New Essays Every Monday
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受験勉強をしたくない
2冊目の教科書を読み終えた。疲れた。
主に文学史の知識をつけるためにこれを読もうと決めたのは自分だ。学校に指定されているわけじゃない。受験にはこれ、と太鼓判を押されるほどには受験者が多くない。たぶん、日本語で書かれた文学史の本を読んでも受かる。過去問を見る限り、そんなに難しくない。勝手に高い目標を設定して、息を切らしながら毎日生きている。するする読める英語なんて少なくて、あーでもないこーでもないこれなにあああああーと思っている。
受験勉強をしているけれど、受験勉強をしたくない。フィッツジェラルド、グレートギャツビー、ポー、大鴉、トウェイン、ハックルベリーフィンの冒険、メルヴィル、白鯨。作家と代表作とあらすじの組み合わせを覚えるだけで済ませたくない。実際の作品をできるだけ読みたい。作品を読んで感想をもったら、名前も経歴も自然と頭に入る。こういうことを、大学時代からやりたかった。テストのためにさっと機械的に出会うのではなく、ひとりひとりの話を聴こうとすること。
2冊読めたから、もう2冊もいけるはずだ。12月もがんばる。
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コルクがぽんっと抜けたような
学校や会社で関わるすべての人と仲良くなろうとする必要なんてなかったことに、昨日の夜、突然気づいた。同期や同僚という言葉でくくられる以上、よい構成員にならなければと思っていたけど、間違っていた。機嫌を取ったり評価を気にしたり、うまく振る舞えなくて落ち込んだりしなくてよかった。
気が合う人とはそのままでいいし、そうじゃない人とは最低限の関わり以外、何もがんばらなくていい。いやはや。とっても拍子抜け。
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愚か者
やけに破れている本だと思っていた。古本、岩波文庫赤帯、回想録、上下巻の2冊セット、カバーなし。古本でしか手に入らないもの。英語で1章分の抜粋を読んだあと、通読したくてネットで買った。
「これは私に必要な作品だ」という勘は当たって、どんどん読み進められる。ページの3隅が茶色く焼けているのに加えて、下の方が小さく破れている。高まっていく知的な興奮に、残念な気持ちがちらつく。説明欄に書いておいてほしかったな。でも安かったから仕方ないか。あーあ。
上巻の半分を過ぎたころ。左のページの文章を読み終えて、次のページに行こうとした。少しだけ視線をずらした。私の指がページをぴりっと破いていた。合点がいって、ページの端をそっと触ってみた。またぴりっと破れた。「なんて馬鹿なことを」と吐きつつ、「いや、偶然かもしれない」とも思い、もう一度別のページで試してみた。私じゃん。
「何度も読み返す本になりそう」という予感を強めていたので困った。がしがし読むのに耐えられない。「ええい、売ってしまおう!」と決めて巻末を見たら、初版本だった。「この繊細さは初版でいらっしゃったからなのですね」と思うと売りにくくなった。無邪気な犯行も愚かだが、社会的に価値のある人だとわかって態度を変えるような真似もまた愚かだ。誰かのせいだと疑ったことも恥ずかしい。主人公のまっすぐな生き方は私に、この本を読むのに値する、所有するのに値する人間かと問う。
「日本の古本屋」で別の古本を探す。上下巻セットで、発行年が新しいもの。
背筋を伸ばし、「お取り扱いありがとうございます。誠に恐縮ながら、再度注文いたします。つつしんで拝読する所存でございます。よろしくお願いいたします」と一礼してから決済ボタンを押した。