New Essays Every Monday
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5月2週目の日記
5月10日(水)
夫が摘んできてくれた野花を一輪挿しに飾っている。もう2週間になる。花屋で買ったガーベラは10日で散ったのに。ベランダに出しておくと、水や花瓶の温度が上がるからか、すぐにしおれる。慌てて冷たい水を入れ替え、ほどよい日差しの入る窓辺に移動させると復活する。素直。5月11日(木)
ジム。この前買った日傘をおろしたけど、風が強めだったのですぐに閉じた。長袖の選択も間違えた。暑かった。1時間、Netflixで「賢い医師生活」を観ながらウォーキングした。夏のうちに体を絞って、秋には美容皮膚科でメンテする作戦。今年は自分のことを好きになれるようにお金を使うのだ。5月12日(金)
昆布茶で味付けしたエビチャーハンがおいしい。昼寝して、ショッピングモールへ。チェウォンが表紙のGINZAを買う。雑誌を発売日に買うなんてファンみたいだ(ファンなんだけど)。ガチャポンの密林で遊ぶ。パルムとHARIBOのミニチュアはいまいちだったな。猫のフィギュアがかわいくて、2回課金した。しれっと食卓に置いて、夫を笑わせよう。夕飯はキッシュ。白ワインと生ハムと一緒に出す。瞬く間になくなる。それなりに手間がかかった料理をぺろりとたいらげられるのは、嬉しさと切なさが交差する。5月13日(土)
文学の個人レッスン。ミルハウザーのGetting Closerと、The Invasion From Outer Space。Getting Closerがめちゃめちゃいい。川遊びを楽しみにしていた幼い男の子。いざ川に入る手前で立ち止まる。水に入れば、楽しい日が始まってしまう。始まれば終わってしまう。時は過ぎ、人はいずれ死んでしまう。だから立ち止まったままでいたがる。読めてよかった。5月14日(日)
夫と肉屋へ。大通りから行くルートと住宅街を通るルートがあり、初めて後者を選んだ。大通りルートが好きだと後悔した。家が延々と続くのは、進んでいる感じがなくて飽きる。家、家、家、家、家。いつか建てるなら見るのも楽しかろうが、先立つものがない。ようやく到着して、たっぷり買って、家で焼き肉会をした。 -
たくさんのZをつかまえる
catch some Z’s
直訳:いくつかのZをつかまえる
意味:うたた寝する夫は寝るのがうまい。
横になったら最後、すぴーっと眠れる。義理の母は、我が家を訪れて寝室が別だと知ったとき、眉をひそめた。
昔の会社の先輩も、「え、新婚早々に別なの!?」と言った。
「今どき、いろんな価値観があっていいじゃん」とは思いつつ、「寝る時間が違うので」と答えた。正確に言うと、眠るスピードが違う。
一緒に寝ていた時期だって、なくはない。
前の、もっと狭い家ではそうだった。
私は夜、眠剤を飲んでやっと眠気が来るタイプ。
「今日は仕事が楽しかったから、クールダウンするのに時間がかかるなあ」とか思ってる横で、彼は一瞬ですうっと寝息を立て始め、気持ちよさそうに夢の世界へ向かう。
疲れているときは、いびきもかく。
うらやましくて、いらいらして、うるさくて、焦って、彼の鼻をつまむ。
それでしばらく止んでも、また始まる。
今度は顔をぺちっと叩く。
しばらく止む。また始まる。
というか、生きてる以上、呼吸、寝息は当たり前なんだけど、こちとら眠れないのだ。
顔をばちっと叩く。
止まって、また始まる。
いよいよ耐えられなくなって、ベッドから落とす。
低いので、ごろんと床に転がる感じ。私の言い分は「うるさい」、彼の言い分は「ぺちゃんこにされる」。
別々にするしかなかろう。
それで幸せなんだからいいじゃないか。そのぶん、週末の昼寝が最高。
お互い眠いときに、同じスピードで眠りに入っていけるのは、私にとって特別な時間。
夜みたいに「寝なきゃ」モードじゃないのが、かえっていい。
腕枕してもらって、抱きついて眠る。
石鹸の匂いがする。
