Writings

New Essays Every Monday

  • 「back numberっぽくお願いします」

    私はデザイナーだ。美容師ではない。注文を「広瀬すずちゃんのボブでお願いします」みたいに軽く言われても困る。

    back numberはバンドの名前。ヒット曲がたくさんある。「back numberっぽく」と言われて、何を意味するかはなんとなくわかった。フォントはサンセリフで、丸文字か手書きで、コントラスト低めの写真で。ただ商用なので、コピペはいかんと思った。

    まったく知らない業界の話でも、3日、勉強する時間をもらえれば、ミーティングで本質的な話ができるようになるのが私のいいところだ。断熱技術推しのハウスメーカーでも、特定の宗教法人傘下のこども園でも、めっき加工専門の工場でも、事前の勉強をしたうえで社長に質問をしたり現場を見れば、デザインのコンセプトは出せる。

    back numberをback numberたらしめるものは何か。クライアントはどんなふうに生きてきて、back numberのどこに惹かれて、どうなりたいと思っているのか。よく調べて考えたり想像したりする。曲は全部聴いた。歌詞を分析した。ウィキペディアやツイッターやファンのブログも読んだ。当時在籍していた会社の経費でライブDVDを買い、会議室、椅子の上で体育座りしながら観た。

    散々頭に入れたあとで、クライアントが、過去の栄光を大切にしていることに気がついた。何度も愛おしい子どものようにその話をしていたし、それが自分を形成したから、今後も大事にしたいと思っているようだった。好きな雑誌のバックナンバーを綺麗に保存しているみたいだった。バックミュージックはback number。

    私は次に会ったとき、分析結果とともに「ご注文どおりでいいんですか」と言った。「寄せられます。いくらでもback numberには寄せられます。でもあなたはわざわざデザイン会社に依頼して、過去の綺麗なものの標本を作りたいんですか。あなたのカレントイシュー、日本語だと最新号という意味です、つくらないんですか」

    A案はback number寄せで、B案とC案はオーダーされていない、でもクライアントの望む未来に合っていそうなものにした。クライアントはB案を選んだ。彼女は「怖いけど、前を向きたい」と言った。

    私は美容師ではない。でも、何かになりたい、何かを真似したい言葉は受け取る。そのうえで調べて、考える。相手のよりよい人生を祈って提案する。

  • ZINEをつくるよ

    近い将来、いつか。

    表紙をお願いしたい方に連絡をして、ご快諾をいただいた。依頼のメールをうっているときから、絶対にすぐにではなくていつかだと思った。OKをいただいて、背筋が伸びて、その思いを強くした。

    もっと違う文章を書きたいという気持ちと、今の自分の文章が嫌いではない気持ちがどちらもある。この先の数年で文体というか視点というか、文章に対する姿勢が変わる予感もある。大学院に行きたい影響もある。

    形あるものに値する文章を書ける人になりたい。それは誰かから認められたいということではなく、自分で自分に自信をもっていたいということだ。自分で錨を下ろしたい。だからゆくゆくの商業出版を目指してないし、文フリに出たい気持ちもない。

    前にも書いたけれど、私にとって、日本語は精神的に安全な言語ではない。実家から逃げ出したくて、家族・親族の誰も読めない英語を学んだ。私は日本語を読むのも書くのも、嫌な記憶がフラッシュバックしやすい。言語的亡命をしたとはいえ、英語で人並み以上に読み書きできるとはいえ、ネイティブレベルにはほど遠く、私の言語的アイデンティティはどちらにあるのだろうと感じる日々だ。

    主に英語で書ける人になりたいというのが、当面の目標。英語に軸足をおいたうえで、日本語とも安全につきあえるようになりたい。

  • 布団から抜け出して、本棚へ駆ける

    何にもつよい興味をもたないことは
    不幸なことだ
    ただ自らの内部を
    目を閉じて のぞきこんでいる。

    何にも興味をもたなかったきみが
    ある日
    ゴヤのファースト・ネームが知りたくて
    隣の部屋まで駆けていた。

    (中略)

    生きるとは
    ゴヤのファースト・ネームを
    知りたいと思うことだ。
    ゴヤのロス・カプリチョスや
    「聾の家」を
    見たいと思うことだ。
    見ることを拒否する病から
    一歩一歩 癒えて行く、
    この感覚だ。
    (何だかサフラン入りの
    サフラン色した皿なんかが眼にうつって……)
    その入り口に ゴヤの
    ファーストネームがあった。

    飯島耕一 「ゴヤのファースト・ネームは」から抜粋

    これは、鬱病を患っていた詩人が回復期に書いた詩。寝込んでいたところ、ふっと、「あれ、ゴヤのファースト・ネームって何だっけ?」と思う。ああ、えーっと、何だっけ、えーっと、と考えあぐねる。布団に寝ていられなくなって、隣の部屋にある本棚へ急ぐ。愛読書、あるいはめったに開かない厚い百科事典を開くなどして、ゴヤを探す。そんな情景を想像した。

    元気が出ない時に現れる小さな知的好奇心は、夜空、雲のあいだから見える北極星みたいだ。ずっと待っていた。たかだか他人の名前ひとつでも、あ、知りたいと思えたことがうれしい。布団から出なきゃ出なきゃという切迫感で頭がいっぱいだったのに、気づけば体が出てしまっている。ファースト・ネームがわかったら、次は画集を見たくなる。好きな作品の描かれた年に、ゴヤは何をしていたんだっけ。この絵の、この色合いは、あれやこれやに似ているな。スペインの風景を想像し始める。私だったらパエリアが食べたくなる。世界が広がる、ふくらむ。

    私の知的好奇心への欲求は、仕事で忙しくて、でも勉強したくて、という時期にはあまり切実ではなかった。頭と体は動いていて、与えられた仕事で知的好奇心っぽいものを満たせていた。内臓の病気で臥せたとき、頭も体も動かせなくて、何も考えられなくなった。読みたいものはおろか、食べたいものも取り込めない。暇つぶしの音楽にも動画にも、感覚を開けていられない。私は疲れて、諦めて、閉じていった。

    時間がとても流れた。「かぎかっこは英語で何と言うんだっけ」と思った。ベッド横のワゴンに入った電子辞書に手を伸ばす。届かなくて、起き上がる。和英辞書を引く。parenthesesとあった。英和で語源も調べる。私にとってのゴヤのファースト・ネーム、知的好奇心の入り口だった。私の世界が終わるぎりぎりまで、離さないでいたいもの。