New Essays Every Monday
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LeMonJuICENoMit@ii4:)

日曜日、ベーグルがおいしかったから、パスワードをすべて変えることにした。なにもかもうまくいきそうな気持ち。ブラウザに記憶させる機能を使っていたぶん、それをひとつずつ消していけばいい。重くてだるい、めんどうなことを片づけよう。
100以上あるリストを眺める。まずは、ずっと使ってない、アカウントを消せそうなサイトから攻める。消したところで、「アカウントを消したアカウント」として記録が残るのはわかっている。そもそも、できるだけ登録しないほうがいいよねえと思いながら、サクサク行く。削除しました、これまでありがとうございました、というメッセージやメールが届くサービスばかりじゃない。だから、別れ方がうまいサービスは記憶に残る。
海外の店のいくつかで、「削除するには問い合わせフォームからコンタクトしなきゃいけない」ものがあった。ペースを落としたくなかったから、住所やクレカの情報を消し、パスワードを変えた。
ひとつずつ見ていくと、私はほぼ、大きな会社にしか自分の情報を預けてない。大きめの会社で、注文をまとめる。取り扱いがない場合、新しい店で新しいアカウントを作るよりは、街まで出てリアル店舗で買うほうが好き。買い物の範囲が狭いのも、都市部に住んでるのも、アカウントをたくさん持たなくてよいことにつながっているから、私ラッキーとか賢いとか言える問題ではないとは思いつつ。
よく使う厳選サービスが残った。パスワード作りに本腰を入れる。メモ帳アプリを開き、サービス名と、変更後のパスワードを記録していくことにする。もう、パスワードをブラウザに記憶させることはしない。
新しいパスワード。何にしようかしらん。覚えておく気がないので、複雑で長いものにしたい。プラトンは、文字よりも音声を重視していた。文字に記録し始めれば、人間の内的に記憶する力が衰えると言った。これはさすがに覚えられん、文字が必要やわ、と、プラトンに白旗を掲げさせたい。
「新しいパスワードを入力してください」というテキストを見て、Omoiukabanaiyonと思った。NaniniSurebaiiKanaと遊んでいたら、音に引っ張られて西野カナが頭の中に現れた。そこから時が遡り、ドコモのガラケーN504i、キッチュな待ち受け、大文字小文字数字記号を駆使したメアドの記憶に飛ぶ。
たとえばSentakuMonOHosanaKuCHAでもいい。倒置して、HosanaKuCHA!SentakuMonOにしてもよい。好きなものですらない、そのときに浮かんだもので歌う即興詩のよう。
無意味さの堅牢さに抗うように、私は遊んだ。入力欄では●で表示される、どうせ隠れてしまう文字に意味を求めた。推測できないもの、長いもの、複雑なものを、私はずっと書き続けられるような気がした。お気に入りは、LeMonJuICENoMit@ii4:)。超強いギャル。
最終的なパスワードはすべて、意味のない、でたらめな文字の組み合わせにした。ファイル名をつけて完成。プリントアウトしたものは、有意味のノスタルジー、無意味の詩集。
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柿とみかんとシナモロール

大学の健康診断の日。研修生はレントゲンだけ。レントゲン1枚で何がわかるのだろう。指定された時間まで少しあったので、先に健康保健センターに行った。のんびりした雰囲気の部屋に、女性がひとり、仕事していた。血液検査とか尿検査ではなく、レントゲンが必須ってどういう背景なのですか、と聞いた。彼女は「レントゲンでもいろいろわかるんですよ。そのなかでも特に大学が気にしているのは、感染性の結核です」と言った。ワンオペで、定時に上がれそうな空気と、結核の言葉の緊張にギャップを感じる。すみません、今、ここはとても穏やかな場所に見えるのですが、もしかして、コロナのときはとてもご多忙だったのでは、と聞いた。「そうなんです、ここと情報管理センターはずっと深夜まで仕事してました。親御さんから、『学費を払ってるのに学校に行けないってどういうことか』といったお電話がひっきりなしにかかってきましたし、本当に有事でした」。健康診断の案内の、「レントゲンを受けてください」の文字の羅列だけでは見えなかったこと。
