Writings

New Essays Every Monday

  • 私が「猫がふみふみするやつさ、英語だと”make biscuits”なんだって」と言う。
    お風呂上がりの夫が私のベッドに飛び込む。「ぼくの腰でビスケットつくって」
    私は猫の手と動きを意識して、彼の腰をマッサージする。

    ふみふみふみふみふみふみふみふみ。
    ふみふみふみふみふみふみふみふみ。
    ふみふみふみふみふみふみふみふみ。

    私「もういいかい」
    夫「もっと」

    ふみふみふみふみふみふみふみふみ。
    ふみふみふみふみふみふみふみふみ。
    ふみふみふみふみふみふみふみふみ。

    私「もういいかい」
    夫「もうすこし」

    ふみふみふみふみふみふみふみふみ。
    ふみふみふみふみふみふみふみふみ。
    ふみふみふみふみふみふみふみふみ。

    私「もういいかい」
    夫「もうすこし」

    ふみふみふみふみふ、

    夫「もうすこし」

    私「もうこね終わった。そろそろオーブンに行こうか」

  • 使わなくなったポメラを夫にあげた。Linuxを入れて改造しようと、嬉々としている。何をしているのか、その何が楽しいのかはわからないが、ずっと楽しそうなのでこちらまで楽しくなる。何日も、夜遅くまで作業に励んでいた。

    シェイクスピアの「マクベス」の舞台が映画館で観られるというので、彼を誘った。平日に行こうという話になり、彼は会社で年休を申請した。申請理由欄には「マクベス」と入力し、教養あるエンジニアを装ったが、原作を読む気はない。

    前日、私が主な登場人物とあらすじ、みどころを説明する。彼は目を閉じて、眉間に皺を寄せ、頭を傾けて聞いている。たぶん魔女が出て来るあたりで(それはつまり冒頭部から)理解が追いつかなくなり、マがつく登場人物の数に混乱した。夕飯を食べながら、シェイクスピアの学者と翻訳家による公開記念トークショーを観る。私が「へええ」「なるほど」「あーそういう解釈もねーあるのねー」と食い入るように聴いているのと対照的に、彼はにこにこと私を見つめている。ついてきてない。

    映画館の2時間はあっというまだった。限られたキャストが、ひとりで何役もこなす場合があることを伝え忘れていた。「私は白い舞台に影が映えること、透明な壁の使いかた、幼い男の子の演出が好きだった!」という感想で隣を見たら、彼は「英語がわからん、順番が変だったぞ」と言った。そしてひとりで数役こなすつくりを把握しきれてなかった。昼食をとりながら細かく説明したら、初心者にしてはいいぐあいにまあまあわかったようで、満足そうだった。

    私たちは別々の部屋をもち、休みの日でもおのおのこもって過ごすことが多い。おはよう、スーパーに行こう、食事をつくろう、食べよう、ちょっとハグしようぜ、掃除しよう、お風呂入れよう、寝る前のごろごろ、おやすみ、くらいしか接点がない。おたがいの研究対象のことがおたがいわからない。研究対象へのエネルギーに共感して生きている。暮らしの中に言葉にならないものがどっさりあり、昔はそれが不満だったけど、今は心地いい。

    わかんないけど、わかるよ、あれでしょ。
    そうそう、それ。

  • 英文学史の教科書。長い中世の時代からなかなか抜け出せない。先週はカンタベリー物語を読んだ。カンタベリー大聖堂へ巡礼に行く途中で出会った人たちが、2つずつおもしろい話を披露して、最後に誰の話がいちばんか決めようということになる。いろいろな階級の人たちが集まっているところが文学史的に重要。気高い身分の人もいれば、庶民もいる。高尚な話もあれば、下品な話もある。下品な話が本当に下品で、笑いのつぼに共感できない。あくまでも勉強だからと割り切るが、たまに「私は何をやってるんだろう」と天井を見上げる。

    かたやアメリカはなんかもうわけがわからない。日本のメディアは情報を積極的に出さない。アメリカ人の友人は体調を崩している。「今、こんな状態なんだよ!」とYouTubeのリンクを次々と送ってきてくれるのだけど、警告的な動画を見続けていると私の調子も狂う。私の頭がイギリスの中世にいることを相手は知っている。それに対して、「もっと外の世界を見て!」と言われているようで嫌だ。選挙が終わった時点で予想できたことだけど、「私は今のタイミングで米文学専攻で院進して何ができるんだろう」とも思う。

