New Essays Every Monday
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たまに恐ろしくさみしいけれど
大学院の相談会に行ったら、私が志望する専攻の先生たちが、昨年度の受験生の成績の悪さを嘲笑して盛り上がっていた。それまでの話しぶりが厳かで、笑いひとつない緊張感あるものだったので、はじけるように飛び出た素顔や普段の言葉遣いのようなものに面食らった。その場に違和感を持ったこと、入学できたとして人をああいう風に扱うのかということ、私の考えすぎなら訂正してほしいことをあとからメールで送った。返信はなかった。返事がないことが返事。
人の感情の機微や、想像力を扱うのが文学だ。その専門家の肩書きを持つ人が、想像力を欠く。メールを返さない。論文の実績や学力以前に必要なものがある気がする。人を選ぶ立場に慣れると、選ばれる立場でもある認識といっしょに失くしてしまうんだろうか。
もともと文学と創作を独学していて、「もっと原典を深く読めるようになりたい」「専門家と議論しながら研究したい」と思って作った大学院進学ルートだった。1年前から、大学院進学用も含めた勉強にシフトしていた。大学院の目標がなくなって残ったのは、相変わらずの独学への気持ちと、習慣と、1年勉強して身に着けた文学的な俯瞰性、そしてそこから出てきた新しい知的欲求だった。それをもとに新しく作った独学計画は、大学院のカリキュラムよりずっとわくわくするものだ。自分の目的に合わせて、本や動画などを選べる。納得できるまで時間を使える。苦手なものも、自分で意味づけして、自分で組み込める。
私が大学院で会いたかったのは、偉そうな指導者じゃない。専門知識があって、楽しそうで、つい話し過ぎちゃうくらいマニアックな好みがあって、自分が人を傷つけうることに自覚的な人だった。その生きざまに触れたかった。
森博嗣の本を再読した。理系の大学教授だった人。2014年に買って、今の自分にはぴんと来ないところも多い。でもこの部分は好きだった。
たとえば偉大な科学者や数学者を思い浮かべてもらいたい。彼らの人生において、物理学や数学は自分を活かす場(現実)だった。そこでの個人的な思考は、まさにエキサイティングであり、一般人には経験することができないほど、大きな楽しみがあったはずである。そんなことが想像できるのも、僕が実際に自分の研究の過程で、それに近いものを味わった経験があるからである。
そこには、「他者」というものが必要ない。自分一人だけの「静けさ」の中にある感動であって、人間だけが到達できる「幸せ」だと確信できる。その中にあっても、もちろん浮き沈みがある。沈んでいるときには、なにもかもが虚しい。けれども、一つの目標が達成されたり、これまでになかった新しさを見つけたときには、嬉しくてたまらない。どう説明をすれば良いのかわからないが、それは友人と楽しく遊ぶよりも、愛する人と一緒にいることよりも、もっともっと比較にならないほど大きな喜びである、と断言できる。
(中略)
なかには、大変な苦労をして研究を続けた人もいる。しかし、何故そんな偉業ができたのか。それは不屈の精神のなせるわざだと普通は語られるが、全然違う。ただ単にもの凄く楽しかったからなのだ。ほかのすべてを、ときには自分の命を削ってでも、それを求めたい。それほど、その楽しさは燦然と輝く存在だったからなのである。
森博嗣『孤独の価値』彼の深さではないかもしれないけれど、わかる。自分の求めるものを生み出す過程が、どうしても他者を必要としないことは十分知っている。私はもうずいぶん前に、「ふつう」や「社会人としての一般的なルート」からはずれた。それがたまに恐ろしくさみしいときもあるし、比較対象がいなさすぎて気楽だと感じるときもある。外の世界で、他者を必要としない楽しみを知ってしまっている他者に会いたかったんだと思う。
「まあそんな出会い、やっぱりなかなかないよな」と思いながら、昔訪ねたことのある編み物教室に行った。頭を使わない趣味を再開したい。師範免許を持った快活なおばあさんが先生。私が大学院を目指していたことを知っている。やめた経緯を話したら、「行かなくて正解。嫌なやつってどこにでもいるね」と返ってきた。彼女は最近作っているレース編みの話を延々としたあとに、独自に仕入れている糸の良さを実物を見せながら語って、仕込んだ梅干しがめっちゃいい感じなことと、抹茶に炭酸混ぜるとおいしいことを話してくれた。自分でやってみる、実験してみる、徹底的に突き詰めるのが楽しそうで、一貫していた。
