
スタートレックおたくの夫と、その熱量に引き気味の妻。長年の壁を越える、愛と勇気と成長の記録。2018年の文章を一度英語にして、日本語で改稿。言語の行き来で気づいたこと、やめたこと、できるようになったことが詰まっています。
公開日:2018年9月20日
英訳日:2026年5月9日
日本語版改訂日:2026年7月20日
夫はとてもスタートレックが好きだ。中でも「新スタートレック」というシリーズのキャラクター、ピカード艦長が大好きだ。ピカード艦長がアールグレイティーを飲むので、彼も毎日アールグレイティーを飲む。ちょっとした会話の中で、格言めいたものが必要な場合、スタートレックの台詞を引用する。私は「よく覚えてるなあ」と思いながら、話題を変えようとする。スタートレックがこの世に存在するのがうれしいのか、台詞を言えて悦に入っているのか何なのか、話を変えられても楽しそうなままである。

私は食わず嫌いだ。SFって難しそうなのだ。宇宙に技術にエイリアン。それに長そうだ。彼の部屋の棚の上、ドラマのBlu-rayボックスを見るたびに、そんなに観れないよと目をそらす。会ったこともない艦長からのプレッシャーに疲れていた。義理の祖父なの?なんで宇宙じゃなくてうちに居座ってんの?
ある日、「500ページの夢の束」という映画が公開されるのを知った。スタートレック好きの女の子の話。予告を観て、いいタイミングだと思った。いっしょに観に行くのを目標にして、スタートレックの勉強をしよう。親しみをもってみよう。スタートレック好きの夫に近づいてみよう。自分のために、「スタートレック 上陸ミッション」を組んだ。まずは刺繍から始めて、残りのことは進めながら考えた。
スタートレック 上陸ミッションログ
1 刺繍する
2 映像を観る①
3 本を読む
4 バルカンあいさつを練習する
5 iPhoneを活用する
6 クリンゴン語を学ぶ
7 映像を観る②
8 「500ページの夢の束」を観る
1 刺繍する
夫の誕生日が近づいていた。スタートレックのグッズを買いたかったけれど、私の気に入るものが見つからなかった。私にとって針は、自分で何かを作るしかない時のための、デザインソフトやカメラ、ペン、ノートと同じレベルの道具のひとつ。手作りとは、明確な目的を持ったガチプロジェクト。やるからには、全力でやる。
■クロスステッチ
イタリアのCloudsfactoryから、スタートレックのクッションカバーの図案を買った。昔は、刺繍でアルファベットを覚えた時代があったらしい。現代は刺繍がスタートレックを教えてくれる。同じ作業を繰り返すのは楽しいし、少しずつふっくらとしていく刺繍を撫でるのが好き。各モチーフの意味はわからないのに、50cm×50cmの大物、何日も刺していると、次第に愛着が出てくる。アメリカのドラマ、イタリアの図案を日本で刺しながら、多くの人に愛されている作品なんだなあと思いを馳せていた(そしてよく刺し間違えた)。

■トートバッグ
ちょうど、キャンバス製のバッグが欲しいと言われていた。会社の拠点間、PCを入れて持ち歩く用。市販のは生地が薄いとか、値段が高いとかで渋っていた。中にポケットが欲しいとも。そこで、ピカード艦長の決め台詞をスタートレックのフォントで刺繍したトートバッグをつくることにした。 “MAKE IT SO!” は、「発進」とか「そうしてくれ」など、ピカード艦長が策を進める時に使う。11号の黒いキャンバス地に製図。スタートレックフォントを印刷、トレースして、白のサテンステッチで塗りつぶした。 エンドロールでよく流れるらしい名言も、内ポケットに刺繍した。


Space: the final frontier. These are the voyages of the starship Enterprise. Its continuing mission: to explore strange new worlds, to seek out new life and new civilizations, to boldly go where no one has gone before.
(宇宙、そこは最後のフロンティア。これはUSSエンタープライズが、任務を続行して、新世界を探索し、新しい生命と文明を求めて、人類未踏の地に航海した物語である)