開けた窓から入る風が気持ちいい。
部屋の中がZZZZZZ……で満ちる。 -
愛と勇気だけがともだちさ
英文学の個人レッスンを受けている。
月2回、アメリカ人の先生、日本在住、Skype、90分、学校のようなテストなし。
事前に短編を精読しておき、質問や意見をまとめておく。
レッスン日は、質問事項を解消でき次第、ディスカッションへ。
文学と創作で修士号を取っている方で、普段は東京の大学や語学学校で教えていらっしゃる。
その先生を独り占めできる、なんとも贅沢なレッスンだ。私はもともと大学で英米文学専攻にいたので、必修授業でひととおりの教育は受けている。
文学と言語学、どちらのゼミを選ぶか迷ったあげく、言語学にした。
2年を言語学に費やしたことに後悔はないけれど、もっと文学も学びたかった。
それで、就職後も細々と読み続けていた。
シラバスや教科書を捨てずに取っておき、学びの指針にしていた。独学に限界を感じたのは2年前。
つまずいたときに打破できない。
文法をやり直したり、語彙を増やしたりしてもだめだった。
些細なこと、だけど物語を理解する上では大切なこと、辞書やインターネットで出てこないことを知る術が欲しかった。
とても好きな作品に出会ったときに、熱量を共有して、意見交換できる相手が欲しかった。
ちょうど、文学の少人数ゼミみたいな雰囲気の。ここで活かされたのが研修開発と企画の経験。
自分に何が足りなくて、どういう先生を求めているのか、どこで探せばいいのかがわかっていた。
大学の編入は、コストのわりに得られるものが少なそうだった。
論文で証明したいものもないし、権威主義的な雰囲気は好きじゃない。
大人向けの英語講座は、英会話か、TOEIC対策、易しめの本やビジネス本を読むものばかりで、私の求めるものと違う(英語を教えられる先生が、文学も教えられるとは限らない)。
ないなら自分で作ろうと思った。Linkedinで、M先生を見つけた。
歴史のある大学や語学学校で長年勤務しているところが信用できそうだったし、語学学校のウェブサイトで講座のチラシを見るに、文学がお好きそうだった。
教師のかたわら、ミュージシャンをしているのもおもしろかった。
ミュージシャンとしてのウェブサイトは、語学学校の硬いプロフィールとは違って創造性に富んでいて、柔軟に授業を作ってもらえそうな印象を受けた。
問い合わせページからコンタクトした。
私が何をできて、できないか、なぜM先生に声をかけたのか、読みたいものは何か。日時や授業料は交渉したいと書いた。
すぐに返信が来た。長文だった。
M先生はファーストコンタクトからおしゃべりだった。それが年明けの話。
授業が始まってもうすぐ半年になるが、予想を超える、とてもいい先生に巡り会えたと思う。
型にはまった、おごそかな感じの授業をしない。
嫌いな作品は飛ばしていい。
時間が過ぎても、気にしなくていいと言われている。
リラックスして、ただただ文学の話をする。
楽しい。先生も同じことをおっしゃる。先生に会うまで、私はあまり文学の英語が読めてないと思っていた。
だけど先生に「ちゃんと読めてるよ、自信をもって」と言われて変わった。
私がつまずくポイントには傾向があって、英語圏の学生ですら難しく感じる箇所や、アメリカ人としてのバックグラウンドがないとニュアンス想起が難しいものが多い。
「なーんだ、英語学習者としては結構読めてるじゃん」と思えるようになると、肩の力が抜けて、作品そのものを楽しめるようになった。
わからないことがあっても、自分を責めなくなった。
師を見つけた。勇気を振り絞って連絡してよかった。先生からもらった言葉:
In good times and in bad, in happy times as well as in sad, let’s live, laugh, cry, learn, and keep our hearts and minds open.
いいときも悪いときも、嬉しいときも悲しいときも、笑って、泣いて、学んで、心を開いて生きていきましょう