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  • 英語教育を学んでいる方から、私の英語勉強法を教えてほしいとコンタクトフォームから連絡がありました。学生時代と今とで変化があればそれも教えてほしいとのこと。おそらくX経由でしょうが、リプライやDMができない、メールアドレスも書いていないところを見るに、私にXでポストしてほしいのだと思います。Xでは炎上しかねない、2つの理由で遠慮させていただきます。

    まず、私は英語を勉強だと思ったことがありません。この行為を人と共有するにあたって、便宜上「勉強」と言っていますが、趣味に近いです。それは中学生で初めて学んだときから同じです。とても好き。楽しい。骨の折れる洋書をうきうきと1冊読み終えれば、TOEICの点数はひょいっと上がりました。特別な対策なしにハイスコアを持っています。数学と化学は嫌いで勉強に苦労したので、「いい勉強法があればなあ」という気持ちはわかります。わかりますが、私にとって英語はそうではありません。今でも、昔の文学作品に取り組むと苦戦します。でも楽しいです。この好奇心や愛情がどんな勉強法や対策にも完全に勝ります。人によっては大変嫌味に聞こえると思うので、Xでは絶対に言わないです。

    次に、勉強法一覧と学生時代から変遷となると、情報が多すぎます。院入試の勉強を始めたので、最近はさらに項目が増えました。英語教育を学んでいるという理由で私をひとつのサンプルとして知りたいのか、単にご自身の語学力を上げたいのか、目的がわかりません。目的がわからない中、私なりの長い歴史を整理し、編集し、Xにポストするのは大変です。コミュニケーションならまだしも、一方的にオーダーされるには私のメリットがありませんし、消費されている気がします。

    以上です。お問い合わせありがとうございました。

  • 私たち夫婦は、わりと英語ができるほうだ。新卒で入った会社の関係で、TOEICをしばらく受け続けたことがある。付き合っていたので、同じ日、同じ試験会場に行く。帰り道で「ねえ、あの問題おもしろかったよね!」と盛り上がった。私たちにとって、大切なのは問題が解けた解けなかった云々ではないのである。「いやあ、あの会話のあの感じ、よかったよねえ」「うんうん、うまく作ってた」とか偉そうな視点で、あたかも映画を観たかのように、TOEICのリーディング問題の物語性について語っていた。昔のTOEICは読みものとしておもしろかった。問題の改訂があり、トピックも時代に合わせてチャットなどになったあたりから、別物になった気がする。必要なハイスコアは取れたので、「TOEICはつまらん」とフェードアウトして今に至る。

    夫はソフトウェアエンジニアである。中学のころからコンピューターをたしなみ、英語の略語をひたすら覚えていたらしい。CPUをCPUではなくて、Central Processing Unitと覚える。「紺ちゃん、CMOSは何の略か知ってる?」と私に聞く。complementary metal-oxide semiconductor(相補型金属酸化膜半導体)。知るわけがなかろう。こういうのを、高校の退屈な授業のあいだにノートに書き出していたらしい。

    私の高校は緊張感あふれる授業ばかりだったので、彼のような退屈さを感じる余裕がなかった。代わりに英語の時間、わからない単語を電子辞書で引いたあと、「お気に入り」のボタンを押して少しのあいだうっとりしていた。お気に入りの、比喩的なイディオムをたくさん登録してある。たとえばbuild a castle in the air、直訳は空中にお城を建てる、意味は空想にふける。いつかこういうおもしろさを共有できる相手と会えるといいなあと思っていた。

    共有できる相手というのは、てっきり文系だと思っていたけれど、ばりばりの理系人だった。英単語の語源で盛り上がったり、意味の抽象的なイメージについて話し合ったり、おもしろいイディオムに喜んだりする。おじいちゃんおばあちゃんになっても、こういう知的好奇心でつながっていたい。

  • 夫がフライパンで肉を焼いている。私は付け合わせの野菜を切り終えて、まな板と包丁を洗い、定位置に戻した。あ。トマトを切り忘れた。まな板と包丁をまた取り出し、冷蔵庫の野菜室をのぞく。トマトがない。そうだった。昨日食べたじゃん。野菜室を閉める。まな板と包丁の前で、うーんと思う。せっかく出したのに。食べたかったのに。彩りが綺麗になるはずだったのに。うー。

    と5秒くらい停止していたら、夫が「トマトないの?せっかく(まな板と包丁)出したのに。愚か」と言った。私は何も言葉を発していなかったので驚いた。おうおうおう、どうしたと思った。私の行動の果ての沈黙に、たったの5秒で返してきたのがすごい。落ち込みは突然笑いになって、まあいっか、トマトなくても、となった。

    何気ないことを見てくれていて、何気ないことを絶妙なタイミングで言ってくれる人がそばにいるということのよろこびを噛みしめた。

  • 体調がものすごく悪くなったとき、体の細胞が飛散していくような、ふわっふわの浮遊感におそわれる。いつでも自分で出せる処方箋は寝ることだ。朝の11時だろうが、夕方の5時だろうが寝る。しばらく経つとましになる。