ピカード艦長のクルーの一員として、新しい技術開発に挑むエンジニアのためのバッグ。クッション同様、制作時点でピカード艦長がどんな人だか知らなかったけれど、気分は宇宙艦隊、心の中では、私はピカード艦長と彼のエンジニアを見守る宇宙艦隊の小道具係だった。
2 映像を観る①
いいぐあいに親しみを感じてから、いよいよ作品を観る。数シーズンのドラマが、数シリーズある。映画は数本だけど、全部観るには長すぎる。そこで、夫に「厳選ウォッチングリスト」を依頼した。リクエストと返信は次のとおり:
リクエスト
・初心者でもついていける
・主要キャラクターとおぼしきカーク船長とスポックの関係を知ることができる
・夫が好きなピカード艦長のことを知ることができる
・スタートレックの世界観や思想のポイントをおさえられる
厳選ウォッチングリスト
・スタートレック:ディスカバリー
・スタートレックII カーンの逆襲
・スタートレックIII ミスター・スポックを探せ!
・スタートレックIV 故郷への長い道
・スタートレックVI 未知の世界
・ジェネレーションズ
・ファーストコンタクト
リストをもらってもなお、「本当におもしろいのか……?」と訝しんでいた人の感想:
・スタートレック:ディスカバリー
3話分を一気に観てから夫の部屋に行き、「たいへん申し訳ございませんでした」と謝った。彼がふふんとドヤ顔で偉そうにふるまうのを許した。「なにこれ、こんなにおもしろいなら早く観ればよかった」という感じ。スタートレックデビューに最適。脚本すげええ。映像かっこいい。エイリアン=没個性的な着ぐるみと思いきや、俳優の目や体を活かしたデザインが施されていた。地球人も、エイリアンも、個性や感情を表現する時間が充てられている。技術用語も、「仕組みはよくわからんけど、なんか動力なんだろうな」くらいにとらえておけば気が重くない。夫が技術の話をし始めて、私が「へー」と受け流すのは、よくある夕食の風景だ。技術そのものではなく、困難を乗り越えられてうれしかったとか興奮したとかの、彼の気持ちのほうを追うようにしている。それと同じで、クルーが難しい言葉で延々と話していても、「ん-。要するに出発ね」ととらえ、ハラハラし始めるクルーの気持ちに共感できれば、話は十分追えるのだ。長年の訓練の成果がここで発揮されるなんて。
映画は、そもそもドラマを観てない人も楽しめるようにつくられている。
・スタートレックII カーンの逆襲
カーク船長とスポックの関係を知るには見逃せない作品。作品が作られたのは、カーン1982年、ディスカバリー2017年なのだけど、時代設定的にはディスカバリー2256年、カーン2285年と、ディスカバリーのほうが先。ディスカバリーの次にカーンを観ると、技術的なギャップを楽しめる。宇宙船や各種技術が、30年で超劣化している。ドラマ「SPEC」を観たあとに、「水戸黄門」を観て、30年しか経ってないんですよと言われる感覚。
・スタートレックVI 未知の世界
映画でいちばん好き。侵略ではなく探索、戦いではなく和平交渉、という宇宙艦隊の思想をよく学ぶことができる。敵対し合っていた者たちの和平条約が、キトマー条約。荒々しいだけの印象だったクリンゴン人の見方が変わる。最後の、 “no man” を “no one” に言い換えるところが、ほんとうに好き。前者だと人間しか表さないけれど、後者だと異星人やアンドロイドが含められる。ジェンダーインクルーシブ、人種インクルーシブ、種族インクルーシブ。終わりのナレーションで言い換えられたその一言に私が泣き始めた時、夫は驚いた顔をした。私が理由を説明すると、彼は目を丸くした。この映画を何度も観ていたくせに、その言い換えに全く気づいていなかった。え、待って。文学好きの初心者が、ベテランのおたくエンジニアに教えられることがあるってこと?
・ファーストコンタクト
人類が初めてワープを成功させた日と、一筋縄ではいかない異星人ボーグとの戦い。ボーグはあらゆるものを取り込んで同化させる、機械の生命体。怖いけど美しくて見とれた。
3 本を読む
100円で入手。キャラクターのおさらい。各民族の特徴、マーク、関係性の学習。映画で観た知識の定着をはかりながら、新しい「へー」を吸収。観てないシリーズのほうが多いものの、映画で足場を固めたことで困惑しなくなった。多くのキャラクターの中でも、初代のスールー、スコッティ、第2シリーズのデータ、ディスカバリーのバーナム、サルー、スタメッツが特に好きだと感じた。ついに推しメンができたのである。

