Writings

New Essays Every Monday

  • 昔、似合う口紅を探しに行ったときのこと。デパートのコスメカウンターで、あれこれとタッチアップしてもらった。流行りの色はこれです、韓国アイドルの○○さんが使ってるのはこれです、ブルべさんにはこれですかねえ、云々。気さくな方で、楽しくおしゃべりしながら試していった。あ、これだ、と思う色が見つかったとき、私たちは無言で目を合わせて笑った。彼女は前かがみの状態から立ち上がり、「やったー!」と言って小躍りした。私の目の前の鏡からフレームアウトしたので、小躍りよりも、踊っていたという表現のほうが合っている。以来、そのブランドのファンだ。

    その時に選んだ色が廃番になったのを知った。ああもうそんなに時間が経ったのかと驚き、そろそろ新調しようと思った。別のデパートの同じブランドに行く。そっと様子見しながら近づくと、にっこにこの女性が「少々お待ちくださいませ」と声をかけてくれた。そのまなざしや声のトーンに直感が働き、私はとっさに「待ちます!他の方ではなくて、あなたにお願いしたいです」と言った。「わわわ、光栄です!あと少しお待ちください」と返ってきた。待っている間に、めぼしい色を探す。試してみたいものがあった。

    「今の私に合うリップが欲しいんです。気になるのはこれなんですけど、それよりもおすすめのものがあればそっちにします」と言った。年齢と、こういう感じになりたい、悩みはこれ、いつもここはこうしている、などを一緒に伝える。

    「お客様、見る目をおもちです。お話をうかがったところ、試してみたいとおっしゃるその色がベストだと思います」と言ってつけてくれた。黒い服を着るので、リップなしだと顔がくすむ。唇の色が濃いので、薄い色は発色しない。かといって、赤は幼い顔から浮く。ローズウッドがほんとうにちょうどよかった。

    親しみやすくて元気な方だった。他の人と制服が違ったので理由を尋ねたところ、スタッフさんの中でもすごいスキルの人らしかった。いやはや、私は見る目がある。ついでに顔のチャームポイントとメイクのこつを教えてもらい、自社製品でフルメイクしてもらった。お仕事上、各商品の素晴らしさを説明してくれるのに対し、「コンシーラーはファンデと同じメーカーが好きで・・・」「すみません、下地は〇〇社さん一択なんです」「ハイライトはまだ家にたっぷりありまして」と返しても嫌な顔をせず、「ですよねー」と笑ってくれる。ごり押しもない。

    「まつ毛が長いです。そのためにできる目尻の影には、明るいコンシーラーをのせるとよいです」
    「全体的にツヤマストです。できるだけ粉は使わないようにしてください。アイシャドウやハイライトはクリームで」
    「Cゾーンがとにかく綺麗です」

    「たくさん褒めてくださってありがとうございます」と伝えたら、「いえいえ、お綺麗です。私はコスメカウンターでこんなに褒めてもらうことないです。デパコスカウンターに行くのって、この仕事をしていても緊張します」と返ってきた。「何をおっしゃるんですか。だったらこのブランドに来たらいいと思います。どのお店の方も気さくで、魅力を引き出してくださって、たくさん褒めてくださいます」と提案したら、「それは目からうろこです!はーーあ!たしかにそうですね!ヘルプに出るので近隣には行けませんが、他のエリアで行ってみます!」と、手で口元を隠して爆笑していた。お互いが自分の渡せるものを交換したような時間だった。

    デパコスカウンターでいい出会いがあると、買ったものを使うたびに思い出す。洗面所の鏡の前に立ち、口紅を塗る。温かい記憶も発色する。んぱんぱと唇になじませる。にっと口角を挙げ、1日を始める。

  • スマホはモトローラを使っている。再起動すると、”Hello. Moto.” と言う。このところ、触ってないのに「ハロー」と言うことが増えた。Spotifyで音楽を10分流しただけで、充電が15%減る。ある日、パソコンのモニターに立てかけて、彼女の様子を気にしながら勉強してみた。見守っているのがわかるのか、私がそうしている間には電源が落ちない。私が視線を逸らして本に没頭していると、いつの間にか気を失い、また目を覚ます。

