きみが先生のもとに行ってから、数日が経った。元気かな。たくさん赤入れされないといいなとも、それはそれで鍛えられるなとも思うよ。とにかく今日はきみが帰ってくる日で、朝から落ち着かない。今年の成果がきみであるのか、あるいは別人になるのかはわからないけれど、きみと遠出した日のことを残しておく。
私と夫ときみは、突然大阪に行くことにした。私たち夫婦は、いつもこうやって、ちょうどいい特別感で旅に出るんだ。観光スポットとか名物とか、そういうのはいらない。ふらっと出て、いつもと違う街の日常に浸って帰ってくる。そういうのでいいというか、そういうのがいいんだ。このところしばらくきみと過ごしてばかりだったから、きみを家に置いて行こうと思ったけれど、書きあがったはずのきみが、何かまだ言いたそうな気がして、プリントアウトしていっしょに連れて行くことにした。左上をホッチキスで止めたの、痛かった? ピアスの穴を開ける仕事の人って、いつもこんなふうに、一瞬、あっ、とか思うのかな。
デスクトップパソコンのワードファイルに縮こまっていたきみは、新幹線のテーブルを占領してのびのびしていた。しゅっと通過して行く窓の外の景色。田植え前の、水を張った田んぼの光がきれいだったね。マンションの最上階の洗濯物が飛んだのも見た。きみのことを何度もゆっくり読んだ。言葉選び、文章の長さ、論理の構築、英語のトーンなどを細かく考えた。好きな人と過ごす時間はあっというまというのはよく聞くけど、どうなんだろう、新大阪にはすぐに着いた気がする。新大阪の駅は好きだよ。ホームから出る電車がだいたい大阪駅に停車するから迷わない。並んで待っている間、後ろにいた、にぎやかな家族の話が聞こえてきた。母親とその娘ふたり、母親の友だちの女性とその娘ひとり。かばんやスマホやネイルにはキャラクターがたくさんついている。母親のひとりが、「今日はガチだから、まじかるぷーさん」と言ったんだ。私はすごく、「まじかるぷーさん」って何だろうって思った。だって、プーさんなら千葉のはずだからね。「ねえ、ユニバ行きたい」って言う娘に、「今行ってるところじゃん」って返すお母さん。私は夫と笑いをこらえていたよ。大阪駅の花壇が元気だった。

物理的にあまり遠くに行かなくていいというか、行きたくないのは、本が好きだからかもしれない。大きな本屋に行って、ここの品ぞろえはどんなものかしらん、どんな棚を作っているのかしらん、とか歩きまわるのは、いつだって新しい世界の探検。買った本の帯やチラシは捨てる派だけど、新しい世界を知りたいときの、「ここはこんな感じですよ」と声をかけてくれる帯は頼もしい。本屋に入る前はちっとも買う気がなかったのに、よりによって重たい本に惹かれてしまって買った。きみは小声で言ったんだろうね、ねえまだ論文終わってないじゃんって。そういうことじゃないんだ。頭の中の、言葉になる前の段階でたゆたっているものが、外的な触媒を得て現れた、ということが大切なんだ。また奥のほうに戻って見えなくなる前に、物理的に残しておくんだ。粉が水分を含んでダマになると、ふるいにかけても下に落ちないでしょう。そういうことだよ。

昼は寿司屋に行った。なんてことない、チェーン店。でもすごくおいしいんだ。わざわざ観光で行く店じゃないだろうから、たぶん混んでないだろうって、いつでも自信をもって言えるよ。私たちはそういう安心感が好き。いつもはなんばの店でテイクアウトして、帰りの近鉄線の中で食べるんだけど、今回は店に行ってみようってなった。地下街のホワイティというところにあるんだけど、だいぶ困った。歩いても歩いても辿り着かないんだ。見ると、ホワイティの中にFARURUという看板があって、そのFARURUの中にもお店が入ってる。入れ子構造が過ぎるよ。ようやくたどり着いた寿司屋には、やっぱりすぐに入れた。
私と夫は製造業の会社の同期だから、製品がどのように作られるかとか、どういうパーツかとか、収益構造とかがとっても気になる。回転寿司の店は、テイクアウトの店と形態が違った。全然違った。手元のタブレットに出てくるメニューは一般的だよ。旬やネタでカテゴリー分けされていて、さび抜きかどうかを選べる。つぶ貝と鉄火巻をとりあえず頼んで、お茶を淹れて、寿司の回転を眺める。そして気づくんだ、回転しているのはタブレットに出てこないメニューばかりだって。サーモン、えび、いか、玉子、といった低価格帯のネタに、ネギ塩、ネギマヨ、明太マヨ、生姜ネギ、チーズ、しそ、蒸し焼き、とびっこのせ、レモンおろし、ゆず、ゆず胡椒が組み合わさっていた。お客さんがどんどん手に取っていくし、店員さんもどんどん製造していく。私たちはそのクリエイティビティと戦略にいたく感激した。しらふなのに愉快だった。100円のするめいかが、ゆずするめいかになると190円になるんだ。ふつうのいか190円は、ゆず胡椒いか270円になる。私たちは店を入ってすぐの、右端のカウンターに座っていた。そこからだと、左手側の少し先に、回転道路の曲がり角が見える。たとえば「ネギマヨえび」というネームプレートが載った皿のあとに、ネギマヨえびの団員が続くわけだけれど、そのゆっくりとした登場が、スポーツ大会の入場行進みたいでかっこよかったんだ。
チーズケーキと飲みものを買って、ホテルにチェックインした。ケーキの箱を広げて、お皿代わりにした。ケーキ屋でスプーンをもらっていてよかった。寝るためだけのお安めホテル、期待してはいけない。夫はね、こういうケーキを3口で食べるんだよ。ひどいときはふたくちだよ。ムードもへったくれもありゃしない。昼寝しちゃうかもねと話していたら、ふたりとも昼寝した。旅先なのにね。自由でいいよね。

