Writings

New Essays Every Monday

「余白の書き込み」が届くニュースレターはこちら

  • 今年は同世代の詩人を研究対象にしたい。図書館に入ってないのでイギリスの本屋で注文した(詩集は薄いのに高い・・・)。到着まで2週間かかる。そのあいだに、デリダの入門書を読んでおこうと図書館に行く。いくつか読み比べて、書き込みしながら読みたくなった『現代思想入門』と『デリダ 脱構築と正義』をAmazonで注文した。帰り際、岩波文庫の棚で、デリダの『アデュー』を見つけた。レヴィナスへの弔辞だから、話し言葉だ。基礎の前に、デリダの声を聞いてみようかと借りて帰った。アデュー、adieuは、「永遠の別れ」「さようなら」。さようならから始まるこんにちは。

    『デリダ 脱構築と正義』はとてもいい入門書だと思う。おもしろすぎて、50ページくらいのところで怖くなり、頭を冷やしに散歩に出た。アイスを食べて、ようやく冷えた。なんだこれ。デリダの作品の中でも「プラトンのパルマケイアー」が入門にちょうどよろしいらしい。入門用にさくっと要約された部分を読んだだけでもわくわくした。キーワードの「パルマコン」は、ギリシャ語で「治療薬」と「毒」の両方の意味をもつ。そのどちらとも言えない奇妙なものが、プラトンの『パイドロス』という作品の読みを変える。週明け、また図書館に行き、パルマケイアーが収録されている『散種』を借りた。ぶあつくて、定価で6600円。 法政大学出版局の「叢書・ウニベルシタス」シリーズの1冊。ずらっと整然と並ぶ本棚を見て、うちの本棚の値段とケタがいくつも違うと思った。本の価値は値段ではないのに、厚みや重みや製本の質などを手で感じていると、ひーっとなる。

    プラトンの『パイドロス』は、ソクラテスとパイドロスの対話からなる。主にソクラテスが話し、パイドロスが応答する。ソクラテスがかっこいいレトリックで饒舌に話したあと、パイドロスが「なるほどそのとおりです」とか「おっしゃるとおりに決まっています」「そうですね」と短くしか言わないものだから、だんだん私もパイドロスの側で、「ええ」「ああ」「そうですよね」みたいな、飲み会で上司の話に相づちをうつようなイエスマンモードになっていた。ソクラテスの話は全然おもしろくなかった。

    ソクラテスがぽろっとこぼした「パルマコン」という言葉を、デリダが分析する。ソクラテスの話のうち、全体の3%くらいの細かいところを取り出して論じている。薬にも毒にもなるパルマコンが、まるで生物のように、テキストの中でうねうねと動き始める。

    私はすっかりパルマコンを気に入ってしまい、エッセイまで書いた。次の日、既存の二項対立を壊すことを目指すような奇妙な動き、パルマコンダンスを開発した。夜中、「ぱるまこんぱるまこん」と言いながら夫に見せたら、「やめろ」と笑われた。翌日、やはり「ぱるまこんぱるまこん」と言っていたら、ふと、森見登美彦の『夜は短し歩けよ乙女』の「詭弁踊り」を思い出した。詭弁踊りはパルマコンでは?あ、もしかして、可憐な響きの「おともだちパンチ」もパルマコンなのでは?

    学びは薬か?毒でもあるよな。

    デリダを勉強する文学徒で、「プラトンのパルマケイアー」を通読する人がどれくらいいるのか。図書館の本だから書き込めない。コピーするにはページが多すぎる。だから黙って静かに読む。その中でさ、パルマコンにハートを奪われる人がどれくらいいるっていうんだ。水の精霊パルマケイア(pharmakeia)、薬剤師にして呪術師のパルマケウス(pharmakeus)、そして英語の薬局(pharmacy)。私はpharma-の変化の美しさに泣きそうになったぞ。どうせいないんだ、これを共有できる人なんて。やさしい夫も、こればっかりはお手上げだ、ちょっと距離を置いて笑ってる。