研修生はレントゲンだけなので、健康診断会場での持ちものが違う。あ、あの人、研修生かも、という人を見つけたので、突然すみません、もしかして研修生の方ですか、と声をかけた。スーツを着た男性。ジャケットを脱ぎ、シャツの裾をズボンから出し、いつでも撮ってくださいアイムレディーという感じ。しゃきっとしている。「いえ、科目等履修生です」と言った。研修生でも、科目等履修生でも、とにかく、正規の学部生・院生以外と会うのはこれが初めてだった。入学式もないし、同級生もいないし、親睦会があるわけでもないし。普段は個々に、おのおのの目的と場所に散らばっている。神学を勉強していること、4年目なこと、もう数年学ぶ予定のことなどを、レントゲン撮影の順番待ちの間に教えてくれた。いくら社会人学生でも、当たり前に苦手な先生はおり、「それでも単位取得がんばってます」と言っていた。「ここで学ぶのが憧れだったから」とも言った。レントゲン用の車に乗り込み、すぐさま撮られ終え、「よかったら礼拝堂にいらしてください」と言って去った。先輩にならって、私もさっと乗り、撮られ終え、帰ろうとする。
学食のある棟の近くで、なじみの清掃スタッフさんを見かけた。明日、昼休みにいっしょにごはん食べませんかと誘う。「それはとってもいいよ!」と返ってきたけれど、2限が終わる時間と、彼女の午後の仕事が始まる時間が、15分しかなかった。私は、それじゃあデザートですね、と言った。「そうだね。でも私何か作って来る。あなたごはん食べたらいい。何が好き?」だいじょうぶです、お気遣いなく、と言ったら、「そう?わかった」と言った。2限後の15分、おやつを持ち寄って食べることになった。大きめのスーパーに寄って、お菓子を探す。甘いのとしょっぱいのの組み合わせがいいよな。個包装だと職場で分けてもらいやすいし。ここはサツマイモとか秋物でいくべき?いや。うーん。長い棚を行ったり来たり、ぐるぐる周ったりして、徳用パックのアポロとパイに落ち着く。「お菓子売り場にあるけど、お菓子は二の次で、付属のおもちゃがメインのもの」も買ってみようと、サンリオの「ぴたハグ」もかごに入れる。りんご味のガム1個つきの、ぷにぷにマグネットクリップ。よろこぶだろうか。
次の日、早めに支度して大学に行き、2限の教室に行く。来日した作家の講演会。普段授業を取ってなくても参加できる。前々週、指導教官の研究室に向かう途中でチラシを見たのだった。作品も予習済み。始まる前、コーディネーターの先生に、挨拶に行った。入学直後にお会いして以来だ。講演中、私は耳に器具をつけていますが、イヤフォンではありません、講演に集中するために必要なものです、と断りを入れる。「ええ、構いません」と言われる。いちばん後ろの席に座る。しばらくすると指導教官が現れたので、立ち上がって挨拶する。彼は「あ、紺」と笑い、「僕は前のほうに座るね」と言う。この作家は、彼の研究分野に関わる人。前のほうって言ったのに、どちらかというと後ろ寄りの真ん中に腰を下ろしていた。前のほうとは?と思った。
講演と質疑応答が終わった。サポートの人が端から現れて、「全体の写真撮影をします」と言った。わーい、写りたくなーいと思い、さっと教室を出た。清掃スタッフさんとの待ち合わせ場所に急ぐ。昨日会ったばかりなのに、私を見つけるやいなや、「ああ!いた!会えたね!」と言った。風が涼しく、日差しがやわらかい日。ベンチに腰掛けてお菓子を取り出す。彼女はぎょうざを作ってきて、「これ、食べて」と渡してくれた。もう、いいのにー、お手間でしたよねと言ったら、彼女は「すぐできるこんなの」と言った。見るからに、皮から手作りなのに? アポロとパイの袋を豪快に開け、アルコールティッシュといっしょにまとめて渡す。はい、食べますよ、時間がありません。せわしない。周りには、2限終わりの、ランチに向かう学生がいっぱい。彼女からはぎょうざで終わりと思っていたら、「あとこれ」と、みかんを4個くれた。「あとこれはあなたの先生に」と、大きな柿もくれた。お、おお。
