Writings

New Essays Every Monday

  • それがぼくには楽しかったから

    リーナス・トーバルズ、デイビッド・ダイヤモンドによる本を読んだ感想。

    好きになった人が投資家だとしたら、私は投資の本を読んで、その人を知ろうとする。見ている世界や考え方の根っこを、私も少しでも知りたいと思う。新しく関わるクライアントが建築家なら、自分の設計する家の断熱構造に誇りを持っているなら、『よくわかる断熱設計』みたいな本を3冊買ってきてすぐに読む。基礎を入れたうえで、どこがそんなに好きなのかを前のめりで聴く。

    私が恋をして結婚した人は、世界中で使われているオペレーティングシステム、Linuxのエンジニアだ。付き合い始めのころ、私は彼の考え方の後ろにいつも誰かいるように感じていた。「彼をそんなに惹きつけるなんて」という焼きもちが多少あったと思う。Linuxのこと、開発者のリーナスのことを知りたくなった。

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    自分でつくったものを無料で公開する。使う人は、公開されたものを使う代わりに、自分で新しい情報や知識を見出した時に同じように公開する。自分のものを自由に使ってもらう代わりに、相手のものも自由に使わせてもらうルール。それが「オープンソース」。リーナス・トーバルズは、もともとあったこのオープンソースの考え方を利用して、Linux(リナックス)というオペレーティングシステム(OS)を開発した人だ。

    OSはコンピュータの中で起こるすべての基本原理となる。だから、OSを作るのは、最高にやりがいのあることだ。OSを作るというのは、世界を作ることだ―その世界の中で、コンピュータを動かしているすべてのプログラムが生きている。基本的には、プログラマーは何が受け入れられ、何が可能で何が不可能かという法則を作っている。どんなプログラムもそういうことをやっているわけだけど、OSは一番の根本だ。

    従来の、工場での大量生産のようなものづくりは、経営者が情報、知識、技術、設備、人材を占有することで富を増やしてきた歴史がある。Microsoft のビル・ゲイツも、同じように会社を大きくし、莫大な財産を築いた。ちょうど反対の考え方をするのがリーナス。フィンランド出身で、幼いころからコンピュータの仕組みに夢中だった。

    ある既存のOSを自分のコンピュータに入れ、自分の目的や理想で使おうとした時に不満が生まれた。バグも見つけた。

    プログラムを書いているうちに、このOSにいくつかのバグがあることを見つけた―というか、マニュアルに書いてあるOSの動作と、実際の動作とに相違があったんだ。自分で書いたプログラムが動かなかったので、その事実に気づいた。だって、ぼくの書くコードはいつでも、エヘン、完璧だからね。だから、原因は他にあると思ったわけだ。そういう経緯から、ぼくはOSに手を入れることにした。

    見せびらかしたい気持ちも当然に持ちながらテスト版を公開すると、既存OSの筋金入りのファンが反応した。リーナスが「既存OSのどこが好きで嫌いか、どんな機能が欲しいか」を尋ねると、早速意見が寄せられた。テスト版を試し、バグを見つけた人もいた。リーナスは、「クラッシュしやすい」とか「私のコンピュータでは動かない」などの感想がとても嬉しかったと言う。手を加えてバージョンを上げ、公開し、またフィードバックを募る、国を超えた共同プロジェクトが始まった。

    好奇心で始め、楽しみに熱中していること。フィードバックをもらうことで、新しい課題が生まれ、楽しみが続く。フィードバックはコミュニケーションであり、個々の存在肯定でもある。技術を占有して懐に入るお金よりも、自由な共用によって純粋にものづくりを追求していくこと、楽しみ続けていくことのほうを、はるかに大切にしている人たちがいる。開発に協力する有志も増え、リーナスは核であるカーネルの開発に集中するようになった。UIやサポートなど(リーナスが興味をもてないところ)は得意な人が発展させていった。

    今や様々なところで使われているLinux。スマホのAndroidだって、実はLinuxのカーネル上にある。それがひとりの楽しみから生まれ、現在も世界の人々と開発継続中というから驚きだ。