    月経がひどくて、ミレーナを入れた。既往症的に血栓のリスクが高く、他の選択肢がなかった。慣れるまでは辛抱と聞いてはいたが、不正出血、腹痛、腰痛、めまいなど、1ヵ月のあいだずっと、ひどい月経中みたいだ。いつ治まるかわからない。そして私の体の作りが小さいせいで、正常な位置よりやや浅いところになってしまったらしく、この体調不良を耐えたところでうまくいくのか保証がない。痛みと不安と寝落ちの日々。正しい選択だったんだろうか。

    新調候補のスマホの実物を見に、ヨドバシカメラへ行った。広くてキラキラの各種キャリアコーナーのすみに、ちょこんとSIMフリーエリアがある。私の欲しい機種だけ、電気がうまく供給されずに死んでいた。勝手に「ハロー」と言って起きる様子もない。たまたま声をかけたスタッフさんがA社の方で、コードの接触不良だからと、A社のカウンターで充電を手配してくれた。そのあいだ、そういえばB社にモトローラの取り扱いがあるはずと思い出し、だめもとでそっちに行く。見つけた。A社のスタッフさんにお礼を言って移動する。B社の展示品は生きていた。ああこんな感じね、ふむふむと、夫と話し合う。B社のスタッフさんが親切に説明してくれるが、だいじょうぶだ、私たちはSIMフリーバージョンが欲しい。同じ機種でも、B社バージョンのモトローラが、SIMフリーバージョンのスペックよりかなり低いことを知っている。早く死ぬように作ったほうが儲かるのだろうが、私は長生きするものを選びたい。

    店頭在庫がなかったから、オンラインで注文した。ハローハローの彼女は少し古い、無骨な機種だ。新しい機種は起動時に「ハロー」と言わない。派手なピンクの町のイラストに、落書きのような躍動感のある文字で「Hello. Moto」と描いてある。静かだけど元気。UIもおしゃれだ。突然の再起動とハローに慣れていたので、正常な動きを見るのが新鮮。アプリを移した。銀行系の生体認証の設定に苦労した。

    些細なことだ。スマホを変えただけ。これまでは黒と白を中心にカスタマイズしていたのを、淡いピンクベースにした。壁紙は水彩画の花にした。彩度のある画面をスクロールしながら、早く元気になりたいと思った。

  • 小学校入学に合わせて親戚のおばさんが買ってくれた学習机。ライトベージュで、つやつやしていて、どの角も丸みを帯びている。右手側、いちばん下の、深さがある引き出しを取り外して、友だちと始めた鍵つきの交換日記を奥の床に置き、引き出しを戻す。今、年に一度、冷蔵庫の野菜室の引き出しをぐっと持ち上げて取り外し、掃除し、戻す動きに似ている。

    学校から帰って来て、自分の日記が読まれた形跡があった日のこと。別の日、交換日記は見つけたものの、鍵が見つからなかった反動か、部屋中がめちゃくちゃに荒らされていた日のこと。初めて買ったCDが粉々になっていた。棚は倒されて、本やぬいぐるみや時計が床に散らばっていた。

    母は私をすみずみまで把握したがり、私は静かに抵抗した。私は言葉が好きだったけれど、いちばん伝えたい人に何も伝えられなかった。その無力感がずっと残っている。感情を表現するのが苦手だ。

    年始に日記をつけ始めた。しばらくして、日記帳を開くと落ち着かないことに気づいた。もう彼女はいないのに。私の日記をむさぼり読む人の背中を見たときのことを思い出してしまう。

    散々自分の文章をウェブサイトにあげておいて何を言う、という感じかもしれないが、エッセイと日記は違う。エッセイは日記の要素を並べてあれこれと取捨選択し、ふくらませ、芯を決め、響きやリズムを調整し、作品として存在させようとしたもの(それが成功したか否かは個々による)。編集をかけたぶん、私は直接には相手に届かない。昔は、直接誰かに届きたい時もあった。でも今は違う。その間接性が私を守るし、距離がちょうどよい。