さっきの講演会で、作家の方が、「還暦間近だから、これからはスローダンスするように生きるつもり」と言ってたんですよ、と話した。すると清掃スタッフさんは、「私は先週、栄のイベントで1日7回踊ってたよ」と言った。見せてくれたスマホに写っていたのは、中国の伝統衣装とメイクで踊っている、ガチダンサーだった。「おいくつでしたっけ」と聞いたら、「もう70なるね」と返ってきた。数十分前の講演との温度差に笑う。作家は、何かステレオタイプ的なものを描きたくないと言っていたけれど、彼女が自身に向ける老いのイメージを覆す人が、私の目の前にいると思った。あ、そういえばこれ、と、「ぴたハグ」を渡す。孫が何人もいる人なので、ここでサンリオが出てきたところで、「は?」とか言わない。食えないものだろうが下手な絵だろうが、なんでもいい、まずそのプレゼントの気持ちや行為自体を愛でまくるおばあちゃんモードが自動で発動するよう。開封する前から、外装をすごいぷにぷにぷにぷに触りながら、「かわいい」「うれしい」とよろこんでいた。どれが出たらうれしいですか、と聞いたら、「キティちゃん」と指さしていたけど、出てきたのはシナモロールだった。でもやっぱり絵柄はどうでもよさそうだった。「かわいいかわいい」「さすが若い人」と、早速かばんにつけていた。
柿を渡さなければならなくなったので、先生の研究室に向かう。が、来客中だった。図書館に行く。本を返して、予約していた本を借りる。いくら外が涼しくても、図書館のエアコンの涼しさは格別だ。ぐでぐで過ごした。再度研究室に行ったら、別の来客が始まっていた。やっぱアポ取ってくるべきだよなあ、でもなあ、柿、と思って、近くの共有ラウンジに行く。ソファとか、給湯器とか、冷蔵庫とかがある、基本的に教職員と院生用のスペース。私も出入りを許されている。ドアを開けると、さっきの講演でサポートしていた方がいた。あ、お邪魔ですか、と退室しようとしたら、ぜんぜんぜんぜんだいじょうぶです、どうぞ、と言われて、なんかその言い方に親しみを覚えた。私は彼女をさっき見たけれど、彼女からは多くの参加者のひとりなわけで、自己紹介が必要だ。○○先生の研修生で、さっきの講演にうかがいました、お仕事おつかれさまです。こういうときに、社交辞令的じゃなく、あえてぐっと自分を出してくる人が好きだ。要約すると、心からほっとしていると言っていた。パートの自分には大仕事だったと。だから今ここで気を抜いていると。私は研修を作る仕事をしていたので、研修講師を迎えて研修を滞りなく進める立場の気の張りがわかる。講師の方をランチにご案内したあと、ふわぁーっと気が抜けますよね、と言ったら、「そうなんです!終わったーと思って学食に行ったら、コーディネーターの先生と作家さんがいらっしゃったんですよ。学食っていくつもあるのに!まさかここ!って感じで。なんか私の感想も言わなくちゃいけないのかなって考えたんですけど、いや、そんなのいらないよなとも思って、焦っちゃって」。ああ、オフにしたスイッチ、爆速でオンに戻しますよね。さっきもらったみかんをひとつ渡した。10月1日木曜日だった。もう今週の仕事は終わりってことにしちゃえばいいですよ、と言った。「えっ、そうですか!?」と上がる口角が、頬を押し上げて、その頬が大きめの眼鏡のプラスチックフレームを上にずらす。ええ、なんなら今月の仕事は全部終わりってことでいいと思いますと言ったら、「きゃー!」と笑っていた。あら私、いけないこと考えちゃった、うふふ、みたいな顔で。