    パルマコンが私の中に入り込み、私の口や体を勝手に動かす。「ぱるまこんぱるまこん」と踊りながら、なぜ私はこんなにパルマコンに惹かれるのだろうと、頭の中でアルファベット、pharmakonに変換した。・・・・・・パルマKON!なぜそこに私の名前が!言葉が勝手に動き出したと思ったら、見覚えのある字面があってびっくりした。乗っ取られている。夫に、ねえ、今度始めるブッククラブの名前さ、と切り出した。彼はすぐさま、「ぱるまこんはだめです」と言った。きみは私をよくわかってるよね。

    デリダを学んでおこなうのは、すごくおおざっぱに言うと、文学作品の中でのパルマコン探しだ。先生から来ていたメールをよく読む。ん?この単語、ぱるまこんじゃね? あなたの使った “seems” に、あなたのコントロール外の力を感じます云々(=パルマコンですか!)と返した。「脱構築批評を学び始めて、指導教官のメールに脱構築批評をかます」というのは、たぶんあまり行儀がよいことではないな、と、送ってから気づいた。だけど好ましい感じでやりとりが続いた。英詩のルールを習ったあとに、メールの文章を英詩にしたことがあるので、もう耐性があるんだろう。彼にはパルマコンの話が少しは通じるんじゃないかと、次の面談を楽しみにしている。彼の前では踊らないつもりだ。

  • 薬局から

    夏から飲み始めた薬の副作用がきつい。いつでも眠いし、食後に手足がしびれる。慣れれば治まるだろうと思って様子を見ていたら、治まらないので、薬を飲むのをやめた。春に逆戻り。調子がよくもないが、悪くもない。もういい。

    「批評理論を学んだことがないので、今年から学ぶぞ。まずはデリダ」と意気込んで始まった、研修生2年目。夏休み明けの面談で、先生が「フッサール使って論じたっていいんだよ」と言った。

    夏休みに入る前、大学で批評理論の教科書としてよく使われている、ノートン社の批評理論アンソロジーの目次をネットで読んだ。デリダは数本、短いエッセイ、あるいは本の抜粋が載っていた。デリダの哲学の出発点であるフッサールもノートンに載ってるだろうと思ったら、載ってなかった。この目次に載ってるようなことを先生のもとで学ぶなら、夏休みは「ノートンに載ってないもの」を読もうと決め、フッサールを読んだ。

    だから、面談で、「(紺が読んだ)フッサール使ってもいい」と言われたのには驚いた。えっ、フッサールって、批評理論なの? 「なんでノートンアンソロジーにフッサールが載ってないと思う?」と聞かれて、なんか自己完結的で、広がらないからじゃないですかね、と答えた。すると、彼は「ノートンはキャノンのひとつに過ぎない。これを読むべき、と言った人がいるだけで、編者が変わればフッサールも入りうる」と言った。じゃあ、フッサールとエミリー・ディキンソンで論文書いてもいいんですか、と聞いたら、彼は「え、何が悪いの?」と言いたげに、「いいよ」と言った。

    文学の批評に使いやすいものをぎゅぎゅっと詰め込んだのが批評理論の教科書で、それを読んで使いこなせるといろんな人と話がしやすくなるとしても、神聖化する必要はない。キャノン=正典=読むべきものとされている枠組みそのものを、先生は疑っていた。誰かが決めた棚の仕分けに従う必要はない。自分がこれまで読んできた言葉の延長線上で、そのまま始めればいい。

    昨日、「プラトンのパルマケイアー(原題はPlato’s Pharmacy(プラトンの薬局))」というデリダの文章を読み終わった。プラトンの『パイドロス』という作品の、ものすごい些細なところに焦点を当てて、全体の読みを覆す、というデリダの手法。そのキーワードがパルマコン。

    プラトンの『パイドロス』でソクラテスが語る神話の中で、文字は「記憶と知恵の治療薬(パルマコン)」として王に献上される。けれどギリシャ語のパルマコン(pharmakon)は、治療薬であると同時に毒薬のこと。

    水の精霊パルマケイア(pharmakeia)、薬剤師にして呪術師のパルマケウス(pharmakeus)、そして英語の薬局(pharmacy)へ。言葉が引き連れてくる網の目で、薬の中に毒が混ざり、毒の中に薬が潜む。どちらか一方だけを選び取ることはできない。言葉が、生き物のように動き回り、構造を揺るがす。

    プラトンの『パイドロス』は、ふーん、へぇー、という温度で読んだのに、デリダの「プラトンのパルマケイアー」の読みにはずっとわくわくしていた。好き!

