Writings

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  • 海の沈黙・星への歩み

    著者:ヴェルコール
    訳者:河野與一、加藤周一
    出版社:岩波書店
    発行日:1973年2月
    形態:文庫

    渡辺一夫の『曲説フランス文学』で、1章分を割いて紹介されている本。フランスがドイツに占領された頃の、「抵抗文学(レジスタンス文学)」の代表作として知られる。当時の出版は非合法、地下活動的なのもの。「ヴェルコール」は本名ではない。

    『海の沈黙』は、フランスを敬愛しながらもドイツ軍としてフランスにやってきた将校と、部屋を提供する家主の女性、その姪の話。場の登場人物としては、彼女たちはほとんどしゃべらない。夜、将校はしばし居間に立ち寄って自分の昔話、好きな物語、理想の話をしていくが、彼女たちは感情を表に出さないし、動かず、沈黙したままでいる。将校が休暇でパリを訪れたところで、沈黙が変質し、クライマックスへ向かう。

    沈黙がもう一度襲って来た。もう一度、しかし今度は遙かに得体のしれない張り切った沈黙。そうだ、かつての沈黙の下には、――丁度、水の静かな表面の下に海の動物の乱闘があるように、――隠された様々の心持、互いに相手を否定して戦う様々の欲求や思想の海底生活が蠢くのをはっきりと感じた。けれどもこの時の沈黙の下には、いや、ただむごたらしい抑圧だけ・・・・・・ (p. 57)

    この将校のような「犠牲者」、理想を信じたからこそ少しずつ引き裂かれながら死んでいった人はどれくらいいるんだろう。

    『星への歩み』は、チェコスロバキアの家から抜け出して、憧れのフランスへ渡るトーマの話。星の意味がわかったときに、心が最も動く。

    読めてよかった。私は登場人物が少ない、派手な出来事が起きない、簡潔な文体、短い話がほんとうに好きなんだなと再確認した。他の作品も読んでみたいが、日本語では手に入りにくいのが残念。

  • デスノートとライター

    ウェブサイトの問い合わせフォームから、仕事の依頼が届く。お好きなカバンをプレゼントするからPRしてほしい、というのは担当者が変わるたびに来る。先週届いたのは、会社が指定する記事をXで投稿してほしい、その反応に応じて報酬のランクが変わり、200円から10000円を支払う、というものだった。

    依頼の文章は、宛名以外はコピペだ。会社の紹介と、マネタイズのメリットがつらつらと書かれている。会社のウェブサイトを見たら、ライティングにこだわっている組織だと書いてあった。それなら仕事依頼の文章に手を抜くなよ。気になった人の名前だけ覚えて、いきなり自分の話と金の話で告白するか? 私はたまに自分がデスノートを持ってるんじゃないかと思うときがある。「この店は/会社はつぶれる」と感じたらわりと当たる。

    昔、私はウェブメディアの編集長をしていた。自分で記事の企画をして、ライティングもした。職種としては未経験だったけれど、プランニングやディレクション、インタビューは人事の仕事で散々やっていたので、そこに文芸の経歴を入れれば大丈夫だと思った。入社してすぐ、退職予定の前任者の取材に同行した。飲食店を3軒まわる予定だった。それなのに、彼女は時間にルーズだった。次の店に遅れることがわかっても先方に電話しない。あの平然さから推測するに、いつもそうやっていたんだろう。引継ぎとして教わったのは、「味を確かめる」「情報を聞き逃したらhotpepperをコピペすればいい」「記事なんて誰も読まない」。

    コピペ主義者は、取材に他のメディアで聞かれているような質問リストを持って行きやすい。どうしてこのお店を始めたんですか。どんな苦労や工夫がありますか。この料理の特徴を教えてください。機械的。せっかくの現場で、店主の表情を見たり、インテリアのこだわりを聞いたりすることなく、頭はもう「どう書くか」に向かっている。写真撮影のせいで冷めた料理に、「おいしいですね!」と大げさに言う。会社に戻ってから、誰かが既に世に出しているものに似た記事を作って、こだわりの綺麗な言葉を当てはめ、セオリーどおりにできるだけキャッチーなタイトルをつける。

    取材の時点で人間を見ていない。記事が届く先の人間も見ていない。そもそも、今何を感じているか、心がどう動いたか、何を思い出したか、入念な観察で何を見つけたか、事前のリサーチで何に気づいたか、そういういろいろが交差する媒介として人間、自分のことも無視している。

    人間がいないのに紡がれる言葉って何。そこに支払われるお金って何。人間を見ずに働く人たちは、自分の名前を自分で、デスノートに書いたのだろうか。誰かに書かれたんなら、私が消したい。

  • 夢中になれるって羨ましいこと

    ルセラフィムの新しいミニアルバム、CRAZY。単語が持つ2つの意味、「狂っている」と「夢中」が両方使われているのが好きだ。

    I’m crazy for feeling more(もっと感じたい)
    夢中になれるって羨ましいこと
    Cause you’re in love(だって恋してるってことだから)
    What’s crazier than loving more?(もっと愛することよりクレイジーなことって何?)
    夢中になれなかった my youth(若い頃の私)
    Still beautiful(今でも美しいよ)

    LE SSERAFIM Crazier

    30代になって文学専攻で大学院に行くって、結構狂ってるよなあと思っていたところだった。夫は「頭がおかしいのは今に始まったことじゃないじゃん」と言う。まあそうなんだけど、若い頃、友達に「ちょっと変な人だね」と言われていたのとニュアンスが違う気がする。人に話したときに、「仕事はどうするの?」とか「へえ~(今から?)」で返されるのは、なんかもっと生ぬるい風が吹く感じだ。

    教員にはならないけれど、博士課程には興味がある。もう仕事はあるから、在学中に就活はしない。本当に研究だけしに行く。大学卒業後にそのまま院進していたらできなかったこと。ずっと希求していたこと。

    普段はがむしゃらに勉強しているのに、ふと、他人からどう見えるんだろうという不安がやって来る。

    そんなときに聴いたCrazier。深く感じ入った。若い頃は、精神的にも経済的にも、勉強に夢中になれなかった。土台が整った今、夢中になれるってすごいことだ。きっと、私にはぴったりのタイミングなんだと思う。他の人のようにストレートで院進できなかったぶん、経験できたことはたくさんある。院進できたとして、卒業できたとして、人と進路が違ってもいい、それが私にとっての正解なのだ。昔の自分から見たら、きっと今の自分は羨ましい。