おたより帳

栄の本屋を出たら、階段で女性がうずくまっていた。思わず声をかけると、「ちょっと歩きすぎちゃったみたいで。くらくらして。大丈夫です」と言われた。こういうときに限って、コンビニやドラッグストアが近くにない。茶葉もビールも違う。何かあるだろうと入った韓国雑貨店の奥で、飲んだことのないペットボトルのサイダーを買い、さっきの女性のところに戻って渡す。こんなに人が行き交う場所なのに、誰も彼女に気をとめないのが不思議だった。だけど、たとえばその人たちも、「あと少し」と思いながら涼しいところに向かっているのかもしれない。何事もなさそうに体が動いているから、他者から気をとめられないだけなのかもしれない。

ということが、先月は2回あった。2回目は自販機まで走ってポカリを買った。私は夏が嫌いなので、外出の予定は極力抑える。抑えているのに、そのわずかな数の外出日に、体調不良の人に会ってしまい、これは外出すると事件を見つけてしまうコナンくんなのではと思った。が、『ひらやすみ』のドラマで、心身の限界が来ているヒデキに、ヒロトが「俺はいつでも暇だかんな」と肉まんをひょいっと渡すシーンを思い出し、私もヒロトのようにあろうと決めている。

イギリスの文芸誌 Granta のニュースレターで、Summer Reads 2026という記事が届いた。寄稿者や編集者が、この夏、本とどんなふうに過ごしているか。輪郭を奪う暑さの中、溶けそうなときに人が求めるのは、涼しさではなく構造なのかもしれない。

AEA VARFIS-VAN WARMELO
I’m looking for structure and accountability this summer so I have founded and will be running a two-person book club where we will read one book and one book only: Grapes of Wrath. I’m not sure why I want to read this so badly that I’m willing to let admin (the enemy of pleasure) get involved, but it’s possible that London’s rolling heatwaves have made me feel some kinship with the Dust Bowl, or perhaps they’ve laid the ground for the broad and biblical moral theatre Steinbeck excels at.

この夏は構造と責任が欲しいので、ふたりだけの読書会を立ち上げて運営することにした。読むのは1冊、『怒りの葡萄』だけ。どうしてこの本をこんなに読みたくて、事務仕事(楽しいことの敵)までやろうとしている気になっているのかはわからない。ロンドンの繰り返す熱波のせいで、ダストボウル(『怒りの葡萄』に出てくる大規模な砂嵐)に親近感を覚えているのかもしれないし、その熱波が、スタインベックが得意な壮大で聖書的な道徳劇の下地を作ってしまったのかもしれない。

https://granta.com/summer-reads-2026/

本屋で買ったのは『哲学史入門』シリーズの4冊だった。分析哲学のあたりで、そういえばラッセルとかの原典を読書会で読んでいる先輩たちがいたなあと思い出す。構造を求める友人がいるっていいな。主催は、難しい英語を読むのが趣味の人だった。ある日、突然倒れた。数年分の記憶を失くした。それでも言語能力は残り、活躍なさっている。彼がどこかで、「昨日の自分と今日の自分がなぜ同じと言えるのか」と話していたことをよく覚えている。

私は過去と現在の連続性の感覚が、おそらく他者と比べてとても薄い。記憶を失くすのではないのだけど、何か自分に蓄積していく感覚みたいなものがない。蓄積していってはいるだろうに、その自覚がないというか。細切れの瞬間瞬間を生きているようで、いろいろなことをすぐに忘れる。

私の時間は蓄積しない。時間が蓄積する結果できあがる自己認識や自信が私にはない。自分になりそうなものをかき集めても、少しの振動で吹き飛ぶ。点と点をつなぐと線になり、それが通常らしいが、私は今ここの点だけだ。医者は「点として輝け」と言う。私は便宜上「私」と言っているが、「なんだ私って」といつも思っている。

2023-12-02 飛散する私への言葉

自分の認知パターンをたくさん分析して、対策を試行錯誤した。だから「見える化」と「見えない化」が得意だ。見えると忘れない、見えると忘れられない、見えないと忘れる、見えないと忘れられる。やりたいことや予定やメモはすべてノートに書き出し、閉じずに、机に広げておく。朝起きて、それを読み、続きを書いていく。私がアプリなどを極力使わないのは、その会社がつぶれた時に困るというリスク回避もあるけれども、パソコンやスマホを閉じると、充電が切れると、電波が途切れると、見えていてほしいものが見えなくなるから。目の前に何もないと、「ただ見えないだけ」なのに、ぼーっとして、やることがわからず、ノートを開けばいいということもわからず、「自分は何もできてない」と思って落ち込み始める。

言われたことは目に見えずに透明だから、覚えておきたいことは書いておく。放置すれば忘れられる。たとえば誕生日の数字とか、テレビの野球中継とかのイメージに嫌な記憶がついている場合は、時が経っても突然再起動しやすい。そういうのはできるだけ見えなくする。時計はデジタルではなくアナログ、テレビは買わない、みたいに。

小川洋子の小説を読んだ。語り手が「わたし」と書いていた。私は「私」がいい。ひらがなは飛散してしまいそうで、私に合わない。三文字もいらない、一文字でいい。漢字の重さが欲しい。

最近、ハビットトラッカーの代わりに、「おたより帳」を始めた。過去の自分から、現在の自分に引き継ぐイメージ。1日1ページ、何を勉強したか、ポモドーロを何回まわしたか、どれくらい運動したかを書く。増えていく、書き終わったページの厚みが、自分の蓄積の見える化になる。ハビットトラッカーの、余裕のないみちみちした鎖で自分を縛っていたところから、少し風通しをよくした。年々暑くなっていく世界で、ずっと冷たいままの私に、ひょいっと差し入れするような感じ。コンビニの肉まんのように、すぐに冷めてしまうけど、ある瞬間には確実に温かいような、やわらかい動き。