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New Essays Every Monday

  • シャツの袖をまくりあげて

    roll up one’s shirt sleeves and get busy
    直訳:シャツの袖をまくりあげて忙しくする
    意味:気合いを入れてがんばる

    メンタルクリニックで薬が追加になり、採血した。
    私は幼いころから血管が細い。
    看護師さんには「血管が逃げる」と言われる。

    7才のとき、アレルギーの検査で大学病院に行った。
    真面目そうな研修医が、「あれ?おかしいな?」と言いながら私の腕に針を刺した。
    右手で30回試しても、左手で30回試してもだめだった。
    私が悪いような口ぶりだったので私が謝っていたが、合計60回もトライされるとさすがに「おかしい」と思い、気持ち悪くなる。
    研修医は、気絶した私を寝たと思って放置した。
    親は食堂に行っていて、そばにいなかった。
    しばらくして看護師が気づき、騒がしくなり、点滴をつけてくれた。
    カーテンを挟んだ横で、研修医が看護師に怒られていた。
    私の腕ばかり見て、顔を見ていなかったらしい。

    メンクリの先生はその話を知っている。
    手の甲の太い血管から採ることになった。
    フラッシュバックさせないようにという配慮にも見えるが、「あなたの血管ね~細いからね~嫌なんだよね~」と本音がだだ漏れである。
    「よーし」と気合いを入れて採ってくれた。
    「痛いです」とぶーぶー文句をたれていたら、先生は「痛くないように高い針使ったんだけど、資源の無駄だったね~」と言った。

    急な嵐で、外が真っ暗になった。
    雷、強風、激しい雨。
    先生が、血液の処理をしながら「雷に打たれると、頭がよくなるよ~」と笑った。
    横にいた受付の人が、「もー、先生ったら変なこと言う」とたしなめる。

    初めて行ったメンタルクリニックは、典型的な3分診療の病院。
    精神科はそのほうがもうかる。
    そこの先生は、いつもパソコンの方を向いていて、目を合わせない。
    読書や勉強や考えることを一切やめ、薬を飲んでいればいいという考え方だった。

    今通っているクリニックは、先生の趣味というか研究もかねていて、診察の枠が30分から1時間と長い。
    些細なことの相談や報告、冗談を交わす余裕がある。
    診察や、薬の処方のさじ加減が、たぶんかなりうまい。
    こちらを向いて、目を合わせて診てもらえることがうれしい。
    先生なりの気合いの入れ時や表現方法がある。

  • 7月2週目の日記

    7月3日(月)
    7月に入って、勉強時間とハビットトラッカーを記録し始めた。可視化するだけで「やろう」と思える。今日はジムに行き、いつものウォーキングに加えてマシントレーニングをした。去年の夏に足を骨折してしまってから、安静にして、リハビリして、体力を戻して、という過程を踏んだので、かれこれ1年ぶりだ。お酒を飲み、歌いながら夕飯を作った。ベッドでゆっくりと体を動かして、筋肉痛を確かめた。今の私には、筋肉痛が来るのだ。

    7月4日(火)
    日中、リビングにはエアコンを入れていない。テーブルの上の花瓶を、エアコンのきいた私の部屋に移動させる。とはいえ風が直撃しない場所。夏は花が痛むのが速い気がする。痛んでいく姿も綺麗だ。

    7月5日(水)
    本屋。先生におすすめしてもらった村上春樹の本などを買う。彼のフィクションはあまり読んだことがなくて、「オムレツの人」と覚えている。11時に閑散としていた街が、12時に人だらけになった。スタバのノンフォームラテをテイクアウト。ステラおばさまのお店にも行った。初めてであわあわした。今日はくじの日で、前に並んでいた女性が慣れた様子でくじを引き、クッキーを1枚当てていた。たくさん買って、さらにもう1枚ついてくるなんて。私は3枚、約250円だったので、くじの権利をもらえなかった。ここで働く人は、「お電話ありがとうございます、ステラおばさんです」と言うんだろうか。常連さんは「ステラおばさんに行こう」と言うんだろうか。おばさん連呼に疑問をもたないのだろうか。

    7月6日(木)
    筋肉痛が長引いている。負荷はかなり低くしたし、たんぱく質も取っているので、久しぶりだったからだろう。週2が理想だけど、当面は週1かな。朝、夫がスマホの画面を割ったのでなぐさめる。この前届いたばかりの中古の安いやつ。通勤の電車で、もう1台買ったとLINEが来た。こういうときだけ、とてもすばやい。

    7月7日(金)
    夫と舞台「ART」を観に行った。コロナ禍が始まって以来、初めてのお芝居。「私たちも演者さんもスタッフさんも健やかでありますように」と願っていた1週間だった。席は2階の2列目。大泉洋の長い台詞がすごくて、会場から拍手が起こっていた。話はキャラクターの造形上、理屈っぽく、早口で、聞き取るのに苦労した。耳が弱くなったなと思っていたら、夫も「ちょっと席が遠かったね」と言っていて安心した。劇の感想を交わしながら、遅めの夕食。帰宅後、寝るのが惜しくて、うつらうつらしながらストレッチポールにのっていた。気づけば3時。夫の部屋に行くと彼も起きていて、一緒にぐでーっと伸びて遊んだ。

    7月8日(土)
    7月9日(日)
    熱心に文章を書いた。ブログ用ではない。土曜日の夜に始めて、熱が冷めないままベッドに入ったら、日曜日の朝、全然寝た気がしなかった。頭の中にあるものを早く外に出したい、早くデータにしたい、印刷したいと焦る。朝の5時から書き、8時に一旦終えて気を抜いたら、胃酸がどばっと出たみたいで急に気持ち悪くなった。お昼のカレーで悪化した。くらくらする頭で推敲を重ねて、タイトルを考えた。構成メモに書いておいたタイトルは、完成した本文にはファニーすぎた。夫は爆笑し、呼吸を整えてから私の肩に手をのせ、にっこり「よくない」と言った。話し合って、ごくシンプルなものに決めた。

  • ポストにキスをする

    kiss the post 
    誤った直訳:郵便ポストにキスをする
    正しい直訳:柱にキスをする
    意味:遅い帰宅で締め出される

    郵便ポストは、アメリカ英語でmailbox、イギリス英語でpostだ。
    辞書で引くとpostには4種類あり、柱の意味の熟語にkiss the postが載っているので、私が間違って直訳していた。
    どうして郵便ポストにキスするの?????と、クエスチョンマークをいくつも出していたころが懐かしい。
    ドアを開けようとしたら締め出されているのがわかり、仕方なく玄関近くのものに寄りかかり、姿勢を崩してキスしちゃうイメージは変わらない。
    kissという動詞をつけた人を天才だと思う。

    私は夜遊びしないので、締め出されることはない。
    Iを主語に作文することはない。

    この前の金曜日、久しぶりに夫と観劇に行った。
    終演が20時、そこから名駅に移動して、食事を始めたのが21時。
    22時の閉店に合わせて店を出た。
    街は解散する人、次の店に行こうとする人で溢れていた。
    家から締め出されそうな人についていって、無事に締め出されるのを見届けたい。
    私はkiss the postで作文したい。

    電車を降りて、住宅街を歩く。
    締め出された人がいないか目を光らせるけれど、いない。

    隣の家の玄関に、何かいる。
    ついに作文できるのかと近寄ると、馴染みの白いのら猫だった。
    ちんまり座っていて、「夜はこれからです」とでも言いたげに目が輝いている。
    私たちは発光した目でコミュニケーションした。
    いつか共に、締め出された人を見つけようぞ。
    そして一緒に作文しよう。