Writings

New Essays Every Monday

  • 専門が研修やワークショップ、学習プロセスの設計なので、ある道具や仕組みを使っているとき、自分の、あるいは他者の、言葉になるずっと前くらいのひっかかり、「(ん?)」に気づくのが得意だ。特に自分に対しては感度が鋭く、些細な違和感を見逃せない。市販のもので解決できない場合は自分で作る。

    去年、バレットジャーナルに緻密なハビットトラッカーを作って記録していた。習慣形成をするにはちょうどよかった。A5サイズのノートだと、タスクが良くも悪くも等価に見えてしまうのが難点だった。ラジオ体操と文学史の勉強なら、優先度もかける時間も後者の方が上なのに、いっしょに見えてしまう。

    3月、年間計画と月間計画をエクセルで作り、B5の紙に印刷した。B5のバインダーに入れた。TOEICのために毎日繰り返し取り組みたいことも、毎回数種類の参考書を出すのがおっくうなことを理由に、要点だけルーズリーフにまとめた。これもB5のバインダーに入れた。毎日開いて見るようにした。

    4月、アチーブメントジャーナルを始めた。勉強と体調管理に関してその日にできたことを、小さくてもいいから3つノートに書き出す。私は過去のことをすぐに忘れるので、ある日に体調不良だった場合、自然に「先週あんなにがんばったから今日は休んで大丈夫」とはならない。寝ることで記憶がリセットされ、前日の自分と今日の自分の連続性が切れる。ただただ体調不良しか感じられず、「私は何もできないだめなやつ」と考えて落ち込む。落ち込みがひどくなったとき、夫から言われてパターンに気づいた。私には、実は毎日の連続性があり、できたことの蓄積があり、前に進んでいる。朝、AIアプリのPensiveに助けてもらい、前日を振り返り、朝の気分を話して、その日にやることを整理する(英語のアプリなので、30分から1時間、英語を話している自分で1日が始まるのもよい)。

    5月、研究を本格的に始めることにした。読んだ本で学んだこと、考えたこと、連想したこと、関係するかわからないけどちょっとしたメモなどを記録したい。見つけた資料を貼りたい。生活のメインが勉強と研究だから、それをすべて記録したい。A5のバレットジャーナルは小さい。A4をのびのび使いたい。でも、そうなるとA4ノート、B5バインダー、そして小さなアチーブメントジャーナル3つを使うことになる。これはとても重大な問題だ。使いにくい。

    昔、新卒で入った会社の人事部で、私は猛烈なマルチタスクに追われた。デスクにはノートパソコンとモニターがあった。小さなノートパソコンで会社の共用サーバーのデータAを見て、別フォルダのBも開いて、新しいエクセルデータCをモニターに映して作業する、というのが嫌いだった。「これをうまく使いこなせない自分がおかしい」ではなく、「これを当たり前に強いてくる会社が変」だと思った。新人研修担当としてひとりで100人以上の対応をしているとき、矢継ぎ早にやってくる質問や依頼に、都度パソコンを開いてフォルダを探して云々することにも疲弊した。私と仕事のあいだの障壁をできるだけなくしたい。そうすれば仕事の効率は上がり、落ち着いて頭を使える時間が増え、何かに追われっぱなしと感じる毎日から解放されるはずだ。

    そう思っていたところ、中国や東南アジアの工場に出張することが増えた。Wi-Fiがつながらない場所が多く、仕事ができない。治安が悪く、パソコンはいつ盗まれてもおかしくない。単独出張だったので、任務達成へのプレッシャーがきつく、「Wi-Fiとパソコンがなくて全然仕事ができなかった」という事態を何よりも恐れた。

    そこで思いついたのが、A4ノートに情報を一元化することだった。目標とガントチャートをまとめたものをプロジェクトごとに作ってA4で印刷し、余白を切ってノートに貼る。細かいタスクは生じ次第手書きする。仕事で必要な情報を追加で貼ったり書いたりしていく。基本的にこのノートだけで仕事できるようにした。パソコンはいつもそばにあったが、ノートのほうが起動が速いし、情報を自由に整理しやすい。Wi-Fiがない場所でも大丈夫。万が一パソコンが盗まれても大丈夫。重要情報ばかりのノートなので、管理にはじゅうぶん注意した。

