New Essays Every Monday
-
自販機と成長
手元に保育園の連絡帳がある。「今日はお散歩の日でした。自動販売機を見つけた紺ちゃんは、ボタンを押してもジュースが出てこないことにとても怒っていました」と、担任の先生が書いていた。
夫とデパートに行く途中、駅のホームで喉が渇いた。自販機にお金を入れてミニッツメイドのボタンを押した。出てこない。私は少しむっとしたが、先生の言葉を思い出し、大人として自制した。よく見るとお金が足りてなかった。ひとりで恥ずかしくなり、もう少し小銭を入れた。小さいのに高いな。出てきたミニッツメイドを夫に渡す。「フタを開けてほしい」の合図である。お金はあっても握力がない。ぐびっと飲んだら、期待していた味と違った。私は少しむっとしたが、先生の言葉を思い出し、大人として自制した。
-
アイドル直伝の撮影方法
昔、アイドルの女性が、かわいく自撮りする方法として果物と一緒に撮ると言っていた。さくらんぼ、いちご、マスカットとか、そういうの。
成城石井で買った、れんこん天チップスレモン味。パッケージが黄色くてさわやか。あの固体のレモンではないが、同等とみなす。夕飯のあと、夫に持たせて撮ってみる。彼は顔の前ですばやく左右に袋を動かす。おかげでブレブレの写真しか撮れない。10枚撮って、全部ブレていた。
一貫して懸命にぶらしたエネルギーや、袋に隠れた笑顔を想像するとかわいい。アイドルが意図した意味とは違うがかわいい。
-
手作りの地図とお気に入りの文章を壁に貼る
“The Yellow Wallpaper”という短い物語がある。病気になった女性を極端に隔離し、行動を制限し、結果的に狂わせる話。女性が医学的にも職業的にも抑圧されていた時代の、抗議の意味をもつ作品だ。発表当時は賛否両論あり、隔離療法を支持する人たちは目をそむけたが、そうではない人たちは隔離や抑圧を止めたので、社会的な変革の一助となった。以下に引用するのは、著者がなぜこの作品を書いたのか、説明する文章。
For many years I suffered from a severe and continuous nervous breakdown tending to melancholia – and beyond. During about the third year of this trouble I went, in devout faith and some faint stir of hope, to a noted specialist in nervous diseases, the best known in the country. This wise man put me to bed and applied the rest cure, to which a still good physique responded so promptly that he concluded there was nothing much the matter with me, and sent me home with solemn advice to “live as domestic a life as far as possible,” to “have but two hours’ intellectual life a day,” and “never to touch pen, brush or pencil again as long as I lived.”
I went home and obeyed those directions for some three months, and came so near the border line of utter mental ruin that I could see over.
Then, using the remnants of intelligence that remained, and helped by a wise friend, I cast the noted specialist’s advice to the winds and went to work again – work, the normal life of every human being; work, in which is joy and growth and service, without which one is a pauper and a parasite; ultimately recovering some measure of power.
(…)
It was not intended to drive people crazy, but to save people from being driven crazy, and it worked.
私は何年もの間、憂鬱になりやすい重い神経衰弱に悩まされ、それ以上の症状が出ていました。症状が出て3年目くらいの頃、私は熱心な信仰とかすかな希望を抱いて、国内でいちばん有名な神経疾患の専門医のところへ行きました。この賢明な男性は私を寝かせて安静療法を施しました。まだ元気な体はすぐに反応したので、私の体には大した問題はないと結論し、「できるだけひきこもった生活をする」、「知的活動は1日2時間だけ」、「生きている限り二度とペンや筆や鉛筆に触れないように」という厳粛なアドバイスを残して私を家に帰しました。
私は家に帰って3か月ほどその指示に従い、完全に精神が崩壊する境界線に近づき、その先を見ました。
それから、残っていた知性を頼りに、賢明な友人の助けも借りて、私はその著名な専門医のアドバイスを捨て去り、再び執筆に取りかかりました。仕事、つまりすべての人間の通常の生活です。仕事には喜びと成長と奉仕が含まれますが、それがなければ人は貧者であり寄生虫です。最終的にはある程度の力を取り戻せます。
仕事は人を狂わせるものではなく、人を狂わせることから救うものです。私は狂わずにすみました。
Charlotte Perkins Gilman, “Why I Wrote ‘The Yellow Wallpaper’?”ここでの仕事は、執筆とか、読書、勉強、家事、自分に与えられた役割などで、必ずしも賃金が発生するものではないと私は解釈する。
昔、ひどい不眠症にかかったとき、初めて精神科に行った。医師は威圧的に、「家にいて、頭を使うことをすべてやめなさい。読書も書きものも全部だめです。それがあなたを狂わせる。薬だけ飲んでいればいいです」と言った。
好きなことを全部奪われてたくさんの薬を飲むことは、それを命令されることは、とても怖かった。私は夫に電話し、医師に従わないことに決め、別の病院に行った。そこで読書や執筆が禁止されることはなかった。だけど、最初の医師の言葉が頭にこびりついて、知的活動に少しうしろめたさを感じるようになってしまった。外に行くよりも家にいようと思うことが増えた。言葉はうまく受け取らないと、すぐに処理しないと、影のような呪いになる。
“The Yellow Wallpaper”を読んで、当時のことを思い出した。知的好奇心を手放さずにいたら、体調が戻った。そこで希求したのは、もっと読みたい、もっと書きたい、もっと歩きたいということだったし、そう思えること自体が私をもっと元気にした。家庭教師の先生と出会って、夢中に勉強していい場所に行きたいと考えるようになった。
大切なものが奪われそうなときは、疑問をもっていい。弱って少なくなったエネルギーを振り絞って、別の人や場所に行ってみる必要がある。怒りをあらわすと、それが既に狂っている証拠と足をすくわれることがあるが、無視していい。相手はどこかで屈服させようと、あらを探しているだけだ。従わなくていい。
弱っていたときの教訓は、元気なうちに、信頼できる人との関係を築いておくこと。何かあったときに、まずその人たちに相談すること。
短編の主人公の女性は、隔離された部屋の黄色い壁紙が異常に気になり、そこに女性たちの顔を幻視するようになって発狂し、破り取る。私は自分の部屋の壁紙に、文学史の勉強で少しずつできてきた地図と、お気に入りの文章を貼る。