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New Essays Every Monday

  • I am learning how to sail my ship

    ルセラフィムのファンである。
    きっかけはグループ名がアナグラムという点への言語学的な興味だったけど、コンセプトや作品を見て文学的な興味もわき、好きになった。
    リーダーのチェウォンが、インフルエンザの後遺症みたいなもので休養していて心配だ。
    今月末に新曲が出るため、この数日は情報が小出しにされ始めているけれども、そういう事前に用意されたものの後ろで休んでいる人がいると思うと、手放しに楽しめない。

    私はそもそもアイドルのファンになるのが初めてで、結構俯瞰して見ているところがある。
    コンテンツのスケジュールが解禁されれば「マーケの人たちががんばってるんだなあ」、内容を見れば「うまく設計したなあ」と思うし、DAYOFFといって休暇の様子がおさめられた動画を見れば、「何度もメンタルブレイクを起こしたらしいBTSでの失敗を活かして集められた、ケア専門の職種の人たちが会社にいるんだろうな」と推察する。
    私は昔、ブランディングの会社にいたことがあり、メンバー個々の伸びやかな表現や自由さ、美しさと、それを統合させる柔軟で強固なコンセプトメイキングは、「プロだなー」と学ぶものが多い。
    ライブに行ったら、「これ全体を設計した人がいるんだよなあ」「会場ごとに微調整とかするんだろうなあ」「うしろにすさまじい数の人がいるよな」という点にまず感動する。
    メンバーのことは、最終形態の写真やパフォーマンスなども好きだけど、ビハインドとか、曲作りとか、どう制作しているのか、どういう思想やチームワークや積み重ねが最終形態につながっているのかという視点で見る。
    どうしても、作り手の側から見てしまう。

    そんな楽しみ方なので、CDを買ったことがない。
    特典系のグッズやイベントにも興味がない。
    音楽番組や音楽配信サービスのランキング上昇に積極的に関与したこともない。
    マイペースに曲を聴き、MVを楽しみ、weverseでの発信を読んでいる。

    そんな私が、ルセラフィムをまねっこしたことがある。
    会社は、ファーストシングルの活動後、サプライズでホテルのスイートを貸し切った。
    前述の、休むためのコンテンツ、DAYOFFだ。
    ホテルでのバカンス。ホカンス。
    部屋の中にはプールがあり、ルームサービスがあり、メンバーはそれを楽しんでいた。
    今年の4月、とても落ち込んだときに、私も夫とホカンスしてみようと思った。
    ルセラホカンスには到底及ばないが、家から近い、高級なグレードのホテルを予約した。
    節約のため、冷たいものとドリンクは成城石井で買い、温かいものだけルームサービスをとった。
    大きめのテレビで映画を楽しんだ。
    「私もピオナ(ルセラフィムのファンの名前)だー!」と思った。
    熱烈なファンっぽいことをやれたと嬉しかった。
    (この影響で、夫はルセラフィムを「ホカンスの人たち」と呼ぶ)

    こんな私がファンの人とつながるのは、なんだかおそれおおいことである。
    7月にライブこそ行ったけれど、基本行動が曲・MV・weverse、作り手の仕事からの勉強、そしてホカンスだけなのだ。
    グッズを買ったり交換したり、ランキングの投票をがんばったり、メンバーの些細な行動に逐一感激したりしないのである。
    だから、X(旧twitter)で初めてファンの方をフォローしたときは緊張した。
    たぶん、握手会などでアイドル本人に会うのと同レベルだったと思う(行ったことないけど)。
    ファンがアイドルに憧れるように、私は王道のファンに憧れていた。

    タイムラインがアイドル一色になるのも、それが激流のようになるのも好きじゃないので、おひとりだけフォローしている。
    フォロワーが多い、ルセラ情報をたくさん発信している方。
    文章が落ち着いていて、思いやりがある。
    たまに熱量高めのポストをなさっていて、そのギャップも好き。
    ライブで遠征するとか、ネームボードを作るとかをやっていらっしゃるあたり、私が憧れる王道のファンって感じがする。
    なぜかフォローバックしてくださり、たまにお話しているが、きっと私が憧れていることを知らない。

