

今年は同世代の詩人を研究対象にしたい。図書館に入ってないのでイギリスの本屋で注文した(詩集は薄いのに高い・・・)。到着まで2週間かかる。そのあいだに、デリダの入門書を読んでおこうと図書館に行く。いくつか読み比べて、書き込みしながら読みたくなった『現代思想入門』と『デリダ 脱構築と正義』をAmazonで注文した。帰り際、岩波文庫の棚で、デリダの『アデュー』を見つけた。レヴィナスへの弔辞だから、話し言葉だ。基礎の前に、デリダの声を聞いてみようかと借りて帰った。アデュー、adieuは、「永遠の別れ」「さようなら」。さようならから始まるこんにちは。
『デリダ 脱構築と正義』はとてもいい入門書だと思う。おもしろすぎて、50ページくらいのところで怖くなり、頭を冷やしに散歩に出た。アイスを食べて、ようやく冷えた。なんだこれ。デリダの作品の中でも「プラトンのパルマケイアー」が入門にちょうどよろしいらしい。入門用にさくっと要約された部分を読んだだけでもわくわくした。キーワードの「パルマコン」は、ギリシャ語で「治療薬」と「毒」の両方の意味をもつ。そのどちらとも言えない奇妙なものが、プラトンの『パイドロス』という作品の読みを変える。週明け、また図書館に行き、パルマケイアーが収録されている『散種』を借りた。ぶあつくて、定価で6600円。 法政大学出版局の「叢書・ウニベルシタス」シリーズの1冊。ずらっと整然と並ぶ本棚を見て、うちの本棚の値段とケタがいくつも違うと思った。本の価値は値段ではないのに、厚みや重みや製本の質などを手で感じていると、ひーっとなる。
プラトンの『パイドロス』は、ソクラテスとパイドロスの対話からなる。主にソクラテスが話し、パイドロスが応答する。ソクラテスがかっこいいレトリックで饒舌に話したあと、パイドロスが「なるほどそのとおりです」とか「おっしゃるとおりに決まっています」「そうですね」と短くしか言わないものだから、だんだん私もパイドロスの側で、「ええ」「ああ」「そうですよね」みたいな、飲み会で上司の話に相づちをうつようなイエスマンモードになっていた。ソクラテスの話は全然おもしろくなかった。
ソクラテスがぽろっとこぼした「パルマコン」という言葉を、デリダが分析する。ソクラテスの話のうち、全体の3%くらいの細かいところを取り出して論じている。薬にも毒にもなるパルマコンが、まるで生物のように、テキストの中でうねうねと動き始める。
私はすっかりパルマコンを気に入ってしまい、エッセイまで書いた。次の日、既存の二項対立を壊すことを目指すような奇妙な動き、パルマコンダンスを開発した。夜中、「ぱるまこんぱるまこん」と言いながら夫に見せたら、「やめろ」と笑われた。翌日、やはり「ぱるまこんぱるまこん」と言っていたら、ふと、森見登美彦の『夜は短し歩けよ乙女』の「詭弁踊り」を思い出した。詭弁踊りはパルマコンでは?あ、もしかして、可憐な響きの「おともだちパンチ」もパルマコンなのでは?
学びは薬か?毒でもあるよな。
デリダを勉強する文学徒で、「プラトンのパルマケイアー」を通読する人がどれくらいいるのか。図書館の本だから書き込めない。コピーするにはページが多すぎる。だから黙って静かに読む。その中でさ、パルマコンにハートを奪われる人がどれくらいいるっていうんだ。水の精霊パルマケイア(pharmakeia)、薬剤師にして呪術師のパルマケウス(pharmakeus)、そして英語の薬局(pharmacy)。私はpharma-の変化の美しさに泣きそうになったぞ。どうせいないんだ、これを共有できる人なんて。やさしい夫も、こればっかりはお手上げだ、ちょっと距離を置いて笑ってる。
パルマコンが私の中に入り込み、私の口や体を勝手に動かす。「ぱるまこんぱるまこん」と踊りながら、なぜ私はこんなにパルマコンに惹かれるのだろうと、頭の中でアルファベット、pharmakonに変換した。・・・・・・パルマKON!なぜそこに私の名前が!言葉が勝手に動き出したと思ったら、見覚えのある字面があってびっくりした。乗っ取られている。夫に、ねえ、今度始めるブッククラブの名前さ、と切り出した。彼はすぐさま、「ぱるまこんはだめです」と言った。きみは私をよくわかってるよね。
デリダを学んでおこなうのは、すごくおおざっぱに言うと、文学作品の中でのパルマコン探しだ。先生から来ていたメールをよく読む。ん?この単語、ぱるまこんじゃね? あなたの使った “seems” に、あなたのコントロール外の力を感じます云々(=パルマコンですか!)と返した。「脱構築批評を学び始めて、指導教官のメールに脱構築批評をかます」というのは、たぶんあまり行儀がよいことではないな、と、送ってから気づいた。だけど好ましい感じでやりとりが続いた。英詩のルールを習ったあとに、メールの文章を英詩にしたことがあるので、もう耐性があるんだろう。彼にはパルマコンの話が少しは通じるんじゃないかと、次の面談を楽しみにしている。彼の前では踊らないつもりだ。







