進むべき道と思いやり

「shallはね、進むべき道を指すんだよ」

5月の31日、食費の残りが700円だった。夫と午後6時半のスーパーに行った。

丸い黄色の地に赤い数字が書かれた値引きシール。商品のあちこちに貼ってある。文法の本をようやく読み終えることができたので、ぱーっとやりたかった。クレジットカードを使う気まんまんだった。とはいえ私は大人よ。値引きのもの縛りにして節度を守るわ。

ふたりで「何を食べよう」と悩み始める。お総菜コーナーと魚コーナーを行ったり来たりして、「え」「あ」「ねー」「ん」とか言い合う。たいした言葉をつかわずに、トーンと、目線と、好みと、気分と、最近食べたものとの兼ね合いと、何より値引き率を見ながら吟味する。

ぶりのお刺身、鯛のお刺身、たこ焼き(小パック)、いか焼きをカゴに入れた。お酒売り場で、夫は飲んだことないらしい発泡酒500mlを選んだ。私は久しぶりに日本酒が飲みたかった。東海圏は辛口のお酒が多くて、かつこのスーパーは地元の酒造と仲良しなので、私の好きなうまくちを置いてない。夫が料理酒コーナーから、「米だけのやさしい思いやり」という名前の、牛乳パックに入っているみたいなお酒180mlを連れてきた。ストローがついている。厳選した米と天然水だけで作ったゆえの「からだ」への思いやりと、徹底した低コストオペレーションによる「家計」への思いやりが売りだ。108円。手のひらの上のパック酒は、小さくてふにふにした感触だった。肌寒い夜、クーラーの効いた店内で、製造者からの温かみが私の心を撃ちぬいた。だけど一目ぼれで、あるいはうまい言葉でもてあそばれるのは嫌だったから、冷静にウメッシュも1缶、プランBとして買った。

出来合いのものでも、お皿に盛るのがマイルール。たこ焼きといか焼きをレンジで温めているあいだに、冷蔵庫からキムチを出す。きゅうりのダシダ和え、チャーハンを作る。チャーハンは永谷園の五目チャーハンのもとを使う。人生で私が初めて作った料理だ。あらかじめごはんをフライパンのそばに用意しておき、温めたフライパンに油と溶き卵を入れたタイミングですぐにがっと入れる。これがお米がぱらぱらになるポイントだ。永谷園のパッケージ裏には、溶き卵を少し炒めたあとにごはんを入れてくださいと書いてある。私はこの五目チャーハンを作るたびに、「私は自分で改良を重ねてスーパーぱらぱらチャーハンに辿り着いたんだぜ」と、ひとりでドヤ顔している。初めて作ったときからずっとそう。

値引きのおかずと安いお酒を中心にした食卓。最初は「ぼくはこれだけ食べる」「私はこれだけ」と、自分が選んだものだけ食べる空気だったのに、「これおいしいよ」「ほれ」「お」「紺ちゃんのこれ、当たり」「ぼくのぶんがなくなるー」「ネギのせたの天才」とわちゃわちゃして一緒にたいらげた。思いやりの日本酒はおいしかった。

私たちはよく、仕事や仕事でおもしろかったことを夕食の席で話す。私はその日勉強したての英文法知識を、本を読みながら披露することにした。

「助動詞のshallのイメージは、『はっきりとした進むべき道』。それ以外に道はないの。一本道に束縛されるの。だから法律の文章で使われるんだけど、日常用途では死にかけてるの。でもね、Shall I ~ ? / Shall we ~ ?(~しましょう)は生き残るんだよ。なんででしょう」

「んーーーー。わからん」

「このふたつにはね、『温かさ』があるんだって。『進むべき道』のイメージが、『自分の進むべき道』のイメージに広がって、かつその『自分の進むべき道』を相手に問いかけてるってところが、『相手の判断に間違いなく従う用意と思いやりを示すことになる』からだって」

リビングのテーブルは正方形だ。正面ではなく斜めに座る。私はすぐそばにあった夫の左手を取って少し引っ張る。「これがLet’s」

次は夫の右手を私の両手で包み込んで目を見つめる。「きみのことを尊重して、私の進むべき道をきみに問いかける。これがShall we ~ ?。ね、あったかいでしょ」

夫は文法の話に「温かさ」という言葉が出てきたときからずっとけらけら笑っていた。「まじかー」

居酒屋かお祭りみたいなメニューをたらふく食べて、お腹が満たされた。思いやりのお酒に、文法書のshallのページに記された「温かさ」に、胸がいっぱいになった。一緒に笑って、いつもより長めの夜を過ごした。

彼と付き合って、同棲して、漠然と「あったかい家庭を作りたい」と思うようになった。それがどんなものかも、作り方も知らなかったけれど、共に過ごす時間で言葉にならないものが確実に蓄積していって、結果的に温かさになっている気がする。出会ったときの彼は、私を含む他人とごはんが食べられなかった。この日はぶりのお刺身にネギをのせたやつが大当たりで、取り合って食べた。その彼の前のめり感、目の輝き、食欲を満たしたらすぐに眠くなるところ。すべてがいとおしい。いっしょに長生きしましょう。