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  • スマホがピコンピコンピコンと鳴って起きる。時計を見ると朝5時。何事かと焦る。LINEを開いてほっとする。最近いろんなことがあったんですという、ニコニコの写真とメッセージ、フロムノルウェー。

    会話に応じると、「え、起きてる?」と来た。あなたのせいで起きたわ。でも目が覚めてよかった、ちょうどいい。あちらは1日が終わる時間、こちらは始まる時間。

    彼女が留学に行って1ヵ月になる。私たちは、出会ってまだ1年経ってない。大学の授業前、トイレで何気なく挨拶したら、「話してみたかったんです」と返ってきて、以来1クォーターぶん、いっしょに授業を受けた。テスト対策を手伝った。テストが終わって、ランチの約束が2回流れた。「風邪」と言っていた。連絡がないまましばらく経ち、別の授業の休憩時間、トイレで偶然会った。「おぅわ、紺さん!!」と驚いていた。私は、メイク直ししていた彼女の友人に、ひそひそと声をかけた。この人、私に近づいてきたのは単位目的じゃないって言ってたんですよ、でもね、テスト終わってから連絡なくて・・・。鏡越しに目が合った彼女は口を大きく開けて爆笑している。友人のほうは、「あー、そうなんですよ」とにやにや乗ってくる。結局3人でしばらく笑った。「風邪」がほんとうに風邪だったらしい。単位目的で近寄ってきたのではなかった。

    年齢がひとまわり以上離れている人と、利害関係なく話すのは、今までになかった経験だ。「お気に入りのおしゃれカフェのメニューをコンプリートしたい大学生」のようにカテゴライズすれば、いくらでも均質化して没個性しそうなのに、どのオムライスにしようか延々と楽しそうに迷っているという姿で現前するのを強烈に見て、オムライスなんてどれも同じではと一瞬思った自分を恥じた。という話をしたらおもしろがっていたので、おもしろい人だ。なんとなく、管理職を経験しないまま会社を出られてよかったと思った。人に、「この子」とか「部下」とか言わないままでいたい。

    夏のテストが終わって、彼女が留学へ行った。私は1年の研修生期間を終えて、休みに入った。8月、本を読んでいて、あれ、なぜこんなに心が穏やかなのかと思った。すーっとした凪。不安のない静けさ。振り返ってみて、去年の夏から、新しい挑戦ばかりしていたことに気づいた。思いついたらやってみた。思ってたんと違うとなったら「失敗」とかラベルをつけずに淡々と軌道修正した。リスクを取り続けた。新しすぎる環境。同世代と話が合わなさすぎるキャリア。浮かざるを得ない年齢差。1日の7割くらいが全部英語。

    この1年、留学しているみたいだった。ずっと怖かった。あなたががんばる姿を見て、私ももっとがんばろうと思った。来年度の継続申請が認められるといい。継続が許可されて、あなたが帰国したら、またごはん行こう。あなたのことをもっと知りたい、みたいなメッセージを送ったら、留学生活、まーじこわいけどがんばりたいという気持ちがいっしょだと返信が来た。

    彼女は気軽に自撮りを送って来るが、私は送れない。あー、音楽何聞くのとたずねる。音楽の話を交わす。この前Xで見つけた、「もっと人気が出てもいいはずの曲」の動画を送った。イマジナリーフレンドというと、子どもの空想っていうイメージだったけど、この歌詞は違うんだよ。dreamを、寝てる時の夢と、目指してる夢のダブルミーニングで読んでみて。日本語字幕あるけど、私は英語バージョンが好き。

    英語バージョンで、というメッセージにすぐに既読がつく。私の、初めて見たとき泣いた、というメッセージはすぐには既読にならなかった。しばらくして既読になり、「涙でた」と来た。

    Who am I? The evolution
    I was born inside your dream
    Trust me, I’m not a delusion
    Oh, I am everything you wanna be

    Come on and dance, dance and don’t stop, I’m a little lucky spark
    Stoke that feeling in your heart
    You and I, we gon’ ride, can’t stop thinking about our vibe
    We can jump, we can run and I’m killing it to the top, yeah

