Writings

New Essays Every Monday

  • 誇らしい気持ちでいっぱい

    日付が変わる頃、眠剤を飲む。
    夫は別室でとっくに寝入っている。
    私は自分のベッドに座って、眠気が来るのを待つ。
    この時間が好き。
    座ったままで寝ること、途中で起きて横になること、最初からきちんと横になることが、それぞれ1/3の確率。

    おととい、座ったままで寝た日、3時くらいに目が覚めた。
    そしてそのタイミングで、なぜか突然夫が現れた。
    たぶん横に座って、私を抱き寄せた。
    私は彼の腕の中で、瞬時にすぴーっと寝息を立て始めたらしい。
    (普段、私のほうが先に寝るのはありえない)
    そのまましばらくすると、少しずつ体勢が崩れていった。
    私はベッドの上で、寝返りとは違った形で、ぐるんと回っていたらしい。
    出会って以来、トップ3に入るようなかわいさだったらしい。

    私がかわいかった瞬間の不動の1位は、付き合い始めた頃の「電柱ちらり」。
    待ち合わせに遅れた私は、彼の近くまで着いて、電柱に隠れた。
    ここでちらっと顔を見せたら許してくれるかしらん、きゅんとさせちゃうかしらん、んなわけないか、と思いながらそっと顔を出した。
    目が合った。
    彼は想定外にちょろかった。

    数年前のそれに匹敵するようなかわいさを、下心なく表現できた私に、成長を感じる。

  • 5月3週目の日記

    5月15日(月)
    書きためていたブログをまとめて公開。先週の日記を読んで、「のんきに見えるなあ」とにんまり。仕事のことを書き始めると、文章が説明的に寄るのが嫌だ。細かい日記は楽しくない。ジムでクィアアイを観ながらウォーキング。シーズン7は深みが増している。ミュージカル映画のサントラを聞きながらアイロンがけ。

    5月16日(火)
    調子が悪いことや本音を日中に言えずにいたら、帰宅して酔っ払った夫に「どうして僕に言ってくれないの!めらめらぽんぽん!」と叱られた。君は森見登美彦なのか。黒髪の乙女は油を注ぎたくて、「めらめらぽんぽん!」と返した。

    5月17日(水)
    専門家とのミーティングがあって外出。お役所用の書類をAからBに渡すだけなのに、「正しいものをもらって、正しく引き渡せるか」と緊張する。麻薬の密売人はこんな気持ちなんだろう。ついでに歯列矯正の調整。夕方ビアバーに寄り、クラフトビールとポテトフライを頼む。夕焼けを見ながら書き物。

    5月18日(木)
    おもしろそうな舞台の先行予約に申し込む。当たりますように。こういうときだけ全方面の神様に祈る。3週間もった野花にお別れ。花を切らさない家ではないから、花がある風景のほうが特別。いつものルールで、夫と一緒に「ありがとう」と言ってさよならした。

    5月19日(金)
    体調不良で1日スキップ。と書いて「1日分の日記を飛ばした」と解されるのと、「1日中外でスキップして遊んでいた」と解されるのと、どちらの可能性が高いかといえば圧倒的に前者だよな。

    5月20日(土)
    午前中、積ん読を解消するためのタワー型本棚が届く。夕方、仕事の本20冊が届いて、早々に場所を占める。机に向かっている限り、視界に本が入らないのはヘルシーだ。誰かに急かされる環境じゃない。ついひとりで焦ってしまうだけ。ひとつずつ進めていけばいい。

    5月21日(日)
    Netflixで日本の探偵ドラマを観た。ある回で、普段ドラマに出なさそうな有名人が出てきた。「犯人だろう」と思っていたら、犯人だった。別の回で、脇役っぽい女性が前髪を整えるシーンがあった。探偵がそれを見かけるシーンもあった。加えて、不思議そうな顔をした探偵にズームしたシーンも入った。だから「この人、脇役じゃないんだろうな」と思っていたら、やっぱり脇役じゃなかった。

  • お城の建築家

    build a castle in the air
    直訳:空にお城を建てる
    意味:いろいろな空想にふける

    魔女の宅急便のキキとすれ違った。
    外国から来て、これからジブリパークに行くのだろう。
    空を見上げて微笑んでいる。
    ほうきの代わりに、大きなスーツケースを持っている。

    スマホがなかった高校時代、私の遊び道具は電子辞書だった。
    おもしろい言葉を探す。
    授業中に、build a castle in the airを見つけた時のことは忘れられない。
    この直訳で想起されるべきイメージは、ヨーロッパの伝統あるお城なんだと思う。
    名古屋生まれの人には、たかしがどえりゃーお金をかけて修復している名古屋城のイメージが先に来るかもしれない。
    九州の田舎、教室の窓から見える空に、私はラピュタを建てた。

    私が集めた言葉たちは、受験英語やTOEICには現れなかった。
    大学生になったら、興味の合う人たちと喫茶店で語り明かす夜が来るんだと思っていたけど、来なかった。
    ネイティブやそれに近い先生たちは、直訳を経由しないゆえに、あまり感動がないみたいだった(当たり前だ。私が漢字の成り立ちに都度感動しながら使っているかというと、違うから)。

    英語圏の人にも、学習者にも、田舎の人にも都会の人にも共感されにくくて、逆に愉快な気持ちになった。
    誰かに言われて好きになったものじゃない。
    流行に乗っかって好きになったんでもない。
    自分で見つけて、好きになったもの。
    共感されにくさが、心のよりどころになった。

    共感されないことがデフォルトモードだと、似た熱量で喜ぶ人に出会えたとき、飛び上がるほどうれしい。
    似た熱量じゃなくても、私の炎を喜んで、絶やさないように見守ってくれる人がいるのもうれしい。
    「これは辞書に載せよう」と言葉を拾い上げた人のまなざしが、自分にも向けられているような気持ちになる。