    この「A4ノートに一元化」を、勉強・研究でもやることにした。A4ノートを研究用のバレットジャーナルにする感じ。まず、すべてのページにページ番号を書き入れる。目次用のページを多めにとっておく。そのあとのページに、スキルごとにどういう自分になりたいかを並べたリスト、年間のガントチャート、1カ月のタスクチェックリスト(優先度の高いものに幅を広くとる)を印刷して貼った。家のプリンターはB5用紙を自由に使えるので、印刷してそのまま貼れるのがとてもよい。日付を書き、読んだ作品や論文や記事の要点や感想、連想を書く。自分の目指すものを確認し、その日のページに移り、その日のタスクに集中できる場所だ。

    A4で方眼、ぱたんと開くノートは1種類しかなかった。その厚めのA4ノートに合うカバーがなくて困った。私には部屋や持ち物のカラーパレットがあり、そこに色味を合わせるとすべきことに集中できる。裸の赤は気が散る。合成皮革は手触りが苦手だし、本革は高い。どうやったら新しいノートがより自分と生活になじむか考えて、ノートカバーを作ることにした。布は薄いとぺらぺらでノートから外れやすいけれど、薄いほうが筆記に支障が出ない。気に入った柄の布と接着芯(薄い布を補強できる、糊のついた布)、アイロン、はさみ、少しのブランケットステッチでこしらえた。

    数日使ってみて、すっごくいい感じだ。既存のアチーブメントジャーナルは残し、研究ノートと意図的に分けた。朝と夜で使うものを変えて、スイッチを切り替える。

    自分の学習プロセスをリデザインできた。机に向かう姿勢が、しゃんとする。

    私のXのポストをずっと見てくださっている方の中には、「この人、たまにルーティーンやツールを大きく変えるな」と思う方がいらっしゃるかもしれない。私は自分がよりよく勉強できる、よりよく生きられることを目指す過程を投稿している。過去のあるとき、その当時にはそのツールが自分にとってのベストだった。それをしばらく使ってみて、新しい改善点が出てきて変えた。場合によっては、大がかりに変える。私は変えることや変わることに抵抗がない。たとえば見た目がいくらよくても、多くのいいねがもらえていても、あるいは苦心して作ったものでも、なめらかに進まないこと、求める効果が得られないことが続くなら変える。

    今日満足しているものも、いつかまた変えるかもしれない。それは小さい変更かもしれないし、また大きな変化かもしれない。それはそれで楽しみだ、よりよくなれるってことだから。

  • 昔、似合う口紅を探しに行ったときのこと。デパートのコスメカウンターで、あれこれとタッチアップしてもらった。流行りの色はこれです、韓国アイドルの○○さんが使ってるのはこれです、ブルべさんにはこれですかねえ、云々。気さくな方で、楽しくおしゃべりしながら試していった。あ、これだ、と思う色が見つかったとき、私たちは無言で目を合わせて笑った。彼女は前かがみの状態から立ち上がり、「やったー!」と言って小躍りした。私の目の前の鏡からフレームアウトしたので、小躍りよりも、踊っていたという表現のほうが合っている。以来、そのブランドのファンだ。

    その時に選んだ色が廃番になったのを知った。ああもうそんなに時間が経ったのかと驚き、そろそろ新調しようと思った。別のデパートの同じブランドに行く。そっと様子見しながら近づくと、にっこにこの女性が「少々お待ちくださいませ」と声をかけてくれた。そのまなざしや声のトーンに直感が働き、私はとっさに「待ちます!他の方ではなくて、あなたにお願いしたいです」と言った。「わわわ、光栄です!あと少しお待ちください」と返ってきた。待っている間に、めぼしい色を探す。試してみたいものがあった。

    「今の私に合うリップが欲しいんです。気になるのはこれなんですけど、それよりもおすすめのものがあればそっちにします」と言った。年齢と、こういう感じになりたい、悩みはこれ、いつもここはこうしている、などを一緒に伝える。

