本と深呼吸

エイミー・レヴィのMedeaという詩の意味がわからなかった。Medeaを辞書で引くと、「Jasonを助けて金の羊毛を獲得させたColchis島の王女で女魔法使い」とある。Jasonは「アルゴ船の一行を率いて遠征し、金の羊毛を獲得した勇士。王女メディアを妻とするが、後にクレウサを妻に迎え、メディアを捨てた」。情報が足りない。時が来た。本棚から『神々を知ればもっと面白い!ギリシャ神話の教科書』を探し出して広げた。

大学時代、聖書とギリシャ神話を避けていた。英文学で院進したいならもう避けられないと腹をくくり、イラストが多めで、かつ情報密度の高い入門書を買った。当時は、有名な作品(キャノン)を全部読まなきゃ、覚えなきゃと思っていた。文学の学び方を知らなかった。文学史よりもはるかにややこしいギリシャ神話は後回しになった。

学部で網羅的な知識を入れたことも、そのあとできるだけ原典でキャノンを読まなきゃと意気込んでいたことも、それ自体はよかった。体力はついた。ただ、わかりやすく圧倒されて疲れて息切れした。きりがない。『ユリシーズ』を英語で読破できる自分をいつまで経っても想像できない。聖書、ギリシャ神話なんて無理。

学部研修生になった。指導教官は、イギリス文学の圧倒的な伝統や権威性を骨の髄までわかったうえで、キャノンからこぼれ落ちた作家を研究している。指導教官の指導教官は、「君はいつも私の知らない詩人を探し出してくるね」と言っていたらしい。ヴィクトリア朝後期で有名なのはオスカー・ワイルドだ。レヴィはキャノンに出てこない、けれどワイルドが讃えた詩人。ロンドン生まれのユダヤ人。ケンブリッジ大学に入学した2番目の女性。独身。教育を受けた女性が教師になることを望まれる社会の中、詩で身を立てようとした。27歳で自死。彼女が自分の人種、病、セクシャリティ、政治的思想をどう考えていたのかは、確定的な情報がない。彼女は再評価されてきていて、ついこの前、ケンブリッジ大学が手紙などのアーカイブを設立した。

レヴィの詩を読む。短編を読む。長編を読む。エッセイを読む。ユダヤ教を学ぶ。ユダヤ教を知るためにキリスト教を学ぶ。ヴィクトリア朝のロンドンを学ぶ。ヴィクトリア朝ロンドンを知るために、前後の時代を学ぶ。都市を知るために、田舎のことを学ぶ。田舎は自然や植物がいっぱいで国民に愛されていると知る。自然や植物が、都市を扱った作品でどのように表象されていたか学ぶ。ワーズワースという偉大なキャノンの要素が、白人・男性・キリスト教だと知り、それをキャノン全体の文脈で眺めてみると、「読むべきキャノン」ってなんだろうという考えに至る。知識を覚えようとしなくても、覚えてしまっていることに気づく。キーワードごとの学びが混ざり、私の立脚点ができていることに気づく。自分で立脚点を作ったのだと気づく。

私とギリシャ神話の関係は、この流れの中にあった。私は気負わず、メディアのページだけを読んだ。そのあとレヴィのMedeaを読んだら読みがずいぶんと変わり、おもしろかった。ギリシャ神話を最初から最後まで読み通し、すべてを覚えていなくてもいい。気になったときに、また戻ればいい。そこからもっと読みたくなったときに読めばいい。深い呼吸で文学と生きることを、先生から教わっている気がする。

気持ちをゆるめたほうが息をしやすいと気がついた時期に、「ひらやすみ」を知れたのがよかった。夕食を作りながら、Prime Videoで1話ずつ観た。うまく言えないけれど、今の私みたいな私がありうること、あっていいと知らずに、ずっと走ってきた。キャノン読まなきゃ、積読減らさなきゃ、という思考回路だった。砂の山を作った。水路を作って川を作った。水を流し込んだら水路が思いもよらない場所で崩れて、別の川ができた。水が砂を割って進んでいく。私はそれをゆっくりと追いかけている。

未来の自分のために本を買う。大人買いした『ひらやすみ』は、論文を提出したら絶対読むんだ。