    これはぜひ夫にも読んでほしいと、彼の部屋を訪ねた。

    私「きみも『プラトンのパルマケイアー』読もうよ」
    夫「へ?」
    私「ぱるまこんぱるまこん」
    夫「ぼくはいいや」
    私「ねえ、パルマコンがおもしろいの!」
    夫「うぷ」

    私は本を彼に見せながら読み上げる。
    「テウトは言った。『王様、この文字というものを学べば、エジプト人たちの知恵は高まり、もの覚えはよくなるでしょう。記憶力と知恵は、その治療薬(pharmakon)を見出したのです』」

    私「このパルマコンがね、治療薬でもあるし、毒でもあるの。翻訳にすると薄れちゃうんだけど。このどっちにも読める言葉が、全体の読みを変えるの!」

    彼はちょっと笑う。パルマコンに、そしてパルマコンに興奮している私に笑う。コーヒーをすする。私はパルマコンへの感情表現が「ちょっとの笑い」で済むのを信じられない。

    私「どこに行ったら、パルマコンのおもしろさをもっと共有できるんだろう」
    夫「ここじゃないことはたしか」
    私「え、待って。これってそもそも英文学じゃなくない?」
    夫「うん。哲学だよね」
    私「じゃあ大学でもパルマコンパルマコンって言えないの?」
    夫「先生には通じるでしょう。え、でも気づいてなかったの?ぼくでもわかる、紺ちゃんのいるところが単純じゃないって」
    私「私は少なくとも文学と言語学と哲学の中にいるよ。どれかだけを選ぶなんてできない。楽しいけど、他の人にわかってもらえない。・・・・・・ねえ!これ自体、パルマコンじゃない?パルマコン!きみに話してたら、けんかを引き起こしそうなパルマコン!」

    パルマコンは私の中に潜伏し続け、裂け目から現われ、私の内外をうねうねと動き回る。

  • 日曜日、ベーグルがおいしかったから、パスワードをすべて変えることにした。なにもかもうまくいきそうな気持ち。ブラウザに記憶させる機能を使っていたぶん、それをひとつずつ消していけばいい。重くてだるい、めんどうなことを片づけよう。

    100以上あるリストを眺める。まずは、ずっと使ってない、アカウントを消せそうなサイトから攻める。消したところで、「アカウントを消したアカウント」として記録が残るのはわかっている。そもそも、できるだけ登録しないほうがいいよねえと思いながら、サクサク行く。削除しました、これまでありがとうございました、というメッセージやメールが届くサービスばかりじゃない。だから、別れ方がうまいサービスは記憶に残る。

    海外の店のいくつかで、「削除するには問い合わせフォームからコンタクトしなきゃいけない」ものがあった。ペースを落としたくなかったから、住所やクレカの情報を消し、パスワードを変えた。

    ひとつずつ見ていくと、私はほぼ、大きな会社にしか自分の情報を預けてない。大きめの会社で、注文をまとめる。取り扱いがない場合、新しい店で新しいアカウントを作るよりは、街まで出てリアル店舗で買うほうが好き。買い物の範囲が狭いのも、都市部に住んでるのも、アカウントをたくさん持たなくてよいことにつながっているから、私ラッキーとか賢いとか言える問題ではないとは思いつつ。

    よく使う厳選サービスが残った。パスワード作りに本腰を入れる。メモ帳アプリを開き、サービス名と、変更後のパスワードを記録していくことにする。もう、パスワードをブラウザに記憶させることはしない。

