New Essays Every Monday
-
いただきますぺんぺん
食卓につく。手を肩幅くらいに広げる。「せーの」と言って、ぱちっと合わせる。「いただきます」と言う。そのあと「ぺんぺん」と言って手を2回叩く。10年以上続けている、私たちの儀式だ。
当初はおそらく、「いただきます」と「ぺんぺん」は分離していた。「いただきます」と言ったあとに、夫が好物に「わーあ!」と手を叩いていた。その拍手も一緒にやりたくなり、気づけば合体し、習慣になっていた。昔、回転寿司屋のカウンターで横並びに座り、目を合わせ、「いただきますぺんぺん」で食事を始めたことがある。近くに座っていたおばあさんたちに「あら、かわいい」と笑われた。「はっ!いつものくせが!」と恥ずかしかったけれど、続けている。
人間なので、疲れているときもあれば、欲に負けるときもある。長年連れ添っている慣れ、甘えもあるのだろう。夫はたまに「いただきますぺんぺん」を手抜きする。だらーっとした空気を出したり、早くからあげを食べたくて2倍速ですませたりしようとする。厳しい「いただきますぺんぺん」保存会会長の私は、彼を許さない。彼を叱り、正式な「いただきますぺんぺん」をおこなう。
失敗した「いただきますぺんぺん」が1回、正式に成功した「いただきますぺんぺん」が1回。合計2回の「いただきますぺんぺん」。私は奇数が好きなので、偶数回で終わることができない。もう1回、ふたりで正式な「いただきますぺんぺん」をおこなう。そしてようやく食事が始まる。
こんな日もある。いつもどおり「いただきますぺんぺん」をする。そのあと、私が「あ、ケチャップわすれてた」と言って台所に行ったり、立ち上がってお玉で鍋をよそったりすることがある。私はそのあと、なめらかに「いただきますぺんぺん」をもういちどおこなう。1回目の記憶がすっかり抜けているのである。夫はなめらかな「いただきますぺんぺん」になめらかに参加したあと、「紺ちゃん、さっき1回やったよ」と言う。私は「しまった!」と思う。偶数回の「いただきますぺんぺん」が気持ち悪いから、私たちはもういちどなめらかに「いただきますぺんぺん」をする。
ふたりとも熟練しているぶん、今ではまれな例ではあるが、ちょっと雑な感じになった、気持ちがこもってない、姿勢が悪い、私がすっかりわすれてた、息が合わなかったなどが奇跡的に連続で発生し、合計5回や7回、「いただきますぺんぺん」をすることもある。そこまでいくと、高速アルプス一万尺をやっている感じになる。
「いただきますぺんぺん」が1回で綺麗に終わる日だって多い。そのときは、おたがい静かに「やった、今日は1回ですんだ!」と思っている。
私はこの先も、彼と「いただきますぺんぺん」をやるだろう。1回でうまくいっても、延長戦になっても、私たちは笑う。おじいちゃんになっても当たり前につきあってくれそうという意味で、私は彼と結婚できてよかった。おじいちゃんとおばあちゃんになって、回転寿司屋に行って、若いカップルが一緒に「いただきますぺんぺん」をしているのを見かけたい。
さて。今夜は何回で終わるかな。
-
ニャンちゅうのやさしさ
先月、大阪に行った。そのまま広島にも行った。遅めの昼食にお好み焼きを食べた。多かった。お腹がぱんぱんで動けなくなった。そのままホテルに戻った。
広いベッドにふたりで座り、大きなテレビをつける。時間が過ぎるのはあっというまだ。既に夕方で、教育テレビでニャンちゅうが始まった。わざわざ広島に来て、ニャンちゅうを観る。にゃんたる贅沢。
ニャンちゅうが私たちにクイズを出した。光の速度についてだった。3択で、ニャンちゅうは「どれかニャー」と言っていた。夫が「2番」と言う。私は「え」と言って彼のほうを向く。「乗り気なの!?」 彼は恥ずかしくて笑いをこらえるとき、上唇がぴくぴく動く。
ニャンちゅうは依然「どれかニャー」と言っている。子どもたちが念入りに考えられるように時間をとってくれている。ニャンちゅうはネコで、「ネズミの気持ちを理解したい」がゆえにネズミの着ぐるみをかぶっている。ニャンちゅうはやさしい。
いよいよ正解発表だ。夫は日本でテレビにかじりついている2番を選んだ子どもたちと共に喜んだ。年休をとり、はるばる広島まで来て。
月が変わった週末、彼は美容室に出かけた。ニャンちゅうが楽しかったと、美容師さんに話したらしい。
-
言葉の使いかたが変わるとき
幼いころ、体調不良で学校に行けなかった。母は世間体を気にした。ある朝、目が覚めると、彼女は包丁を持って私のベッドの横に座っていた。「先に死んで。追いかけるから」 私は「そっか」と思って納屋に行き、太い釘を手首に刺した。意識が戻ったとき、彼女は周りの人に「この子が勝手にやった」と言った。毒を盛られる気がして、手料理は食べなくなった。
都会の偏差値の高い大学と、大きな会社に入ること。それはしばしば否定されるが、田舎の危ない環境にいる子どもからすると、逃亡を正当化してくれる希望の光だ。入ったあとにどうなるかなんてどうでもいい。手に入るらしい幸せ、お金、名誉、権力、安泰、人脈も、身近な例がなくて憧れるに至らない。知らん。とにもかくにも生命維持だ。
私は脱出した。寂しさや辛さやどうしようもなさ、ひねくれた性格を、「あの人のせいで」という言葉と結びつけないようにした。言葉はうまく使わないと呪いになる。私は私だけで存在したかった。私が主演のドラマに、彼女はいかなる端役でも登場してはいけない。仕出し弁当屋に扮して現場に紛れ込むのもだめだ。
そうやってしばらく生きていたのに、結婚後、突然あの日の記憶がYouTubeの広告のように生活に押し入ってきた。私はいい妻になれるだろうか。家庭を作れるだろうか。溜め込んだぐちゃぐちゃの感情で、夫を傷つけないだろうか。
病院に行き、薬を飲んだ。長い時間が過ぎた。プログラムを組みなおし、新しい私を起動した。バグを見つけるたびに、夫と話し合い、修正してきた。穏やかな生活のなかで、大学院に行きたかった気持ちを思い出した。逃避の手段にすることなく、学問に向き合いたい。
なぜ文学を学ぶのか。入学試験の面接で聞かれそうなことを、いつも頭の片隅に置いて勉強している。
人文学の究極目的のひとつは、暴力の否定である。あるいは暴力を肯定するなんらかのロジックなりナラティブなりを批判することである。たとえば人文学の一領域である文学研究なら、その末端で推敲される作品を面白く鋭くアカデミックに読むという行為は、たとえば―あくまでたとえば―こうした究極の目的のひとつに奉仕するのでなくてはならない。
阿部幸大『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』、p.138自分に内在する暴力の可能性を忘れずにいたい。そのうえで、暴力に暴力で応戦することなく進む力を身につけたい。
自分の人生に集中できるように、嫌な感情を引き起こす広告で途切れさせないように、プレミアムプランを作ろう。お金はかからない。設定を、考えかたをぽちっと変えるだけ。言葉はうまく使うと物事を終わらせられる。言い切ってしまうと、過去として、現在から離せる。今なら言えるぞ。
さよなら。