ラウンジで文章を書いて待っていたら、指導教官が現れた。「え、アポじゃないよね」とダブルブッキングを恐れた顔で言う。アポじゃないです、柿です、70歳の友人からあなたに、と言って柿を手渡す。彼の表情がすぐにゆるんで、「え、柿?」みたいなものに変わる。私もあなたの立場だったらそう思いますよ。では、と言って退室すると、うしろから「じゃあ来週の面談で」と聞こえる。
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2026年9月、私を通過した読みもの



9月は長く感じた。こうやって記録していると、いかに現実(『存在と時間』)から逃れたかったか、逃避が逃避になってなかったか、やはり読みたいと思い続けていたかがわかる。
『存在と時間』の入門ルートはいくつもあるだろうけれども、私は中山元訳を選んだ。本の半分が懇切ていねいな解説で、ゆえに8冊あるというボリューム。解説を先に通読した。用語をAIに入れて用語集を作り、テストにつきあってもらって覚えた。そしてハイデガーの本文を読む。このやり方を2巻目で見つけ、8巻まで通した。彼はそれまでの哲学が見誤っていた「存在」に焦点を当てるために、数えきれないくらいの造語を駆使した。なので、読者はほぼ、外国語を一から学ぶようなものだ。指導教官は英語で読んだらしく、読むのにすごく苦労したと言っていた。私はそこまでではなく(そこまでではないと言っている時点で読めていないのかもしれないが)、日本語だからかもしれないと言った。ドイツ語の “In-der-Welt-sein”は、英語で “being-in-the-world”と長いのに、日本語だと5文字、「世界内存在」である。ハイデガー読むのが楽しいことを「すごい」とか「読めてないんじゃないか」とかジャッジせず、「日本語ってビジュアルだもんね~」と言う彼の姿勢が心地よかった。難しいものを読めて偉いとか、読めなくてだめとか、そういうことではないからね。
私は認知的に現象学と相性がよく、フッサールを楽しく読み、それを存在論にしたハイデガーもおもしろく読んだ。轟先生の『ハイデガーの哲学』は、読めてよかった。ハイデガーといえば『存在と時間』じゃん、ナチスに加担したんじゃん、というステレオタイプ的な知識を、はさみでぱちんぱちんと切るように、ひとつずつ改めてくれた。『存在と時間』だけが読まれ過ぎている、ハイデガーの哲学は後期のものも含めてとらえるべき、彼がナチスに加わった目的はナチスと目的が異なり、それゆえに彼は短期で辞職し、自分の思想を更新し続けた。言葉の定義が違うから離れる、しかし自分の思想の核が間違っているとは思えないから、考え続け、論文で証明しようとした人、という印象。明らかなカリスマ性や過ちがあり、ゆえに偏見も持たれる人、というのが、現時点での彼に対する研究の成果のひとつだと理解した。だからたぶん、『存在と時間』の語り口やダイナミズムがおもしろい、と思うのはやましいことじゃない。とはいえ、
ハイデガーは「存在への問い」を突き詰めた結果、自分が語ろうとしていた事象は「存在」という語によっては示しえないことを明瞭に自覚することになった。「存在」はじつは「存在」ではなかったと言うのである(!)。
轟孝夫『ハイデガーの哲学』 p.475ハイデガーのどのテクストでも、読みたいと思ったものを読みたいところから読めばよいのである。ハイデガーはどこにおいても、ただひたすら「存在」のみをさまざまな観点から試行的に語っているにすぎない。
轟孝夫『ハイデガーの哲学』 p.4952ヶ月かけて読んだ結果が、まじかよ、「存在」が消えちゃった!ということだし、要約すれば「ハイデガーはとにかく「存在」」なのだけど、彼は86年の人生をかけて取り組んだわけで、なんだか哲学というのは、その哲学者の思考の試行錯誤史を追うようなものだなと思った。
ハイデガーを読んでいて、ランチにキッチンに立ったとき、よくNetflixでフリーレンを観ていた(もう何周目か知らん。基本的に静かで好き)。ぽけーっと見ているとき、ザインという僧侶のキャラクターに、ん?と思った。もしかして、と調べたら、フリーレンの言葉が基本的にドイツ語だと知った。Sein(ザイン)は、「存在」である。ちょっと気晴らしに、と思って手に取ったものにハイデガーの影響があって、サブリミナルみたいだった。『葬送のフリーレン』自体、存在論的よね、と思って、マンガも読み始めた。