    この本を読みながら、「1対1になるとコミュニケーションが発生する、それはつまり社会だ」と気がついた。ひとりで部屋にこもり、昼夜関係なく開発していた話がしばらく続くので、テスト版を公開して数人とやりとりを始めたあたりに、暗い部屋でカーテンを少し開けて光を感じる時のような瞬間的な眩しさがあった。彼の人生の中で、楽しみが社会につながったことが本当に大きかったのだと思う。TED の講演「Linux の背後にある精神」では次のように言っている。

    独りでやっていたのが、10人とか100人という人が関わるようになった—それが私にとって大きな変化でした。それ以外は徐々に起きたことで、100人から100万人というのは大したことではありませんでした。

    私は今のXのアカウントを2022年に、このウェブサイトを2023年に作った。開設当初からひとつひとつのいいね、ひとつひとつのアクセスが都度新鮮にうれしいのは、リーナスを私淑しているから持ち続けられている感覚だと思う。自分の文章が初めて数人に届いた7歳の記憶を彼の経験に重ねている。だれかひとりにでも届くって、すごいことだ。

    コンピュータの知識がない人でも読めるよう、専門用語のうち特に重要なものについては本の最後で説明されている。ごはんやみそ汁の比喩などで、とっつきやすい。ただ、私はその存在に先に気づかなかったために、『なるほどわかった コンピュータとプログラミング』という絵本でコンピュータの基本思想をつかんだあと、夫に質問しながら読んだ。

    カーネルは核の部分、真珠みたいなもので、貝殻をくっつけないと動かない…………貝殻、シェルにはいろいろな種類がある…………コンピュータの言語には、低級言語の機械語、アセンブリ語、高級言語のCとかPythonとかがあって、CPUが変換してくれる…………低級・高級といっても、優劣の話じゃなく、レイヤーにした時に上か下かなだけ…………機械語やアセンブリ言語のほうが難しい…………とても難しい…………OSをつくるには低級言語を結構使う…………へえ…………ほー…………つまりリーナスはすごいってことだ。

    私はこの本を、エンジニアはもちろん、何か夢中になっちゃうことがある人、オープンソースのものづくり哲学に興味がある人、恋い慕う人がLinuxのエンジニアで、見ている景色を垣間見たいと思う人に薦める。私は、夫が私にしてくれる助言、仕事の考え方の源泉を知れて、「あ、こういう背景で言ってたんだな」と思い至ることができた。

    私はすっかりリーナスとLinuxのことが好きになって、「C言語とLinux」という英語のオンライン講座まで受けた。プログラミングでおこなわれている言語活動はとても細かい。実際にプログラムを書いた。どうしても自力で解決できないバグ取りを夫に手伝ってもらった。私は1講座で十二分に満足した。細かすぎる世界だった。そして単語のダブルミーニングが許されない。私は言葉の多義性を愛しているので、「私はすばらしいあなたに釣り合わないわ。今までありがとう。元気でね」みたいな気持ちでLinux実践と別れた。それでもいやはや、夫が好きなものを少しでも知ることができてよかった。私も部分的にではあれ好きになったし、影響を受けた。

    表紙にもある、Linuxマスコットのペンギンは、「幸せそうに見えるペンギン」というのが選定理由。眼鏡をしているので、リーナス自身かな。読む前よりも愛らしく見える。

  • チェーンソーを持ったリス

    おやつのゼリーのパッケージがリスだった。りんご味だった。しいたけ占いを思い出す。

    牡羊座って、「金属バットを持ったリス」みたいなところがあって、「かわいい」とか「○○さんすごいな」ってちゃんと言われて、ちゃんと評価されているときは「エへヘ。じゃあもっとどんぐりあげるね」ってやってくれるけど、敬意がない扱いを受けると金属バットでいろいろ破壊し始めます。

    しいたけ占い 2017年8月26日のXより

    これを見つけて話したとき、夫は「そのとおりだ」と爆笑した。長年お世話になっている美容師のUさんに話したら、私の髪からハサミを離してうずくまり、笑いをこらえていた。

