
今週は書くことがない。
金曜日、膀胱炎の兆候があったけれど、現実にならないように、ならないようにと、祈っていた。
土曜日、夫と、「セールスマンの死」愛知公演を観に行った。タイトルそのままに、セールスマンが死ぬ話だ。舞台の前にはいつも、原作のあらすじなどを説明しておくけれど、今回は不要だった。
かつて敏腕セールスマンだった男。年老いて、会社からは煙たがられている。地方営業で疲れ果てた彼を支える妻。自立してない息子ふたり。マイカー、マイホーム。彼の死に向かって進む物語は、明るいかつての回想を経て、どんどん壊れて荒れていく。
観劇というのは、お金のかかる趣味だ。1人1万円以上かかる。愛知は往々にして飛ばされる。どうしても観たい作品が、東京だけ、あるいはかろうじて大阪にも、というのはよくある。しかし、毎年何本も観るのはかなわないので、愛知飛ばしは歓迎だ。厳選された作品がたまに来てくれるくらいがちょうどいい。
「セールスマンの死」はクラシックな戯曲だ。今年はちょうど同じ作者、アーサー・ミラーの「みんな我が子」を観ることになっていたので、ミラーの年にしようと飛びついた。生きているうちに、別の演出やキャストで、再度味わうことができるように。そういう作品がいくつか、夫との記憶にあるのはいいでしょう。タイトルだけで、チケットの先行予約に飛びついた。前から6列目という、なかなかいい席を取れて喜んでいたけれど、劇場に行ってみたら満席じゃなくて、まあそうだよねと思った。昼公演の1階席が埋まってない。フロントの両端の席も空いている。システム側の、チケットの販売設定、埋め方が気になる。5列目のいちばん端と、6列目の真ん中寄りなら、後者に座らせてくれるであろうシステム。
今回のキャストは渋い。ポスターも渋い。なので観客も渋いのかと思いきや、大半は、おめかしした明るい女性たちだった。ぬいぐるみをもってポスターと記念写真を撮っている。お手洗いで様子をうかがっていると、どうも息子役のキャストが、「俳優業に専念するために某大手事務所のアイドルグループを卒業した人」で、かつ「結婚発表直後」だったらしく、推しに会いたい、応援したい、変わらず応援し続けていることを伝えたい、席を埋めたい、というような話が、列に並んでいるとき、手を洗っているとき、メイクをなおしているときに聞こえてきた。「どうしよ、私、これからも好きでいれるかな」と、お祝いしたい気持ちと受け入れがたい気持ちを出し入れしながら小さなパニックを起こしている人もいた。主人公の老人が死ぬか否か(いや、死ぬんだが)、そんなことは関係なく、推しへの気持ちを絶やすべきなのか否かを、ここで、こんなぎりぎりに葛藤するのかと思った。好きな人を応援するプロフェッショナル。
この作品は、基本的に不穏で、けんかしている。冷静に考えて、1万円払って、3時間、親子げんかをみんなで観ているのは不思議だ。早起きゆえに朝食を抜き、電車に酔ったゆえに早めの昼食も抜いた夫は、横でお腹を密かにぐーぐー鳴らしている。役者が、ホールに声を響かせる。小さな言いよどみがあり、役者同士が内心(おっとっと)と言うかのように目配せし合い、台詞を微調整して軌道に戻す。数メートルしか離れていない場所で、芝居を仕事にしている人の仕事っぷりを生で見る。オフィスで、同僚の仕事を3時間見つめ続けることなんて許されないので、やはり不思議な感じだ。
セールスマンが抱えるトランクの中身は明かされない。自分を売って、買ってもらわなければならない。気に入ってもらえるよう、注目してもらえるよう、立派だと思ってもらえるよう、尊敬してもらえるよう、夢を掲げ、大口をたたき、見栄を張り、嘘をつく。ほころびをごまかし、隠し、知らないふりをする。
私は、ダブリングという、ひとりの役者が数役かけ持つ演出が好きだ。たとえば「ハムレット」で、国王の亡霊だった人が、しばらくして、町に訪れた旅劇団の役者になり、そのあと墓掘りになる。綺麗な衣装から始まって、少しずつ汚れていく。舞台裏でのメイクなおしとは逆の、汚していく方向。「セールスマンの死」では、セールスマンの雇い主である社長役の人が、のちのシーンで、レストランのウェイターとして現れた。こういう、階級間の颯爽とした移動が、本当に好きだ。今回はカーテンコールまで気づかなかった。スタンディングオベーションの中、私はミラーとダブリングの役者メインで拍手をしていた。
東海市芸術劇場は、名古屋駅から特急で1本の、太田川駅に隣接している。3階建てで、乗車位置がちょっとわかりにくい。ひつまぶしと味噌かつを食べようと話していた人たちが、2階のホームで立ち止まった。3階から階段を下りてきた駅員さんに、「名古屋駅への特急はどこかしら」と聞いた。駅員さんは、時計を見ず、迷いなく、さっと、「3階です。あと30秒で出ます」と言った。まじか、あと30秒、と、彼らといっしょに急ぐ。階段を駆け上がりつつ、秒数を測っていた。30秒くらいだった。それを即答できた駅員さんがかっこいい。