Xのリポストで見かけた『ハーモニー』のマンガ版も読んだ。セール中だったので、4冊合わせて1000円いかなかった。だからさっと読み終わる軽い作品なんだろうと思っていたら、全然そうじゃない、ハードなSFだった。ハイデガーから逃避したくて読み始めたのに、フリーレン以上に硬派な存在論だった。綺麗なディストピア。作者は伊藤計劃(いとうけいかく)。英語表記だと “Project Itoh” というのがかっこよくて、私もそういうのにしたいと夫に話した。彼は私の実名でごにょごにょ遊んだ結果、なんかプリキュアみたいな、どこかの化粧水みたいな名前を出してきた。「やーい、ぷりきゅあ」と言ってくるのも、それにむきーっとなるのもレベルが知れている。彼は「同じ作者の『虐殺器官』もおもしろいよ」と言ったあと、笑うのをやめて、「でも早くに亡くなっちゃったんだよね」と言った。
YOUと藤井隆のYouTube動画の話のトーンを頭のどこかでリピート再生しつつ、『ニューヨークで考え中 5巻』の表紙のように、「ふ~」と息抜きをした。『GISELe』のブラックコーデ特集を細かいところまで読み、ボートネックのトップスを2枚買った。
『存在と時間』と『女の園の星』は、「冷静に考えると、この時間、なんだったんだろう。でもなんかよかった」という意味で似てる。
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秋のメロウフルーツ

物体としての本に「なるほど」と思うことがあってから、エッセイを本にまとめたいなと思っている。けれど過去のものを読み返したときに、少しずつ文章が変わってきていて、どこをどう切り取って編集しようか悩む。
何年もの独学のすえに大学に戻ったこと、「ふたりでごはんを」を改稿して手ごたえを得たこと、それが結果的に創作大賞の中間選考に残ったこと、「言葉の森を行く」を書いたことが、大きな変化点だったと思う。幼いころから書き続けているのに、まだまだ自分の文章が変わるのだと、変えられるのだと実感した。
ニュースレターと共に月曜日更新というリズムを作ってからは、キユーピー3分クッキングのタイトル曲のような軽快さで、「はい、今日はこちらです」と材料がぽんと出てくるのが、自分の文章なのにおもしろい。過去に書いたものを覚えていないので、たぶん重複もあるだろうけれども、できるだけそうならないように、その週に採れた新鮮なものを使うようにしている。
私が書く文章は私の文章だ。ミスや愚かさや甘さはあろうが、その時点での私である。人の文章と比較して落ち込まない。一般教養の生物学の授業(楽に単位を取れるらしい授業の抽選に落ちて第3希望になった、厳しいやつ。実験込みだから単位数が多いやつ)で、生物学の先生が、「そう簡単に比較できると思うな」と言った。ショウジョウバエのDNAを取り出して比較する実験をしていた。「あらゆる条件をすべてそろえた上で、ひとつだけ変える、それでやっと比較できる」。あっ、とつまずき、落ち込み、何か比較したくなったときは、生物学の先生の声がショウジョウバエのイメージと共に聞こえる。条件が違うモノや人ばかりだ。比較できない。どんなに比較して落ち込みたくても、先生は許さない。
今の英文学の先生が、授業で、「この授業のレポートでAI使うとバレるよ。僕はこの作家をAIで調べたときに出てくる研究とか情報、ほとんど知ってるからね~」と学生をけん制した。後ろの席で気楽に聴講していた私は、休み時間に「先生、私がAI使うのは校正のときメインです」と言った。「わかってるがな。どうやったらあれをAIが書けるのか。むしろもっとAI使え(英語/意訳)」と言われた。私が書く英語の文章も、ネイティブスピーカーから見て、私の文章であることが隠せない。逃れられない。だから、ライティングもスピーキングも、ネイティブみたいな流暢さではなく、日本語でエッセイを書くときの頭や心の動きの再現性を高めようと努めている。
