Writings

New Essays Every Monday

  • AかBか

    箸を正しく持つこと。賛成派と反論派に分かれてディベートさせ、最終的にあなたの意見を述べなさい。

    大学入試の小論文対策。高3の放課後、国語の先生は私に個別指導の時間を割いてくれていた。課題をもらって解き、次の日に添削してもらう。持ち帰って修正し、提出しなおす。

    ディベートの課題に苦労した。2つの立場の人間、AとBを用意してそれぞれに意見を用意する。一方の意見が多くなってしまう。たとえば一方が原稿用紙5行分話したあと、もう一方が1行話す、というふうに。その1行も、「そういう視点もありますね」などと内容がなく、実質的に片方の独壇場になってしまう。自分の意見に反論できない。別の視点を論理的に構築できない。

    先週、ハリエット・ビーチャー・ストウ『アンクル・トムの小屋』を読んだ。アメリカの奴隷制度に警鐘を鳴らし、南北戦争のきっかけのひとつになったとも言われる作品だ。登場人物の造形がすばらしい。私は浅学で、単に賛成派と反対派が2者いたんだろうと思っていた。違った。どちらかと言うと片方側だが、環境的に、政治的に、経済的に、慣習的に、もう片方の意見もわからなくはない人や、外に出している立場と内心が違う人がいた。それを「つまりグレーです」「グラデーションです」と要約することも暴力的で、本当にいろいろな人がいた。はっきり2分割なんてできなかった。入り組んだ複雑な問題だった。

    著者は実例をもとに書いた。多くの人に会い、話を聴き、調べたのだと思う。それらと自分の意見を照らし合わせて、別の考えの可能性を見つけ、検証したんだろう。ものを見ること、考えること、書くことを慎重に、緻密におこなっていたんだろう。

    いい作品だとは口に出しづらい。扱う問題が問題だ。エンディングには批判もあり、彼女も後悔していたとの記録がある。

    いい文章だった。

  • 青い葛藤

    外ではイヤフォンをつけてSpotifyのプレイリストを聴いている。スマホを見ない。本も読まない。世界をぼんやり視界に入れている。

    一歩を踏み出そうとする人がいたとして、私は気づけるだろうか。とっさに動けるだろうか。止めるだろうか。立ちつくすだろうか。何かできることはあるだろうか。そう考えることは傲慢じゃないのか。

    駅員が指差し確認をして、ホームに普通電車が到着する。反対側のホームで、特急電車が通過する。

    転がり落ちる人がいる。進入する人がいる。飛び込む人がいる。生きている世界でも、その先でも、私はうまく話せない。

  • 浮気の調書

    私「きみさ、浮気とかしないの?」

    夫「あっ」

    私「えっ」

    夫「このまえ声をかけられた」

    私「なんて言われたの?」

    夫「にゃーって」

    私「どう返したの?」

    夫「にゃー」

    私「そしたら?」

    夫「にゃーって」