部屋、特にクローゼットを掃除している。何年も前の手帳やノート、もう連絡を取ってない人からの手紙を処分することにした。ひととおり目を通してから、廃棄用の紙袋に入れていく。
上京して大学に入ってから、「変わってる」「独特な雰囲気」「ユニーク」と言われ始めた。高校時代の友人もそう思っていた気がするけれど、わざわざ言ってくることはなかった。ゼミの先生は「独特な感性を大切にしなさい」と言った。ゼミの先輩たちは「ぼくたちはきみを処理できない。褒め言葉だよ」と言った。変わっているからか、バイト先では激しめのパワハラを受け、変わっているからか当時はそれに気づかず、働くとはこういうことなのだと自責で過ごした。最初に就職した会社には、変わってるから採用された。担当者は「いいこだわりがある。同期の中にいても、なんか違うなって思うことあるでしょ。そこを評価した」と言った。ある人が私を「ああこの人、変わってる」と感じるということは、ふだんそう感じない人たち、変じゃない人たちと一緒に働いているということだ。配属先の人たちは、「この部というか、この会社の人が考えないことを言うね」と言い、多くの人が冷ややかな目を送ってきて、私はそれに萎縮した。新しいことは、事例がないから新しい。だから最初から仲間なんていない。数少ない、理解ある人の助けを得ながら実績を積み、変わってることがようやく広く評価され始めた。仕事ができるようになったら、今度は問題だらけの部署へ異動になり、大きな仕事を丸投げされた。救世主になることを求められているようだったが、腐敗した組織の末端でどうにかしたいとも、どうにかできるとも思えなくて退職した。次の会社でも、私は変人扱いされた。
私と一時期すれ違い、共に時間を過ごし、手紙をくれた人たちは、直接的・間接的のグラデーションはあれど、「何か変わってる」ということをよく書いていた。彼らはそれに癒されたり、励まされたり、驚かされたりしたと言っていた。
目の前の机に積んだノート。読み終わって紙袋に入れたノート。その高さや重みを感じて、私は初めて、心の底から、自分を魅力的だと思った。
いくら年を重ねても、場所を変えても、同じニュアンスをことを言われ続けてきた。私も相手も、それが何かは正直よくわからなくて、その都度濁して過ごしてきた。褒め言葉もあれば、陰口や罵声もあった。とにかく一貫して、私は変わっていると言われていて、夫のそば以外に安心できる居場所をもったことがない。この一貫性に、我ながら美しさや強さすら感じた。点を繋げたら、濃い私が浮かび上がった。
変わっている、それでも人とうまくやれるような人になりたくて、どこか媚びるようにして、卑下して、自分をバカだと責め、相手に合わせるようなことが多い年月だった。それをやめる。人はどうしても、私の変わっているところを取り上げて、よくも悪くも極端に反応するみたいだ。私にはどうしようもできない。私は私であることを認め、大切にすると決めた。
私としては大きな気づきだったので、興奮して夫に報告したところ、彼は「だからいつも言ってるじゃん。紺ちゃんは紺ちゃんだって」と言った。それは「比較しようがない」「魅力的」という意味だと教えてくれた。なーんだ、そういうことだったのかと笑っていたらお腹が空いた。恵方巻の支度をした。