    新しいパスワード。何にしようかしらん。覚えておく気がないので、複雑で長いものにしたい。プラトンは、文字よりも音声を重視していた。文字に記録し始めれば、人間の内的に記憶する力が衰えると言った。これはさすがに覚えられん、文字が必要やわ、と、プラトンに白旗を掲げさせたい。

    「新しいパスワードを入力してください」というテキストを見て、Omoiukabanaiyonと思った。NaniniSurebaiiKanaと遊んでいたら、音に引っ張られて西野カナが頭の中に現れた。そこから時が遡り、ドコモのガラケーN504i、キッチュな待ち受け、大文字小文字数字記号を駆使したメアドの記憶に飛ぶ。

    たとえばSentakuMonOHosanaKuCHAでもいい。倒置して、HosanaKuCHA!SentakuMonOにしてもよい。好きなものですらない、そのときに浮かんだもので歌う即興詩のよう。

    無意味さの堅牢さに抗うように、私は遊んだ。入力欄では●で表示される、どうせ隠れてしまう文字に意味を求めた。推測できないもの、長いもの、複雑なものを、私はずっと書き続けられるような気がした。お気に入りは、LeMonJuICENoMit@ii4:)。超強いギャル。

    最終的なパスワードはすべて、意味のない、でたらめな文字の組み合わせにした。ファイル名をつけて完成。プリントアウトしたものは、有意味のノスタルジー、無意味の詩集。

  • 大学の健康診断の日。研修生はレントゲンだけ。レントゲン1枚で何がわかるのだろう。指定された時間まで少しあったので、先に健康保健センターに行った。のんびりした雰囲気の部屋に、女性がひとり、仕事していた。血液検査とか尿検査ではなく、レントゲンが必須ってどういう背景なのですか、と聞いた。彼女は「レントゲンでもいろいろわかるんですよ。そのなかでも特に大学が気にしているのは、感染性の結核です」と言った。ワンオペで、定時に上がれそうな空気と、結核の言葉の緊張にギャップを感じる。すみません、今、ここはとても穏やかな場所に見えるのですが、もしかして、コロナのときはとてもご多忙だったのでは、と聞いた。「そうなんです、ここと情報管理センターはずっと深夜まで仕事してました。親御さんから、『学費を払ってるのに学校に行けないってどういうことか』といったお電話がひっきりなしにかかってきましたし、本当に有事でした」。健康診断の案内の、「レントゲンを受けてください」の文字の羅列だけでは見えなかったこと。

    研修生はレントゲンだけなので、健康診断会場での持ちものが違う。あ、あの人、研修生かも、という人を見つけたので、突然すみません、もしかして研修生の方ですか、と声をかけた。スーツを着た男性。ジャケットを脱ぎ、シャツの裾をズボンから出し、いつでも撮ってくださいアイムレディーという感じ。しゃきっとしている。「いえ、科目等履修生です」と言った。研修生でも、科目等履修生でも、とにかく、正規の学部生・院生以外と会うのはこれが初めてだった。入学式もないし、同級生もいないし、親睦会があるわけでもないし。普段は個々に、おのおのの目的と場所に散らばっている。神学を勉強していること、4年目なこと、もう数年学ぶ予定のことなどを、レントゲン撮影の順番待ちの間に教えてくれた。いくら社会人学生でも、当たり前に苦手な先生はおり、「それでも単位取得がんばってます」と言っていた。「ここで学ぶのが憧れだったから」とも言った。レントゲン用の車に乗り込み、すぐさま撮られ終え、「よかったら礼拝堂にいらしてください」と言って去った。先輩にならって、私もさっと乗り、撮られ終え、帰ろうとする。