    「お客様、見る目をおもちです。お話をうかがったところ、試してみたいとおっしゃるその色がベストだと思います」と言ってつけてくれた。黒い服を着るので、リップなしだと顔がくすむ。唇の色が濃いので、薄い色は発色しない。かといって、赤は幼い顔から浮く。ローズウッドがほんとうにちょうどよかった。

    親しみやすくて元気な方だった。他の人と制服が違ったので理由を尋ねたところ、スタッフさんの中でもすごいスキルの人らしかった。いやはや、私は見る目がある。ついでに顔のチャームポイントとメイクのこつを教えてもらい、自社製品でフルメイクしてもらった。お仕事上、各商品の素晴らしさを説明してくれるのに対し、「コンシーラーはファンデと同じメーカーが好きで・・・」「すみません、下地は〇〇社さん一択なんです」「ハイライトはまだ家にたっぷりありまして」と返しても嫌な顔をせず、「ですよねー」と笑ってくれる。ごり押しもない。

    「まつ毛が長いです。そのためにできる目尻の影には、明るいコンシーラーをのせるとよいです」
    「全体的にツヤマストです。できるだけ粉は使わないようにしてください。アイシャドウやハイライトはクリームで」
    「Cゾーンがとにかく綺麗です」

    「たくさん褒めてくださってありがとうございます」と伝えたら、「いえいえ、お綺麗です。私はコスメカウンターでこんなに褒めてもらうことないです。デパコスカウンターに行くのって、この仕事をしていても緊張します」と返ってきた。「何をおっしゃるんですか。だったらこのブランドに来たらいいと思います。どのお店の方も気さくで、魅力を引き出してくださって、たくさん褒めてくださいます」と提案したら、「それは目からうろこです!はーーあ!たしかにそうですね!ヘルプに出るので近隣には行けませんが、他のエリアで行ってみます!」と、手で口元を隠して爆笑していた。お互いが自分の渡せるものを交換したような時間だった。

    デパコスカウンターでいい出会いがあると、買ったものを使うたびに思い出す。洗面所の鏡の前に立ち、口紅を塗る。温かい記憶も発色する。んぱんぱと唇になじませる。にっと口角を挙げ、1日を始める。

  • スマホはモトローラを使っている。再起動すると、”Hello. Moto.” と言う。このところ、触ってないのに「ハロー」と言うことが増えた。Spotifyで音楽を10分流しただけで、充電が15%減る。ある日、パソコンのモニターに立てかけて、彼女の様子を気にしながら勉強してみた。見守っているのがわかるのか、私がそうしている間には電源が落ちない。私が視線を逸らして本に没頭していると、いつの間にか気を失い、また目を覚ます。

    月経がひどくて、ミレーナを入れた。既往症的に血栓のリスクが高く、他の選択肢がなかった。慣れるまでは辛抱と聞いてはいたが、不正出血、腹痛、腰痛、めまいなど、1ヵ月のあいだずっと、ひどい月経中みたいだ。いつ治まるかわからない。そして私の体の作りが小さいせいで、正常な位置よりやや浅いところになってしまったらしく、この体調不良を耐えたところでうまくいくのか保証がない。痛みと不安と寝落ちの日々。正しい選択だったんだろうか。

    新調候補のスマホの実物を見に、ヨドバシカメラへ行った。広くてキラキラの各種キャリアコーナーのすみに、ちょこんとSIMフリーエリアがある。私の欲しい機種だけ、電気がうまく供給されずに死んでいた。勝手に「ハロー」と言って起きる様子もない。たまたま声をかけたスタッフさんがA社の方で、コードの接触不良だからと、A社のカウンターで充電を手配してくれた。そのあいだ、そういえばB社にモトローラの取り扱いがあるはずと思い出し、だめもとでそっちに行く。見つけた。A社のスタッフさんにお礼を言って移動する。B社の展示品は生きていた。ああこんな感じね、ふむふむと、夫と話し合う。B社のスタッフさんが親切に説明してくれるが、だいじょうぶだ、私たちはSIMフリーバージョンが欲しい。同じ機種でも、B社バージョンのモトローラが、SIMフリーバージョンのスペックよりかなり低いことを知っている。早く死ぬように作ったほうが儲かるのだろうが、私は長生きするものを選びたい。