    私はXにあまり文章を書かない。キャベツが高い、お米が高い、今日はもやしを多めにしよう、ああ目標のページまで読みきれなかったとか考える生活の断片の写真が、主な投稿だ。書きたいことはこちらのウェブサイトに書く。それはXのトップの人間に私が侵食されないようにするための防衛だ。退会しようとは思わない。他のメディアから情報を得ながらも、あのプラットフォームがどうなっていくのか、中にいて観察しないといけないと思っている。アメリカの教育機関が破壊されます、人々が体制にNOと言えなくなるように教育機会が奪われます、勉強系アカウントが凍結されます、となれば居場所はなくなるだろうが。

    たいていの時間をひとりで過ごしている。静かな混乱の中にいる。「何ができる?」を考えると絶望してしまうから、「何をしたい?」で日々を満たすように努める。学びたい。読書と勉強と書きものを続けることが、私の体力作りであり、戦いへの準備であり、抵抗だ。

  • 部屋、特にクローゼットを掃除している。何年も前の手帳やノート、もう連絡を取ってない人からの手紙を処分することにした。ひととおり目を通してから、廃棄用の紙袋に入れていく。

    上京して大学に入ってから、「変わってる」「独特な雰囲気」「ユニーク」と言われ始めた。高校時代の友人もそう思っていた気がするけれど、わざわざ言ってくることはなかった。ゼミの先生は「独特な感性を大切にしなさい」と言った。ゼミの先輩たちは「ぼくたちはきみを処理できない。褒め言葉だよ」と言った。変わっているからか、バイト先では激しめのパワハラを受け、変わっているからか当時はそれに気づかず、働くとはこういうことなのだと自責で過ごした。最初に就職した会社には、変わってるから採用された。担当者は「いいこだわりがある。同期の中にいても、なんか違うなって思うことあるでしょ。そこを評価した」と言った。ある人が私を「ああこの人、変わってる」と感じるということは、ふだんそう感じない人たち、変じゃない人たちと一緒に働いているということだ。配属先の人たちは、「この部というか、この会社の人が考えないことを言うね」と言い、多くの人が冷ややかな目を送ってきて、私はそれに萎縮した。新しいことは、事例がないから新しい。だから最初から仲間なんていない。数少ない、理解ある人の助けを得ながら実績を積み、変わってることがようやく広く評価され始めた。仕事ができるようになったら、今度は問題だらけの部署へ異動になり、大きな仕事を丸投げされた。救世主になることを求められているようだったが、腐敗した組織の末端でどうにかしたいとも、どうにかできるとも思えなくて退職した。次の会社でも、私は変人扱いされた。

    私と一時期すれ違い、共に時間を過ごし、手紙をくれた人たちは、直接的・間接的のグラデーションはあれど、「何か変わってる」ということをよく書いていた。彼らはそれに癒されたり、励まされたり、驚かされたりしたと言っていた。

    目の前の机に積んだノート。読み終わって紙袋に入れたノート。その高さや重みを感じて、私は初めて、心の底から、自分を魅力的だと思った。

    いくら年を重ねても、場所を変えても、同じニュアンスをことを言われ続けてきた。私も相手も、それが何かは正直よくわからなくて、その都度濁して過ごしてきた。褒め言葉もあれば、陰口や罵声もあった。とにかく一貫して、私は変わっていると言われていて、夫のそば以外に安心できる居場所をもったことがない。この一貫性に、我ながら美しさや強さすら感じた。点を繋げたら、濃い私が浮かび上がった。

    変わっている、それでも人とうまくやれるような人になりたくて、どこか媚びるようにして、卑下して、自分をバカだと責め、相手に合わせるようなことが多い年月だった。それをやめる。人はどうしても、私の変わっているところを取り上げて、よくも悪くも極端に反応するみたいだ。私にはどうしようもできない。私は私であることを認め、大切にすると決めた。

    私としては大きな気づきだったので、興奮して夫に報告したところ、彼は「だからいつも言ってるじゃん。紺ちゃんは紺ちゃんだって」と言った。それは「比較しようがない」「魅力的」という意味だと教えてくれた。なーんだ、そういうことだったのかと笑っていたらお腹が空いた。恵方巻の支度をした。

  • 「よ!」
    「よう!」
    よしみ
    容貌魁偉

    「ようこそ」
    寄席
    予鈴
    寄り合い
    様子者
    詠む
    よよむ

    養老
    よりすぐり
    よろこばし
    予想外
    余韻

    陽光
    横切り
    よりどりみどり
    拗長音

    「ようよう」
    よくぞ
    ようやく

    夜遊び
    洋酒
    酔い心地

    夜雨
    酔どれ
    よたよた
    よろけ

    夜風吹きゆく宵月夜

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