4 バルカンあいさつを練習する
スポックをはじめ、バルカン人はあいさつの時、バルカン式あいさつをおこなう。中指と薬指のあいだを開き、てのひらを見せ合い、 “Live long and prosper(長寿と繁栄を)”と言う。作品の外でも、スタートレックの俳優や有名人があいさつや記念撮影でおこなうこともあり、ファンとしては練習しておくべきだと思った。夫はさすが長年のファン、たいへんスムーズにやれる。私は指を開くのに数秒かかるうえに、指先がぷるぷる震える日々が続いた。とはいえ人は成長するのだ。夫へのあいさつをバルカン式でやっていたら、うまくできるようになった。

5 iPhoneを活用する
Twitter(現X)の絵文字にしれーっと、バルカンあいさつの手がある。ファンの人がよく使っているようだ。コピーして、iPhoneの辞書に「ばるかん」で出るよう登録し、夫とのLINEで使うよう心がけた。ことあるごとに相手の長寿と繁栄を願うのは気持ちいい。しばらくして、そもそも「すぽっく」と打つと絵文字が出てくることに気がついた。無駄に思えるようなところにエネルギーを使えるなんて、なんて知的な仕事をする会社だろう。ネットサーフィンでSiri情報も得たので、確認しておいた。クルーは、任務で宇宙艦から惑星に上陸する時、転送装置を使う。宇宙船のシステムに向かって “beam me up”「転送してくれ」と言う。 “energizing”は「転送中」。どちらもよく出てくる言葉。




6 クリンゴン語を学ぶ
戦闘好きな部族として描かれるクリンゴン人が使う言語は、スタートレックオリジナルの言語だ。言語学者が発展させたもので、世界にはクリンゴン話者が一定数いるらしい。Googleでは表示言語で、Bingでは翻訳でクリンゴン語を選べる。使用者がいるということは、教育方法があるということだ。調べると、英語での学習限定だけど、辞書、文法書、オンライン教材があった。PC・スマホOKのDuolingoで勉強してみた。項目ごとに細かくレベルが分かれていて公文式みたい。反復練習をしばらくやると、なんとなく、語順と接続詞は判別できるようになった。だけど綴りが難しい。大文字と小文字が区別され、主語と目的語によって動詞が複雑に変化するのも学習の高い壁。




例文に、スタートレックのクリンゴン人「ウォーフ」や、「私は私自身を称賛する」「私はあなたを称賛する」「AはBを殺す」「何が欲しい?」といったクリンゴン人らしい内容が出てくるのは楽しい。自他ともにクリンゴンを褒め称え、戦っている。
Duolingoに音声データはなかった。YouTubeに「ドイツ出身のクリンゴン語の先生」がいらっしゃったので、少しレッスンを受けてみた。

