Writings

New Essays Every Monday

  • 何者かになること

    “No need to hurry. No need to sparkle. No need to be anybody but oneself.”
    急がなくていい。きらめかなくていい。自分以外の何者にもならなくていい。

    Virginia Woolf

    大学時代、広告業界で長くインターンしていた。特別な何者かになることがこの人たちに認められるということなら、私はいいやと思った。浅薄に消費されたくない。雑に要約されたくない。わかりやすいパッケージにされたくない。

    会社で仕事をする指標に、定期評価がある。上司からのフィードバックがある。工夫して取り組んだことが評価されるとうれしい。だからもっとフィードバックを読み込んで、満たそうとがんばる。会社は役割と役割のコミュニケーションの世界で、個々の人間性が隠れやすい。うっすら感じてはいたけれど従っていた上司の尊敬できない性格を、退社後に目の当たりにした。この人に認められたいと、こういう人が集まる会社で認められたいと思ったことを後悔した。

    この前Xで、「めっちゃ意識の高い人」と言われた。夫に話したら「ぷっ」と笑われた。かけ離れた人間だからだ。

    私は小柄で、マッシュボブで、薄いメイクをする。スニーカーやオーバーオールが好き。よく言えばかわいらしい、悪く言えば子どもっぽい。だから昔から、「クールで綺麗なおねえさん」に憧れている。構成要素はわからないけど漠然と憧れている。それを矯正歯科の先生に話したら、「私嘘つけないのよ。紺ちゃんにおねえさんの素質はまったくないわ」と断言された。衛生士さんも深くうなずいていた。帰って夫に話したらまた笑われた。

    彼らの中には、私のイメージがある。Aではない、ときっぱり言えるということは、Bであることが明確なのだ。私がのびのび生きていて、周りの人がそれをポジティブに受け取ってくれているのは、マスメディアや会社の評価よりも、ずっと大切なことのような気がする。わざわざ言葉にして肯定されなくても伝わってくる。

    私は今の感じで、私でいたい。なるものではなく、もうここにいるのだ。好きなことに夢中になっていたら、私は発光せずとも、光のなかにいられる。

  • いただきますぺんぺん

    食卓につく。手を肩幅くらいに広げる。「せーの」と言って、ぱちっと合わせる。「いただきます」と言う。そのあと「ぺんぺん」と言って手を2回叩く。10年以上続けている、私たちの儀式だ。

    当初はおそらく、「いただきます」と「ぺんぺん」は分離していた。「いただきます」と言ったあとに、夫が好物に「わーあ!」と手を叩いていた。その拍手も一緒にやりたくなり、気づけば合体し、習慣になっていた。昔、回転寿司屋のカウンターで横並びに座り、目を合わせ、「いただきますぺんぺん」で食事を始めたことがある。近くに座っていたおばあさんたちに「あら、かわいい」と笑われた。「はっ!いつものくせが!」と恥ずかしかったけれど、続けている。

    人間なので、疲れているときもあれば、欲に負けるときもある。長年連れ添っている慣れ、甘えもあるのだろう。夫はたまに「いただきますぺんぺん」を手抜きする。だらーっとした空気を出したり、早くからあげを食べたくて2倍速ですませたりしようとする。厳しい「いただきますぺんぺん」保存会会長の私は、彼を許さない。彼を叱り、正式な「いただきますぺんぺん」をおこなう。

    失敗した「いただきますぺんぺん」が1回、正式に成功した「いただきますぺんぺん」が1回。合計2回の「いただきますぺんぺん」。私は奇数が好きなので、偶数回で終わることができない。もう1回、ふたりで正式な「いただきますぺんぺん」をおこなう。そしてようやく食事が始まる。

    こんな日もある。いつもどおり「いただきますぺんぺん」をする。そのあと、私が「あ、ケチャップわすれてた」と言って台所に行ったり、立ち上がってお玉で鍋をよそったりすることがある。私はそのあと、なめらかに「いただきますぺんぺん」をもういちどおこなう。1回目の記憶がすっかり抜けているのである。夫はなめらかな「いただきますぺんぺん」になめらかに参加したあと、「紺ちゃん、さっき1回やったよ」と言う。私は「しまった!」と思う。偶数回の「いただきますぺんぺん」が気持ち悪いから、私たちはもういちどなめらかに「いただきますぺんぺん」をする。

    ふたりとも熟練しているぶん、今ではまれな例ではあるが、ちょっと雑な感じになった、気持ちがこもってない、姿勢が悪い、私がすっかりわすれてた、息が合わなかったなどが奇跡的に連続で発生し、合計5回や7回、「いただきますぺんぺん」をすることもある。そこまでいくと、高速アルプス一万尺をやっている感じになる。

    「いただきますぺんぺん」が1回で綺麗に終わる日だって多い。そのときは、おたがい静かに「やった、今日は1回ですんだ!」と思っている。

    私はこの先も、彼と「いただきますぺんぺん」をやるだろう。1回でうまくいっても、延長戦になっても、私たちは笑う。おじいちゃんになっても当たり前につきあってくれそうという意味で、私は彼と結婚できてよかった。

    さて。今夜は何回で終わるかな。

  • ニャンちゅうのやさしさ

    先月、大阪に行った。そのまま広島にも行った。遅めの昼食にお好み焼きを食べた。多かった。お腹がぱんぱんで動けなくなった。そのままホテルに戻った。

    広いベッドにふたりで座り、大きなテレビをつける。時間が過ぎるのはあっというまだ。既に夕方で、教育テレビでニャンちゅうが始まった。わざわざ広島に来て、ニャンちゅうを観る。にゃんたる贅沢。

    ニャンちゅうが私たちにクイズを出した。光の速度についてだった。3択で、ニャンちゅうは「どれかニャー」と言っていた。夫が「2番」と言う。私は「え」と言って彼のほうを向く。「乗り気なの!?」 彼は恥ずかしくて笑いをこらえるとき、上唇がぴくぴく動く。

    ニャンちゅうは依然「どれかニャー」と言っている。子どもたちが念入りに考えられるように時間をとってくれている。ニャンちゅうはネコで、「ネズミの気持ちを理解したい」がゆえにネズミの着ぐるみをかぶっている。ニャンちゅうはやさしい。

    いよいよ正解発表だ。夫は日本でテレビにかじりついている2番を選んだ子どもたちと共に喜んだ。年休をとり、はるばる広島まで来て。

    月が変わった週末、彼は美容室に出かけた。ニャンちゅうが楽しかったと、美容師さんに話したらしい。