために、大学生のときにウィトゲンシュタインとサルトルだけ学んでいたところから、哲学史への接続を作ろうと思った。誰が誰に影響されたか、なぜそういうことを考える必要があったのかを押さえれば、近づきやすいだろう。

    何事も師との出会いが大切だ。いかめしいそうなものをいかめしく語っている人に教わって、いかめしいなと思うのは当たり前である。いかめしさに何度もくじけ、ビビりまくっている初学者に、自分で噛み砕き、自分の言葉で伝えようとする学者が好きだ。私は山内志朗先生の本を昔読んでいて、その「穏やかな語り口なのに、たまに小さな爆弾仕込んでる」みたいなやさしさと反骨精神みたいなものが好きだった。NHK出版の『哲学史入門』シリーズの著者のひとりだったので、たぶんこの本は大丈夫そうだと手に取った。昔読んだ、「言っていることは正しいのかもしれないが、暴言が多くて、ゼミの先生だとしたらとても苦痛」という学者が入ってなかったのも大きい。他者をばかにするなら、ショーペンハウアーさんくらい突き抜けていてほしい。

    千葉雅也先生が、こう言っていた。

    現代の感覚をあてはめて理解しようとしてはダメなんです。ものすごく異質な思考が昔の世界にはある。過去の世界には、私たちとは大きく異なる独特の思考スタイルが存在していたと考えるべきです。「昔はこういうことがありました」という暗記ものではなく、自分自身の脳や体の感覚までもが巻き込まれていくような冒険であり、ジャングルの中でしばらく生活するみたいなものとして古代や中世に潜っていく。

    『哲学史入門 ①』 p.29

    この感じ。今、現代で自分がもっている言葉の定義や思考や感覚で読んではいけない。アリストテレスさんも、カントさんも、ヘーゲルさんも、それぞれの時代に、それぞれの言葉で、知性をフル活用して書いたのだから、とっつきにくくてわからんと思ってしまうのは当たり前なのだ。指導教官が、「close readingは、文章のダイナミズムに身を任せることだよ」と言っていたように、わからん思考のダイナミズムに身を任せると決め、言葉をひとつずつ確認し、ついていく。

    その訓練をある程度していたからか、『哲学史入門』はおもしろかった。ハイデガーさん、絶対難しいんだろうなあ~と思っていたら、フッサールさんの経由で近づくと、なんか感覚がつかめたような気がする。

    この文は真です、偽です、みたいな文章を読んでいたら、嘘について何か読みたくなり、『嘘解きレトリック』というマンガを再読し始めた。人の嘘が、鈍い金属音のように聞こえる少女が主人公の話。自分の能力が、気持ち悪がられる、人の迷惑になるとしか思ってなかった彼女が、村を出て、理解のある人たちに出会って変わっていく。嘘って、ああ、こういう面もあるのね、なるほどねーとか思っていると、案外哲学者も、日常生活で「〇〇って、××かも」と直感的に思いつき、それを証明せねばならず、証明するには言葉や数学などを使うしかなく、なんかゴリゴリ硬くならざるを得なかったのもしれないと思ったりした。それは自分の考えを証明したい、誇示したい動機のものもあったかもしれないし、単にライバルを打ち負かしたいとか、学問や世界に少しでも貢献したいとかだったかもしれない。

    『あたらしいともだち』という、『ひらやすみ』の作家さんが帯を書いているマンガの短編集の中に、あるマンガが好きな少女のこんなセリフがあった。

    このマンガがはじめから特別だったんじゃなくて 
    私がまりちゃんと出会った日に 
    偶然同じ光に照らされてそこにあっただけで 
    私たちが特別な友達になるのと一緒に 
    このマンガも少しずつ特別になっていった 
    まりちゃんの顔も声だって 
    はじめは全然とくべつじゃなかった 


    そうか 
    そうだとしたら 
    見慣れないこの街にも 
    いつか自分にとって大切になりうるものは 
    今日の日差しの中に 
    充満しているのかもしれない

    今年度最後のチュートリアルで、指導教官に「来年度学ぶ批評理論を自分で選びなさい、例えば『脱構築』、『マルクス主義』、『フェミニズム』、『クィア』などの中から」と言われた。何にしようかな、ぜんぶ難しそうじゃん、と思いつつ、軽く調べ、たぶん脱構築理論を先に学ぶと、その子供や孫としての他の理論を学べそうな気がした。論理的、実利的な理由。そのあと、デリダの概要を探ってみると、あれ、私この人の言葉を知らないだけで、ふだん、わりに脱構築的にものを見ている気がするぞ、私は彼のように二項対立を壊して終わりじゃなくて、そのあとに何かしら修復をするような志向性があるように思うけど。そんなことを思っていたら、デリダがカミュを読み込んでいたと出てきた。出てきちゃった。デリダさん!私もカミュ、よく読むの!となり、頭と心の意見が一致し、デリダにすることにした。指導教官は最初の選択こそ「自分で選べ」と言ったけど、私がデリダにしますと言ったら、「じゃあ他のも学ぼう」と、前日に私に例示した理論と、プラス、ポストコロニアリズムの計画を渡してくれた。結局ぜんぶやるんじゃん、なんだけど、「デリダさん!!」と偶然思えて、そこから始められるのはなんかいい。きっと難しいんだろうな。でも、いつか、私にとって大切なもののひとつになってるといい。