    学食のある棟の近くで、なじみの清掃スタッフさんを見かけた。明日、昼休みにいっしょにごはん食べませんかと誘う。「それはとってもいいよ!」と返ってきたけれど、2限が終わる時間と、彼女の午後の仕事が始まる時間が、15分しかなかった。私は、それじゃあデザートですね、と言った。「そうだね。でも私何か作って来る。あなたごはん食べたらいい。何が好き?」だいじょうぶです、お気遣いなく、と言ったら、「そう?わかった」と言った。2限後の15分、おやつを持ち寄って食べることになった。大きめのスーパーに寄って、お菓子を探す。甘いのとしょっぱいのの組み合わせがいいよな。個包装だと職場で分けてもらいやすいし。ここはサツマイモとか秋物でいくべき?いや。うーん。長い棚を行ったり来たり、ぐるぐる周ったりして、徳用パックのアポロとパイに落ち着く。「お菓子売り場にあるけど、お菓子は二の次で、付属のおもちゃがメインのもの」も買ってみようと、サンリオの「ぴたハグ」もかごに入れる。りんご味のガム1個つきの、ぷにぷにマグネットクリップ。よろこぶだろうか。

    次の日、早めに支度して大学に行き、2限の教室に行く。来日した作家の講演会。普段授業を取ってなくても参加できる。前々週、指導教官の研究室に向かう途中でチラシを見たのだった。作品も予習済み。始まる前、コーディネーターの先生に、挨拶に行った。入学直後にお会いして以来だ。講演中、私は耳に器具をつけていますが、イヤフォンではありません、講演に集中するために必要なものです、と断りを入れる。「ええ、構いません」と言われる。いちばん後ろの席に座る。しばらくすると指導教官が現れたので、立ち上がって挨拶する。彼は「あ、紺」と笑い、「僕は前のほうに座るね」と言う。この作家は、彼の研究分野に関わる人。前のほうって言ったのに、どちらかというと後ろ寄りの真ん中に腰を下ろしていた。前のほうとは?と思った。

    講演と質疑応答が終わった。サポートの人が端から現れて、「全体の写真撮影をします」と言った。わーい、写りたくなーいと思い、さっと教室を出た。清掃スタッフさんとの待ち合わせ場所に急ぐ。昨日会ったばかりなのに、私を見つけるやいなや、「ああ!いた!会えたね!」と言った。風が涼しく、日差しがやわらかい日。ベンチに腰掛けてお菓子を取り出す。彼女はぎょうざを作ってきて、「これ、食べて」と渡してくれた。もう、いいのにー、お手間でしたよねと言ったら、彼女は「すぐできるこんなの」と言った。見るからに、皮から手作りなのに? アポロとパイの袋を豪快に開け、アルコールティッシュといっしょにまとめて渡す。はい、食べますよ、時間がありません。せわしない。周りには、2限終わりの、ランチに向かう学生がいっぱい。彼女からはぎょうざで終わりと思っていたら、「あとこれ」と、みかんを4個くれた。「あとこれはあなたの先生に」と、大きな柿もくれた。お、おお。

    さっきの講演会で、作家の方が、「還暦間近だから、これからはスローダンスするように生きるつもり」と言ってたんですよ、と話した。すると清掃スタッフさんは、「私は先週、栄のイベントで1日7回踊ってたよ」と言った。見せてくれたスマホに写っていたのは、中国の伝統衣装とメイクで踊っている、ガチダンサーだった。「おいくつでしたっけ」と聞いたら、「もう70なるね」と返ってきた。数十分前の講演との温度差に笑う。作家は、何かステレオタイプ的なものを描きたくないと言っていたけれど、彼女が自身に向ける老いのイメージを覆す人が、私の目の前にいると思った。あ、そういえばこれ、と、「ぴたハグ」を渡す。孫が何人もいる人なので、ここでサンリオが出てきたところで、「は?」とか言わない。食えないものだろうが下手な絵だろうが、なんでもいい、まずそのプレゼントの気持ちや行為自体を愛でまくるおばあちゃんモードが自動で発動するよう。開封する前から、外装をすごいぷにぷにぷにぷに触りながら、「かわいい」「うれしい」とよろこんでいた。どれが出たらうれしいですか、と聞いたら、「キティちゃん」と指さしていたけど、出てきたのはシナモロールだった。でもやっぱり絵柄はどうでもよさそうだった。「かわいいかわいい」「さすが若い人」と、早速かばんにつけていた。

