New Essays Every Monday
-
かつて愛された
辞書はわからない言葉を引くためのものだけど、意味が予想できていて、あえて引くときもある。文章を早く読むなら知らない単語の意味の推測は不可欠で、推測で事足りるならいちいち調べなくていいんだけど、カフェでお茶やインテリアを楽しむのに似て、辞書に書かれてあることをじっくり読みたいとき、しばらくそこに留まりたいときがある。
preloved
以前愛された、だから、「中古」かな。当たり。「以前は人のものだった」の意味で、家やペットに対して。
婉曲的で、あまり使われない言葉。「中古」の類語で引いても、出てこない言葉。偶然、辞書の隙間に入り込んだみたい。
珍しく遅くまで出歩いた日、ネオンや提灯で光る町の中、もう誰も住んでいない家を見かけた。起き抜けに窓を開けたり、部屋のすみずみを掃除したりする誰かにprelovedされたんだろうと、信号待ちの間だけ思った。
-
お花のお世話
「あ、紺ちゃんがお花をお世話してる」
私は台所で花の水を替えていた。年末に買ってから2週間ももっているカーネーションの小瓶。年明けに買ったチューリップの長い瓶。
夫に「お世話」と言われて、「なるほど、確かにこれはお世話」と思った。カーネーションは手がかからないので朝の水替えだけだが、チューリップは茎が動いたり花びらが開いたりするので、光や温度に気を遣う。
彼はもっぱら花を見る人のほうなので、自分から水替えすることはない。私がお願いして、たまにやってくれるくらい。彼はそのときの自分の行動に、「ぼくはお花のお世話をしてる」という言葉を当てないだろう。あくまでも、「お世話」は私に紐づいている。彼はいつも、私が水替えする姿を「お世話してる」と見ている。
彼と暮らす部屋、彼と囲む食卓に花を欲しがるのは私だ。買ってきて花瓶に活け、いちばん綺麗に見える角度を彼が座る席のほうに向ける。秘密の習慣。「君のことが好きですよ」とか、「ちょっと和んでくれるといいな」と思いながら。「お世話してる」の言葉選びは、そんな私の気持ちを受け取ってくれているからこそのものな気がした。
ある日、水替えからテーブルに戻すところまで、彼にお願いした。私は洗濯をしていた。リビングに戻ったら、テーブルに花瓶が置かれていた。花のベストポジションは私の席のほうへ向けられていた。
-
26cmの満月
私たち夫婦はパエリアをよく食べる。
始まりは、結婚式の会場を探しに東京へ行ったときだった。手作りの式を屋外で挙げることは決めていたので、農場やキャンプ場をあたっていた。山手線の駅から出て、よくわからずに入った店で食べたパエリア。シーフードのベーシックタイプ。なんだこのおいしい食べものは。インターネットで支店を探した。大阪にはあり、名古屋にはなかった。店長さんに今後の出店計画を尋ねた。「名古屋には数年後の予定です」と教えてくれた。
ドレスとシャツを仕立ててもらいに大阪へ行ったとき。もちろん大阪の支店でパエリアを食べた。他の味には冒険しない。いつもの店のいつもの味。
式の準備はふたりで手分けして進めた。私はディレクションやデザインといった前工程。夫は招待状代わりのウェブサイト構築などの後工程。もはや仕事みたいだった。日が迫ると、ふたりとも懸命に手を動かした。私は装飾や小物を作り、彼はテーブルクロスやガーランド(三角の旗の連なり)の布をひたすら切った。料理に手が回らないとき、デリバリーのパエリアを食べた。あのころ、何度注文したかわからない。
式では料理家さんにケータリングをお願いした。パエリアもその場で作ってもらった。直径1mのパエリア鍋は、都内に2つしかないものの1つをレンタルした。満月の下の、大きな丸いパエリア。
式からしばらくして、デリバリーパエリアの店がなくなった。一大事だ。我が家を支えてきたパエリアがなくなる。まだ名古屋支店はできていなかった。私たちは市内のスペイン料理屋に行き、好みのパエリアを探した。見つからなかった。米の硬さが好みじゃない、通うには不便、味付けが物足りないなど。パエリアならなんでもいいわけじゃない。あの店のものと、デリバリーのものを足して割ったようなものを求めていた。
仕方がないので作ることにした。そもそも結婚式自体がそうだった。手作りしたのは、ゼクシィに載っている式場で「テーブルクロスの色と招待状でおふたりらしさを表現できますよ」と言われ、ふたりで「そんなわけあるかい」とちゃぶ台をひっくり返したくなったのが発端だった。欲しいものがなければ作る。未来も一緒に作る。パエリアも自前で作る。専門書を買ってきて勉強した。シーフードパエリアはたくさんのエビの頭を使ってスープを作る。その作業がやや面倒なことを除けば、パエリアは安く簡単に作れた。試行錯誤を重ね、好みの味を作れるようになった。デリバリーも支店もいらない。
数年後、名古屋の支店はできた。あの店の存在は特別なままだけど、私たちのほうが変化した。パエリアを自分たちで作れるようになっている。店に行けば楽しむ。楽しむが、頭のすみで「そのうちまた作ろ」と考えている私がいる。「おうちのも食べたいなあ」と思っている彼がいる。サイドメニュー含めて、私たちは食べながら分析し、学べるものはないか探す。
先日店に行った数日後、パエリアを作った。サラダ、アヒージョ、バゲット、生ハム、サングリア。材料が余ったので、2日続けてパエリアにした。私たちは結婚式で、満月をつかまえたようなパエリアを食べた。それを26cmに縮小して、今も食べている。