大きなあくびをした後に、少しも照れないあなたの横で

先月末に閉店した名鉄百貨店そばの階段を降りて、名鉄の改札に向かう。次は9分後か。ICカードの入った財布をタッチしようとして、やめて、来た道を少し戻る。

さっき後ろ姿が視界に入って、あ、と思って通り過ぎた、女性2人組に声をかける。ひとりは赤と紫をベースにした袴、白い花の髪飾り。ご卒業ですかと聞くと「はい!」と答えた。おめでとうございますと伝えた。その日の彼女はとびきり主人公だ。1日中笑顔でいたようで、新たに笑顔になることなく「ありがとうございます!」と言った。目元のピンクのアイシャドウのラメが光っていた。白いスーツを着た、隣の保護者らしき女性にも「このたびはおめでとうございます」と伝えた。彼女は「ありがとうございます」と言って会釈をしながら笑った。2人の笑顔があまりにそっくりだったから、それをぽろっと言ってしまったら、照れているのか、もっと見てくださいなのか、いやどう考えても前者なのだけども、2人で身を寄せ合って、おたがいの顔を近づけた。それはこの瞬間を撮ってくださいとカメラを渡されたような構図と心の距離だった。

私が最初に2人の横を通り過ぎたのは、なんとも言えない、たぶん苦手意識みたいなものがよぎったからだ。保育園から大学にいたるまでの卒業式の一切を私は覚えていない。両親からの祝いや、笑顔や、涙や、よそいきの服や、花やごちそうの記憶がない。卒業は時間の節目で、何かが終わる日ではあるけれども、同時に何かが始まる日で、それはたいしたことではなく、いつもの時間が流れて翌日になった。だから、この時期におしゃれをして明るい空気を放つ人々はまぶしい。

ただ、道を戻ったきっかけはそれを思い出したからでも、傷を再確認しに行きたかったからでもない。彼女がきれいだったから、そこに差す光がきれいだったから、きれいだと伝えないと後悔すると思った。2人を見て感じたのは羨望の「いいなあ」ではなくて、今日も生きられてよかったということだった。人を目撃して、目撃された。嫌な記憶が起動しなかった。

その週末、夫とほっともっとに行った。海鮮天丼を食べるため。昼過ぎ、風が冷たい日、車がたいして通らない住宅街を歩く。生成AIを議論の相手にする考え方、方法を話し合う。どんな言葉を記憶させて、文脈を作るか。ふだん冗談ばかり言う彼は、技術の抽象的な話が得意だ。頭の回転がばか速い。そして容赦なく私の論の弱さを突き、しばしばケンカを売ってくる。身体的応戦ができるのが、AIと違ういいところ。コットンのトートバッグを彼の背中に叩きつけ、もういいとか言って走って先に行く。が、彼の歩幅のほうが大きくてすぐに追いつかれる。彼の影を踏む遊びをする。彼は私との16年の、言葉も、言葉以外の記憶も持っている。もうすぐ、私が実家で生きた年数を超える。

レミオロメンが再結成した。「3月9日」の2026年バージョンが公式チャンネルに上げられていた。この曲が発売されたとき、私はたしか高校1年生だった。CDを買うお金がなくて、MDにするにもレンタル屋では長いこと貸出中のままで、仕方ないからミュージックステーションを録画したやつを何度も観たり、ローカルラジオにリクエストしたりしていた。そのころはまだ、卒業式の定番ソングではなかった。ボーカルの人が、友人の結婚式用に書いたと雑誌のインタビューで話していた。結婚なんてとても冷ややかで、意味のないものに見えていたから、自分の将来にあってほしいとかあるべきとかそういうことを考えたことはなかった。

溢れ出す光の粒が 
少しずつ朝を暖めます 
大きなあくびをした後に 
少し照れてるあなたの横で 
新たな世界の入り口に立ち 
気づいたことは1人じゃないってこと

瞳を閉じればあなたが 
まぶたの裏にいることで
どれほど強くなれたでしょう 
あなたにとって私もそうでありたい

夫は目が悪いので、溢れ出す光の粒が見えない。
大きなあくびをした後に少しも照れない。
瞳を閉じれば一瞬で眠ってしまう。
私が「どれほど強くなれたでしょう、あなたにとって私もそうでありたい」と思ったところで、彼はこの歌が琴線に触れる人じゃないし、というかもともと強い人である。

私たちが立っているのは、ほっともっとの入り口の前。気づいたことは、1人じゃここに来なかったこと。
さあ春だ、天丼の季節だ、酢豚もいいな、チキン買おうぜなんて、1人じゃ言わなかったこと。