25m潜水、クイックターンでもう25m

澄んだ水面が小刻みに揺れる。清潔に管理された匂い。足を浸して、プールのふちに座る。そういえば、「あなたはどう思いますか」と問われることが増えた。あなたはどんな人? あなたの考えはどんなもの? その背景には何があるの?

大学で今学期取っているのは英詩の授業で、毎回アクティビティーシートといくつかの詩が配られる。詩をあらかじめ読み、アクティビティーシートにある7つほどの問いに自分の考えを書いておくのが宿題。英語でおこなわれる授業だから、英語でまとめておく。「あなたはこの詩の○○について、ポジティブ、ネガティブ、どちらの印象をもちましたか。それはなぜですか」「XXという単語は何を意味していると思いますか。その根拠は何ですか」

オンラインのクリエイティブライティングの授業。説明しすぎの文章はよくないのだけど、私の文章は説明しなさすぎ、明示しなさすぎの傾向があり、先生を混乱させてしまいがちだ。「紺、あなたはこれで何を言いたかったの?」と問われて、あーまたやってしまったと猛省しつつ、書きたかったことをぽつぽつと話す。彼女はそれを受けて、「それはどういう意図なの?」「今言ってた△△という言葉について詳しく教えて」と問いかけてくれる。それでようやく、ああそうかと気づくことがある。自分の中に潜る、それを彼女が待つ、静かな時間。

編み物教室には隔週の日曜日に行っている。他の曜日と違って生徒が来ず、いつも先生とマンツーマンだ。彼女はおしゃべりが好きなので、よく話しかけてくる。編むのが難しいパートにいるとき、私が「先生、ちょっと黙っててください。カウントが飛びます」とお願いすると、「えー、つまんない」とふざけた台詞が返ってくる。そして遅めの昼食やおやつを食べたり、編み物の本を読み始めたりする。他の曜日は数人の生徒がいて、なんだかんだ指導という名のおしゃべりが止まらないから、ほんとうにつまらなさそうだ。でも、私は編み物を習いに来ているのでこれでよい。単純な編み方のパートに入れば、気を緩められる。先生が待ってましたとばかりに話し始める。私は相づちしながら、編みながら、聴く。たまに、流れで私も話す。すると、「え、あなたそのときどう思ったの?」などと問われる。手元を見ながら、考えて、答える。

1回目の大学生時代、授業で当てられることはもちろんあった。だけど正解を言わなきゃという気持ちが強くて、順番が終わると心底安心していた。会社でもそう。何かを問われるということは、往々にして指摘であり、プレッシャーを感じて緊張していた。たぶん私も変わったし、環境も変わった。心理的な安全を感じられる場所で、コンフォートゾーンから半身を出すように暮らしている。問われて初めて気づく切り口。あなたは何を考えてる? 話していいよ。あなたの世界を広げていい。

息を止めて、温水プールを潜水するのが好きだ。泳ぎ切って、ゆっくりと浮いて、ぷはっと息を吐く。ゴーグルで視界が灰色のまま、また潜りに行く。クラゲもいない、サメもいないプールで、深く潜る。