もうすこし、眠っててもいいですよ

私は自分が光る星だと思っていました
疑ったことはありませんでした
自分が虫だなんて知りませんでした
でも大丈夫です、私はまばゆいから

私は自分が空から落ちた星だと思っていました
願いを叶えてあげる小さな星
私は自分が蛍だなんて知りませんでした
でも大丈夫です、私は輝くから

私は自分が光る星だと思っていました
疑ったことはありませんでした
自分が虫だなんて知りませんでした
でも大丈夫です、私はまばゆいから

韓国の音楽や本の言葉が綺麗だなあと思って数年経つ。音楽は英訳がつけば、本は翻訳が出れば理解できるから、恩恵にあずかって自分では学ばないままだ。英語の本を日本語訳で読んだとき、文章から受ける印象が違うように、きっと韓国語もじかに読めると抱くものが違うんだろう。

研究対象にしたいアメリカ人作家の先行研究を探していて、鉱脈を見つけた。英語圏に学術書や論文があまりない中、アメリカと日本で注目されたより少し前にフランスで小さな流行りがあった。英語圏のものにせよ、フランスのものにせよ、私が扱いたい近年の作品のものについてではないのだが、大切な先行研究として読むべきだ。

学部時代、第2外国語はフランス語にした。語学の単位を落としたら即留年、同じ学年で2回留年したら退学という決まりだったので、必死で勉強した。「英米文学を専攻するならフラ語でしょう」という空気に流されたゆえの選択だったから、フランス語組と違って学生が少なくて、のんびりしていて、授業後にコリアンレストランへお昼を食べに行くような韓国語組が当時からうらやましかった。上述のように、この数年で韓国文化に興味を持ち始めたこともあって、フランス語の選択をうじうじと後悔して、「あの時韓国語にしておけばよかったなあ。今頃1曲歌えたのに」とよく思っていた。

私が受ける院試は社会人入試で、外国語試験がない。一般入試とて、志望校の英米文学専攻は英語しか選べない。専門試験は英語。「やっぱりフラ語いらなかったじゃん」と思いきや、今になってフランス語の本と論文が見つかった。わからない単語は多いけど、文法は覚えているようで、なんとなく読める。辞書があれば大丈夫そうだ。年を重ねると何が起きるかわからない。

写真を撮ってAIに読ませれば、一瞬で訳が出てきそうな気もするけれど、私は、私の中に眠っているフランス語を起こしてみたい。韓国語も美しいだろうが、フランス語も美しいんだ。演習でランボーの詩集を通読し終えた日、冬の午後、白いカーテンの隙間から射す光、静まりかえる教室、ほほえむ先生。

先月注文しておいた本が、フランスから郵便で届いた。封筒に貼られた長方形の切手が綺麗だ。しばらくは当たり前に英語ざんまい。試験に受かったら、フランス語をやりなおして論文を読む。やることいっぱい。いそがしい。でもきっと大丈夫です、私はまばゆいから。