    Call out my name in the middle of the night
    When you are afraid, call out my name, yeah
    Call out my name in the middle of the night
    Yeah, call out my name

    You know I’m your imaginary friend
    You know I’m here tonight to give you strength
    When there’s monsters on your ceiling
    I’ll keep you safe and I will keep you dreaming
    You know I’m your imaginary friend
    You know I’m, it’s you and I until the end

    私が誰かって?進化だよ
    私はあなたの夢の中で生まれた
    信じていいよ、妄想じゃない
    私はあなたがなりたいもののすべて

    さあ踊ろう、踊り続けよう、私は幸運をもたらす火花
    胸の奥のワクワクをもっと燃え上がらせて
    あなたと私でぶっ飛ばしていこう この感じ、たまんなくない?
    跳ぶことも走ることもできるよ 最高な姿で引っ張ってあげる

    夜中、怖くなったら、私の名前を呼んで

    わかってるでしょ、私はあなたのイマジナリーフレンド
    今夜、あなたに力を分けてあげるためにここにいる
    天井に怪物が潜んでいても
    私があなたを守って、素敵な夢を見続けさせてあげる
    最後までいっしょだよ

    ITZY Imaginary Friend (English Ver.)と拙訳

    どの友人といるよりも、自分といっしょにいることのほうが多い。自分を客体化して、イマジナリーフレンドにして信じる。がんばりたい自分が、がんばれない日の自分を支える。空想上の計算。あくまでも理想。それでも。

    またねと言ってスマホを閉じ、手帳をめくり、今日やることを書き出した。白湯を作りに、いつものように台所に行った。

  • 夏休みの宿題を8月31日にまとめて仕上げる小学生だったのに、大人になって、自分で決めた目標には自然と体が動く。デリダを学ぶために、デリダが影響を受けたハイデガーを学ぼうと決め、それならハイデガーの師、フッサールの現象学も学ぼう、と始めた夏休み。デリダの考えは、文学を批評する道具としてつまみ食いすればおそらく十分だろうに、私はハイデガーに影響を受けたサルトルを若い頃読んでいたから、ハイデガーも読んじゃお、効率的なルートよりも好きなルートからデリダに合流しよう、となった。

    大学の休みというのは、不思議なものだ。授業はない。学食は開いてない。キャンパスは開いている。図書館も開いている。指導教官は明らかに働いている。私は来期のために、勝手に目標を作って勉強している。先生とは「来年度はデリダ」と合意したけど、事前にハイデガー読んでるとは言ってない。ハイデガーの『存在と時間』を目標に、フッサールから読み始めたあと、そういえば、先生の研究のひとつは極右思想に行ってしまった作家に関するものだと気づく。たぶんハイデガー読んでるだろうなと思う。共通言語を増やすのも、学びの楽しみ。

    哲学の勉強は、外国語のように、まず独自の語彙を学ぶことから始める。現存在、存在、存在者、は全て意味が違うのだけど、これは「seeとlookとwatchは、「見る」のニュアンスが違います」と教わったときのように、これはこうであって、あれではない、みたいな線引きをしながら覚えていく必要がある。単なる暗記ではないというか、自転車に乗れるようになる感覚に似ている気がする。身体でつかむ運動。哲学者が緻密に立ち上げていく世界に身を投じる運動。

    ハイデガーハイデガー連呼するのは罪悪感がある。彼はナチスに加担していたから。それを8月に読むのも、なんかうしろめたくて、戦争関連の本を読んだ。kindle unlimitedで今日マチ子のマンガを見つけて数冊読んだ。無料期間で読むのが申し訳ない気がして、できるだけゆっくりすみずみまで読んだ。渡辺一夫の『敗戦日記』は毎年8月に読むもの。私はハイデガーの世界に近づき、語彙を覚え、身体感覚をつかみつつあるけれども、「あ、この考え方おもしろい」と思ったすぐあとに、私、おもしろがっていいのかな、と自制が働く。熱中するのが怖い。まだ私にはわからない、彼の思想の、戦争との合流点。だから熱意はあるが、抑えている、冷ややかな夏。