    柿を渡さなければならなくなったので、先生の研究室に向かう。が、来客中だった。図書館に行く。本を返して、予約していた本を借りる。いくら外が涼しくても、図書館のエアコンの涼しさは格別だ。ぐでぐで過ごした。再度研究室に行ったら、別の来客が始まっていた。やっぱアポ取ってくるべきだよなあ、でもなあ、柿、と思って、近くの共有ラウンジに行く。ソファとか、給湯器とか、冷蔵庫とかがある、基本的に教職員と院生用のスペース。私も出入りを許されている。ドアを開けると、さっきの講演でサポートしていた方がいた。あ、お邪魔ですか、と退室しようとしたら、ぜんぜんぜんぜんだいじょうぶです、どうぞ、と言われて、なんかその言い方に親しみを覚えた。私は彼女をさっき見たけれど、彼女からは多くの参加者のひとりなわけで、自己紹介が必要だ。○○先生の研修生で、さっきの講演にうかがいました、お仕事おつかれさまです。こういうときに、社交辞令的じゃなく、あえてぐっと自分を出してくる人が好きだ。要約すると、心からほっとしていると言っていた。パートの自分には大仕事だったと。だから今ここで気を抜いていると。私は研修を作る仕事をしていたので、研修講師を迎えて研修を滞りなく進める立場の気の張りがわかる。講師の方をランチにご案内したあと、ふわぁーっと気が抜けますよね、と言ったら、「そうなんです!終わったーと思って学食に行ったら、コーディネーターの先生と作家さんがいらっしゃったんですよ。学食っていくつもあるのに!まさかここ!って感じで。なんか私の感想も言わなくちゃいけないのかなって考えたんですけど、いや、そんなのいらないよなとも思って、焦っちゃって」。ああ、オフにしたスイッチ、爆速でオンに戻しますよね。さっきもらったみかんをひとつ渡した。10月1日木曜日だった。もう今週の仕事は終わりってことにしちゃえばいいですよ、と言った。「えっ、そうですか!?」と上がる口角が、頬を押し上げて、その頬が大きめの眼鏡のプラスチックフレームを上にずらす。ええ、なんなら今月の仕事は全部終わりってことでいいと思いますと言ったら、「きゃー!」と笑っていた。あら私、いけないこと考えちゃった、うふふ、みたいな顔で。

    ラウンジで文章を書いて待っていたら、指導教官が現れた。「え、アポじゃないよね」とダブルブッキングを恐れた顔で言う。アポじゃないです、柿です、70歳の友人からあなたに、と言って柿を手渡す。彼の表情がすぐにゆるんで、「え、柿?」みたいなものに変わる。私もあなたの立場だったらそう思いますよ。では、と言って退室すると、うしろから「じゃあ来週の面談で」と聞こえる。

  • 9月は長く感じた。こうやって記録していると、いかに現実(『存在と時間』)から逃れたかったか、逃避が逃避になってなかったか、やはり読みたいと思い続けていたかがわかる。

    『存在と時間』の入門ルートはいくつもあるだろうけれども、私は中山元訳を選んだ。本の半分が懇切ていねいな解説で、ゆえに8冊あるというボリューム。解説を先に通読した。用語をAIに入れて用語集を作り、テストにつきあってもらって覚えた。そしてハイデガーの本文を読む。このやり方を2巻目で見つけ、8巻まで通した。彼はそれまでの哲学が見誤っていた「存在」に焦点を当てるために、数えきれないくらいの造語を駆使した。なので、読者はほぼ、外国語を一から学ぶようなものだ。指導教官は英語で読んだらしく、読むのにすごく苦労したと言っていた。私はそこまでではなく(そこまでではないと言っている時点で読めていないのかもしれないが)、日本語だからかもしれないと言った。ドイツ語の “In-der-Welt-sein”は、英語で “being-in-the-world”と長いのに、日本語だと5文字、「世界内存在」である。ハイデガー読むのが楽しいことを「すごい」とか「読めてないんじゃないか」とかジャッジせず、「日本語ってビジュアルだもんね~」と言う彼の姿勢が心地よかった。難しいものを読めて偉いとか、読めなくてだめとか、そういうことではないからね。

