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  • “oden”

    勉強に集中したい冬。おでんはすばらしい。大体放っておけばできる。我が家は4リットルはゆうに入る大きな鍋で、煮干しと昆布の出汁を取り、味付けし、2人で3日分くらいの量をいっぺんに作る。

    ゆで玉子作りと大根の下ゆでを同時におこなう。大根はまるまる1本なので、家の中で2番目に大きな鍋を使う。となると、残りの鍋ではゆで玉子8個を一気に作れない。2回に分けて作る。

    他の具はただ切るだけ、鍋に入れるだけだ。ちくわ、あくぬき不要のこんにゃく。さつま揚げ2種、餅巾着。作業スペースを片付けて、床に置いてある縦長のヒーターをONにする。小さな折りたたみのハイチェアに体育座りしながら、英語の短編を読む。

    2章まで読み終わったところで、ゆで玉子1期生のタイマーが鳴る。はいよ。ゆで玉子4個と生玉子4個を入れ換える。もう一度タイマーON。冷やしたゆで玉子の殻をするする剥いて、鍋に入れる。英文に戻る。

    話の冒頭は登場人物や状況の把握に時間がかかるけれど、それさえ終われば推測が働きやすくなり、読むスピードが上がる。楽しくなってくる。そろそろ下読みが終わるなあというところで、ゆで玉子2期生のタイマーが鳴る。あー。はいはいはいはい。体育座りからタイマーのボタンまでは微妙に手が届かない。ペンをぺっと投げて立ち、タイマーを止める。殻をするする剥いて、鍋にぶち込む。

    大根の下ゆでは、私の好みのやわらかさという、おおざっぱなところまで。下読みを終えて、全体の質感などを眺めて、しばらく味わう。わからない単語を一気に調べたあと、いいぐあいの大根をざるにあげ、水洗いし、大きな鍋に入れる。

    さあ、味よ。思う存分染み込むがよい。同じ文章をもう一度読む。今度は分析的な読み。体育座りの尻が少し浮き、英文にのめりこむ。こうしている間にもおでんは勝手に完成に近づく。

    日曜日の午後5時。休憩。切子細工のおちょこで、日本酒をちびちびやる。台所での勉強で好きなこと。勉強に支障がないくらいのお酒を少しずつ、背徳感と共に味わう。体育座りの左足は下に垂れて、行儀が悪い。

    英文に戻る。1回目の読みでは気づかなかった、昨日覚えたばかりの単語と目が合う。やあやあ、昨日ぶり。元気だった? 昔、「覚えたばかりの単語が数日後に突然現れる現象に名前が欲しい」と言ったら、友人が「作ればいいと思うよ」と言ったことを思い出す。

    私は、この現象を “oden” と呼びたい。初対面では覚えられない、1日目では味が染みずに完成しない。日をまたぎ、一度冷えることによって染み込む味と意味。再び出会う時の喜び。この切なさと高揚感と満足感を表現するのに、 “oden” 以外の言葉はあるだろうか?(反語)

    友よ、聞いてるか? できたぞ。俺は “oden” と呼ぶことにした。きみもそっちで使ってみてくれ。え? 酔ってるかって? 酔ってない。まだおちょこ2杯分しか飲んでない。

    切子細工に光が反射して綺麗だ。

  • 14:35

    授業の休憩時間。手の甲にボールペンで14:35と書いた。中途半端な時間で忘れる。スケジュールを調べた時も、予約した時も、支払い完了メールを開いた時にも見た数字なのに。

    授業が終わって大学を出る前、図書館に寄る。ツイッターで気になっていた本を借りる。カウンターで、2025/12/01と印刷されたレシートを本に挟んでもらう。そういえば、と思い出した本は新刊で図書館になかったので、構内の本屋に行く。ないだろうとは思っていたけど、やっぱりなかった。学食に行く人、キッチンカーに並ぶ人、手にカップ麺を持った人たちとすれ違って、キャンパスを出る。バスに乗ろうか地下鉄にしようか悩んでバスにしようと決めたあと、バス停からバスが出るのを見送る。気持ちを切り替えて地下鉄に乗る。ICカードの残額は669円。

    映画館に行く前に本屋へ向かう。目当てのものを手にして、そのままレジに行けないのはなぜだろう。そういえば、あ、あれも見ておこう、この店はあの棚がいいのよねえ、とかなんとか思いながら店内を巡る。最初に手に取った本からの連想で、別の本も買うことにする。結局3冊選んで、3058円。何時からだっけと手の甲を見る。14:35。やばい。まだごはん食べてないのに。急がなきゃ。

