New Essays Every Monday
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エンディングシーン
花の寿命が来たときは、食卓の花瓶から台所のゴミ箱に向かうまでに、「ありがとう」と口に出して言うか、心の中で唱えるかする。命日が週末と重なったときは、夫も行動を共にする。私が「ありがとう」と言い、彼が「ぺこり」と言いながら頭を下げる。
ある晩、「歯磨き粉がそろそろなくなる」と言われた。「次のやつ、買ってあるよ」と返した。私が見たとき、彼は残った歯磨き粉を出すのにうにょーんと力を振り絞っていた。私の番になって、だめもとでチューブを押してみたら、ぽんっと1回分出てきた。もう1回分はある。たぶん彼は3回分のためにがんばったはずだ。夜遅く、私が新しいのを取り出したり開けたりしなくてもいいように。捨てるのは自分の番になるように。
ラーメンや冷やし中華など、スープがかかったメニューを食べたあと。私はお皿を持ってシンクに行き、スポンジに洗剤をつける。続くはずの夫が来ない。スポンジを置いて、シンクから死角になっている場所を見ると、彼がスープの残りをにまにましながら飲んでいる。「塩分過多です、だめです」と取り上げるけれど、実はあの「悪いことをしてる顔」は好きだ。
大きなエンディングを迎えるまでの、小さなエンディングたちの連なり。
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ビールを看護する
nurse a beer
直訳:ビールを看護する
意味:ビールを大事にちびちび飲むNow there are only a few couples seated at the table, speaking quietly, and one man with neatly combed gray hair, who sits alone, reading a newspaper and nursing a beer.
(レストランの店内には)数組のカップルしかいなかった。彼らは静かに話をしていた。グレイヘアーにきちんと櫛を入れた男は、新聞を読んだりビールをちびちび飲んだりして、ひとりで座っていた。
Steven Millhauser, ‘Late’, from “Disruptions”この文章を読んだとき、「nurseは文脈的に『飲む』とか『楽しむ』なんだろうな」とは思った。でもパッと頭に浮かんだ「ビールの看護?」が気になる。辞書を引くと、「大事にちびちび飲む」の「大事に」が大事そうに書かれているように見えた。「大事にちびちび飲む」に至るまでに、熱心にお世話する系の意味が並んでいたからだ。単にちびちび飲むsipよりも、飲みものへの愛情や、自分へのねぎらい、誰かと時間を共にする喜びが伝わってくる表現だ。
この前、東京の友人からクラフトビールが届いた。私の好みに合わせて選んでくれたのがラインナップから伝わる。I’m going to nurse the craft beer.
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ごんちゃん
高校時代、いちばん仲良しだった友だちはごんちゃんだ。ごんちゃんちの犬の名前が「ごん」で、それを飼っている彼女も「ごん」になったらしい。高校に入る前からごんちゃんはごんちゃんだったらしく、ごんちゃんはごんちゃんと呼ばれることに慣れていた。
私たちは私立高校の特別進学コースにいた。他のコースの生徒が部活を終える時間に補講が始まった。「部活帰りにファミレスのドリンクバーでだらだら恋バナ」なんてしたことがなかった。帰る時間は遅い。家の方向が同じだった私たちは、よく一緒に帰った。
高3の終わり、進路が決まった。ごんちゃんは九州に残り、私は東京に出る。出発までのあいだに、連れ立ってピアスを開けることにした。大きな商店街を曲がったところにある病院。あれは何科だったか。ごんちゃんが先に開けてもらった。いつものように平然としていた。そうか、そんなもんなのかと気を緩めて臨んだら、しっかり痛かった。ごんちゃんはすごい。
あの学校で、私たちは勉強漬けだった。他のコースが総出で体育祭をしている最中に、私たちは模試を受けていた。文化祭の出しものは、「教育的に意味があるようなもの」として先生が選んだ、やる気の出ないつまらないものだった。小テストが毎朝あった。英語と数学と国語のテストが毎月あった。順位が貼り出された。勉強の合間で起こったことやその機微を、私はもうあまり覚えていない。
誰もいない教室でごんちゃんといた、土曜日の午後。ごんちゃんは教壇に立って、私に向かって何かを話したあと、泣き始めた。私は何かを言ってなだめた。いつも平然としている口の悪い人が、こんなに堰を切ったように泣くことがあるのかと驚いた。私たちは、自分や友だちのことよりも勉強のことだけを考えさせられるような場所に来てしまったんだと気づいた。
結婚式以来、久しぶりに連絡をとった。ごんちゃんはごんちゃんだった。求めてないのに自撮りをくれた。私も夫との写真を送った。「歯の矯正をしてるんだね!私もやったよ」と返ってきた。美容の話になった。私がやりたかったあれこれを、ごんちゃんが先に済ませているとわかった。ピアスのときの平然とした顔が蘇ってきた。
とうの昔にふさがっていたピアスの穴を開けなおした。これは地元にいたときに開けた穴と同等のものにする。これはごんちゃんと開けた穴。そうLINEしたら、ごんちゃんは「私も開けなおそうと思ってた!」と言った。やった。開けなおしは私の勝ち。