    浮遊感が平日の夜、あるいは週末、つまり夫が在宅のときに起こった場合、私はすぐに彼の部屋に行き、強く抱きしめてもらう。そこにロマンティックな雰囲気はない。おたがい「はいはい、いつものやつです」という感じで、事務的に、がしっと抱きしめる/抱きしめられる。しばしそのままでいる。そうすると、飛散した細胞がもとに戻っていくようで不調が和らぐ。私は安堵し、「じゃ」と軽く礼を言って去る。

    この場合の私を、彼は「体目的の極悪人」と呼ぶ。落ちつくためにぼくの体を利用しに来る、極めて体調の悪い人、の意味だ。私は確かに「便利な存在」として彼を利用している。結婚10年で磨いた冗談めいた薄情さも含まれている、ぴったりな表現だと思う。できるなら、真人間になりたい。シャバにいてまともな生活を送りたい。でもだめなんだ、できねえんだよ。俺は根っからの極悪人なんだ。俺が極悪人だから、お前の尊さが輝くってもんさ。これからも仲よくしような。

  • メンタルクリニックに通っている。主訴は睡眠障害だ。わりとゆったりとした病院で、30分から1時間くらい、最近のことや昔のことを話す。他の病院ならたぶん、カウンセラーが別途保険適用外でおこなうようなことを、先生がやってくれる。あるとき、「きみはハラスメントコレクターだね」と言われた。

    大学1年生のとき、教授Aが所属する学会に誘われた。なんでも勉強だと思って入ってみたはいいが、大学1年のぺーぺーにもわかるくらい学会のレベルが低すぎた。でもそんなことは言えず、1年は様子を見た。そのうち、準備や片付けなどで教授Aとふたりきりになることが多くなり、食事に誘われる。とりあえず教授ってすごい人なんだと思っていたので断れない。私が話したアイデアを論文にしたのを見て、やっぱりおかしいと思って退会した。彼はのちにセクハラで訴えられて失職する。

    大学のある集まりで飲み会があり、下ネタで盛り上がっていた。私は言葉の意味はわかるが、それで盛り上がる意味が理解できず、騒ぎが度を越したあたりで泣いた。すると言葉の意味がわからずに泣いた純粋なやつだと解釈されたらしく、後日、男性の先輩から言葉と意味のリストを送られた。

    カフェのバイトの副店長は、自分の好みの人間にはやさしく、他には高圧的にあたる人だった。副店長だが店長よりも歴が長く、技術もあるので牛耳っていた。私は彼女好みの人間ではなく、耐えた。さすがにひどいなと思って店長に相談していたら、好意があると曲解され、妻子持ちなのに告白された。

    内定式の夜は事務系総合職6人で名古屋に宿泊した。修学旅行のようにひとつの部屋に集まり、酒を飲み、仲を深めた。が、あるときから下ネタパーティーに発展し、私は例によって嫌悪感を抱き、早めに自室に戻った。純粋なやつターンが再来し、そのことで嘲笑され続けることになる。

    配属先は人事部だった。直属の上司と先輩は、今思えば眩しいほどに、典型的なパワハラオンパレードを提供してくれた。私は奨学金返済のため辞めることができず、というか会社ってこういうものだと思って泣きながら働いていたが、数年後他部門からの異動者に「ねえ、紺ちゃん、あなたがされてることってパワハラだよ」と言われて異常さに気づいた。

    海外出張によく行った。会社はコンプラコンプラと口酸っぱく言っていたが、海外工場は治外法権だった。女性だからスムーズに行った打ちあわせが何度もあった。飲み会では女性を侮蔑する発言を何度も聞いた。社内にいろいろなキャリアがある中で、私は工場と関わる仕事が好きだったけれど、旧時代的な価値観に嫌気がさし、転職した。

    名古屋の会社から、岐阜の会社に転職した。取引先の男性たちが、海外工場で会った男性たちと似ていた。媚びるように私のプレゼンを聴こうとするのに、酒が入ると「女に何ができる」みたいな話をされた。相手は客なので、何も言えない。物事の核心をついて言語化することが私の仕事だからと、一時期はその豹変っぷりを楽しく分析していたが、パターンが同じでじきに飽きた。

    というのが、私が受けたハラスメントの一部である。別に宝物でもないので、コレクションではないんだけど。セクハラ、アカハラ、パワハラ、カスハラ、ジェンダーハラスメント。そのときに気がつかなくて、あとから思い出して「ああそういえばあれはハラスメント」と気づくことも多い。私はハラスメントを受けやすいのにすぐに気づけない、ということを医師に教えてもらった。今は経験と知識があるので、昔よりは受けにくい・すぐ気づけると思う。

    ハラスメントがなかったら、あっても気づいてすぐにNOと言えていたら、私の大学生活や会社員生活は違っていたのかなあと思う。今、大学院を目指しているのは、大学生活をやり直したいのもある。次こそアカハラとセクハラに気をつけて研究を楽しむつもりだ。

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