    幸運なことに、集中力には限度がある。一定時間を超えれば、私はハイデガーの本を閉じ、生活に戻る。『ひらやすみ』を夏のシーンから読んで、夏っぽい気分を味わった。精一杯勉強した、とほぼ毎日すがすがしく思えるものだから、料理と掃除と睡眠がはかどった。よく食べ、よく学び、よく眠っていたら、長く感じた8月。9月も引き続きハイデガー(『存在と時間』はあと7冊)。

  • 胃炎っぽさからの病み上がり。治ったか試すためにちょっと重めのものを食べたい。揚げ物、酸味、香辛料はいらない。脂ののった魚ならいいんじゃないかとスーパーに行ったら、うなぎの蒲焼きがタイムセールで安くなっていた。「3割引」「美味しいたれ」というシールが貼ってある。

    買って帰って、うなぎの蒲焼きに水をかけ、たれを落とす。鍋にみりんと酒を入れ、火にかけ、アルコールを飛ばし、砂糖と醤油を加える。このたれにすると、お店っぽいうなぎになる。

    たれを煮詰めているあいだ、何か気楽に観れるものを探し、Netflixでランキングに入っていたドラマを再生する。伏線っぽいゴリゴリのメタファーが積み重なる環境で、登場人物たちが言葉でおのおのの人物造形を進めていく。表現方法がこってり説明的な感じがして、あまり好きではない。流しながら料理するのはちょうどよい。

    登場人物が不倫をしているのか否かと話題になったあたりで、私はうなぎをグリルで焼き始めた。夫が台所にやって来て、手を洗う。これは「さーて、ぼくもなんか手伝っちゃうよ!」の合図。

    ねえ、きみは浮気しないの、と聞いてみた。聞いてみたつもりだったが、ねえ、きみはうなぎしないの、と発声していた。疲れている。彼は即座に「ぼくはうなぎする」と返した。そうだ、私たちは今、うなぎしているし、これから本格的にうなぎする。

    いや、違、きみは浮気しないの、と言い直す。すると、「そろそろしちゃおっかな。がんばったほうがいいかな」と言われる。

    登場人物たちが複雑な感情の機微を意見交換している。私は、ねえ、私たちも複雑な話をしよう、と言った。彼は、炊き上がったごはんをしゃもじでよそいながら、ふーむという顔をして、「住宅ローンは√2だよねえ」と言った。

    √2って何。
    「√2ってなんだかしってる?」
    2乗したら2のやつでしょ。
    「そうかなあ。そうだっけ」
    合ってる?
    「うーん」
    住宅ローンが√2って何。
    「√3でもいいね」
    住宅ローンって√使って算出されるの?
    「しらん」
    形而上学的で意味不明、とでも言いたいの?
    「ぼくは√ナポリタンがすき」
    えっ。
    「√オムライスでもいいよね」
    そうだ、明日はオムハヤシにしよう。
    「はやくねなきゃね」
    うなぎできたよ。

    ローン、投資、車、保険、子育て、などを選ばない時点で、人生の複雑化が避けられているような気もするし、選ばなかったがゆえに別の方向に複雑化している気もする。ドラマの登場人物たちの大人な感じに憧れつつ、Xで流れてくる考察ポストには少し身構える。それっぽい専門用語やラベルを使って、言語化して、わかった!すっきり!みたいな感じのやつ。

    この前、ベテランの哲学者が「私は、○○について、最近までよくわからなかった」と書いている本を読んだ。何かを「わかりきった」と言えることなんてないから、「わかった」も「部分的にわかった」であって、「わからない」ままでいることが基本なんだとすれば、おたがいよくわからないまま、わからない世界を生きること自体、それがいかに軽いふざけた見た目でも、中身は複雑なんだろうなと思う。

    留学に行っている21歳の友人が、刺激的で楽しいけれどもいろいろなことで悩んでいるっぽいLINEをくれた。寂しいともつぶやいた。私は彼女がわからない。わからないので、LINEが届いたときに訪れていた図書館で、大学創設者の写真を撮った。この大学の学生ならなじみのある、何か思案している横顔。もしかしたら創設者ロスかもしれないから送っとくね、と返した。すると「それだけはない笑笑笑笑」と来た。あ、もしかしてこっち系だった?ごめんごめんと、別の創設関係者の写真を送った。すると、「こっち系でした、、、」と来た。嘘つけ。

