Writings

New Essays Every Monday

  • 春の日、第124章

    月曜日。エッセイを3本書き終えた。うち2本のタイトルが決まらない。たくさんある断片の連なりに乗って春を進んでいくように表現したい。

    私はLINEを開いて夫に連絡する。「2桁の数字ふたつちょうだい」

    夫、しばらくして返信する。「62 19」

    私は「おっけー」と打ち、うさまるの「ありがとう!!!」スタンプを加える。2本のタイトルを作り、保存する。

    夫、LINEで追記。「電池残量と、PCのL1とL2キャッシュの容量の後ろと前より」

    私は「よくわからんけどありがとう笑」と返す。本当によくわからん。でもなんかおもしろいので、1本追加で残しておこう。ちなみにこのエッセイのタイトルは12時49分から。日常の中、やろうと思えば無数にできる意味づけ。

  • 1956年、高校生のカフカ

    1924年に死んだカフカが、1959年のアメリカで高校生だったらという話。最初に読んだときの感想は「つまらん」だった。2回目の感想は「絶妙につまらん」。40ページ、25章ある作品。このうちある1章だけ抜き出してミニストーリーにしても十分じゃんと思った。

    授業の日、家庭教師の先生の意見も同じだった。ミルハウザーのベストではない。ふたりして、しぶしぶ授業を始める。進めかたは都度私が決めていい。今回は、すべての章を要約しながら、英語を正しく読めているか確認し、表現や解釈の質問を挟む形にした。

    いつもの先生は、ミルハウザーの昔の作品を繰り返し大学の授業で扱っているので、作品への評価や解釈がわりと固定的。でも今回の本は去年の夏に出た新作で、私との授業のために初めて読んだから、まだ定まっていなかった。

    私が何気なく投げた質問に先生がインスピレーションを受けたり、私も刺激をもらったりして、議論が盛り上がっていった。単調に見えていた物語が深くなる。

    1959年に高校生なら、ミルハウザーと同い年くらいじゃない? ミルハウザーはカフカに自分を重ねてるのかも? 自伝っぽい? ここはシーシュポス? 外に表現できないけど何か内に秘めたカフカ。ボニーはなんかいい人に見える。

    授業のあと、おたがいに「ベストではないが好き」という結論に達した。私がアメリカの高校生で、同級生と文学の議論をしたら、こんな感じなのかなと思った。

  • オデッサ

    帰宅してルームウェアに着替えた夫は、私に抱きついてきて「今日はとっても楽しかった!」と言った。私は驚いた。

    三谷幸喜の新作芝居、「オデッサ」。アメリカテキサス州のオデッサという町が舞台。警官、重要参考人の男、通訳の3人によって繰り広げられるコメディ。私たち夫婦の観劇デビューは、三谷の「国民の映画」だ。それ以来ずっと好き。今回は律儀にぴあの一般発売を待っていたのに、2階前列の席しか取れなかった。実は主催のメーテレが別のサイトで何度も先行発売済みだった。落ち込みながら向かった金山の劇場。あれ。意外と見える。よいかもしれん。

    リピーターがいるのも納得の芝居だった。演者たちはテンポよく笑いを提供し、観客は取りこぼさないように受け取った。ふと横の夫を見ると、彼も笑っていた。よし。古典や抽象度の高い作品だと、ぽかんとしてしまうことがあるのだ。今回は大丈夫そう。そう思って終演後の顔を見ると、硬かった。「どうだった?」と聞くと、「うん。よかった」だけ。ほ? あんまり好みじゃなかったのかな。

    時間が中途半端だったので、空いている店で食べて帰ることになっていた。焼肉屋の席に座る。彼は私の編んだセーターに臭いがつかないように脱ぐ。カルビ2種類1人前ずつと、石焼ビビンバ2つ。さっと食べて帰るセレクト。周りはガヤガヤと騒がしい。彼としても、場としても、芝居の感想を交わす雰囲気じゃない。黙々と食べる。彼から聞き出したのは、やはりこの店のビビンバはうまいということと、カルビAよりもカルビBが好きだということだけ。

    成城石井で紅茶、いちご、ティラミス、ポテトサラダを買った。努めて多めに買ったのは、紙袋が欲しかったからだ。商品を詰めて渡してもらったあと、私は芝居のパンフレットをそっと入れた。各商品が倒れないように気をつけていたら、家に着いた。

    この文脈で冒頭の「今日はとっても楽しかった!」に戻る。彼は笑いながら近づいてきた。白いトレーナーは空気を含んでいて、私に抱きつくとぱふっとする。それからぎゅーっと抱きしめてくる。

    あー。あ、なるほど。あー。ねー。わかった。彼は人混みに終始緊張していたのだ。芝居を見て感動しなかったわけじゃない。とても心が動いた。しかしそれを表現できなかった。もともと語彙が少ないうえに、人混み、騒がしい店、得意ではない外食。劇場でガチガチだったのが、食後のなじみの成城石井でほぐれ、家路あたりで本来の彼と切り替わり始めたのだろう。完全なスイッチは部屋着、間接照明、私だけがいる部屋。リラックス。私は抱きしめられながら、彼の頭をぽんぽんと撫でた。

    この日の彼を芝居にして上演したら、彼は「つまらん」「わからん」「で?」と言うと思う。でも私は、明らかに人を笑わせるために技巧を凝らした脚本とは別の方向で、大好きな気がする。