ハラスメントコレクター

メンタルクリニックに通っている。主訴は睡眠障害だ。わりとゆったりとした病院で、30分から1時間くらい、最近のことや昔のことを話す。他の病院ならたぶん、カウンセラーが別途保険適用外でおこなうようなことを、先生がやってくれる。あるとき、「きみはハラスメントコレクターだね」と言われた。

大学1年生のとき、教授Aが所属する学会に誘われた。なんでも勉強だと思って入ってみたはいいが、大学1年のぺーぺーにもわかるくらい学会のレベルが低すぎた。でもそんなことは言えず、1年は様子を見た。そのうち、準備や片付けなどで教授Aとふたりきりになることが多くなり、食事に誘われる。とりあえず教授ってすごい人なんだと思っていたので断れない。私が話したアイデアを論文にしたのを見て、やっぱりおかしいと思って退会した。彼はのちにセクハラで訴えられて失職する。

大学のある集まりで飲み会があり、下ネタで盛り上がっていた。私は言葉の意味はわかるが、それで盛り上がる意味が理解できず、騒ぎが度を越したあたりで泣いた。すると言葉の意味がわからずに泣いた純粋なやつだと解釈されたらしく、後日、男性の先輩から言葉と意味のリストを送られた。

カフェのバイトの副店長は、自分の好みの人間にはやさしく、他には高圧的にあたる人だった。副店長だが店長よりも歴が長く、技術もあるので牛耳っていた。私は彼女好みの人間ではなく、耐えた。さすがにひどいなと思って店長に相談していたら、好意があると曲解され、妻子持ちなのに告白された。

内定式の夜は事務系総合職6人で名古屋に宿泊した。修学旅行のようにひとつの部屋に集まり、酒を飲み、仲を深めた。が、あるときから下ネタパーティーに発展し、私は例によって嫌悪感を抱き、早めに自室に戻った。純粋なやつターンが再来し、そのことで嘲笑され続けることになる。

配属先は人事部だった。直属の上司と先輩は、今思えば眩しいほどに、典型的なパワハラオンパレードを提供してくれた。私は奨学金返済のため辞めることができず、というか会社ってこういうものだと思って泣きながら働いていたが、数年後他部門からの異動者に「ねえ、紺ちゃん、あなたがされてることってパワハラだよ」と言われて異常さに気づいた。

海外出張によく行った。会社はコンプラコンプラと口酸っぱく言っていたが、海外工場は治外法権だった。女性だからスムーズに行った打ちあわせが何度もあった。飲み会では女性を侮蔑する発言を何度も聞いた。社内にいろいろなキャリアがある中で、私は工場と関わる仕事が好きだったけれど、旧時代的な価値観に嫌気がさし、転職した。

名古屋の会社から、岐阜の会社に転職した。取引先の男性たちが、海外工場で会った男性たちと似ていた。媚びるように私のプレゼンを聴こうとするのに、酒が入ると「女に何ができる」みたいな話をされた。相手は客なので、何も言えない。物事の核心をついて言語化することが私の仕事だからと、一時期はその豹変っぷりを楽しく分析していたが、パターンが同じでじきに飽きた。

というのが、私が受けたハラスメントの一部である。別に宝物でもないので、コレクションではないんだけど。セクハラ、アカハラ、パワハラ、カスハラ、ジェンダーハラスメント。そのときに気がつかなくて、あとから思い出して「ああそういえばあれはハラスメント」と気づくことも多い。私はハラスメントを受けやすいのにすぐに気づけない、ということを医師に教えてもらった。今は経験と知識があるので、昔よりは受けにくい・すぐ気づけると思う。

ハラスメントがなかったら、あっても気づいてすぐにNOと言えていたら、私の大学生活や会社員生活は違っていたのかなあと思う。今、大学院を目指しているのは、大学生活をやり直したいのもある。次こそアカハラとセクハラに気をつけて研究を楽しむつもりだ。