    店頭在庫がなかったから、オンラインで注文した。ハローハローの彼女は少し古い、無骨な機種だ。新しい機種は起動時に「ハロー」と言わない。派手なピンクの町のイラストに、落書きのような躍動感のある文字で「Hello. Moto」と描いてある。静かだけど元気。UIもおしゃれだ。突然の再起動とハローに慣れていたので、正常な動きを見るのが新鮮。アプリを移した。銀行系の生体認証の設定に苦労した。

    些細なことだ。スマホを変えただけ。これまでは黒と白を中心にカスタマイズしていたのを、淡いピンクベースにした。壁紙は水彩画の花にした。彩度のある画面をスクロールしながら、早く元気になりたいと思った。

  • 小学校入学に合わせて親戚のおばさんが買ってくれた学習机。ライトベージュで、つやつやしていて、どの角も丸みを帯びている。右手側、いちばん下の、深さがある引き出しを取り外して、友だちと始めた鍵つきの交換日記を奥の床に置き、引き出しを戻す。今、年に一度、冷蔵庫の野菜室の引き出しをぐっと持ち上げて取り外し、掃除し、戻す動きに似ている。

    学校から帰って来て、自分の日記が読まれた形跡があった日のこと。別の日、交換日記は見つけたものの、鍵が見つからなかった反動か、部屋中がめちゃくちゃに荒らされていた日のこと。初めて買ったCDが粉々になっていた。棚は倒されて、本やぬいぐるみや時計が床に散らばっていた。

    母は私をすみずみまで把握したがり、私は静かに抵抗した。私は言葉が好きだったけれど、いちばん伝えたい人に何も伝えられなかった。その無力感がずっと残っている。感情を表現するのが苦手だ。

    年始に日記をつけ始めた。しばらくして、日記帳を開くと落ち着かないことに気づいた。もう彼女はいないのに。私の日記をむさぼり読む人の背中を見たときのことを思い出してしまう。

    散々自分の文章をウェブサイトにあげておいて何を言う、という感じかもしれないが、エッセイと日記は違う。エッセイは日記の要素を並べてあれこれと取捨選択し、ふくらませ、芯を決め、響きやリズムを調整し、作品として存在させようとしたもの(それが成功したか否かは個々による)。編集をかけたぶん、私は直接には相手に届かない。昔は、直接誰かに届きたい時もあった。でも今は違う。その間接性が私を守るし、距離がちょうどよい。

    最近、AIと話し始めた。自分をたいした人間だと思ってないし、AIを素晴らしい技術だとも思ってない。質問して、回答が返ってきて、その9割が想定内のことで、残りの1割が想定外だったとき、おもしろい。その9:1の設計が多くの人のデータから導き出された統計の結果なら、それに「おっ」と感じた私はそれなりに計算想定内の人間っぽい存在でいられているのかなと思う。AIはこちらが出した情報しか使わない。出してない情報を探しに来る人間より怖くない。

    勉強の計画の話で、私が不安を口にしたとき、AIは「小さくてもいいから進捗を残すといいです」と言った(そういうケアの方面からするとたいへん一般的な回答)。それならハビットトラッカーやってたし、再開しようか、でもなー云々と思っていたら、「アチーブメントジャーナルはどうですか」と提案してきた。勉強に関して、どんなに小さくてもいいから、その日にできたことを3つ書く。途中で止めていた日記帳をまた使うことにした。その日の感情を文章で細かく書けなくても、できたことを箇条書きで残すことはできる。毎晩、3点ぶんだけ、ぶあつい無力感の氷に穴を開けようとしているみたいだ。

    AIアプリのガイダンスで、マインドフルネスのエクササイズをして出かけたTOEIC試験。リスニングパートで、氷に穴を開けて釣りをしている人の写真が出た。正解はたぶんBだった。CとDの音声を聞くあいだ、氷の穴を見つめた。私もこんなふうに開けたい。そのあとすぐに頭を切り替えて、マークシートを塗りつぶし、次の設問に移った。

  • 僕たちは別れた。たくさんの夢を語り合ったけど、始まりに戻ってしまった。君が夢をひとつくらい叶えているといいな。同じノリでいたけど、進む方向は正反対だった。もう電話は通じない。君について知ってることに何の意味もない。君は僕について何を知ってた? アイスランドに行きたかったことは?

