Writings

New Essays Every Monday

  • 荷を解く

    寝転がっているときのぎゅうには2種類ある。真摯なぎゅうと怠惰なぎゅうだ。まず夫がベッドに大の字に寝転がる。私が腕に乗る。夫は私が乗っているほうの腕だけ動かして私を抱き寄せる。このぎゅうは怠惰なぎゅうだ。彼は3分もすれば腕の力を抜き、寝てしまうからだ。気持ちのよいベッド、エアコンの涼しい風、横にはかわいい人、ああしあわせ、すぴー。

    私は真摯なぎゅうを要求する。真摯なぎゅうとは、背中が完全にベッドにくっついていた状態から体を起こし、体の側面だけベッドに接し、私に向き合って両腕をまわし、しっかりとぎゅうをすることだ。この姿勢は気を抜くと崩れるため、緊張感がある。つまり寝てしまいにくい。私に集中できる。

    真摯なぎゅうを要求する 2024-07-22

    夫は、薄いすのこベッドにマットレスを敷いて寝ている。休日の昼下がり、私は彼が昼寝しかけているところに乱入した。足をぐいぐい押す。ベッドの端から少しだけスペースを開けてくれたので、私も寝転ぶ。真摯なぎゅうを要求したら、彼はのっそりと体を動かして私に向き合ってくれた。たがいに体をがしっと抱きしめる。扇風機の風が気持ちいい。しばらくして眠気がやってくる。

    「そろそろおいとまします」と言うと、彼はここぞとばかりに、「さあ本格的に寝るぞ」と言いたげに、ただちに真摯なぎゅうを終了した。ベッドの端ぎりぎりに寝転がっていた私は落ちた。大きな荷物に結わえていた紐をいきなり切られたように、ごろんと床に落ちた。思いのほか派手に落ちたことがおもしろかったらしく、彼は眠気を吹っ飛ばして笑った。私もつられて笑う。もう1回やってもらう。ぎりぎりのところに寝そべる。真摯にぎゅうする。いきなり手を離される。落ちる。ふたりで再び笑う。再現性のある笑いはいいことだ。

    私は奇数が好きだ。2回落ちたので、奇数回、つまり合計3回落ちたくて、同じことをもう1回やった。奇数にしてせいせいしたい気持ちを満たすための行動は、ふたりして事務的になる。はいはい、奇数ね、ぎゅー、ぱっ、ごろん、ははは。

    しあわせの沸点が低い。

  • もんじゃ焼き幸福論

    ホットプレートにもんじゃ焼きの具を広げて炒める。明太もちチーズ味。キャベツがやわらかくなったら、土手を建設する。出汁と小麦粉を溶いたものを流し入れ、土手を破壊し、平らにして整地する。

    「きみは普段、何を考えているの?」と夫にたずねる。このところ、私は自分のアイデンティティのことを考えていた。「アイデンティティがどうちゃらとか考えなさそうだよね」と付け足す。

    彼は「どうして電池が減るんだろうと思っている」と言った。スマホを取り出し、すばやく指を動かしてスクロールする。iOSと違って、Androidは自分であちこちプログラムできる。「ぼくが命令していないプログラムがどこかで動いているんだ。だからそのぶん電池が減るんだ」

    「ほんとうにそればっかりで頭がいっぱいなの?」
    「あ、それとアプリのアップデートのことを考えている」
    顔を合わせてにこにこする。

    今日のチーズはゴーダ入りで、黄色が濃い。いつものチーズはモッツァレラ入りでクリーム色、あっさりした味がする。

    「変えてみたけどどうだろう、どっちがいいかな」「これはおいしい」「でもモッツァレラ入りはモッツァレラ入りでおいしかった」「わかる」「比べてみないと何とも言えない」「次は4分割にして比べよう」「賛成」「チーズなしエリア、ゴーダ入りエリア、モッツァレラ入りエリア」「ミックスエリア」「忘れないうちにまた作ろう」あっつ、はふはふ。「「おいしいね」」

    青のりが飛ぶ。

    もんじゃのことばかり考えていた。彼の頭のなかは1日じゅうこんな感じなんだろうか。目の前のこと。今のこと。空気を抜いたジップロックの袋のように、不安が入り込む余地のない密閉時間。

  • ぬるい希望

    5時半、カーテンを開ける。朝日が当たる窓辺にスノードームがある。中に金色の星が入っている。小さいから、逆さにして雪を降らせてもすぐに止む。

    光がきれいだった。きれいな光を見つけた私もきっときれいだ。あたらしいあさがきた。きぼうのあさだ。さわやかな自信をもっていい。

    夫からもらったカメラで光をつかまえる。スマホじゃうまくいかんのだといっちょまえに思いながら、たくさん撮る。ぶれる。ぼける。暗い。失敗作ばかりのなかに、ぬるい奇跡の1枚があった。せみが起きてきて、合唱を始めた。これから気温が上がる。