Writings

New Essays Every Monday

  • サーティワンアイスクリームの、よくばりフェスのように

    昔々、くまだった人がいた。XがまだTwitterだったころの話。白いくまのぬいぐるみのアイコンのその人は、夏は期間限定でアイコンを茶色のくまに変えていた。つぶやいていたのはとりとめのないことで、かわいいくま設定だからか、ハイテンションで明るかった。一生懸命生きているのが、独特の言葉遣いからでもうかがえた。

    そんなくまがうっすら落ちこんでいる日は、いつもの明るさとのコントラストで余計に暗く見えた。というか、いつもは明るさでかなりぎりぎりまで隠してたのかもしれない。

    DMで話しかけると返信があった。白いくまの文体とは全然違う、常温の落ち着いた文章だった。くまも人間だったんだねと思った。当たり前なんだけど。すごく人間だった。

    あれこれ長文でやりとりしたあと、Twitterからいなくなるということでメアドを交換した。それから、気ままなメール交換を続けている。以前、彼女はお手紙を書いてみたいと言っていたが、そんな牧歌的なこと、我々には不可能だと思う。あの長文メールの交換に慣れきった関係が、数枚の紙のお手紙に納まるわけがない。毎回ぶあついレターパックを送り合うことになりそう。

    大学院に行かないと決めて、落ち込んで、ぼーっとして、好きなものを食べて、掃除して、本を買って、気を抜いて薄着で寝て風邪を引いた。よくなったころにメールしたら、すぐに返信があった。悲しいことがあった日だったけど、私からメールが来てうれしかった、ありがとうと書かれてあった。メールの件名は「四捨五入で、はぴ」だった。

    うまくいかないこともあるけれど、楽しかったことやうれしかったことをたくさんかき集めれば集めるほど、しゅんとする部分の比率は減って、「四捨五入したらハッピーのほうが多い」になるんだろうな。くまから人間になっても、毎日を懸命に生きているのが言葉から伝わってきて、メールを一気に読めなかった。

    涼しい夏を。穏やかな夏を。できるだけはぴねすだらけの、よくばりな夏を。

  • 紙漉き

    水に浸した繊維をすくいあげ、少しずつ和紙を作っているような日々だった。暑いから、ずっと水の中にいたい。

    院進の目標を消した。ひとまず日本の院はもうない。「邪悪だ」と感じる場面があった。「とは言っても」といいところ探しを続けた結果、ようやく「いや、やっぱり、ない」に至ったので、本当に進学したかったんだと思った。頭が「さてさて、次ー!」と足早に通り過ぎようとした。危ない気がした。1年を振り向けていた目標だった。そこから離れるのだ。数週間使おう。

    決めてからしばらく、止まっていた。ノートを開かなかった。変わりたいと急ぐ自分を抑える。それで±ゼロくらいになるのがちょうどよいのかもしれない。悲しさと、悔しさと、入る前に気づけた安心と、何と言っていいかわからない気持ち。ぐちゃぐちゃしたものを言葉にせずにいた。近寄りすぎず、離れすぎず、ぼーっと見つめていた。

    混濁した液体に木枠を入れて揺り動かす。紙料が集まって、薄い層になる。それを何度か繰り返すと、ざらついていたものは溶けて、やりたいことの本質だけが残った。水気を切って乾かす。新しい紙。指でつまんで太陽にかざす。光が透き通る。

    おいしいビールを飲んだ。黒トリュフ風味の高級なポテチを食べた。美術展の図録を買った。久石譲の曲を聴いた。ひつまぶしを作って食べて昼寝した。新調したボールペンの発送連絡が届いた。「そろそろ行っていいよ」と、自分にそっと許可した。

  • それがぼくには楽しかったから

    リーナス・トーバルズ、デイビッド・ダイヤモンドによる本を読んだ感想。

    好きになった人が投資家だとしたら、私は投資の本を読んで、その人を知ろうとする。見ている世界や考え方の根っこを、私も少しでも知りたいと思う。新しく関わるクライアントが建築家なら、自分の設計する家の断熱構造に誇りを持っているなら、『よくわかる断熱設計』みたいな本を3冊買ってきてすぐに読む。基礎を入れたうえで、どこがそんなに好きなのかを前のめりで聴く。

    私が恋をして結婚した人は、世界中で使われているオペレーティングシステム、Linuxのエンジニアだ。付き合い始めのころ、私は彼の考え方の後ろにいつも誰かいるように感じていた。「彼をそんなに惹きつけるなんて」という焼きもちが多少あったと思う。Linuxのこと、開発者のリーナスのことを知りたくなった。

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    自分でつくったものを無料で公開する。使う人は、公開されたものを使う代わりに、自分で新しい情報や知識を見出した時に同じように公開する。自分のものを自由に使ってもらう代わりに、相手のものも自由に使わせてもらうルール。それが「オープンソース」。リーナス・トーバルズは、もともとあったこのオープンソースの考え方を利用して、Linux(リナックス)というオペレーティングシステム(OS)を開発した人だ。

    OSはコンピュータの中で起こるすべての基本原理となる。だから、OSを作るのは、最高にやりがいのあることだ。OSを作るというのは、世界を作ることだ―その世界の中で、コンピュータを動かしているすべてのプログラムが生きている。基本的には、プログラマーは何が受け入れられ、何が可能で何が不可能かという法則を作っている。どんなプログラムもそういうことをやっているわけだけど、OSは一番の根本だ。