    私がルセラ関連でフォローしているのは、オフィシャルと、その方だけである。
    なので、その方が楽しみにしていると言っていたバンコクのライブが中止になったことも、そのあとアカウントが削除になったこともショックだった。
    何も情報を見たくなくて消したと、後日復活したときに聞いた。

    俯瞰して見てしまう。
    ルセラフィムのメンバーが元気だといい。
    ルセラフィムというプロジェクトに献身している人たちが元気だといい。
    熱心なファンのみなさんが元気だといい。
    ライトなファンのみなさんが元気だといい。
    私は私なりにファンでいて、元気でいれたらいい。

    元気なカムバックになるといいな。
    長期的に考えて、ゆっくり休むほうがいいのであれば、そのほうが当たり前にいいといい。

  • 10月3週目の日記

    10月9日(月)
    外出からの帰り道。自転車に乗ってゆっくりと近づいてきた、にっこにこのおじいさんに道を訊かれる。警察に行きたいらしい。その場所からは交番と警察署に行くことができ、交番のほうが近かった。どちらがいいか尋ねたところ、警察署がいいとのこと。Googleマップを出して、「今ここで、行き先はここです」と説明する。「ああ、わかった、どうもありがとう」と言われたので見送ろうとしたら、私の目の前で反対方向に行き、神社の囲いの岩に突進した。「こりゃだめだ」と、大通りまで案内することに。90代らしいが、もっと若く見える。わかりやすい道に出てから、「お気をつけて」と見送りなおした。笑ったときに細くなる目とか、笑いじわとか、会話の穏やかなテンポとか、なんかよかったなあと思いながら、帰宅して夫に話した。彼は「交番じゃなくて警察署だなんて。もしかして出頭じゃない?」と言った。ヘルメットをかぶって順法精神にあふれていたようだけど、もしかして、もしかして。そう思うとちょっとおもしろかった。出頭かもしれない人の道案内をした私。

    10月10日(火)
    秋、2日間くらいだったと思う。もう冬だ。体温の高い夫は窓を開けるが、私は寒くて閉める。今日は体調が悪すぎた。洗濯物を片付けて、仕事は夜に回して、日中は寝ていた。横になるだけで覚醒してるつもりだったのに記憶がないので、深く眠ったらしい。夜はうまく眠れないくせに、昼に眠れるってなんなんだ。くやしい。

    10月11日(水)
    リスニングの勉強で見ているドラマ。英語字幕と英語音声で見ていて、わからないときに、「んー、ざっくりとこんな感じかな」と予想して日本語字幕を確認するのだけど、それが結構な確率でざっくりしていることが多い。「うん、制限時間的にこうなるのはわかる、けどさ、英語はわりと長めにいろいろ話してたじゃん、それをひと言で訳すって何?」みたいな気持ちになる。表現のおもしろさやユーモアは省かれがち。日本語字幕はもう別物だと思った。

    10月12日(木)
    夕方、スーパーに行った。コミュニティスペース的な建物の横を通る。下りているシャッターに文字を描いている女性がいる。ちょうど、英語のセリフ(台詞じゃなくて、セリフ/サンセリフのほう)の部分を塗っていた。買いものを済ませて、来た道を戻る。さっきのシャッターの前での会話が聞こえた。年配の女性が「綺麗に描いてくれてるわ。ありがとう。今日はもうそろそろね。また明日」と穏やかに言った。描き手の女性も何か言っていたけれど、風が吹いて聞き取れなかった。年配の女性は姿を消す。描き手の女性は筆や絵の具を片付け始める。私は車が来ないのを確認して、道路を横切る。会社にいたころ、あんなふうに仕事を終えたことなんてなかったな。

