文学の家庭教師のM先生が強い。
彼はミュージシャンで、2週間に1枚くらいのペースで新譜を出している。
曲を書き、スタジオで練習し、ライブする。
大学と語学学校で授業をもち、私に英語のプライベートレッスンをし、小説やエッセイを書き、動画も撮る。
ハイパークリエイティブ、プロダクティブだ。
曲はアンビエントミュージックといわれるジャンルのもの。
せっかくレッスンをしてくれるのだからとSpotifyやYoutubeをチェックしたけれど、正直よくわからなかった。
それを伝えたとき、M先生は「だいじょうぶ、ぼくの音楽わかる人、そうそういないから!」と豪快に笑っていた。
マスに売れることを目指していない。
Skypeでのプライベートレッスンは即興ライブみたいな空気だ。
大学の授業は時間の関係上、型が決まっていて、学生が作品を読み、要約して、発表して、議論して、先生が少し講義して、と、わりと浅めに終わるらしい。
私との時間は型がなく、広く、細かく、深い。
あまりに細かい質問ばかりの日も、自力で読めた分、議論にたくさん時間をつかえる日も、臨機応変に対応してくれる。
脱線や時間オーバーもOK。
文学が好きで、自分でも作っている人のエネルギーに触れて、私も影響を受けている。
楽しそうで、自由で、のびのびしていて、ゆえに抑圧やしがらみには敏感で、嫌なものははっきりと拒絶して、自分の世界を大切にしているのが、月2回のレッスンだけでもわかる。
M先生は50歳で、「最近になっていいバランスをつかめるようになった」と話す。
「若いとき、ぼくは今のあなたみたいだった。焦っていたし、躍起になって日本語を勉強していた」「あなたはまだ若いから、もう少し時間がかかると思うけど、だいじょうぶ、じきにうまく力を抜いていろいろ楽しめるようになる」と言う。
私が大学生のとき、M先生みたいな先生には出会えなかった。
私が大学生のとき、M先生は今のM先生ではなかった。
今だからこその出会いなんだなと、噛みしめながら、先生の背中を追いかけている。