  • 今週は書くことがない。

    金曜日、膀胱炎の兆候があったけれど、現実にならないように、ならないようにと、祈っていた。

    土曜日、夫と、「セールスマンの死」愛知公演を観に行った。タイトルそのままに、セールスマンが死ぬ話だ。舞台の前にはいつも、原作のあらすじなどを説明しておくけれど、今回は不要だった。

    かつて敏腕セールスマンだった男。年老いて、会社からは煙たがられている。地方営業で疲れ果てた彼を支える妻。自立してない息子ふたり。マイカー、マイホーム。彼の死に向かって進む物語は、明るいかつての回想を経て、どんどん壊れて荒れていく。

    観劇というのは、お金のかかる趣味だ。1人1万円以上かかる。愛知は往々にして飛ばされる。どうしても観たい作品が、東京だけ、あるいはかろうじて大阪にも、というのはよくある。しかし、毎年何本も観るのはかなわないので、愛知飛ばしは歓迎だ。厳選された作品がたまに来てくれるくらいがちょうどいい。

    「セールスマンの死」はクラシックな戯曲だ。今年はちょうど同じ作者、アーサー・ミラーの「みんな我が子」を観ることになっていたので、ミラーの年にしようと飛びついた。生きているうちに、別の演出やキャストで、再度味わうことができるように。そういう作品がいくつか、夫との記憶にあるのはいいでしょう。タイトルだけで、チケットの先行予約に飛びついた。前から6列目という、なかなかいい席を取れて喜んでいたけれど、劇場に行ってみたら満席じゃなくて、まあそうだよねと思った。昼公演の1階席が埋まってない。フロントの両端の席も空いている。システム側の、チケットの販売設定、埋め方が気になる。5列目のいちばん端と、6列目の真ん中寄りなら、後者に座らせてくれるであろうシステム。

    今回のキャストは渋い。ポスターも渋い。なので観客も渋いのかと思いきや、大半は、おめかしした明るい女性たちだった。ぬいぐるみをもってポスターと記念写真を撮っている。お手洗いで様子をうかがっていると、どうも息子役のキャストが、「俳優業に専念するために某大手事務所のアイドルグループを卒業した人」で、かつ「結婚発表直後」だったらしく、推しに会いたい、応援したい、変わらず応援し続けていることを伝えたい、席を埋めたい、というような話が、列に並んでいるとき、手を洗っているとき、メイクをなおしているときに聞こえてきた。「どうしよ、私、これからも好きでいれるかな」と、お祝いしたい気持ちと受け入れがたい気持ちを出し入れしながら小さなパニックを起こしている人もいた。主人公の老人が死ぬか否か(いや、死ぬんだが)、そんなことは関係なく、推しへの気持ちを絶やすべきなのか否かを、ここで、こんなぎりぎりに葛藤するのかと思った。好きな人を応援するプロフェッショナル。

    この作品は、基本的に不穏で、けんかしている。冷静に考えて、1万円払って、3時間、親子げんかをみんなで観ているのは不思議だ。早起きゆえに朝食を抜き、電車に酔ったゆえに早めの昼食も抜いた夫は、横でお腹を密かにぐーぐー鳴らしている。役者が、ホールに声を響かせる。小さな言いよどみがあり、役者同士が内心(おっとっと)と言うかのように目配せし合い、台詞を微調整して軌道に戻す。数メートルしか離れていない場所で、芝居を仕事にしている人の仕事っぷりを生で見る。オフィスで、同僚の仕事を3時間見つめ続けることなんて許されないので、やはり不思議な感じだ。

    セールスマンが抱えるトランクの中身は明かされない。自分を売って、買ってもらわなければならない。気に入ってもらえるよう、注目してもらえるよう、立派だと思ってもらえるよう、尊敬してもらえるよう、夢を掲げ、大口をたたき、見栄を張り、嘘をつく。ほころびをごまかし、隠し、知らないふりをする。

    私は、ダブリングという、ひとりの役者が数役かけ持つ演出が好きだ。たとえば「ハムレット」で、国王の亡霊だった人が、しばらくして、町に訪れた旅劇団の役者になり、そのあと墓掘りになる。綺麗な衣装から始まって、少しずつ汚れていく。舞台裏でのメイクなおしとは逆の、汚していく方向。「セールスマンの死」では、セールスマンの雇い主である社長役の人が、のちのシーンで、レストランのウェイターとして現れた。こういう、階級間の颯爽とした移動が、本当に好きだ。今回はカーテンコールまで気づかなかった。スタンディングオベーションの中、私はミラーとダブリングの役者メインで拍手をしていた。