    休みの日、映画館へ向かう道中。Lispって言語、なんで「神の言語」って言われてるのと夫に聞く。

    「神なんだよ」
    だから、それはどうして。具体例見せて。
    「ほーら。神でしょう」
    と、AIで出した例を見せてくれる。
    あー。何言ってるか全然わかんないけど、このカッコの複雑さが恐ろしいのは伝わってくるね。

    ねえ、そういえばこういう詩を書いたことあるよ。このまえ先生から涼しそうなトーンのメールが来たんだけど、その内容が「3週間で、国際学会で発表×2、平行して試験の採点、出版の原稿締切の対応、飛行機で数ヶ国の移動、ロスバケ」だったの。事前に聞いてた感じより多忙だったから、はああああああ?とあきれちゃって、なんだそのすまし顔、と思って、叫ぶような大文字と、ツッコミの小文字とカッコで詩を書いて返信にしたんだよ。見て。

    夫はその英詩を見て笑う。詩に興味がない彼でも笑った。特に感想を言うわけでもなく。先生もそんなふうに吹き出してるといい。

    以前、論文で扱う詩を読んでいて、うまく言語化できない何かがある、 “nameless(名前がない)” とメールしたとき、先生は返信でそれを “something not fully nameable(名前をつけきれないもの)” と言い換えていた。どちらもわかりやすい名前がないのは同じだけど、前者が「ない」と切るような、思考停止や欠落のニュアンスがあるのに対して、後者は「どうにか名づけようとしている」という、現在進行形の試行錯誤のニュアンスがある。わからない、わからない、なんて言えばいいのかわからないと悩むとき、すっきりしたいとき、その言い換えのメールの空気を思い出して、慢心も諦めもせず揺られていようと、自分を整える。

    夫のことも、先生のことも友人のことも、自分のことも、よくわからないまま、オムハヤシを食べる。√オムライスって何。

  • 家を出て、水路沿いに歩き、角の地蔵様に手を合わせたあと、狭くて暗い道がある。小学4年生になっても、何度通っても慣れない道だった。道沿いに、瓦と土と苔が積み重なった小さな草むらがあり、その奥に、口を開けたままの防空壕があった。お化けと蛇が怖く、目をぎゅっとつむってダッシュしていた。行きも帰りも。

    大きな犬に吠えられる家の前を抜ければ、通学路は田んぼの中のあぜ道が続く。道路沿いを歩けば速いのにと、いつもうらめしかった。平和学習の登校日だろうが別の日だろうが、太陽の下、変わらない道を歩くことに飽き飽きしていた。小石を水路に落とさないように蹴り続ける遊び、頭を垂れた稲穂から米をしごきとり、水路に撒いて追いかける遊びをしていた。時間はつぶすべきもの。自販機も、駄菓子屋も、歩行者用の信号もない町。

    中学生になって、オレンジの連絡帳に、英語の日記を書き始めた。担任の英語教師が3年間添削してくれた。母の冷やし中華がおいしくないとか、好きな歌手がミュージックステーションで新曲を歌ってた、プールに行って疲れたけど楽しかった、バスケで突き指した、作文コンクールで入賞したけど来月の全校集会でみんなの前で表彰されるのが嫌、文房具屋で新しいシャープペンを買った、など、どうでもいいことを簡単な単語と文型で書いていた。英語で日記を書くためのガイド本をもっていたので、中学卒業の時点で、高校で学ぶ文法をひと通り使ってみていた。幼稚園の時、ももぐみのKくんがかっこいいと言ったことを、母は私が高校生になっても忘れず、「Kくんのこと好きなんでしょ~」と茶化してきた。料理をまずいと思うのは私の味覚がおかしいせい、畑の野菜を食べて喉がイガイガするのは贅沢病、歌手は山口百恵に比べたら全部大したことない、体育で疲れるのも突き指するのも与えた体をうまく使いこなせない私が悪い、私がコンクールで入賞したら中身ではなく功績を集落全体に自慢して回る人だった。私は生き延びるために、彼女が読めない英語で日記を書いていた。彼女に読まれてもたいしたことじゃない、と思われるかもしれないが、当時の私には死活問題だった。彼女にとって、私は自我をもってよい人間ではなかった。私が死ねば、また新しい子を産めばいいと思っている節すらあった。

