Writings

New Essays Every Monday

  • 砂の男

    sandman
    直訳:砂の男
    意味:眠りの精、睡魔

    安部公房が書いたのは『砂の女』で、私に最近しつこくつきまとうのは砂の男。

    体のぐあいが戻ったので、ジムで筋トレを始めた。入会直後に足を骨折し、治ったころに別の病院通いになり、行けずにいた。本当にしっかりと体を作りたくて、付属サービスのパーソナルトレーニングを受けている。月曜にパーソナルトレーニング、筋肉の回復を待って木曜にセルフトレーニングというルーティン。しばらくはマシンの正しい使い方を覚える段階である。いちばん軽いウエイトで、10回×2セットだけやっている。

    ただ、あまりに運動と無縁な人生だったので、料理で言えば塩こしょう少々くらいの量のトレーニングでも、しっかり筋肉痛が来る。そして眠気も来る。1週間のうち、はつらつと元気なのは筋トレ当日の月曜と金曜の15時までで、残りの5.5日はふにゃふにゃしている。

    筋肉がついたら眠くなくなるんだろうか。レベルアップしても眠いんだとしたら、空き時間にトレーニングしているジムのスタッフさんもいつでも眠いということになる。それはそれでおもしろいが。

  • ひとくぎり

    生活はつまらない。日記にしてもおもしろくない。そう思って5月から始めた私の日記。気づけば半年経っていた。

    書き始めて気づいたのは、捨てるものの多さ。事実列挙が嫌で心の動きも含めたところ、ただひとつの事柄で数行にもなった。それをいくつも組み合わせ、1週間分にすると、「誰が読むんだろう、少なくとも私は読まない」長さのものができあがった。たくさんのおもしろいことを取捨選択した。日記はおもしろいことがあるから書くのではなくて、書くから、おもしろいものが見つかるんだと思った。

    私と夫の日常をブログに載せると、生活がインターネットの波に飲み込まれるのではないか、思いがけない個人情報が出てしまうのではと心配していたことも、杞憂だった。読み返した文章に、私たちのことは1%も書かれていない。数分で読める用に切り取っただけの時間に生きていない。書いてないことや、あえて別のほうを書いてもう一方を隠したこと、声色、表情、光、匂い、暗黙知。どの日も当たり前に、日記よりも現実のほうが大きい。

    ちょっと日記を窮屈に感じるようになってしまった。枠を取っ払って、自由に書きたい。書きたいことがわんさかあるんだと気づかせてくれた日記という形、ありがとう。私の日記、ひとまずおしまい。

  • しょうが焼き行方不明届

    レシピは同じなのに、同じ味にならないことがある。たいていの料理は「まあいいか」とごまかしてきた。でも豚のしょうが焼きだけは許せなかった。中学生のとき、ケンタロウさんのレシピで初めて作ったときの感動が、週1くらいの頻度でばんばん再現されなければならない。思いも材料もあるのに、大学を卒業して以来なぜか同じものを作れない。バラ肉よりもロースを好むまで年月が過ぎてしまった。

    変化のきっかけは物価高騰だった。あれもこれも高い。野菜や魚や肉は買わざるをえないので、調味料を見なおした。「ん? 私、愛知の調味料で育ってないじゃん。実家になかったじゃん」

    社会人になって名古屋に来て、色気を出して買い始めたのが三河みりん。色が濃く、四角いビンに入っていて、お高い。「もしかしたらこれが原因かもしらん」と、なくなったタイミングを見計らい、黄色くて小さなボトルの本みりんを買った。

    ごま油で肉を焼く。しょうゆ、酒、水、砂糖、オイスターソース、白ごま、おろししょうが、そして黄色くて安いみりんを入れて絡める。長いこと会えずにいたしょうが焼きと再会した。千切りキャベツとマヨネーズが奏でるハーモニーは、まるで私たちを祝ってくれているかのようだった。料理家さんの本を読むと、上質な調味料を使う人と手軽に買えるものをすすめる人に分かれる。私は後者の弟子につく。