Writings

New Essays Every Monday

  • ヨドバシカメラ 3/14 20:00-21:00配達指定

    肉屋に行ったら牛肉100%のミンチがあった。スーパーにはないので珍しい。これでハンバーグを作ろうと購入し、夫にその旨LINEした。彼は18:09に「これからー」と返信し、すみやかに帰ってきた。私たちのお気に入りの肉屋の、初めて食べる牛100ハンバーグ。よっぽど楽しみだったんだろうと思った。

    20:00過ぎ、郵便局の人が来た。我が家はメゾネットの2階なので、階段の上り下りがある。階段を上り切って、電気を消し、リビングのドアを開けた彼の顔は輝いていた。にやけている。「ぼくのパーツ♪」と言って荷物を自室に運んだ。

    早めの帰宅を促したのは、私のハンバーグじゃない。1日くらい前に、先約が入っていた。こういうことはよくある。本当によくある。帰ってきて表情が明るいから、料理を楽しみにしてたんだろう、私に会いたかったのかなと推測していると、ピンポーンと鳴って、コンピュータのパーツが届く。

    食後「今日は何の日?」とクイズを出した。彼はうーんうーんうーんと悩んだあとに、目をそらし、「ホワイトデー」と言った。そのあと頭を突きだしてきて、撫でて褒めるように要求してきた、「今日がホワイトデーだと知っていたこと」に関して。「えらい!」とがしがし撫でた。

    とはいえ遊んでみただけで、正直お返しを期待していない。言葉や言葉にならないものの贈り合いは毎日やっているわけだし、バレンタインデーのディナーを作って贈ったらご機嫌に食べてくれたわけだし。今日もいい日だったなーと自分の部屋に戻り、日課の勉強をした。

    21:30頃、彼は「じゃーん」と言いながら私の部屋に現れた。黒い箱を持っている。部屋の照明を落としているのでよく見えない。近づくと、いいドライヤーだとわかった。特にラッピングなし。ふたを開けたところにセロハンテープで貼ったメモがある。「きれいな髪でぼくをドキドキさせて」と書かれていた。

    「ぼくのパーツ」と言っていたことも、ホワイトデーうろおぼえも演技だった。しっかり用意していたのだ。数年間、ホワイトデーのお返しなんてなかったのにどうした、と尋ねたら、「毎年贈っていたらサプライズにならない」と返ってきた。何も贈ってこなかったこの数年は、実は戦略的な沈黙だったのだ。なんかよくわからないけど、長期的視野が壮大。

    お風呂から上がったあと、早速使った。ベッドに座って自分の髪を乾かそうとしたら、彼がひざまくらになって乗ってきた。彼の髪は短いのでもう乾きかけだったけど、新しいドライヤーで乾かしてあげた。「ちゅるちゅるになった!」と喜んでいた。先にその台詞を言うのは私の役な気がしたけれども、もういい。ホワイトデーにお返しを選べたこと、うまくカモフラージュできたこと、サプライズできたこと、いいマシンを選べたこと、私が喜んでいることが総じて嬉しそうだった。

    夫婦で生活していて、どちらか一方だけがよろこぶことは、我が家ではあまりない気がする。

  • 春の日、第19章

    スーパーに入るなり、いちごをカゴに入れた。300円の紅ほっぺ。旬だから軽率に買う。鮮魚売場であさりを見つける。ザルに載って塩水に浸かっている。「あさりを食べたい」よりも、「砂抜きしたい」が勝つ日がある。店員さんを呼んで、活きのいいやつをもらう。肉売場では、しゃぶしゃぶ肉が特売だ。薄いピンクの豚肉。ひらひら。明日、しょうが焼きにしよう。無脂肪のビヒタスヨーグルトも2つつかむ。

    帰り道、平日の14時。晴れた日。人は歩いてない。車も通らない。風が吹いて、涙が出てきた。ダウンの袖からトレーナーの袖を出す。XSでも長くて折っているのを伸ばす。目頭を拭く。激しくなったので、道路の端に買いもの袋を置き、今度は両手で拭く。どうして泣くのか。早めに仕事が終わったからといって、こんな時間に買いものしているうしろめたさか。人と同じリズムで生きられないさみしさか。いちごを軽率に買った、あるいは本来の目的外であさりを買った罪悪感か。他の些細なあれこれの蓄積か。ただ単に少し疲れているのか。そのすべてか。花粉症のせいにしたいけど、花粉症じゃない。私には別のアレルギーがあって、通年で薬を飲んでいる。

    向かいからパトカーがやって来るのが見えた。涙はそのままに、急いで買いもの袋をもち、角を曲がった。

  • 春の日、第62章

    歩きながら左右の目を交互に閉じていた。「やっぱり右の度数が合ってないな。いつコンタクト屋に行くかな」と考えていたら、目が合った交通整理のおじいさんにウインクされた。距離のあるウインクではなく、すれ違いざまの、顔を少しこちらに傾けたうえでのウインク。にんまり笑っていて、私も笑った。あれはウインクし慣れている。危ない危ないと思いながら、ときめきを抑えた。