    実家を出て、大学に入り、フランス文学とヒューマニズムを知った。渡辺一夫先生は、戦時中の日本を経験した仏文学者だ。大江健三郎の師としても有名。終戦少し前から終戦後まで書き溜めた日記がある。日本政府にまったく同意できず、絶望し、死の危険にさらされ、自死の考えにも何度も至り、しかし、自分の愛する仏文学とそれに従事する反骨心のある学者が生き延びることは戦後の日本に必要なはずだと希望を捨てなかった。東大の特設防衛団の副団長だったため、妻と子どもを疎開させ、空襲の中の東京に残った。

    いうまでもなく授業のできる状態ではなかった。大部分の学生は戦線あるいは軍需工場・農村に駆り出され、僅かに残った病弱者は研究室図書の松本の疎開に従事するという有様だった。前途ある青年を上司の許可なく図書管理の名目で松本に留まらせ、空襲の激しい東京に呼戻さなかったのは先生だった。

    二宮敬「解題 渡辺先生の『日記』について」(渡辺一夫『敗戦日記』、ちくま学芸文庫、p.265)

    日記は、検閲を避けるため、フランス語で書かれていることが多い。没後、日本語に訳されて、『敗戦日記』として出版された。

    私は、渡辺先生の本をできるだけ集めている。市販の文庫を少しずつ買うことから始め、古本の単行本と続き、全集も買った。帯や付録などがついた綺麗なもので、さすがによい値段しただけある、と思っていたのだが、発送時の小さなミスのお詫びにと、古書店主は渡辺先生の直筆サイン入りの別の本も同梱してくださった。こう書くと、古本マニアみたいな感じだけれども、ここまで古書を集めているのは、渡辺先生のものだけである。

    『ヒューマニズム考』や『フランス・ルネサンスの人々』は2冊あったと思うが、『敗戦日記』には及ばない。単行本があり、全集があり、ちくまの全集があり、昨年出版されたちくま文庫も買い、私の家には『敗戦日記』が4冊ある。現代仮名遣いにしたもの、先生の写真が追加になったもの、解説が増えたものなど、時代ごとの新情報があるのだ。

    夏になるといつも読みたくなる。外国語で書いていた切迫性は、先生には到底及ばないが、似たものを感じ、自分に英語があってよかったと思う。先生は下記のように書き残していた。少しでも多くの人に読まれることを願い、あとがきに筆を執った諸先生方に応答するつもりで、私は今日の文章を書いている。

    1945年3月1日
    今日、僕はあらためて日記の筆をとることにした。気持が変ったのは、筆をとらしめるに足る説得的な理由、いささかの希望を見出したからである。ここに記す些細な、あるいは無惨な出来事、心覚えや感想は、わが第二の人生において確実に役立ってくれよう。僕が再生し、復讐するその時に。こういう言葉が、ごく自然に出て来たが、それほど決意は固く、かつ熟慮の上ということだ。

    渡辺一夫『敗戦日記』、博文館新社、p.8

    1945年6月6日
    この小さなノートを残さねばならない。あらゆる日本人に読んでもらわねばならない。この国と人間を愛し、この国のありかたを恥じる一人の若い男が、この危機にあってどんな気持で生きたかが、これを読めばわかるからだ。

    渡辺一夫『敗戦日記』、博文館新社、p.30

    1945年8月18日
    母国語で、思ったことを何か書く歓び。始めよう。

    渡辺一夫『敗戦日記』、博文館新社、p.69

    英語でも日本語でも、もっと書けるようになりたい。私の文章には両言語ともvoiceがある、と昨年英文学の先生に言われ、初めてその視点で自他の文章を批評する目をもち、へえ、これがvoice、となった。voiceを見つけたのであれば、次に行こう。両言語とも、言葉の綺麗さは求めていない。何度も味わいたい美文みたいなものに興味がない。結果的にそうなってもいいが、どこに目をつけるか、切り取るか、どう深められるか、どういうリズムや口調にするか、誰に届けようとしたいか、何に一石を投じたいと思うかなどを考えるほうが私には大切である。