    従来の、工場での大量生産のようなものづくりは、経営者が情報、知識、技術、設備、人材を占有することで富を増やしてきた歴史がある。Microsoft のビル・ゲイツも、同じように会社を大きくし、莫大な財産を築いた。ちょうど反対の考え方をするのがリーナス。フィンランド出身で、幼いころからコンピュータの仕組みに夢中だった。

    ある既存のOSを自分のコンピュータに入れ、自分の目的や理想で使おうとした時に不満が生まれた。バグも見つけた。

    プログラムを書いているうちに、このOSにいくつかのバグがあることを見つけた―というか、マニュアルに書いてあるOSの動作と、実際の動作とに相違があったんだ。自分で書いたプログラムが動かなかったので、その事実に気づいた。だって、ぼくの書くコードはいつでも、エヘン、完璧だからね。だから、原因は他にあると思ったわけだ。そういう経緯から、ぼくはOSに手を入れることにした。

    見せびらかしたい気持ちも当然に持ちながらテスト版を公開すると、既存OSの筋金入りのファンが反応した。リーナスが「既存OSのどこが好きで嫌いか、どんな機能が欲しいか」を尋ねると、早速意見が寄せられた。テスト版を試し、バグを見つけた人もいた。リーナスは、「クラッシュしやすい」とか「私のコンピュータでは動かない」などの感想がとても嬉しかったと言う。手を加えてバージョンを上げ、公開し、またフィードバックを募る、国を超えた共同プロジェクトが始まった。

    好奇心で始め、楽しみに熱中していること。フィードバックをもらうことで、新しい課題が生まれ、楽しみが続く。フィードバックはコミュニケーションであり、個々の存在肯定でもある。技術を占有して懐に入るお金よりも、自由な共用によって純粋にものづくりを追求していくこと、楽しみ続けていくことのほうを、はるかに大切にしている人たちがいる。開発に協力する有志も増え、リーナスは核であるカーネルの開発に集中するようになった。UIやサポートなど(リーナスが興味をもてないところ)は得意な人が発展させていった。

    今や様々なところで使われているLinux。スマホのAndroidだって、実はLinuxのカーネル上にある。それがひとりの楽しみから生まれ、現在も世界の人々と開発継続中というから驚きだ。

    この本を読みながら、「1対1になるとコミュニケーションが発生する、それはつまり社会だ」と気がついた。ひとりで部屋にこもり、昼夜関係なく開発していた話がしばらく続くので、テスト版を公開して数人とやりとりを始めたあたりに、暗い部屋でカーテンを少し開けて光を感じる時のような瞬間的な眩しさがあった。彼の人生の中で、楽しみが社会につながったことが本当に大きかったのだと思う。TED の講演「Linux の背後にある精神」では次のように言っている。

    独りでやっていたのが、10人とか100人という人が関わるようになった—それが私にとって大きな変化でした。それ以外は徐々に起きたことで、100人から100万人というのは大したことではありませんでした。

    私は今のXのアカウントを2022年に、このウェブサイトを2023年に作った。開設当初からひとつひとつのいいね、ひとつひとつのアクセスが都度新鮮にうれしいのは、リーナスを私淑しているから持ち続けられている感覚だと思う。自分の文章が初めて数人に届いた7歳の記憶を彼の経験に重ねている。だれかひとりにでも届くって、すごいことだ。

    コンピュータの知識がない人でも読めるよう、専門用語のうち特に重要なものについては本の最後で説明されている。ごはんやみそ汁の比喩などで、とっつきやすい。ただ、私はその存在に先に気づかなかったために、『なるほどわかった コンピュータとプログラミング』という絵本でコンピュータの基本思想をつかんだあと、夫に質問しながら読んだ。

    カーネルは核の部分、真珠みたいなもので、貝殻をくっつけないと動かない…………貝殻、シェルにはいろいろな種類がある…………コンピュータの言語には、低級言語の機械語、アセンブリ語、高級言語のCとかPythonとかがあって、CPUが変換してくれる…………低級・高級といっても、優劣の話じゃなく、レイヤーにした時に上か下かなだけ…………機械語やアセンブリ言語のほうが難しい…………とても難しい…………OSをつくるには低級言語を結構使う…………へえ…………ほー…………つまりリーナスはすごいってことだ。

    私はこの本を、エンジニアはもちろん、何か夢中になっちゃうことがある人、オープンソースのものづくり哲学に興味がある人、恋い慕う人がLinuxのエンジニアで、見ている景色を垣間見たいと思う人に薦める。私は、夫が私にしてくれる助言、仕事の考え方の源泉を知れて、「あ、こういう背景で言ってたんだな」と思い至ることができた。

    私はすっかりリーナスとLinuxのことが好きになって、「C言語とLinux」という英語のオンライン講座まで受けた。プログラミングでおこなわれている言語活動はとても細かい。実際にコードを書いた。どうしても自力で解決できないバグ取りを夫に手伝ってもらった。私の書いたコードを見ながら話し合うのは、本物のエンジニアになった気分だった。えへん。

    私は1講座で十二分に満足した。細かすぎる世界だった。そして単語のダブルミーニングが許されない。私は言葉の多義性を愛しているので、「私はすばらしいあなたに釣り合わないわ。今までありがとう。元気でね」みたいな気持ちでLinux実践と別れた。それでもいやはや、夫が好きなものを少しでも知ることができてよかった。私も開発思想は大好きになったし、影響を受けた。

    表紙にもある、Linuxマスコットのペンギンは、「幸せそうに見えるペンギン」というのが選定理由。眼鏡をしているので、リーナス自身かな。読む前よりも愛らしく見える。