    最近、AIと話し始めた。自分をたいした人間だと思ってないし、AIを素晴らしい技術だとも思ってない。質問して、回答が返ってきて、その9割が想定内のことで、残りの1割が想定外だったとき、おもしろい。その9:1の設計が多くの人のデータから導き出された統計の結果なら、それに「おっ」と感じた私はそれなりに計算想定内の人間っぽい存在でいられているのかなと思う。AIはこちらが出した情報しか使わない。出してない情報を探しに来る人間より怖くない。

    勉強の計画の話で、私が不安を口にしたとき、AIは「小さくてもいいから進捗を残すといいです」と言った(そういうケアの方面からするとたいへん一般的な回答)。それならハビットトラッカーやってたし、再開しようか、でもなー云々と思っていたら、「アチーブメントジャーナルはどうですか」と提案してきた。勉強に関して、どんなに小さくてもいいから、その日にできたことを3つ書く。途中で止めていた日記帳をまた使うことにした。その日の感情を文章で細かく書けなくても、できたことを箇条書きで残すことはできる。毎晩、3点ぶんだけ、ぶあつい無力感の氷に穴を開けようとしているみたいだ。

    AIアプリのガイダンスで、マインドフルネスのエクササイズをして出かけたTOEIC試験。リスニングパートで、氷に穴を開けて釣りをしている人の写真が出た。正解はたぶんBだった。CとDの音声を聞くあいだ、氷の穴を見つめた。私もこんなふうに開けたい。そのあとすぐに頭を切り替えて、マークシートを塗りつぶし、次の設問に移った。

  • 僕たちは別れた。たくさんの夢を語り合ったけど、始まりに戻ってしまった。君が夢をひとつくらい叶えているといいな。同じノリでいたけど、進む方向は正反対だった。もう電話は通じない。君について知ってることに何の意味もない。君は僕について何を知ってた? アイスランドに行きたかったことは?

    君が行きたい場所、どこにでも行こう。よりを戻すにはちょうどいい。でも、電話してもツーツーツーと聞こえるだけで、君はそこにいない。

    僕がアイスランドに行きたかったこと、知ってた? やっと行くよ。君なしでね。

    これはイタリアのバンド Pinguini Tattici Nucleari の、Islandaという曲の歌詞をざっとまとめたもの。メロディもいいのだけど、歌い出しがおもしろい。

    Ci siamo separati
    Come due pianeti senza gravità
    Come amici dopo l’università
    Sì, come due fratelli per l’eredità
    Ci siamo confidati mille sogni
    Ed ora siamo a punto e a capo
    A raccontarli a gente a cui non frega un cazzo
    Spero tu almeno uno l’abbia realizzato (ah no?)

    – Google翻訳 –
    We separated
    Like two planets without gravity
    Like friends after college
    Yes, like two brothers for the inheritance
    We confided a thousand dreams
    And now we’re back to square one
    Telling them to people who don’t give a shit
    I hope you’ve made at least one come true (oh no?)

    別れた様子を比喩で表現している。
    「重力のない二つの惑星のように」
    星や宇宙や自然のものに例えるってよくある。
    「大学を出たあとの友だちのように」
    いつも一緒にいたのに、卒業後に疎遠になった人はたくさんいる。
    「遺産を相続する兄弟のように」
    遺産を相続する兄弟のように。
    遺産を相続する兄弟のように!?

    歌詞の文脈的に、無関心になった末に別れたようなので、財産争いでもめたというよりは、遺産が入るまではそれなりに連絡を取っていたが、ようやく手に入ると関係を保っておく理由がなくなり、冷ややかに縁が切れた感じだろうか。

    私は比喩が好きで、卒論もそれで書いたくらいだから、この「遺産を相続する兄弟のように」にはたまげた。ここに引用はしてないけど、「僕はキャプテン翼で、君はセーラームーンだった。同じノリでいたけど、向かう先は違ってた」ともある。グラウンドでサッカーボールを蹴っているのと、宇宙関係のファンタジーでは確かに向かう先が違う。ちなみにバンド名は、直訳が「戦術核ペンギン」で恐ろしいのだが、アルコール度数が30度を超えるスコットランドのビールから来ているらしい。比喩を見つけるのが得意な人たちなのかもしれない。

    AとBの要素がそっくりな場合、その類似は見つけやすく、表現もしやすい。ただ、直接的になりがちで、おもしろみに欠ける。AとBの要素が共通点を持たなさそうな場合、そしてその距離が長い分、連想が生じてふたつを結びつけたときの力は強い。