    広告代理店でインターンをしていたときに、「刺さる広告」「ターゲットに刺さるように」という言葉を聞いた。取引先の人がslackで、「忙しすぎて脳死してます」と言っていた。熊本地震の数日後、地下鉄の駅で、近くの人が「ガチャ爆死した」と愚痴っていた。私はできるだけ、こういう言葉を選ばないようにしている。これは自覚のある過剰であり、人に強制するものではない。他者のそういう言葉に触れて不快に思うこともしない。ただ、私はよくも悪くも根がフォーマリストである以上、私の文章ではその志向をできるだけよい方向に使いたい。自分のvoiceが力を発揮するように、痛みのあるメタファーは、必然性があるときに使いたい。

    「致命的」と書き、いや、これは命に関わるようなことではない、とデリートボタンを押す。そのような手つきを、渡辺先生から学んでいる。

  • 夏休みで学生が少ないことを見越して、図書館に行った日。駅に、思いのほか人がいた。駅から出ると、オープンキャンパスの案内をもらった。周りを見渡せば、記念写真を撮ったり、スタンプラリーをしていたり、スタッフに道を尋ねていたりする人たちがたくさんいた。

    結婚して3年くらい経った夏、夫と美大のオープンキャンパスに行った。進学しようか迷っていたのだ。会社のキャリア面談で、人材育成の仕事の次に何をしたいか提出しなきゃいけないのに、書きたい部署がなかった。強いて言えば、研修設計の考え方が、デザイン部の人たちの考え方と親和性がありそうだったけれど、デザイン部には大学でデザインを学んだ人しか配属されないし、プロダクトやグラフィックやUIに興味があるかといえばまったくなかった。なんか、デザインの、具体的な分野をとっぱらったときの、通底する抽象的な考えみたいなものに惹かれていた。そういうのにアクセスするにはどうしたらいいか考えた結果、「美大に行ってキャリアチェンジ案」が出てきた。

    1泊2日のオープンキャンパスの旅を計画した。大学から発表されているスケジュールを読み込んで、聴きたい講義を選び、時間割を作った。夫を誘ったら快諾してくれたので、ふたりぶんの宿を予約した。

    大学の最寄り駅を降りて、大学まで向かう道は、緑が多くて、長くてうねうねしていた。今ほど、うだるような暑さではなかったように思う。葉っぱの影を踏んで歩く遊びをするような、若さと涼しさがあった。

    進学を検討している者とはいえ、マジョリティの高校生の邪魔になってはいけないからと、遠慮しながら講義室に入り、席を見つける。後方の席が人気なのはいつでもどこでも同じなので、前の方に座った。横にいる夫が、「自分はまったく美大に興味がないが、妹が心配なのでついてきた兄」のような、かつ「『同席を求められたから来ましたけど、本題は何ですか、私の時間を使うからにはいい議論ができるんでしょうねえ。あん?』みたいな、ばちばちに仕事のできる入社15年目くらいの先輩」のような感じで、完全に浮いていた。

    講義が始まる。聴く。終わる。周りが退席し始める。私たちは座ったまま。私が、ねえ、どうしてあの人はこの場をデザインしないの、とつぶやく。夫が、「そうだよ、話にならない」と言った。きらきらした広告案件や、華々しいキャリアの具体物はどうでもよかった。それをもとに学生が集まってきて、授業をしている、授業をしてあげている、のがわかった。そういう講義が続いた。美大だからこそ学べる、というものが見当たらなかった。私がつぶやき、夫が切った。私は文学部で、彼は工学部で、そして会社で、大切っぽい抽象的なものを獲得していた。それは美大で手に入るのかもしれないが、美大の専売特許ではない、と気づいた。

