


9月は長く感じた。こうやって記録していると、いかに現実(『存在と時間』)から逃れたかったか、逃避が逃避になってなかったか、やはり読みたいと思い続けていたかがわかる。
『存在と時間』の入門ルートはいくつもあるだろうけれども、私は中山元訳を選んだ。本の半分が懇切ていねいな解説で、ゆえに8冊あるというボリューム。解説を先に通読した。用語をAIに入れて用語集を作り、テストにつきあってもらって覚えた。そしてハイデガーの本文を読む。このやり方を2巻目で見つけ、8巻まで通した。彼はそれまでの哲学が見誤っていた「存在」に焦点を当てるために、数えきれないくらいの造語を駆使した。なので、読者はほぼ、外国語を一から学ぶようなものだ。指導教官は英語で読んだらしく、読むのにすごく苦労したと言っていた。私はそこまでではなく(そこまでではないと言っている時点で読めていないのかもしれないが)、日本語だからかもしれないと言った。ドイツ語の “In-der-Welt-sein”は、英語で “being-in-the-world”と長いのに、日本語だと5文字、「世界内存在」である。ハイデガー読むのが楽しいことを「すごい」とか「読めてないんじゃないか」とかジャッジせず、「日本語ってビジュアルだもんね~」と言う彼の姿勢が心地よかった。難しいものを読めて偉いとか、読めなくてだめとか、そういうことではないからね。
私は認知的に現象学と相性がよく、フッサールを楽しく読み、それを存在論にしたハイデガーもおもしろく読んだ。轟先生の『ハイデガーの哲学』は、読めてよかった。ハイデガーといえば『存在と時間』じゃん、ナチスに加担したんじゃん、というステレオタイプ的な知識を、はさみでぱちんぱちんと切るように、ひとつずつ改めてくれた。『存在と時間』だけが読まれ過ぎている、ハイデガーの哲学は後期のものも含めてとらえるべき、彼がナチスに加わった目的はナチスと目的が異なり、それゆえに彼は短期で辞職し、自分の思想を更新し続けた。言葉の定義が違うから離れる、しかし自分の思想の核が間違っているとは思えないから、考え続け、論文で証明しようとした人、という印象。明らかなカリスマ性や過ちがあり、ゆえに偏見も持たれる人、というのが、現時点での彼に対する研究の成果のひとつだと理解した。だからたぶん、『存在と時間』の語り口やダイナミズムがおもしろい、と思うのはやましいことじゃない。とはいえ、
ハイデガーは「存在への問い」を突き詰めた結果、自分が語ろうとしていた事象は「存在」という語によっては示しえないことを明瞭に自覚することになった。「存在」はじつは「存在」ではなかったと言うのである(!)。
轟孝夫『ハイデガーの哲学』 p.475
ハイデガーのどのテクストでも、読みたいと思ったものを読みたいところから読めばよいのである。ハイデガーはどこにおいても、ただひたすら「存在」のみをさまざまな観点から試行的に語っているにすぎない。
轟孝夫『ハイデガーの哲学』 p.495
2ヶ月かけて読んだ結果が、まじかよ、「存在」が消えちゃった!ということだし、要約すれば「ハイデガーはとにかく「存在」」なのだけど、彼は86年の人生をかけて取り組んだわけで、なんだか哲学というのは、その哲学者の思考の試行錯誤史を追うようなものだなと思った。
ハイデガーを読んでいて、ランチにキッチンに立ったとき、よくNetflixでフリーレンを観ていた(もう何周目か知らん。基本的に静かで好き)。ぽけーっと見ているとき、ザインという僧侶のキャラクターに、ん?と思った。もしかして、と調べたら、フリーレンの言葉が基本的にドイツ語だと知った。Sein(ザイン)は、「存在」である。ちょっと気晴らしに、と思って手に取ったものにハイデガーの影響があって、サブリミナルみたいだった。『葬送のフリーレン』自体、存在論的よね、と思って、マンガも読み始めた。
Xのリポストで見かけた『ハーモニー』のマンガ版も読んだ。セール中だったので、4冊合わせて1000円いかなかった。だからさっと読み終わる軽い作品なんだろうと思っていたら、全然そうじゃない、ハードなSFだった。ハイデガーから逃避したくて読み始めたのに、フリーレン以上に硬派な存在論だった。綺麗なディストピア。作者は伊藤計劃(いとうけいかく)。英語表記だと “Project Itoh” というのがかっこよくて、私もそういうのにしたいと夫に話した。彼は私の実名でごにょごにょ遊んだ結果、なんかプリキュアみたいな、どこかの化粧水みたいな名前を出してきた。「やーい、ぷりきゅあ」と言ってくるのも、それにむきーっとなるのもレベルが知れている。彼は「同じ作者の『虐殺器官』もおもしろいよ」と言ったあと、笑うのをやめて、「でも早くに亡くなっちゃったんだよね」と言った。
YOUと藤井隆のYouTube動画の話のトーンを頭のどこかでリピート再生しつつ、『ニューヨークで考え中 5巻』の表紙のように、「ふ~」と息抜きをした。『GISELe』のブラックコーデ特集を細かいところまで読み、ボートネックのトップスを2枚買った。
『存在と時間』と『女の園の星』は、「冷静に考えると、この時間、なんだったんだろう。でもなんかよかった」という意味で似てる。