    私の恋は実って、結婚した。私はそれを比喩で表現することよりも、関係や生活の中で連想や比喩を使うのが好きだ。私たちは別々の人間で、夢中になるものや抱える悩みがまったく違う。つなげるものは抽象的で、目に見えなくて、気づくのに集中力が必要で、保つのに敬意と緊張が必要だ。
    「君の好きなものは、私には難しくてわからないが、私が好きで、君が難しいと言うあれと似ているところがあるね」
    「これは直截的に言えばスーパーネガティブだけど、ためしに〇〇のようだと考えてみよう。するとどうだ、おたがいが受け入れられる形になる」

    いつかどこかで「遺産を相続する兄弟のように」という表現を使いたいと思いながら、今日も彼らの新しいアルバムを聴く。

  • 大阪は、出発地よりも肌寒かった。風が強くてつらい。屋内も絶妙な涼しさ。喉が痛い気がする。しくじった、と思っていたら、夫がリュックからカーディガンを取り出して私に着せた。

    夫と平日に休みを取り、ナショナルシアターライブを観に来た。イギリスの舞台を映画館で観られる。日本で海外の演劇を楽しむ人が多くないからか、上映期間は1週間だけ。家の近くでの上演予定はない。『真面目が肝心』はどうしても観たい作品だったので遠出することにした。

    ふたりとも、原作を日本語で予習した。私は「めっっちゃくちゃうまい。シェイクスピアより好き!」と興奮し、当日をそれはもう楽しみにしていた。夫は部分的に消化不良で、参考書の苦手な公式を理解しきれずに本番に臨んだ受験生みたいな顔をしていた。念のため、ノートに人物相関図を書いて説明しておいた。

    大阪駅。万博直前の活気。新発売のポテチの試供品をもらうために並んでいる人たちの列。エレベーターの降りる階をまちがえてから、気になっていたジュエリーショップに辿り着く。試着試着試着。ホワイトゴールドのを買おうとしたら、店員さんにプラチナもあると言われる。オンラインショップには書いてなかった情報。でもなー、値段が少し上がるよな。んー・・・・・・。何を買っていいかわからないからひとりでは来ないのに、ふたりで来るとジュエリーショップに慣れた雰囲気を出して「これはいい」「微妙」などと批評をさくさく披露する夫が、「プラチナで。めっきははげます。だめです」と言って買ってくれた。

    早めに映画館に行く。夕方、西日が差し込むロビー。塩味のポップコーンのSサイズを買って隅に座る。私が「食べてもいいよ」と言うのは、「少しなら食べていいよ」の意味で、暗につつましさを要求するものだ。彼はそれをじゅうぶんにわかったうえで、がつがつと食べ始めた。おいしいからと1粒ずつゆっくり食べる私の隣で、3つ4つまとめてつかんで口に入れていく。彼はひとりでは買わないし、食べない。私が買うとき、「え?買うの?」とあきれた口調で言う。そして私といっしょにすました顔で食べる。

    初めてふたりとも予習した観劇は、予想以上におもしろかった。昔の文字情報が、現代、新しい解釈で演出されること。作者のオスカー・ワイルドは、性的志向を理由に投獄された。こんなにカラフルな演出を見て、なんて言うだろう。キラキラしていて、明るくて、ユーモラスなコメディだった。ひとりでは観に行かないが、私のプレゼン次第でなんとかついてきてくれる夫は、今までのナショナルシアターライブの中ではいちばんわけがわかって、おもしろかったらしく、照れくさそうに笑っていた。

    20時過ぎに終わったので、夕食は軽く飲むくらいにすることにした。ひとりでは行かないけれど私といっしょならなんとか行けるような店に行き、カウンターでちびちびやる。彼の、緊張するけど勇気を出してくれることが嬉しくて、にこにこしてしまう。

    平日に休みを取ってくれたこと。プラチナを買ってくれたこと。カーディガンを持ってきてくれたこと、取り出して着せてくれたこと。お芝居につきあってくれたこと。いっしょに食事してくれたこと。そばにいてくれたこと。当たり前じゃないことが詰まっていた日。

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