季節で言うなら、秋に入ったくらいかもしれない。
To Autumn (秋に寄せる)
ジョン・キーツ霧とまろやかな実りの季節、
もの皆を熟させる太陽の腹心の友よ、
あなたは太陽と示し合わせて、かやぶき屋根の
軒を這うぶどうの蔓に、たっぷりと実を恵み与える。
苔むした田舎家の木々を林檎の重みでたわませ、
ありとある果実を芯まで熟れさせる。
かぼちゃをふくらませ、榛(はしばみ)の殻にぎっしりと
甘い果肉を詰め込み、さて次から次へと
遅咲きの花々を芽ぐませては、蜜蜂を喜ばせ、
暖かい日々はもう終わらないと信じ込ませる―
「夏」が彼らの巣穴をべっとりはちきれさせたので。
収穫の場で、あなたをよく見かけない者がいるだろうか。
居場所を尋ねて出かけてみると、あなたはときどき
穀物蔵の床にのんびり坐り込んで、
籾殻をふるい分ける風に、髪を軽くなびかせていたり、
刈り入れ半ばの畔溝で、罌粟(けし)の香りに眠気を誘われて、
ぐっすり寝込んでしまい、隣の畔の作物や
からみつく花々を、鎌で刈り残す。
時には小川を渡るとき、あなたは落穂拾いの女さながら、
穂の束を載せた顔をしゃっきり立てたり、
林檎搾り器のそばで何時間もまた何時間も辛抱強く、
雫が最後まで出尽くすのを見届けたりしている。では「春」の歌はどこに―そう、どこにあるのか。
川本晧嗣編『新編 イギリス名詩選』 pp.234-239
気にすることはない。あなたにはあなたの歌がある。
縞模様の雲が、ひっそり死んでいく一日に華やぎを添え、
刈り株畑をばら色に染めるころ、
川べりの柳の陰で小さな蚊の群れが物悲しいコーラスで
むせぶ―そよ風が吹いたりやんだりするにつれて、
浮きつ沈みつを繰り返しながら。
そして、まるまる育った小羊が丘の辺で大声で鳴き、
生垣のこおろぎが歌う。すると、庭の茂みから
胸の赤い駒鳥が、やわらかな高音で口笛を吹き、
群れ集い始めた燕が、空でさえずりを交わす。この詩の冒頭は、 “Season of mists and mellow fruitfulness, / Close bosom-friend of the maturing sun”。
シーズノブミスツエンメロウフルートゥフルネス、クロスボソムフレンドブザマチュリングサン。
完熟した果物を食べるときのような、舌の動きや音。春に生まれ、夏にいっぱい汗をかいた。無駄に思える動きや探検をたくさんして、なにかをつかみ、私はこのあたりに、とピクニックシートを敷いて本を広げ、空や風の匂いを知り、落ち着くことを自分に許せるようになったような。変わってしまうことの予期できなさがおもしろさに変わったような。たまにイガイガの栗や松ぼっくりが上から落ちてくるような痛みがあっても、1日、1週間で見ると、まあまあいい日だったと笑えるような。暦上はすぐに過ぎるけれども、私の秋はこれからしばらく(本作りの悩みは適当に続く)。
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つややかな頬の星

髪を伸ばしている。毛先が肩に当たってかゆかったり、はねたりする長さをようやく通過した。通過したときのご褒美にととってあった、美容室の日。15年のつきあいになる美容師さん。彼は都度、どんなふうに切ったか、どんな感じだったかのノートをつけている。店に着いたら、私が最後に行った6月の日付のルーズリーフが、ワゴンの上に開いてあった。
美容師さんには、私も夫も切ってもらっている。つきあってしばらくしたころ、2000円の理容室しか知らなかった夫に、美容師さんを紹介した。「かわいくしてもらったら」と伝えた。夫は美容師さんを指名して予約し、当日、椅子に座るなり「『かわいくしてください』と言えと言われて来ました」と言った。なぜ新規の男性客が自分を指名してきたのかわからずにいた美容師さんは、夫の発言の裏にいる私を見抜いた。20代なかばの男性の、緊張した面持ちの、徹底的に受け身の、しかしまっすぐな「かわいくして」に、どういうカットで返せばいいか悩んだ。試行錯誤のすえの髪型は本当にかわいかった。髪を切るだけで好きな人が喜ぶことに味をしめ、彼はいっしょの美容室に通い、スタイリングの主体性を完全に我々に任せるようになった。