    コートを着なくてもよかった気温の日の午後に、歩道を駆ける。息切れしたタイミングで、ちょうどよく横断歩道の信号が赤になる。席に着いた時には少し汗をかいていた。

    『君と私』。2014年4月16日に韓国で起きた、セウォル号沈没事故の前日をモチーフにした作品。冒頭で、日時と、死亡者、行方不明者の数字が出る。予告で知ってはいたけれど、映画はここから始まって、実際はここで終わってしまったんだなと思う。

    私は4月20日生まれ。あの人たちから生まれたことが嫌なのに、毎年思い出さなければならない日。お祝いされてなんとも言えない気持ちになる日。感謝できなくて罪悪感が増す日。カレンダーや時計や電話番号で0420の並びを見るたびにヒヤッとした。2014年にセウォル号事件がショックだったことも、父の命日もこの数字が近いゆえに思い出す。春の海は冷たい。

    数年前、私は誕生日を変えた。戸籍や公的書類は変えられないけれど、それ以外はペンネームのように、3月26日生まれということにしている。毎年0420あたりで調子が悪くなる私に、夫が「今日爆誕しちゃったことにしよう」と言って「そうだそうだ」と決めた。元の0420と同じ星座なのがなんかいい。0326にはまだ慣れない。時計でこの並びを見てもドキッとしない。

    1435。始まる前は全然覚えられなかったのに、上映が終わったあと、忘れられなくなった。帰り道はすっかり暗くなっていて、月が出ていた。映画の月の反対側が欠けた、プリングルズみたいな色と形の月。私が修学旅行に持っていくなら絶対サワークリーム&オニオン味。

    手を洗うと、1435が少し薄くなった。今夜のクレンジングをためらう。

  • 菓子折りとスパイ

    学籍番号が私のじゃない。大学の教務課に申請した在籍証明書に間違いがあった。通常、証明書の申請には自販機みたいなものがあるのだけど、研修生にはない。研修生の数が、業務を自動化するコストに合わないんだろう。だからたぶん、これは私の前に申請した人の書類を上書きして作ったんだろう。私の情報はそのまま保存されるんだろう。・・・・・・次の人の証明書でまた同じミスが発生するかもしれない?と、ビジネスモードの私が出てくる。この仮説を含めてメールで問い合わせしたら、次の日に電話がかかってきた。「まったくその通りだったので、申し訳ない」「業務の見直しをする」「証明書は再発行するので取りに来てほしい」とのことだった。次の週、2限の授業が終わって窓口に向かう。お昼休み中で人が少ない。奥のホワイトボードに1日のスケジュールとタスクが書き出されているのが目に入る。用件を伝えると場の空気が少し張った。残っていた方々が小声で話し合い、あっちへ行き、こっちへ行き、おひとりが私のところへやって来た。「このたびは本当にお手数をおかけしました。教務課長もお詫びを申し上げようとお会いしたがっていたのですが、あいにく退席しており・・・・・・」と言われる。「菓子折りをいただけるなら待ちましょうか」と返したら、爆笑されて場がほぐれた。人間、ミスはあります。ありがとうございます。

    研修生として、初めての学期が終わった。指導教官に個別指導の時間をいただく。とても充実していたので、やはり何年か続けたい、計画を立てたいと申し出る。「次回のセッションで考えましょう」と言われる。15時半から始まったセッションを終えたのは18時過ぎで、外はすっかり暗くなっていた。オレンジの光がぽつぽつ灯るキャンパスに、風に揺れてしゃらしゃらと鳴る木々。金木犀の匂い。私はここに、あとどれくらいいられるだろう。先生と計画を立てるなら、制度の制約も知っておきたいと思い、翌朝、自宅から教務課に電話する。数年に渡ってこの制度を使い続けることは、指導教官の許可があれば、大学的には大丈夫なんでしょうか。たとえば5年くらい、毎年継続申請したとして、その長さゆえに、スパイかな?とか、変な学生だなとみなされて不合格になることはあるんでしょうか、と尋ねる。私は「利用限度があります」と言われる可能性を見越して緊張し、真面目に尋ねていたので、「はっはっはっ」と電話口で笑われて、つられて笑った。「学科は申し上げられませんが、コロナ前から使ってくださっている方は複数いらっしゃいますよ。だから大丈夫です。使い続けていただけるとうれしいです」と言われた。

    研修生は、正規生に比べると費用が抑えられる。他の大学ではもっと高額で、かつ聴講のみ、個別指導なし、というところが多いのに、この大学は違う。指導教官によっても大きく違うと思うけれども、私はたいへんのびのび、ふくふく栄養をいただき、頭をフル回転させて生きることができている。永遠に続くものはない。寒くなってぎゅっとこわばる体。ありがたみを噛みしめる奥歯。