電車の中で、ねえ、きみはどうなの、と聞く。夫が「ん?」と言う。嘘をつくような仕事をしているんじゃあないだろうねえ。実はやましいことがあって隠し続けているんじゃあないだろうねえ。きみは中身のある仕事をしているのかね。夫が、笑わないように、でも閉じた唇の端をぴくぴくさせながら、「どうかなあ」と斜め上を見上げる。私が「嘘はよくないよ」と言ったら、私を見つめ、「そうだ、嘘はよくない」とキリッと言った。彼が舞台についていけて、かつ堂々と感想を言えるのは珍しいことなので、「うん、嘘はよくない」と返した。私は夫のモナカアイスを食べたとき、「食べてない」と言う。
膀胱炎は、徒競走のピストルのように、ある瞬間を迎えたら最後、できるだけ速く病院に行かなければならない。病院の処方薬でしか治らない。処方薬さえあれば、体内の菌が死滅するのを待つだけで、気が楽になる。一度なってしまうと繰り返す病気だ。免疫が下がるとかかりやすい。金曜日の夜に初期症状を覚えるというのは、たいへんよくない。考えたくないワーストケース。ひと晩越えて、土曜の午前中を逃せば、しばらく病院が開いてない。でもいざというその瞬間直前まで、自分では本当に膀胱炎なのか判断できない。市販の漢方は、治癒はできなくても、その瞬間が訪れるのを先延ばしにしてくれる感じがする。土曜日、クリア。日曜日、日中クリア。夜、あやしい。23時に寝て、月曜日の4時に異変で起きた。来た。急がなきゃ。だいじょうぶだ、落ち着け、まだいける、病院に9時、出発は7時30分、あと3時間ちょい。いける、大丈夫。
寝るに寝れないので、水をがぶがぶ飲み、YouTubeプレミアムの学割に申し込むことにした。学生証の写真を撮り、認証システムに送る。はじかれる。送る。はじかれる。在学証明書の写真を撮って送る。はじかれる。上限に達したので送れなくなった。仕方ないのでコンタクトフォームから問い合わせる。I attached my student ID as instructed. It is valid until September 15, 2026, so it is still active today, July 26, 2026. Could you please review it again? 自動返信で、「数日待って」と言われる。が、3分で担当者のSさんから連絡が来た。私の名前のアルファベット表記が間違っていたので、手打ちしてくれたんだなあと思う。「これからドキュメンテーションをチェックする作業に入ります」と書いてある。お待たせして申し訳ありませんではなくて、 “Thank you for your patience.” (あなたの忍耐強さに感謝します)という言い回しが英語の定型句。そうなの、私は今、とても忍耐強いの。10分後、Kさんから承認のメールが届く。 “Please don’t hesitate to reply to this message if you have any further questions regarding your student verification. We are here to help.” 「私は助けるためにここにいる」と言える仕事ってかっこいいな。ありがとう。広告なしでスムーズになったYouTubeを観る。ウェザーニュースのキャスターと視聴者。「ちなみに沖縄は何番ですか」と問いかけ、視聴者の言葉をアドリブでキャッチする、崩れるようで崩れない言葉。平和。
夫が起きてきて、私は出発しようとする。こういうとき、ただただ私を心配してくれるのがデフォルトの人は、「大丈夫?」とか「心配」とかわざわざ言わない。彼は「紅茶を買って来て」と言いながら、紅茶代以上のお金をもたせてくれる。いざという瞬間の接近に怯える私の意識を、病院後のランチに向けさせる。
バスに乗り、アプリで病院の予約をする。9時台が空いてなくて、9時30分台にした。8時45分に到着したら、受付が始まっていて、「おつらいでしょうから」と開診時間を早めてくれた。なじみの先生は、年上なのに、マインドセットがギャルなのがすごくいい。薬を飲めば楽になる。だけど診察が早く終わっても最寄りの薬局が開いてない。それを知っていて、雑談してくれる。「見て。この前買ったの、これ」と見せられた、シャネルのココクラッシュ、ゴールド、たぶんミディアム。爪はネイルなし、短く切りそろえられている。
終わったのでエビを買って帰ります、と夫にLINEした。エビのトマトクリームパスタを作って食べるぞ!と意気込む。「えあこんのたいまー、14時くらいにしてあるので早く帰るならタイマー解除してね」と返信が届く。帰ったら、ほんとうにエアコンのタイマーが設定してあって、私は彼の妻にふさわしいんだろうかと思いながら写真を撮った。そして、これを書き始めた。