    私は、おかしいと思ったらおかしいと言う性格だ。嫌なことは嫌だと言う。論理の矛盾や抑圧に怒る。私の金属バットはたぶん頭。抽象と具体の行き来が速く、パターン認識や論理、データ分析、言語化に強い。問題提起、議論、改善の材料をすぐに出せる。そういうことを必要とされていない場では身を引いて、それ以降関わらない。

    最近、アイメイクができなくなった。どうも目の近くのメイクと目の相性が悪く、ドライアイやめまいの原因になる。だからチークとリップメインのメイクにしている。小田切ヒロのYouTubeでチークの入れ方を見た。彼は「マイナス5歳バージョン」と「好印象バージョン」のふたつを紹介していた。コメント欄では「好印象バージョン」が人気。アイメイクなしの私に「好印象バージョン」、つまり今の年齢で素敵に見えるチークの入れ方はなんか変だった。私はマイナス5歳に見えたいわけではないけれど、「マイナス5歳バージョン」の自分のほうが好きだったので、そっちにした。

    席につき、鏡越しに「というわけで、わりとナチュラルな、幼い印象の最近です」とUさんに言った。いつものショートボブを、少しアレンジしようという話になった。

    Uさんは「まあ、ギャップは大事ですよ」と言った。ギャップ。それはつまり、「見た目は、かわいらしい」の意味だ。私の中身を知っているからこその言葉だ。

    Uさんは「金属バットを持ったリス」の話を、「チェーンソーを持ったリス」として覚えている。たまに話の流れで、「だって、えーとほら、なんだっけ、紺さんはチェーンソーを持ったリスですもんね」と言う。私がいくら訂正しても、凶暴化されたイメージが書き換えられない。

    雇われ美容師さんだった頃に出会って、独立に合わせてついていって、私が金属バットの話をしてから何年も経った。普段人に見せている姿と、本来の姿と、なりたい姿をぜんぶ共有できる人は多くない。会えてよかったと、訪れるたびに思う。

    「Uさん、ふだんドラマ見ますか?『ホットスポット』がおもしろかったです。バカリズム脚本の。宇宙人の話なんですけど、周りの人たちから浮かずに馴染んでるんです。たとえばファミレスで、自分が宇宙人だと勇気を出して告白したときに、相手が『へえ・・・宇宙人。そっか。で、何食べる?』って返すような。宇宙人っていう属性を特別視しない。話してて気づいたんですけど、たぶんUさん、お客さんに宇宙人だって告白されても『あーそうなんですね。今日はどんな髪にします?』って言いそうですよね」

    「たしかに(笑)。ぼく、そういうの気にしないですね」

    帰り際、Uさんは「今日のメイク似合ってます。表情が自然です」と言ってくれた。私は元気に最敬礼して、「次回もまたよろしくお願いします」と言って帰った。

  • 進むべき道と思いやり

    「shallはね、進むべき道を指すんだよ」

    5月の31日、食費の残りが700円だった。夫と午後6時半のスーパーに行った。

    丸い黄色の地に赤い数字が書かれた値引きシール。商品のあちこちに貼ってある。文法の本をようやく読み終えることができたので、ぱーっとやりたかった。クレジットカードを使う気まんまんだった。とはいえ私は大人よ。値引きのもの縛りにして節度を守るわ。

    ふたりで「何を食べよう」と悩み始める。お総菜コーナーと魚コーナーを行ったり来たりして、「え」「あ」「ねー」「ん」とか言い合う。たいした言葉をつかわずに、トーンと、目線と、好みと、気分と、最近食べたものとの兼ね合いと、何より値引き率を見ながら吟味する。

