
「ふたりでごはんを」のつづき。
基本的に夕食は夫と食べるので、私がひとりで夜遊びすることはまれだ。予定が入ったと言えば彼は嘆く。「ぼくの、ぼくの、ごはん・・・」「えーん」とふざけつつ寂しがる。彼にとって、ごはんは私の作るものか、私と作るものであり、私と食べるものがよい。この意味で、外食も、テイクアウトも、スーパーの総菜も、私が関わっていないという意味で同レベルだ。私が仕事や勉強で家事に手が回らないとき、「適当に買ってきて食べて」という台詞が続くと、彼は元気がなくなる。悪いことをしてこちらの気をひこうとするかのように、ジャンクフードに走る。私がいつもの食事に復帰すると、それだけで楽天パンダのLINEスタンプのように、きらきらと目を輝かせてよろこび、楽しそうにごはんを味わい、しらふなのに酔う。まあつまり、私はすごいということである。
夜遊びの前日、ぱーっと料理することにした。雨でだるだるの気分と体調で、なんか読書も勉強も進まない。ドラマや映画でハラハラドキドキすることにも、じっくりストーリーを追って心を動かされることにも、頭を使いたくない。眠い。気分転換したい。手を動かしたい。さっぱりしたい。私の夜遊び中にも、彼にはおいしいものをわくわく食べてほしい。
レシピノートをめくり、献立を考える。作り置き分も計算に含める。材料をメモして買い出しに行く。雨の日の午後のスーパーは、薄暗くて湿気がこもっている。目的をもって行けば、そこはきらめく冷蔵庫。カラフルな野菜、値引きシールが光るたんぱく質、冷えた乳製品を選び、かごを満たしていく。私の味覚の情操教育は、地方の田舎の小さなジャスコからなる。そこには成城石井のような洒落た野菜やハーブがない。結婚式のフードケータリングですら、「ジャスコにあるような食材」縛りにしたくらいだ。パプリカやマッシュルームを買うことは、大学生が「初めて海外に行きます。パリです!初飛行機!」と言うときの、期待と緊張が入り混じるような、初々しい背伸び感がある。だいたい、パプリカとかパスタとかパンチェッタとかパンナコッタとか、「パ」を発音するのも未だに少しそわそわする。ま、大人なのでパプリカ買えるけどね。赤と黄色をいっしょに買っちゃえるし。すごくない?
手順をA4の紙1枚にまとめたり、材料を作業スペースに並べたりして、料理を始める。食べることもだけど、仕込みの時間も好きだ。目の前の食材に集中する。切ったり混ぜ合わせたりしていけば、ごちそうに辿り着くことが見えている。ナスに火を通し、マリネにして冷やし、カルパッチョとタリアータのソースを作った。今日は4品中、3品に酢を使う。すっきり、コク深い、あっさりのバリエーション。15時から始めて、19時にはできあがった。

夫は、「あれを食べたい」「これを食べたい」はしょっちゅう言ってくるが、「料理しろよ」とイライラするような人でも、「女だから料理するのが当たり前」とか思っている人でもない。「紺ちゃんとごはんを食べたい」は、「紺ちゃんと共に生きたい」であり、極端な話、私と食べるなら何でもよく、料理のリクエストは、私の気分転換を促す呼び水だったり、私に栄養を摂らせる思いやりだったり、私に合わせてくれる。料理のスキルはなくても、その時々の私に合わせたリクエストのレベルは絶妙に調整できる。リクエストされるのはうれしいこと、「あれ食べたい」と定番料理を指名されるとちょっと誇らしいこと、料理を作って喜んでもらうのが好きなことを、知っている。
つまり、食べものが重要なコミュニケーションツールだ。それも、私を優先してくれるコミュニケーションの。それがベースラインなので、「私といっしょにごはんを食べること」が、会って16年経ってもおそらく彼にとっては当たり前じゃない。その次に「私が(私と)作ったごはんを私といっしょに食べる」、があり、「私がつくったスペシャルなごはんを私といっしょに食べる」がある。
彼は三重県生まれだ。お伊勢さんのご加護のもとで育った。あと、『おいしんぼ』の海原雄山の影響も相当に受けている。幼少期からの食事の話を聞くと、どうも私の田舎のジャスコと同じレベルのようなのに、舌が謎に肥えている。松阪牛も伊勢海老もありがたがらない。普段、スペシャルな料理をリクエストはしてこないのに(私に手間を強いたくないから)、私がいざ作ると、急に「食べ歩きが趣味です」みたいなグルメモードの男が現れる(特別感のあるおいしいものが実はとっても好きなので)。
今夜のメニューはこれ。

鯛のカルパッチョ。パプリカ、ピーマン、玉ねぎを刻んで、りんご酢とはちみつで作ったソースをかけたもの。

ナスとミニトマトと生ハムのマリネ。こちらは普通の食物酢。

牛肉のタリアータ。しめじ、エリンギ、舞茸のにんにくソテーの上に、焼き肉用の肉を6切れ、その上に三つ葉とマッシュルーム。粒マスタードとバルサミコ酢のソース。パルメザンチーズ。

カリカリのフレンチフライ。塩を少し入れたホイップクリームつき。

炭酸水をワイングラスに入れていただく。
雨の日のお酢料理はとてもよかった。りんご酢のカルパッチョは、あまずっぱい。野菜がしゃきしゃきして楽しい。マリネは、想像通りの安定感のある味。タリアータは、三つ葉とバルサミコがおもしろい仕事をする。フレンチフライはディップが止まらない。
グルメモードの彼が、酢のすばらしさについて語り始める。食べるスピードが速すぎて私に叱られる。「三つ葉がよいね」「ああ、この肉の赤身と脂身のバランスが最高」とか言う。隙あらば酢のすばらしさを称える。私がゆっくり食べているあいだに、彼の目はとろんとし始める。「ほんとうにおいしい、ほんとうに酢はいいよ」と言う。今日の推しはどれ?と聞いたら、「紺ちゃん」と言った。ねえ、推しはどの料理!ともう一度聞いたら、「酢」と言った。ヴィネグレットソース、まだあるよ。飲むか?
ディナータイム終了。2人分で3900円。また気が向いたら開店します。