私と美容師さんはたいてい夫のことを話す。昔は「どうやって彼のかわいさをもっと引き出すか」「どうすればかわいい髪型が長持ちするか」「加齢における今後のかわいさをどうするか」などを話し合っていた。髪型という物理的なかわいさの設計が内面に影響を及ぼし、夫の内面のかわいさが爆発し、きらめき始めた。夫が35歳を超えたあたりで、「なぜ、あの人はかわいいままというか、年々レベルアップしていくのか」「加齢とは?」という問いにシフトしていった。「夫さん」とか「あの人」が概念化し、「あれ」になった。おたがい、「あれはちょっと次元が違うね」とか言う。
夫がつかう言葉の中に「概念」がある。玉ねぎを炒めて小分けして冷凍したものは、オニオンスープの概念。コンソメとお湯を注げば朝食のオニオンスープになる。彼にとって抽象化は美しいものであり、概念は褒め言葉。
先日の豪雨の夜、名古屋の交通機関が全て止まった。運転再開の目途が立たなかったので、夫は歩いて帰ってきた。サイレンや警報がばんばん鳴る中で、さぞ疲弊し、暗い顔で帰ってくるのだろうと思っていた。「ただいまんごー」と言って扉を開けた彼は、「紺ちゃんに会える!と思って歩いてたよ」とにっこにこしていた。
私「さすがに、えっと思いました。私だったら不機嫌にふてぶてしく帰りそうなのに、彼はにこにこのメンタルなんですよ」
美容師さんが、「そうですよね……」と遠い目をする。
私「そのあと、きらきらした目で『治水』(水害対策)の話をしてました。名古屋の治水すごいんだねー!!って。小学生のころ、お父さんのパソコンで、三国志のゲームをしてたんですって。当時は面倒くさくて治水コマンド使わなかったけど、名古屋の水はけのよさを目の当たりにして、いかに治水が大切か実感したって言ってました」
美容師さん「その日、僕も治水について考えてたんですよ。僕が思い出したのは信長のゲームでしたけど。誰かに治水の話をしたいって思ってました。紺さん、治水の話なんて聞くんですね」
私「だって夕飯の間、ずっと楽しそうなんですよ、治水で」長くなった髪に合わせて、前髪の感じを少し変えてもらった。本屋に行き、大学に寄り、用事を済ませていたら、夫と帰る時間が重なった。駅で待っていたら、改札から現れて、私の目の前を通り過ぎて行く。ねーえと声をかける。「ん?」と言いたげに振り向いた顔が、すぐに少し赤らむ。「なんでここにいるの」と言いながら、目尻は下がり、唇はもごもごしている。明らかに、ニュー紺ちゃんがかわいいが今ここでは出せない、という顔だった。おもしろかったので、ちょっと待って、よく見てと言い、彼の周りを3周くらいして新しい髪型を披露した。私はショートボブが好き。彼の好みはゆるふわロング。風になびいてふわっとするやつ。なので今は夫の好みに合わせます期間。
夜、私は耳栓をして、壁の方を向いて読書していた。夫が私の視界の左下からぬめっとフェードインしてきた。「おやすみしよう」と言った。私は勉強机から立つ。ふたりでリビングに移動する。立ったまま抱き合う。夫が私の左足を静かに踏む。私は夫の左足を静かに踏む。両手の指を絡めて、おたがいの手を押さえる。その状態で、どうにか相手の足を踏もうとするゲームが始まる。私は果敢に攻撃するタイプ。夫は基本防御で、たまに大きく足を伸ばしてくる戦術。夜の11時過ぎ、ほんきのたたかい。お風呂に入ったあとだから、牛乳石鹸の匂いがする。私の攻撃がうまくいくたびに、彼はくやしそうに笑う。水分を含んだほっぺが弾んでつやつや光る。
「ただいまんごー」のほかに、「おかえりんご」、「おやすみんと」もある。彼はマンゴーもりんごもミントも食べない。というか好きじゃない。「おやすみんと」と言って、両手を小さく振り、自室へ去った。