彼によると、クリンゴン語には “Hello” “Thank you” “Goodbye” にあたるものがない。直接的な物言いをする。あいさつに近い “nuqneH” は、”What do you want?”、「おまえは何が欲しいんだ」である。発音も独特だ。歯切れのよいハキハキ感。バルカンあいさつのようにとっつきやすいものを探して、 “Qapla’” を覚えた。読み方は「カプラ」、意味は “Success”。大事な戦いの日の朝に使っている。気づけばいつのまにか、クリンゴン人を好戦的だと思わなくなっていた。おたがいを正しく褒めることに本当に気を配っている種族。彼らはただ戦っているだけではない。
7 映像を観る②
映画だけでは夫の好きなピカード艦長の人柄をあまり知ることができなかったので、追加のウォッチリストをつくってもらった。映画は基本的に有事で、何かしら緊急事態、ミッション、戦いが起こるものだけど、ドラマはそうでもない。シーズンごとに数十作ある分、宇宙船でのクルーの日常、人柄がゆっくりと描かれている。原題と邦題の違いも興味深い。
・超時空惑星カターン
名作と名高いらしい。敵の攻撃と思いきや、とてもいい話。私はこの話の挿入曲、The Inner Light が大好きになった。ティン・ホイッスル(ピカードの笛に似ているアイルランドの笛)を買って、最後まで吹けるようになるまで練習した。
・ギャラクシー・ロマンス
ピカードさんも恋をする。
・運命の分かれ道
原題 “Tapestry”。人生というタペストリー。若いころから今まで、ピカードさんに何が起きたのかを追える。
8 「500ページの夢の束」を観る
2018年9月7日公開。スタートレックが好きな女性、ウェンディが主人公。スタートレック脚本コンテストの原稿を書き上げたのに、郵送が間に合わない。直接パラマウント社に届けるべく、長い道のりをひとりで旅する話。予習がばっちり効いて、スタートレックを使った比喩で言おうとしていることが理解できた。映画のあと、焼肉を食べながら、夫とスタートレック絡みのシーンや感想を語り合えた。バルカンあいさつもクリンゴンカプラも出てきて、うれしかった。
時は経ち、2026年。新しいシーズンやシリーズも増えた。ピカード艦長を主役にした「ピカード」というシリーズを早く観終わりたい。シーズン1だけ、いっしょに観た。年を重ねた艦長が、アールグレイティーを「デカフェで」と頼んだシーンにふたりして興奮した。私はアンドロイドのデータ少佐が大好きだから、途中からずびずび泣いていた。残りのシーズンがもったいなくて、昔の作品から順を追って近づいているところだ。
私の趣味のひとつは、演劇を観に行くこと。演劇は夫の趣味ではなかったけれど、彼もいっしょに来るようになった。私が彼に近づいたように、彼は私に近づいてくれた。彼には彼なりの楽しみ方がある。彼が好きなのは、芝居の文学的な内容そのものではないことが多い。芝居を楽しんでいる私といるのが好きみたいだ。まるでシェイクスピアの、賢い道化を演じることに決めたかのように、観劇の前後の日々、彼は鋭い目で物事の核心をつかんで、ふざけて私を笑わせる。
彼といっしょに暮らすことは、即興劇の劇団にいるようなものだと思う。結末だけが決まっているお題で、演者は二人、小道具はない。どちらが先に始めようか。仮に、一人が何かを熱心に磨き始めたとする。もう一人はそれを無視したり、「何?」と言ったりして、シーンを前に進める責任を相手に押し戻すことはできない。「Yes, and…」のルールのもとでは、目の前の人がやっていることを基本的に肯定し、その上に自分の表現を重ねなければならない。たとえば、「うわぁ!なんて綺麗な卵なの!?」というように。卵を磨くことが何につながるのかは、演者も観客も知らない。先の見えなさ。違い。恐れ。不安。だけど、おたがいを信頼し、瞬間ごとにいっしょにシーンを作り上げ、結末まで並走しようと努める。
2018年にこのオリジナルのエッセイを書いた後、2019年の初めに、自分が独特の認知と身体感覚をもっていると知った。振り返ってみると、私の上陸ミッションはウェンディや夫だけでなく、私自身にもつながっていた。いろんなことのわけがわかった。私たちが出会った日から、彼は私のやり方や、物事を学ぶプロセスをおもしろがり、励まし、さらに燃料を投入して煽ってくれていた。私たちの間で何かうまくいかないことがあっても、私たちはできるだけ席を立たず、話し合って解決しようとしてきた。今ならその理由が分かる。彼は、まだ自分自身を自覚していなかった私に対して、交信チャンネルを開いたままにしてくれていた。そして、私たちが結んだ条約の性質も理解した。それは、私たちがおたがいに歩み寄った上に築かれた同盟であり、それが私と「いろいろなアイデンティティをもつ私」との間の和平条約だった。
夫が真顔で私に近づいてくるときは、不意打ちのバルカンあいさつの合図だ。私はすぐに、ゆっくりと厳粛に返す。私が何か頼みごとをして、あるいは何かをいっしょに試そうとして、彼がためらう時には、私が「抵抗は無意味よ」とにっこり言う(ボーグが “Resistance is futile.”(抵抗は無意味だ)と無機質に言い放つのに対するオマージュ)。
Marriage: one of the frontiers. This is our voyage. Its continuing mission: to explore strange new worlds, to seek out new life and new relationship, to boldly go where no one has gone before.
結婚、それは開拓地の一つ。これは私たちの航海である。その継続的な任務は、未知の新しい世界を探索し、新しい生活と新しい関係性を探求し、誰も行ったことのない場所へ勇敢に行くことである。












