10月3週目の日記

10月9日(月)
外出からの帰り道。自転車に乗ってゆっくりと近づいてきた、にっこにこのおじいさんに道を訊かれる。警察に行きたいらしい。その場所からは交番と警察署に行くことができ、交番のほうが近かった。どちらがいいか尋ねたところ、警察署がいいとのこと。Googleマップを出して、「今ここで、行き先はここです」と説明する。「ああ、わかった、どうもありがとう」と言われたので見送ろうとしたら、私の目の前で反対方向に行き、神社の囲いの岩に突進した。「こりゃだめだ」と、大通りまで案内することに。90代らしいが、もっと若く見える。わかりやすい道に出てから、「お気をつけて」と見送りなおした。笑ったときに細くなる目とか、笑いじわとか、会話の穏やかなテンポとか、なんかよかったなあと思いながら、帰宅して夫に話した。彼は「交番じゃなくて警察署だなんて。もしかして出頭じゃない?」と言った。ヘルメットをかぶって順法精神にあふれていたようだけど、もしかして、もしかして。そう思うとちょっとおもしろかった。出頭かもしれない人の道案内をした私。

10月10日(火)
秋、2日間くらいだったと思う。もう冬だ。体温の高い夫は窓を開けるが、私は寒くて閉める。今日は体調が悪すぎた。洗濯物を片付けて、仕事は夜に回して、日中は寝ていた。横になるだけで覚醒してるつもりだったのに記憶がないので、深く眠ったらしい。夜はうまく眠れないくせに、昼に眠れるってなんなんだ。くやしい。

10月11日(水)
リスニングの勉強で見ているドラマ。英語字幕と英語音声で見ていて、わからないときに、「んー、ざっくりとこんな感じかな」と予想して日本語字幕を確認するのだけど、それが結構な確率でざっくりしていることが多い。「うん、制限時間的にこうなるのはわかる、けどさ、英語はわりと長めにいろいろ話してたじゃん、それをひと言で訳すって何?」みたいな気持ちになる。表現のおもしろさやユーモアは省かれがち。日本語字幕はもう別物だと思った。

10月12日(木)
夕方、スーパーに行った。コミュニティスペース的な建物の横を通る。下りているシャッターに文字を描いている女性がいる。ちょうど、英語のセリフ(台詞じゃなくて、セリフ/サンセリフのほう)の部分を塗っていた。買いものを済ませて、来た道を戻る。さっきのシャッターの前での会話が聞こえた。年配の女性が「綺麗に描いてくれてるわ。ありがとう。今日はもうそろそろね。また明日」と穏やかに言った。描き手の女性も何か言っていたけれど、風が吹いて聞き取れなかった。年配の女性は姿を消す。描き手の女性は筆や絵の具を片付け始める。私は車が来ないのを確認して、道路を横切る。会社にいたころ、あんなふうに仕事を終えたことなんてなかったな。

10月13日(金)
体調が戻るまであと少し、というところだ。まだ激しい運動が許可されていない。散歩とかこつけて、花を買いに出た。白や赤、ガーベラやカーネーションなど、わかりやすい色・花が欲しいときは、近所のお店が安くていい。けど、絶妙な色、様々な種類の花の中から選びたいときは、高級なお店に遠出しなければならない。1輪でスタバのフラペチーノの新作がひとつ飲めるくらいの金額。我が家の花瓶は細くて、1輪しか買わないので許容範囲。いつもは「部屋が明るくなるように」「夫が癒やされるように」という目的で買う。今日は自分のために買った。くすんだピンクの小さなバラ。濃い緑の葉っぱがつやつやしている。

10月14日(土)
落ち葉がくるくる回っているのか、自分の頭が変なのか、どっちもなのか、わからない。朝からひどいめまいがする。薬を飲むと眠くなるので、飲むのはぎりぎりまでおさえたい。疲れもあるんだろう、気持ちが珍しく虚無的で、すべてがどうでもよく、何が食べたいかもわからない。こういうときに英単語帳はいい。いつものようにそこにある。単語は、3日続けて正答できたら線で消す。今日もいくつか消した。「やった!」と心がぷくっと動いた。まだだいじょうぶだと思った。午後、ひととおり勉強を済ませ、「もうじゅうぶんでしょ」と薬を飲んで寝た。

10月15日(日)
おやつにクレープアイスを食べる。開封して夫の部屋に行き、「ちょっとどうぞ」とアイスを差し出す。私が「ま、こんなことしても、いつもみたいにきっと食べないんでしょ」と思って手を戻したタイミングと、彼が口を小さく開けてかぶりつこうとする瞬間が重なった。彼はとても恥ずかしそうで、それを隠そうと口元がぴくぴくしている。私は私で、いじわるな人みたいで心外である。でも、かわいい表情を見られてラッキー。呼吸を合わせて再度アイスを差し出し、彼は食べた。安くて新鮮な天然のぶりを買ったので、夕飯はぶり大根。ぶり大根の制作時間のほとんどが、大根の下ゆでだ。鍋を火にかけたまま自室に戻るわけにはいかないので、台所の横のリビングで、大江健三郎の講義録を読んでいた。この人もなかなかチャーミングだ。本屋で、自分の本が少し積まれている横で、村上春樹の本が山になっていた話をしていた。