Writings

New Essays Every Monday

  • デスノートとライター

    ウェブサイトの問い合わせフォームから、仕事の依頼が届く。お好きなカバンをプレゼントするからPRしてほしい、というのは担当者が変わるたびに来る。先週届いたのは、会社が指定する記事をXで投稿してほしい、その反応に応じて報酬のランクが変わり、200円から10000円を支払う、というものだった。

    依頼の文章は、宛名以外はコピペだ。会社の紹介と、マネタイズのメリットがつらつらと書かれている。会社のウェブサイトを見たら、ライティングにこだわっている組織だと書いてあった。それなら仕事依頼の文章に手を抜くなよ。気になった人の名前だけ覚えて、いきなり自分の話と金の話で告白するか? 私はたまに自分がデスノートを持ってるんじゃないかと思うときがある。「この店は/会社はつぶれる」と感じたらわりと当たる。

    昔、私はウェブメディアの編集長をしていた。自分で記事の企画をして、ライティングもした。職種としては未経験だったけれど、プランニングやディレクション、インタビューは人事の仕事で散々やっていたので、そこに文芸の経歴を入れれば大丈夫だと思った。入社してすぐ、退職予定の前任者の取材に同行した。飲食店を3軒まわる予定だった。それなのに、彼女は時間にルーズだった。次の店に遅れることがわかっても先方に電話しない。あの平然さから推測するに、いつもそうやっていたんだろう。引継ぎとして教わったのは、「味を確かめる」「情報を聞き逃したらhotpepperをコピペすればいい」「記事なんて誰も読まない」。

    コピペ主義者は、取材に他のメディアで聞かれているような質問リストを持って行きやすい。どうしてこのお店を始めたんですか。どんな苦労や工夫がありますか。この料理の特徴を教えてください。機械的。せっかくの現場で、店主の表情を見たり、インテリアのこだわりを聞いたりすることなく、頭はもう「どう書くか」に向かっている。写真撮影のせいで冷めた料理に、「おいしいですね!」と大げさに言う。会社に戻ってから、誰かが既に世に出しているものに似た記事を作って、こだわりの綺麗な言葉を当てはめ、セオリーどおりにできるだけキャッチーなタイトルをつける。

    取材の時点で人間を見ていない。記事が届く先の人間も見ていない。そもそも、今何を感じているか、心がどう動いたか、何を思い出したか、入念な観察で何を見つけたか、事前のリサーチで何に気づいたか、そういういろいろが交差する媒介として人間、自分のことも無視している。

    人間がいないのに紡がれる言葉って何。そこに支払われるお金って何。人間を見ずに働く人たちは、自分の名前を自分で、デスノートに書いたのだろうか。誰かに書かれたんなら、私が消したい。

  • 夢中になれるって羨ましいこと

    ルセラフィムの新しいミニアルバム、CRAZY。単語が持つ2つの意味、「狂っている」と「夢中」が両方使われているのが好きだ。

    I’m crazy for feeling more(もっと感じたい)
    夢中になれるって羨ましいこと
    Cause you’re in love(だって恋してるってことだから)
    What’s crazier than loving more?(もっと愛することよりクレイジーなことって何?)
    夢中になれなかった my youth(若い頃の私)
    Still beautiful(今でも美しいよ)

    LE SSERAFIM Crazier

    30代になって文学専攻で大学院に行くって、結構狂ってるよなあと思っていたところだった。夫は「頭がおかしいのは今に始まったことじゃないじゃん」と言う。まあそうなんだけど、若い頃、友達に「ちょっと変な人だね」と言われていたのとニュアンスが違う気がする。人に話したときに、「仕事はどうするの?」とか「へえ~(今から?)」で返されるのは、なんかもっと生ぬるい風が吹く感じだ。

    教員にはならないけれど、博士課程には興味がある。もう仕事はあるから、在学中に就活はしない。本当に研究だけしに行く。大学卒業後にそのまま院進していたらできなかったこと。ずっと希求していたこと。

    普段はがむしゃらに勉強しているのに、ふと、他人からどう見えるんだろうという不安がやって来る。

    そんなときに聴いたCrazier。深く感じ入った。若い頃は、精神的にも経済的にも、勉強に夢中になれなかった。土台が整った今、夢中になれるってすごいことだ。きっと、私にはぴったりのタイミングなんだと思う。他の人のようにストレートで院進できなかったぶん、経験できたことはたくさんある。院進できたとして、卒業できたとして、人と進路が違ってもいい、それが私にとっての正解なのだ。昔の自分から見たら、きっと今の自分は羨ましい。

  • 波打ち際の幼稚園児

    入試のため、勉強中である。「○○の作品おもしろかったー!」と元気いっぱいはつらつニコニコの日と、「英語難しいよ…」と落雷ずどーん泣きっ面の日が波のようにやって来る。そして試験を受けてもいないのに、研究しに行くのに、「ともだちできるかな…」ともつぶやく。夫はそれを見て「幼稚園児か」と笑う。続けて「やーいやーい」ってからかうから、どっちもどっちだ。