    いくつかの講義を聴き終わって、お昼過ぎ。もういいやと思った。もうここにいる必要はない。明日の聴講予定もなしにしよう。「もし夫と大学で出会ってたらどんな感じだったんだろうシミュレーション」に変更した。私も彼も、文系と理系が別々のキャンパスの大学で学んだ。「講義のあとに学食で待ち合わせて、いちばん安い、具の少ないカレーをプラスチックの食器で食べながら、くだらないことを話す」みたいなことをした。彼は最初、「初めて恋人と学食でごはんを食べる」みたいな空気を出していたけれど、直前の講義への感想となると「15年目の先輩」の切れ味で饒舌になった。分野は違っても、興味がなくても、何かの設計思想のレイヤーでは見えるものがあるし、自分のものを交差させたときの意見もある。

    帰り道、彼がこう言った。「紺ちゃんはねー、自信や自覚がないんだよねー。ぼくが『できてるよ』って言っても聞かないしねー。数年後に、『あ!』って自分で気づくというか、そうしないと納得しないんだよね」

    私は美大に行かないことにした。言葉に関わる仕事がいいのかなと思って、他もあたってみた。広報の大学院は、広報経験者がキャリアアップのために行くところみたいだった。言語聴覚士の専門学校では、身体全体を見る重みを感じて、自分の「言葉の仕事」という見方が荒いと気づいた。翻訳も独学したけど、人の文章を訳すよりは自分の文章を書いてしまいたい。臨床心理士も考えて、夫と予備校の説明会にも行ったけど、「そういえば、自分にカウンセリングが効いた試しがないじゃん」と気づき、「予備校で出会ってたらどんな感じだったんだろうシミュレーション」をして帰ってきた。

    結局、行きたいところがないのでどこでもいいです、と出したキャリア希望は、デザイン部のトップデザイナーの隣で働く、自分で希望を出したら見つからなかっただろうな、という言語化しにくいポジションとして返ってきた。彼女はインテリアデザイン専攻で入社して、プロダクト、グラフィック、UI、UX、全部ハイレベルにできる人。布や画材や道具がたくさんある、美大生のたまり場みたいなアトリエで、私が具体と抽象の話、美大のオープンキャンパスの話をした時、彼女は途中で吹き出した。苦笑いでうなずきながら、「わかる」と言った。下の世代の人たちは、大学でグラフィックを専攻したら、仕事でずっとグラフィック、というのを好み、抽象的な横断をしない傾向にあると言った。別の日、撮影帰りの車の中で、「あなたはいわゆるデザイナーじゃないけど、やってきたこと、やってることはデザインだよ。一般的な具体をやってないだけ」とフィードバックをくれた。会いたかった、具体と抽象を往復できる人。どこに行ったら会えるのかわからなかったから、いろんなところに行って、自分なりに考えてきた。行き詰まりは息詰まり。プールで潜り続けて、足掻く。まだゴールじゃないのをわかってるのに、一度浮き上がってしまわないと入ってこない新しい空気。お金を払って美大で学んでいたかもしれないAdobeのPhotoshopとIllustratorを、仕事でそれなりに使えるようになったあと、私はデザインの会社に転職した。そこでは、抽象的なことを考えられることと、倫理観をもっていることは、同義じゃないんだと学んだ。

    履歴書だけ見たら、私の経歴はスッと綺麗なほうなんだと思う。でも、そこに書かない、うだうだぐだぐだがたくさんある。やりたいことがぱっと浮かぶ人と、浮かばない人がいるとしたら、私はぱっと浮かんでるくせにそこに気づかず、選択肢をできるだけ直接確認してつぶしてから、残ったものを「これしかないのね」とようやく気づくタイプ。私は私でいることがたいへんなのだけど、周りにいる人、特に夫は夫でたいへんみたいである。

    夫はリアルに「入社15年目くらいの先輩」になった。私は文学部に戻った。ねえ、妻が大学生ってどんな感じなの、と聞いたら、「もう、たいへんだよ」と言った。研修継続申請書類の、「宣誓書」の保証人欄にサインしながら、「ぼくは『大学所定の諸規則を遵守するよう指導監督』しなきゃいけないからね。ちゃんと勉強させなきゃいけないんだから。ほんとうにたいへん」と言った。そういえばこの人も、私の会いたかった人。どこに行ったら会えるのかわからなかったけど、なぜか会えた人。そばにいてまなざしや言葉をくれる人。

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