    ぶりのお刺身、鯛のお刺身、たこ焼き(小パック)、いか焼きをカゴに入れた。お酒売り場で、夫は飲んだことないらしい発泡酒500mlを選んだ。私は久しぶりに日本酒が飲みたかった。東海圏は辛口のお酒が多くて、かつこのスーパーは地元の酒造と仲良しなので、私の好きなうまくちを置いてない。夫が料理酒コーナーから、「米だけのやさしい思いやり」という名前の、牛乳パックに入っているみたいなお酒180mlを連れてきた。ストローがついている。厳選した米と天然水だけで作ったゆえの「からだ」への思いやりと、徹底した低コストオペレーションによる「家計」への思いやりが売りだ。108円。手のひらの上のパック酒は、小さくてふにふにした感触だった。肌寒い夜、クーラーの効いた店内で、製造者からの温かみが私の心を撃ちぬいた。だけど一目ぼれで、あるいはうまい言葉でもてあそばれるのは嫌だったから、冷静にウメッシュも1缶、プランBとして買った。

    出来合いのものでも、お皿に盛るのがマイルール。たこ焼きといか焼きをレンジで温めているあいだに、冷蔵庫からキムチを出す。きゅうりのダシダ和え、チャーハンを作る。チャーハンは永谷園の五目チャーハンのもとを使う。人生で私が初めて作った料理だ。あらかじめごはんをフライパンのそばに用意しておき、温めたフライパンに油と溶き卵を入れたタイミングですぐにがっと入れる。これがお米がぱらぱらになるポイントだ。永谷園のパッケージ裏には、溶き卵を少し炒めたあとにごはんを入れてくださいと書いてある。私はこの五目チャーハンを作るたびに、「私は自分で改良を重ねてスーパーぱらぱらチャーハンに辿り着いたんだぜ」と、ひとりでドヤ顔している。初めて作ったときからずっとそう。

    値引きのおかずと安いお酒を中心にした食卓。最初は「ぼくはこれだけ食べる」「私はこれだけ」と、自分が選んだものだけ食べる空気だったのに、「これおいしいよ」「ほれ」「お」「紺ちゃんのこれ、当たり」「ぼくのぶんがなくなるー」「ネギのせたの天才」とわちゃわちゃして一緒にたいらげた。思いやりの日本酒はおいしかった。

    私たちはよく、仕事や仕事でおもしろかったことを夕食の席で話す。私はその日勉強したての英文法知識を、本を読みながら披露することにした。

    「助動詞のshallのイメージは、『はっきりとした進むべき道』。それ以外に道はないの。一本道に束縛されるの。だから法律の文章で使われるんだけど、日常用途では死にかけてるの。でもね、Shall I ~ ? / Shall we ~ ?(~しましょう)は生き残るんだよ。なんででしょう」

    「んーーーー。わからん」

    「このふたつにはね、『温かさ』があるんだって。『進むべき道』のイメージが、『自分の進むべき道』のイメージに広がって、かつその『自分の進むべき道』を相手に問いかけてるってところが、『相手の判断に間違いなく従う用意と思いやりを示すことになる』からだって」

    リビングのテーブルは正方形だ。正面ではなく斜めに座る。私はすぐそばにあった夫の左手を取って少し引っ張る。「これがLet’s」

    次は夫の右手を私の両手で包み込んで目を見つめる。「きみのことを尊重して、私の進むべき道をきみに問いかける。これがShall we ~ ?。ね、あったかいでしょ」

    夫は文法の話に「温かさ」という言葉が出てきたときからずっとけらけら笑っていた。「まじかー」

    居酒屋かお祭りみたいなメニューをたらふく食べて、お腹が満たされた。思いやりのお酒に、文法書のshallのページに記された「温かさ」に、胸がいっぱいになった。一緒に笑って、いつもより長めの夜を過ごした。

    彼と付き合って、同棲して、漠然と「あったかい家庭を作りたい」と思うようになった。それがどんなものかも、作り方も知らなかったけれど、共に過ごす時間で言葉にならないものが確実に蓄積していって、結果的に温かさになっている気がする。出会ったときの彼は、私を含む他人とごはんが食べられなかった。この日はぶりのお刺身にネギをのせたやつが大当たりで、取り合って食べた。その彼の前のめり感、目の輝き、食欲を満たしたらすぐに眠くなるところ。すべてがいとおしい。いっしょに長生きしましょう。