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  • ポストにキスをする

    kiss the post 
    誤った直訳:郵便ポストにキスをする
    正しい直訳:柱にキスをする
    意味:遅い帰宅で締め出される

    郵便ポストは、アメリカ英語でmailbox、イギリス英語でpostだ。
    辞書で引くとpostには4種類あり、柱の意味の熟語にkiss the postが載っているので、私が間違って直訳していた。
    どうして郵便ポストにキスするの?????と、クエスチョンマークをいくつも出していたころが懐かしい。
    ドアを開けようとしたら締め出されているのがわかり、仕方なく玄関近くのものに寄りかかり、姿勢を崩してキスしちゃうイメージは変わらない。
    kissという動詞をつけた人を天才だと思う。

    私は夜遊びしないので、締め出されることはない。
    Iを主語に作文することはない。

    この前の金曜日、久しぶりに夫と観劇に行った。
    終演が20時、そこから名駅に移動して、食事を始めたのが21時。
    22時の閉店に合わせて店を出た。
    街は解散する人、次の店に行こうとする人で溢れていた。
    家から締め出されそうな人についていって、無事に締め出されるのを見届けたい。
    私はkiss the postで作文したい。

    電車を降りて、住宅街を歩く。
    締め出された人がいないか目を光らせるけれど、いない。

    隣の家の玄関に、何かいる。
    ついに作文できるのかと近寄ると、馴染みの白いのら猫だった。
    ちんまり座っていて、「夜はこれからです」とでも言いたげに目が輝いている。
    私たちは発光した目でコミュニケーションした。
    いつか共に、締め出された人を見つけようぞ。
    そして一緒に作文しよう。

  • 6月5週目~7月1週目の日記

    6月26日(月)
    朝4時に目が覚めた。窓を開けたら、空が真っ赤だった。空気も澄んだ匂いで、どこかに旅に来ているのかと思った。白くなるまで待ってもう一度寝た。

    6月27日(火)
    セブンで、豚しゃぶのパスタサラダと、ピリ辛ラーメンサラダを買った。夕食。お皿に移し替えてトマトとかいわれを追加したら、手を抜いたようには見えなくなった。コンビニのごはんは野菜が少ないと思ってあまり買わなかったけど、こんなふうに追加するのはあり。

    6月28日(水)
    セブンアゲイン。ATMで出金したお札が冷えていた。そのままレジに持って行って支払いに使った。夫に「納税した」とLINEしたら、「脱税に見えた」と返信が来た。ちゃんと払ったし、たかしに「大切に使ってくれよな」と念すら送ったぞ。郵便局、区役所、スーパーにも行った。家に着くなり雷と激しい雨が降り始めた。セーフ。

    6月29日(木)
    仕事のきりがついたので、何かを新調したくなる。名駅に行って、イッタラのマグカップを買った。食器は大量生産品ラブ。割れてもまた手に入る安心感、白や透明の統一感のほうが、模様や質感や色の楽しみよりも勝つ。友人が「うつわは沼だよ」と言っていたけれど、私にははまらない自信がある。いちごタルトと紅茶を買って、家で早速使った。気分は梅雨明け。

    6月30日(金)
    そういえば、毎朝夫が天気予報を教えてくれる。愛情表現であり、家事分担のひとつだと思う。今日は雷が鳴るらしい。午後、大きめ・重めのゆうパックを複数個、集荷依頼していた。ドラムを叩くような強い雨の中、「これじゃあ荷物がびしょ濡れだ。中に染みちゃう」と落ち込みながら待っていた。ら、雨と雨のあいだに郵便屋さんが現れた。「雨が止んでるうちにトラックに積んじゃいますね」と言って最後の荷物を持っていったときに、どしゃ降りが再開した。たまたまかもしれないし、見計らっていたのかもしれない。いずれにせよプロだと思った。

    7月1日(土)
    寝る前、レディー・ガガ主演の映画「アリー/スター誕生」を観た。曲がどれもいい。Always Remember Us This Wayの部分は巻き戻して2回聴いた。アリーがライブに出発するときに、もう一度顔を見たいと言ったジャクソンの顔が忘れられない。

    7月2日(日)
    Twitterの様子が変。だけど私の生活は変わらない。いつもどおりに生きた。英単語を覚えて、スーパーに行って、昼食と花を買って、夫と食べて、読書して、夕方ひと眠り。

  • 今ならではの学び

    文学の家庭教師のM先生が強い。

    彼はミュージシャンで、2週間に1枚くらいのペースで新譜を出している。
    曲を書き、スタジオで練習し、ライブする。
    大学と語学学校で授業をもち、私に英語のプライベートレッスンをし、小説やエッセイを書き、動画も撮る。
    ハイパークリエイティブ、プロダクティブだ。

    曲はアンビエントミュージックといわれるジャンルのもの。
    せっかくレッスンをしてくれるのだからとSpotifyやYoutubeをチェックしたけれど、正直よくわからなかった。
    それを伝えたとき、M先生は「だいじょうぶ、ぼくの音楽わかる人、そうそういないから!」と豪快に笑っていた。
    マスに売れることを目指していない。

    Skypeでのプライベートレッスンは即興ライブみたいな空気だ。
    大学の授業は時間の関係上、型が決まっていて、学生が作品を読み、要約して、発表して、議論して、先生が少し講義して、と、わりと浅めに終わるらしい。
    私との時間は型がなく、広く、細かく、深い。
    あまりに細かい質問ばかりの日も、自力で読めた分、議論にたくさん時間をつかえる日も、臨機応変に対応してくれる。
    脱線や時間オーバーもOK。

    文学が好きで、自分でも作っている人のエネルギーに触れて、私も影響を受けている。
    楽しそうで、自由で、のびのびしていて、ゆえに抑圧やしがらみには敏感で、嫌なものははっきりと拒絶して、自分の世界を大切にしているのが、月2回のレッスンだけでもわかる。

    M先生は50歳で、「最近になっていいバランスをつかめるようになった」と話す。
    「若いとき、ぼくは今のあなたみたいだった。焦っていたし、躍起になって日本語を勉強していた」「あなたはまだ若いから、もう少し時間がかかると思うけど、だいじょうぶ、じきにうまく力を抜いていろいろ楽しめるようになる」と言う。

    私が大学生のとき、M先生みたいな先生には出会えなかった。
    私が大学生のとき、M先生は今のM先生ではなかった。
    今だからこその出会いなんだなと、噛みしめながら、先生の背中を追いかけている。