ずっと心のよりどころにしていた本がある。大学生のときに読んだ、英語学者の本。「高校を出てすぐ英文科に入ったところで、シェリーの詩がわかるわけがない。ぼくはわかったふりをせず、ほんとうにわかるまで英語力を磨いた」という主旨の本。ぞくぞくしなければ、わかったとは言えない、と強調する。
TOEICは、言語学の教科書を1冊読み切るたびにぽんっと上がった。点数が上がっても、英語で書かれた文学を読み、心底おもしろいと思えたことはなかった。すらすら読みたい。細かなニュアンスを含めて理解し、感情を動かされたい。大学時代も、卒業してからも、この先生を目標のひとりにして勉強してきた。
久しぶりに読んだら、印象が変わっていた。私の英語力が格段に伸びたことと、仕事で様々な人に会ったことが大きな理由だと思う。英語の話は今も響いたけれど、他はまったくだった。こんな物言いの先生だったっけ。あれ、ここは、ここも、ここも、全然響かない。インターネットで調べたら、お亡くなりになっていた。私が支持しない発言の記録がぽろぽろと出てきた。人は見せたい部分を選べるし、年を経て変わる。師を見つけるのは、見極めるのは難しいことだ。
家庭教師の先生と英語でやりとりしていて、おおこれはまさにオーマイゴッド、という文脈があった。でもそう言わなかった。代わりに「ここでOMGという言葉をつかいたいのですが、なんの神も信じていないのでためらいます」という感じのことを言った。先生は「ただ自分を信じたらいいよ」と笑っていた。