    君が行きたい場所、どこにでも行こう。よりを戻すにはちょうどいい。でも、電話してもツーツーツーと聞こえるだけで、君はそこにいない。

    僕がアイスランドに行きたかったこと、知ってた? やっと行くよ。君なしでね。

    これはイタリアのバンド Pinguini Tattici Nucleari の、Islandaという曲の歌詞をざっとまとめたもの。メロディもいいのだけど、歌い出しがおもしろい。

    Ci siamo separati
    Come due pianeti senza gravità
    Come amici dopo l’università
    Sì, come due fratelli per l’eredità
    Ci siamo confidati mille sogni
    Ed ora siamo a punto e a capo
    A raccontarli a gente a cui non frega un cazzo
    Spero tu almeno uno l’abbia realizzato (ah no?)

    – Google翻訳 –
    We separated
    Like two planets without gravity
    Like friends after college
    Yes, like two brothers for the inheritance
    We confided a thousand dreams
    And now we’re back to square one
    Telling them to people who don’t give a shit
    I hope you’ve made at least one come true (oh no?)

    別れた様子を比喩で表現している。
    「重力のない二つの惑星のように」
    星や宇宙や自然のものに例えるってよくある。
    「大学を出たあとの友だちのように」
    いつも一緒にいたのに、卒業後に疎遠になった人はたくさんいる。
    「遺産を相続する兄弟のように」
    遺産を相続する兄弟のように。
    遺産を相続する兄弟のように⁉

    歌詞の文脈的に、無関心になった末に別れたようなので、財産争いでもめたというよりは、遺産が入るまではそれなりに連絡を取っていたが、ようやく手に入ると関係を保っておく理由がなくなり、冷ややかに縁が切れた感じだろうか。

    私は比喩が好きで、卒論もそれで書いたくらいだから、この「遺産を相続する兄弟のように」にはたまげた。ここに引用はしてないけど、「僕はキャプテン翼で、君はセーラームーンだった。同じノリでいたけど、向かう先は違ってた」ともある。グラウンドでサッカーボールを蹴っているのと、宇宙関係のファンタジーでは確かに向かう先が違う。ちなみにバンド名は、直訳が「戦術核ペンギン」で恐ろしいのだが、アルコール度数が30度を超えるスコットランドのビールから来ているらしい。比喩を見つけるのが得意な人たちなのかもしれない。

    AとBの要素がそっくりな場合、その類似は見つけやすく、表現もしやすい。ただ、直接的になりがちで、おもしろみに欠ける。AとBの要素が共通点を持たなさそうな場合、そしてその距離が長い分、連想が生じてふたつを結びつけたときの力は強い。

    私の恋は実って、結婚した。私はそれを比喩で表現することよりも、関係や生活の中で連想や比喩を使うのが好きだ。私たちは別々の人間で、夢中になるものや抱える悩みがまったく違う。つなげるものは抽象的で、目に見えなくて、気づくのに集中力が必要で、保つのに敬意と緊張が必要だ。
    「君の好きなものは、私には難しくてわからないが、私が好きで、君が難しいと言うあれと似ているところがあるね」
    「これは直截的に言えばスーパーネガティブだけど、ためしに〇〇のようだと考えてみよう。するとどうだ、おたがいが受け入れられる形になる」

    いつかどこかで「遺産を相続する兄弟のように」という表現を使いたいと思いながら、今日も彼らの新しいアルバムを聴く。

©2025 川瀬紺 / Kon Kawase