
夏休みで学生が少ないことを見越して、図書館に行った日。駅に、思いのほか人がいた。駅から出ると、オープンキャンパスの案内をもらった。周りを見渡せば、記念写真を撮ったり、スタンプラリーをしていたり、スタッフに道を尋ねていたりする人たちがたくさんいた。
結婚して3年くらい経った夏、夫と美大のオープンキャンパスに行った。進学しようか迷っていたのだ。会社のキャリア面談で、人材育成の仕事の次に何をしたいか提出しなきゃいけないのに、書きたい部署がなかった。強いて言えば、研修設計の考え方が、デザイン部の人たちの考え方と親和性がありそうだったけれど、デザイン部には大学でデザインを学んだ人しか配属されないし、プロダクトやグラフィックやUIに興味があるかといえばまったくなかった。なんか、デザインの、具体的な分野をとっぱらったときの、通底する抽象的な考えみたいなものに惹かれていた。そういうのにアクセスするにはどうしたらいいか考えた結果、「美大に行ってキャリアチェンジ案」が出てきた。
1泊2日のオープンキャンパスの旅を計画した。大学から発表されているスケジュールを読み込んで、聴きたい講義を選び、時間割を作った。夫を誘ったら快諾してくれたので、ふたりぶんの宿を予約した。

大学の最寄り駅を降りて、大学まで向かう道は、緑が多くて、長くてうねうねしていた。今ほど、うだるような暑さではなかったように思う。葉っぱの影を踏んで歩く遊びをするような、若さと涼しさがあった。
進学を検討している者とはいえ、マジョリティの高校生の邪魔になってはいけないからと、遠慮しながら講義室に入り、席を見つける。後方の席が人気なのはいつでもどこでも同じなので、前の方に座った。横にいる夫が、「自分はまったく美大に興味がないが、妹が心配なのでついてきた兄」のような、「『同席を求められたらから来ましたけど、本題は何ですか、私の時間を使うからにはいい議論ができるんでしょうねえ。あん?』みたいな、ばちばちに仕事のできる入社15年目くらいの先輩」のような感じで、完全に浮いていた。
講義が始まる。聴く。終わる。周りが退席し始める。私たちは座ったまま。私が、ねえ、どうしてあの人はこの場をデザインしないの、とつぶやく。夫が、「そうだよ、話にならない」と言った。きらきらした広告案件や、華々しいキャリアの具体物はどうでもよかった。それをもとに学生が集まってきて、授業をしている、授業をしてあげている、のがわかった。そういう講義が続いた。美大だからこそ学べる、というものが見当たらなかった。私がつぶやき、夫が切った。私は文学部で、彼は工学部で、そして会社で、大切っぽい抽象的なものを獲得していた。それは美大で手に入るのかもしれないが、美大の専売特許ではない、と気づいた。
いくつかの講義を聴き終わって、お昼過ぎ。もういいやと思った。もうここにいる必要はない。明日の聴講予定もなしにしよう。「もし夫と大学で出会ってたらどんな感じだったんだろうシミュレーション」に変更した。私も彼も、文系と理系が別々のキャンパスの大学で学んだ。「講義のあとに学食で待ち合わせて、いちばん安い、具の少ないカレーをプラスチックの食器で食べながら、くだらないことを話す」みたいなことをした。彼は最初、「初めて恋人と学食でごはんを食べる」みたいな空気を出していたけれど、直前の講義への感想となると「15年目の先輩」の切れ味で饒舌になった。分野は違っても、興味がなくても、何かの設計思想のレイヤーでは見えるものがあるし、自分のものを交差させたときの意見もある。
帰り道、彼がこう言った。「紺ちゃんはねー、自信や自覚がないんだよねー。ぼくが『できてるよ』って言っても聞かないしねー。数年後に、『あ!』って自分で気づくというか、そうしないと納得しないんだよね」
私は美大に行かないことにした。言葉に関わる仕事がいいのかなと思って、他もあたってみた。広報の大学院は、広報経験者がキャリアアップのために行くところみたいだった。言語聴覚士の専門学校では、身体全体を見る重みを感じて、自分の「言葉の仕事」という見方が荒いと気づいた。翻訳も独学したけど、人の文章を訳すよりは自分の文章を書いてしまいたい。臨床心理士も考えて、夫と予備校の説明会にも行ったけど、「そういえば、自分にカウンセリングが効いた試しがないじゃん」と気づき、「予備校で出会ってたらどんな感じだったんだろうシミュレーション」をして帰ってきた。
結局、行きたいところがないのでどこでもいいです、と出したキャリア希望は、デザイン部のトップデザイナーの隣で働く、自分で希望を出したら見つからなかっただろうな、という言語化しにくいポジションとして返ってきた。彼女はインテリアデザイン専攻で入社して、プロダクト、グラフィック、UI、UX、全部ハイレベルにできる人。布や画材や道具がたくさんある、美大生のたまり場みたいなアトリエで、私が具体と抽象の話、美大のオープンキャンパスの話をした時、彼女は途中で吹き出した。苦笑いでうなずきながら、「わかる」と言った。下の世代の人たちは、大学でグラフィックを専攻したら、仕事でずっとグラフィック、というのを好み、抽象的な横断をしない傾向にあると言った。別の日、撮影帰りの車の中で、「あなたはいわゆるデザイナーじゃないけど、やってきたこと、やってることはデザインだよ。一般的な具体をやってないだけ」とフィードバックをくれた。会いたかった、具体と抽象を往復できる人。どこに行ったら会えるのかわからなかったから、いろんなところに行って、自分なりに考えてきた。行き詰まりは息詰まり。プールで潜り続けて、足掻く。まだゴールじゃないのをわかってるのに、一度浮き上がってしまわないと入ってこない新しい空気。お金を払って美大で学んでいたかもしれないAdobeのPhotoshopとIllustratorを、仕事でそれなりに使えるようになったあと、私はデザインの会社に転職した。そこでは、抽象的なことを考えられることと、倫理観をもっていることは、同義じゃないんだと学んだ。
履歴書だけ見たら、私の経歴はスッと綺麗なほうなんだと思う。でも、そこに書かない、うだうだぐだぐだがたくさんある。やりたいことがぱっと浮かぶ人と、浮かばない人がいるとしたら、私はぱっと浮かんでるくせにそこに気づかず、選択肢をできるだけ直接確認してつぶしてから、残ったものを「これしかないのね」とようやく気づくタイプ。私は私でいることがたいへんなのだけど、周りにいる人、特に夫は夫でたいへんみたいである。
夫はリアルに「入社15年目くらいの先輩」になった。私は文学部に戻った。ねえ、妻が大学生ってどんな感じなの、と聞いたら、「もう、たいへんだよ」と言った。研修継続申請書類の、「宣誓書」の保証人欄にサインしながら、「ぼくは『大学所定の諸規則を遵守するよう指導監督』しなきゃいけないからね。ちゃんと勉強させなきゃいけないんだから。ほんとうにたいへん」と言った。そういえばこの人も、私の会いたかった人。どこに行ったら会えるのかわからなかったけど、なぜか会えた人。そばにいてまなざしや言葉をくれる人。