    10月13日(金)
    体調が戻るまであと少し、というところだ。まだ激しい運動が許可されていない。散歩とかこつけて、花を買いに出た。白や赤、ガーベラやカーネーションなど、わかりやすい色・花が欲しいときは、近所のお店が安くていい。けど、絶妙な色、様々な種類の花の中から選びたいときは、高級なお店に遠出しなければならない。1輪でスタバのフラペチーノの新作がひとつ飲めるくらいの金額。我が家の花瓶は細くて、1輪しか買わないので許容範囲。いつもは「部屋が明るくなるように」「夫が癒やされるように」という目的で買う。今日は自分のために買った。くすんだピンクの小さなバラ。濃い緑の葉っぱがつやつやしている。

    10月14日(土)
    落ち葉がくるくる回っているのか、自分の頭が変なのか、どっちもなのか、わからない。朝からひどいめまいがする。薬を飲むと眠くなるので、飲むのはぎりぎりまでおさえたい。疲れもあるんだろう、気持ちが珍しく虚無的で、すべてがどうでもよく、何が食べたいかもわからない。こういうときに英単語帳はいい。いつものようにそこにある。単語は、3日続けて正答できたら線で消す。今日もいくつか消した。「やった!」と心がぷくっと動いた。まだだいじょうぶだと思った。午後、ひととおり勉強を済ませ、「もうじゅうぶんでしょ」と薬を飲んで寝た。

    10月15日(日)
    おやつにクレープアイスを食べる。開封して夫の部屋に行き、「ちょっとどうぞ」とアイスを差し出す。私が「ま、こんなことしても、いつもみたいにきっと食べないんでしょ」と思って手を戻したタイミングと、彼が口を小さく開けてかぶりつこうとする瞬間が重なった。彼はとても恥ずかしそうで、それを隠そうと口元がぴくぴくしている。私は私で、いじわるな人みたいで心外である。でも、かわいい表情を見られてラッキー。呼吸を合わせて再度アイスを差し出し、彼は食べた。安くて新鮮な天然のぶりを買ったので、夕飯はぶり大根。ぶり大根の制作時間のほとんどが、大根の下ゆでだ。鍋を火にかけたまま自室に戻るわけにはいかないので、台所の横のリビングで、大江健三郎の講義録を読んでいた。この人もなかなかチャーミングだ。本屋で、自分の本が少し積まれている横で、村上春樹の本が山になっていた話をしていた。

  • 好きな人の好きな人が好きなもの

    パトリック・スチュワートの自伝が出版された。
    「新スター・トレック」の艦長役の人である。
    夫が大好きな人である。
    艦長が作品中でホットのアールグレイを飲むので、夫も同じものを飲む。

    自伝は夫のぶんはもちろん、私のも買った。
    ちらっと確認したところ、どうもシェイクスピアへの言及がありそうだ。

    パトリックはイギリスのロイヤル・シェイクスピア・カンパニー出身。
    シェイクスピアの芝居で賞をとったことがある。
    「新スター・トレック」にもシェイクスピアを絡めたシーンがある。
    コロナ禍、パトリックはシェイクスピアのソネット(詩)を毎日朗読し、配信していた。

    私は英文科卒なのだけど、言語学志望だったので、英文学史は機械的に覚えて通過した。
    少し昔の英語がおもしろく、ソネットを読む演習には熱心に出席したものの、戯曲は読んでもいないし観てもいない。

    卒業後、文学にも興味がわき、教科書を引っ張り出して独学してきたのだけど、シェイクスピアの戯曲の時期が来たようだ。
    ちょうど最近、ナショナル・シアター・ライブ・アット・ホームという、イギリスの芝居を観られるサブスクを始めたところで、そこにはシェイクスピアもある。
    翻訳を読んで、英語を読んで、芝居を観て、批評も読んでみる。
    そして夫に解説する。

    2時間かけて作ったぶり大根を一瞬で食べ、「おいしかった!」と言われるように、たぶん時間をかけて勉強して教えても、「紺ちゃんすごい!」しか言われない気がするんだけど、私の好きな人が、好きな人をより深く知る手助けができるならいい。

    (それにしても私はどうして、あんなにソネットばかり読んでたんだろう……)