ある日の晩、私はドイツの作家、シュトルムの『みずうみ』という短編集を読んでいた。夕食にお酒を出したことで、夫はむにゃむにゃ眠そうにしながら、自室のベッドでごろごろしていた。うらやましいほど一瞬で眠れる人なので、おふろを急かさなければいけない。
私は疲れているとき、よく言葉を言い間違える。料理中、「かつおぶし」が出てこなくて、直前に目に入っていたからであろう「かんきせん」と言い間違えたことがある。先頭の「か」しか合ってない。今回も同じだった。「早くおふろに行ってよ」と言おうとしたのに、「早くみずうみに行ってよ」と言っていた。水がある点しか合ってない。
それまで「すぴーっと寝入るまであと3分です」みたいな顔をしていた夫が吹き出す。「みずうみ、みずうみ、ぼくはみずうみに行かなきゃいけないのですか。みずうみ、みずうみ……」と繰り返して笑っている。私は「ああ、おふろと言いたかった、おふろおふろおふろ」と頭の中で唱える。
おふろから上がってきた夫は、「おふろに入ってえらい」とほわほわ満足そうな顔で私のベッドにダイブした。私は彼がまたごろごろし始めたのを見て警戒する。彼のベッドで寝てくれと促さなければ。「自分のベッドに行ってよ」と言わなければ。なのに、私が口にしたのは「早くおふろに行ってよ」だった。疲れていたんだと思う。さっき「おふろ」と言えなかったのが悔しかったんだと思う。「おふろ」が時差出勤してきた。それまで再び「すぴーっと寝入るまであと3分です」みたいな顔をしていた夫が吹き出す。「おふろ、おふろ、ぼくはまたおふろに行かなきゃいけないのですか。おふろ、おふろ……」と繰り返して笑っている。私はむむむー!と声高に言い直した、「早くおふろに行ってよ!」 あっ……。