    東海市芸術劇場は、名古屋駅から特急で1本の、太田川駅に隣接している。3階建てで、乗車位置がちょっとわかりにくい。ひつまぶしと味噌かつを食べようと話していた人たちが、2階のホームで立ち止まった。3階から階段を下りてきた駅員さんに、「名古屋駅への特急はどこかしら」と聞いた。駅員さんは、時計を見ず、迷いなく、さっと、「3階です。あと30秒で出ます」と言った。まじか、あと30秒、と、彼らといっしょに急ぐ。階段を駆け上がりつつ、秒数を測っていた。30秒くらいだった。それを即答できた駅員さんがかっこいい。

    電車の中で、ねえ、きみはどうなの、と聞く。夫が「ん?」と言う。嘘をつくような仕事をしているんじゃあないだろうねえ。実はやましいことがあって隠し続けているんじゃあないだろうねえ。きみは中身のある仕事をしているのかね。夫は、笑わないように、でも閉じた唇の端をぴくぴくさせながら、「どうかなあ」と斜め上を見上げる。私が「嘘はよくないよ」と言ったら、私を見つめ、「そうだ、嘘はよくない」とキリッと言った。彼が舞台についていけて、かつ堂々と感想を言えるのは珍しいことなので、「うん、嘘はよくない」と返した。私は夫のモナカアイスを食べたとき、「食べてない」と言う。

    膀胱炎は、徒競走のピストルのように、ある瞬間を迎えたら最後、できるだけ速く病院に行かなければならない。病院の処方薬でしか治らない。処方薬さえあれば、体内の菌が死滅するのを待つだけで、気が楽になる。一度なってしまうと繰り返す病気だ。免疫が下がるとかかりやすい。金曜日の夜に初期症状を覚えるというのは、たいへんよくない。考えたくないワーストケース。ひと晩越えて、土曜の午前中を逃せば、しばらく病院が開いてない。でもいざというその瞬間直前まで、自分では本当に膀胱炎なのか判断できない。市販の漢方は、治癒はできなくても、その瞬間が訪れるのを先延ばしにしてくれる感じがする。土曜日、クリア。日曜日、日中クリア。夜、あやしい。23時に寝て、月曜日の4時に異変で起きた。来た。急がなきゃ。だいじょうぶだ、落ち着け、まだいける、病院に9時、出発は7時30分、あと3時間ちょい。いける、大丈夫。

    寝るに寝れないので、水をがぶがぶ飲み、YouTubeプレミアムの学割に申し込むことにした。学生証の写真を撮り、認証システムに送る。はじかれる。送る。はじかれる。在学証明書の写真を撮って送る。はじかれる。上限に達したので送れなくなった。仕方ないのでコンタクトフォームから問い合わせる。I attached my student ID as instructed. It is valid until September 15, 2026, so it is still active today, July 26, 2026. Could you please review it again? 自動返信で、「数日待って」と言われる。が、3分で担当者のSさんから連絡が来た。私の名前のアルファベット表記が間違っていたので、手打ちしてくれたんだなあと思う。「これからドキュメンテーションをチェックする作業に入ります」と書いてある。お待たせして申し訳ありませんではなくて、 “Thank you for your patience.” (あなたの忍耐強さに感謝します)という言い回しが英語の定型句。そうなの、私は今、とても忍耐強いの。10分後、Kさんから承認のメールが届く。 “Please don’t hesitate to reply to this message if you have any further questions regarding your student verification. We are here to help.” 「私は助けるためにここにいる」と言える仕事ってかっこいいな。ありがとう。広告なしでスムーズになったYouTubeを観る。ウェザーニュースのキャスターと視聴者。「ちなみに沖縄は何番ですか」と問いかけ、視聴者の言葉をアドリブでキャッチする、崩れるようで崩れない言葉。平和。

    夫が起きてきて、私は出発しようとする。こういうとき、ただただ私を心配してくれるのがデフォルトの人は、「大丈夫?」とか「心配」とかわざわざ言わない。彼は「紅茶を買って来て」と言いながら、紅茶代以上のお金をもたせてくれる。いざという瞬間の接近に怯える私の意識を、病院後のランチに向けさせる。

    バスに乗り、アプリで婦人科の予約をする。9時台が空いてなくて、9時30分台にした。8時45分に到着したら、受付が始まっていて、「おつらいでしょうから」と開診時間を早めてくれた。なじみの先生は、年上なのに、マインドセットがギャルなのがすごくいい。薬を飲めば楽になる。だけど診察が早く終わっても最寄りの薬局が開いてない。それを知っていて、雑談してくれる。「見て。この前買ったの、これ」と見せられた、シャネルのココクラッシュ、ゴールド、たぶんミディアム。爪はネイルなし、短く切りそろえられている。

    薬局で薬を飲んだ。終わったのでエビを買って帰ります、と夫にLINEした。エビのトマトクリームパスタを作って食べるぞ!と意気込む。「えあこんのたいまー、14時くらいにしてあるので早く帰るならタイマー解除してね」と返信が届く。帰ったら、ほんとうにエアコンのタイマーが設定してあって、私は彼の妻にふさわしいんだろうかと思いながら写真を撮った。そして、これを書き始めた。

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