セルフケアとしての本棚

私の部屋には背丈よりも高い本棚が3つあり、本が詰まっている。毎年本を買い、売ってきた。「本というものがとても好きだから吟味して買い、買ったからには大切にするタイプ」ではなく、必要がなくなったら、あるいはおもしろくなかったら、わりと潔く売る。

ただ、何が必要なくなったか、おもしろくなかったか見極めるのは難しい。今必要なくても、今後必要になるかもしれない。今おもしろくないと思っても、それは私のレベルが追いついていないだけで、よく読めばおもしろいのかもしれない。「かもしれないかもしれない」が本の中に栞のように挟まり、売るのを思いとどまらせる。それは「いつか読むべき本」「いつか再読すべき本」に姿を変え、本棚に入っていた年数ぶん重くなる。

年齢を重ねるということは、この「かもしれないかもしれない」を手放すことかもしれない。視野を広げ、知見を深めるうちに、読みたい本は増えていく。しかし生きられる年数は見えている。体力の衰えが選択肢を減らしていく。世界のすべての本を読むことはできないし、「万人が必ず読むべき本」はないと悟る。

30代に入って、本棚はべき論のない場所にしようと決めた。少しずつ、「いつか読むべき本」「いつか再読すべき本」を売ってきた。この「いつか」は、なんとなく距離感がつかみきれない人と「いつかまたごはんに」と言い合って、再びの機会が訪れないことに似ている。「いつか」は来ない。さようなら。去ったあと、心にぽっかりと穴が開いて、本当は大切だったと気づくなら、買い戻せばいい。人間関係と違って、本はそれが希少本でもない限り可能だ。

梅雨に入る前、本の整理と売却作業をした。約200冊売った。今回は、毛穴パックやスクラブパックで余計な角栓を取り除いたような、ごっそりすっきりとした気持ちになった。今までになかった爽快感。残った本の背表紙を見て、どれも好きだと言える。読みたくてわくわくするのを感じる。「かもしれない」と「いつか」をため込んだ自分を、捨てきれた気がする。新陳代謝が巡った。自分が健康だと本棚も健康で、本棚が健康だと自分も健康なんだと思う。