夕方、アラームで目が覚めて、支度して、ミニシアターに行った。「ライスボーイ」っていう映画。どうしても夫と見たかったんだ。小さな映画館の狭い待ち合いスペースに、人が並んでいた。思いのほか混んでるんだなと思っていたら、ドアが開き、拍手が起こり、並んでいた人たちが入っていった。別の映画の舞台挨拶だった。舞台挨拶の人たちってこんなふうに並んで待機するんだ!と新鮮だった。ソファで座って開場時間を待つ。「お水飲む?」と聞かれて、「うん」と言って、アルプスの天然水を飲み、異世界ホラーのポスターを眺めたりした。そのときは、予想もしてなかった。きみが映画に出てるなんて。びっくりしたよ。きみはいくつかのイメージからできてる。松の木、夕暮れ、野原。光、闇、生、死、若さ、老い。すべてが、映画の重要なイメージとして出てきた。気づいたのは中盤あたり、松の木の話からだよ。あれ?と思った。そこから少しずつ、きみと、目の前の映画がリンクしていく。あるいはきみが目の前に現れてくるのを見る。初めての感覚だった。私がきみを書いたから、こじつけで見ているだけと言われればそこまでなんだけど、活字にしたときに手を離れ始めて何かと有機的に結びついて独立するような感じが、そのときもあったんだ。松の木は英語で “pine tree” だよね。木は光を求めて上に伸びる。森で木が成長して密集するほど、下の方には闇ができる。私はあの詩の名詞の “pine” には、動詞の「切望する」ってイメージも重なるって思ってる。あの詩の松の木、この映画の松の木、そしてきみは、何を切望しているんだろう。

ミニシアターで映画を観終わって、20時くらい、夜の街。薄手の長袖がちょうどいい。なんか無敵って感じがする。夫は、映画がさっぱりわかんなかったって。その自分のわからなさと、私が(自分なりに)わけがわかって「うおー!」と興奮するギャップをたいそうおもしろがるんだ。彼の好みじゃないかもなーと予感しつつ彼を連れていく私も、自分の好みじゃないかもなーと予感しつつ私に着いてくる夫も、奇妙だよね。私はきみが映画にいた話をがんばって彼にしたんだけど、えっ・・・( ゚д゚)ぽかーん って感じだったよ。日曜の夜だからか、出歩いている人は少なかった。手をつないだり、離したり、横断歩道をダッシュしたりして、けらけら過ごした。夕飯はバーで日本酒とおでん。メニューに、「おでん屋ならでは」という謳い文句の、大根天ぷらとポテトサラダがあった。きっと、2日目以降のおでんの大根と玉子とじゃがいも。こういう部品の共通化はすごく美しいよねと、夫と盛り上がった。いっしょにいると、何でも酒のつまみになるんだよ。


翌朝、先に起きた夫が放送大学の番組を見ていた。余因子行列。掃き出し行列。ベッドの端に座り、「えー。ふしぎー」とか言いながら見入っている。チャンネルを変えた教育テレビでも算数のことをやってた。7と5と0を書くと、750になるよ!みたいな。それを聞いた夫が、「いま、じゅうようなことをいわなかった。ぜろをつけるということだよ。ないということを、ないというきごうでしめさなければ、ないということがなくなる。ぜろがなければ、75になる」。あとでよく考えようと思って、言葉をそのままLINEのメモに残した。

夫の趣味に付き合って、ヨドバシカメラのコンピューターのパーツ売場に行った。私にはまじですべてが同じに見えるんだけど、ぜんぶ違うんだって。グリスを選ぶときに、選び方を説明してくれたんだ。私は自分で買うことは永遠にない気がするけど、丁寧に説明してもらったので、いざとなったら自分で買えると思う。グリス1gの差、ファンの大きさ、汎用性、そういう細かーいことを確認してこだわって選ぶのは、私がきみのパラグラフの動詞や名詞をどの言葉にしようかなと、うきうき悩んでたのと似てるんだよ。そういえば、パソコンのパーツの値札が、賞味期限みたいになっててよかった。円マーク取ったら、たしかに10万単位まで同じシール使えるもんね。


家に帰ると、きみの様子が変わっていた。論理の飛躍を見つけた。その部分を書き直して、関連する別のところも書き換えた。1文削った。それからしばらく休んでもらって、着替えさせて、きみを見送った。