    私は認知的に現象学と相性がよく、フッサールを楽しく読み、それを存在論にしたハイデガーもおもしろく読んだ。轟先生の『ハイデガーの哲学』は、読めてよかった。ハイデガーといえば『存在と時間』じゃん、ナチスに加担したんじゃん、というステレオタイプ的な知識を、はさみでぱちんぱちんと切るように、ひとつずつ改めてくれた。『存在と時間』だけが読まれ過ぎている、ハイデガーの哲学は後期のものも含めてとらえるべき、彼がナチスに加わった目的はナチスと目的が異なり、それゆえに彼は短期で辞職し、自分の思想を更新し続けた。言葉の定義が違うから離れる、しかし自分の思想の核が間違っているとは思えないから、考え続け、論文で証明しようとした人、という印象。明らかなカリスマ性や過ちがあり、ゆえに偏見も持たれる人、というのが、現時点での彼に対する研究の成果のひとつだと理解した。だからたぶん、『存在と時間』の語り口やダイナミズムがおもしろい、と思うのはやましいことじゃない。とはいえ、

    ハイデガーは「存在への問い」を突き詰めた結果、自分が語ろうとしていた事象は「存在」という語によっては示しえないことを明瞭に自覚することになった。「存在」はじつは「存在」ではなかったと言うのである(!)。

    轟孝夫『ハイデガーの哲学』 p.475

    ハイデガーのどのテクストでも、読みたいと思ったものを読みたいところから読めばよいのである。ハイデガーはどこにおいても、ただひたすら「存在」のみをさまざまな観点から試行的に語っているにすぎない。

    轟孝夫『ハイデガーの哲学』 p.495

    2ヶ月かけて読んだ結果が、まじかよ、「存在」が消えちゃった!ということだし、要約すれば「ハイデガーはとにかく「存在」」なのだけど、彼は86年の人生をかけて取り組んだわけで、なんだか哲学というのは、その哲学者の思考の試行錯誤史を追うようなものだなと思った。

    ハイデガーを読んでいて、ランチにキッチンに立ったとき、よくNetflixでフリーレンを観ていた(もう何周目か知らん。基本的に静かで好き)。ぽけーっと見ているとき、ザインという僧侶のキャラクターに、ん?と思った。もしかして、と調べたら、フリーレンの言葉が基本的にドイツ語だと知った。Sein(ザイン)は、「存在」である。ちょっと気晴らしに、と思って手に取ったものにハイデガーの影響があって、サブリミナルみたいだった。『葬送のフリーレン』自体、存在論的よね、と思って、マンガも読み始めた。

    Xのリポストで見かけた『ハーモニー』のマンガ版も読んだ。セール中だったので、4冊合わせて1000円いかなかった。だからさっと読み終わる軽い作品なんだろうと思っていたら、全然そうじゃない、ハードなSFだった。ハイデガーから逃避したくて読み始めたのに、フリーレン以上に硬派な存在論だった。綺麗なディストピア。作者は伊藤計劃(いとうけいかく)。英語表記だと “Project Itoh” というのがかっこよくて、私もそういうのにしたいと夫に話した。彼は私の実名でごにょごにょ遊んだ結果、なんかプリキュアみたいな、どこかの化粧水みたいな名前を出してきた。「やーい、ぷりきゅあ」と言ってくるのも、それにむきーっとなるのもレベルが知れている。彼は「同じ作者の『虐殺器官』もおもしろいよ」と言ったあと、笑うのをやめて、「でも早くに亡くなっちゃったんだよね」と言った。

    YOUと藤井隆のYouTube動画の話のトーンを頭のどこかでリピート再生しつつ、『ニューヨークで考え中 5巻』の表紙のように、「ふ~」と息抜きをした。『GISELe』のブラックコーデ特集を細かいところまで読み、ボートネックのトップスを2枚買った。

    『存在と時間』と『女の園の星』は、「冷静に考えると、この時間、なんだったんだろう。でもなんかよかった」という意味で似てる。

© 2026 川瀬紺 / Kon Kawase