途中からやって来たおばあさんが、私たちの話を静かに聴いていた。そして、「あなた、まじめね。この人(先生)とざっくばらんに話せる人って少ないのよ」と言った。先生も、恐ろしくさみしいときがある、あるいはあったんだろうと思った。
会いたい人を文学の世界だけで見つけようとしなくてもいいんだな。
「また来ます」と教室を出た。軽く扉を叩いてから、2時間が経っていた。
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サーティワンアイスクリームの、よくばりフェスのように
昔々、くまだった人がいた。XがまだTwitterだったころの話。白いくまのぬいぐるみのアイコンのその人は、夏は期間限定でアイコンを茶色のくまに変えていた。つぶやいていたのはとりとめのないことで、かわいいくま設定だからか、ハイテンションで明るかった。一生懸命生きているのが、独特の言葉遣いからでもうかがえた。
そんなくまがうっすら落ちこんでいる日は、いつもの明るさとのコントラストで余計に暗く見えた。というか、いつもは明るさでかなりぎりぎりまで隠してたのかもしれない。
DMで話しかけると返信があった。白いくまの文体とは全然違う、常温の落ち着いた文章だった。くまも人間だったんだねと思った。当たり前なんだけど。すごく人間だった。
あれこれ長文でやりとりしたあと、Twitterからいなくなるということでメアドを交換した。それから、気ままなメール交換を続けている。以前、彼女はお手紙を書いてみたいと言っていたが、そんな牧歌的なこと、我々には不可能だと思う。あの長文メールの交換に慣れきった関係が、数枚の紙のお手紙に納まるわけがない。毎回ぶあついレターパックを送り合うことになりそう。
大学院に行かないと決めて、落ち込んで、ぼーっとして、好きなものを食べて、掃除して、本を買って、気を抜いて薄着で寝て風邪を引いた。よくなったころにメールしたら、すぐに返信があった。悲しいことがあった日だったけど、私からメールが来てうれしかった、ありがとうと書かれてあった。メールの件名は「四捨五入で、はぴ」だった。
うまくいかないこともあるけれど、楽しかったことやうれしかったことをたくさんかき集めれば集めるほど、しゅんとする部分の比率は減って、「四捨五入したらハッピーのほうが多い」になるんだろうな。くまから人間になっても、毎日を懸命に生きているのが言葉から伝わってきて、メールを一気に読めなかった。
涼しい夏を。穏やかな夏を。できるだけはぴねすだらけの、よくばりな夏を。
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紙漉き
水に浸した繊維をすくいあげ、少しずつ和紙を作っているような日々だった。暑いから、ずっと水の中にいたい。
院進の目標を消した。ひとまず日本の院はもうない。「邪悪だ」と感じる場面があった。「とは言っても」といいところ探しを続けた結果、ようやく「いや、やっぱり、ない」に至ったので、本当に進学したかったんだと思った。頭が「さてさて、次ー!」と足早に通り過ぎようとした。危ない気がした。1年を振り向けていた目標だった。そこから離れるのだ。数週間使おう。
決めてからしばらく、止まっていた。ノートを開かなかった。変わりたいと急ぐ自分を抑える。それで±ゼロくらいになるのがちょうどよいのかもしれない。悲しさと、悔しさと、入る前に気づけた安心と、何と言っていいかわからない気持ち。ぐちゃぐちゃしたものを言葉にせずにいた。近寄りすぎず、離れすぎず、ぼーっと見つめていた。
混濁した液体に木枠を入れて揺り動かす。紙料が集まって、薄い層になる。それを何度か繰り返すと、ざらついていたものは溶けて、やりたいことの本質だけが残った。水気を切って乾かす。新しい紙。指でつまんで太陽にかざす。光が透き通る。
おいしいビールを飲んだ。黒トリュフ風味の高級なポテチを食べた。美術展の図録を買った。久石譲の曲を聴いた。ひつまぶしを作って食べて昼寝した。新調したボールペンの発送連絡が届いた。「そろそろ行っていいよ」と、自分にそっと許可した。