Writings

New Essays Every Monday

  • 6月5週目~7月1週目の日記

    6月26日(月)
    朝4時に目が覚めた。窓を開けたら、空が真っ赤だった。空気も澄んだ匂いで、どこかに旅に来ているのかと思った。白くなるまで待ってもう一度寝た。

    6月27日(火)
    セブンで、豚しゃぶのパスタサラダと、ピリ辛ラーメンサラダを買った。夕食。お皿に移し替えてトマトとかいわれを追加したら、手を抜いたようには見えなくなった。コンビニのごはんは野菜が少ないと思ってあまり買わなかったけど、こんなふうに追加するのはあり。

    6月28日(水)
    セブンアゲイン。ATMで出金したお札が冷えていた。そのままレジに持って行って支払いに使った。夫に「納税した」とLINEしたら、「脱税に見えた」と返信が来た。ちゃんと払ったし、たかしに「大切に使ってくれよな」と念すら送ったぞ。郵便局、区役所、スーパーにも行った。家に着くなり雷と激しい雨が降り始めた。セーフ。

    6月29日(木)
    仕事のきりがついたので、何かを新調したくなる。名駅に行って、イッタラのマグカップを買った。食器は大量生産品ラブ。割れてもまた手に入る安心感、白や透明の統一感のほうが、模様や質感や色の楽しみよりも勝つ。友人が「うつわは沼だよ」と言っていたけれど、私にははまらない自信がある。いちごタルトと紅茶を買って、家で早速使った。気分は梅雨明け。

    6月30日(金)
    そういえば、毎朝夫が天気予報を教えてくれる。愛情表現であり、家事分担のひとつだと思う。今日は雷が鳴るらしい。午後、大きめ・重めのゆうパックを複数個、集荷依頼していた。ドラムを叩くような強い雨の中、「これじゃあ荷物がびしょ濡れだ。中に染みちゃう」と落ち込みながら待っていた。ら、雨と雨のあいだに郵便屋さんが現れた。「雨が止んでるうちにトラックに積んじゃいますね」と言って最後の荷物を持っていったときに、どしゃ降りが再開した。たまたまかもしれないし、見計らっていたのかもしれない。いずれにせよプロだと思った。

    7月1日(土)
    寝る前、レディー・ガガ主演の映画「アリー/スター誕生」を観た。曲がどれもいい。Always Remember Us This Wayの部分は巻き戻して2回聴いた。アリーがライブに出発するときに、もう一度顔を見たいと言ったジャクソンの顔が忘れられない。

    7月2日(日)
    Twitterの様子が変。だけど私の生活は変わらない。いつもどおりに生きた。英単語を覚えて、スーパーに行って、昼食と花を買って、夫と食べて、読書して、夕方ひと眠り。

  • 今ならではの学び

    文学の家庭教師のM先生が強い。

    彼はミュージシャンで、2週間に1枚くらいのペースで新譜を出している。
    曲を書き、スタジオで練習し、ライブする。
    大学と語学学校で授業をもち、私に英語のプライベートレッスンをし、小説やエッセイを書き、動画も撮る。
    ハイパークリエイティブ、プロダクティブだ。

    曲はアンビエントミュージックといわれるジャンルのもの。
    せっかくレッスンをしてくれるのだからとSpotifyやYoutubeをチェックしたけれど、正直よくわからなかった。
    それを伝えたとき、M先生は「だいじょうぶ、ぼくの音楽わかる人、そうそういないから!」と豪快に笑っていた。
    マスに売れることを目指していない。

    Skypeでのプライベートレッスンは即興ライブみたいな空気だ。
    大学の授業は時間の関係上、型が決まっていて、学生が作品を読み、要約して、発表して、議論して、先生が少し講義して、と、わりと浅めに終わるらしい。
    私との時間は型がなく、広く、細かく、深い。
    あまりに細かい質問ばかりの日も、自力で読めた分、議論にたくさん時間をつかえる日も、臨機応変に対応してくれる。
    脱線や時間オーバーもOK。

    文学が好きで、自分でも作っている人のエネルギーに触れて、私も影響を受けている。
    楽しそうで、自由で、のびのびしていて、ゆえに抑圧やしがらみには敏感で、嫌なものははっきりと拒絶して、自分の世界を大切にしているのが、月2回のレッスンだけでもわかる。

    M先生は50歳で、「最近になっていいバランスをつかめるようになった」と話す。
    「若いとき、ぼくは今のあなたみたいだった。焦っていたし、躍起になって日本語を勉強していた」「あなたはまだ若いから、もう少し時間がかかると思うけど、だいじょうぶ、じきにうまく力を抜いていろいろ楽しめるようになる」と言う。

    私が大学生のとき、M先生みたいな先生には出会えなかった。
    私が大学生のとき、M先生は今のM先生ではなかった。
    今だからこその出会いなんだなと、噛みしめながら、先生の背中を追いかけている。

  • 書き込みを読む:翻訳 「父の『ノートン 文学入門』第3版(1981年)」

    私の好きな詩を訳し、説明を加えました。余白の書き込みが何層にも重なります。ぜひ。

    ■概要
    原題: My Father’s “Norton Introduction to Literature,” Third Edition (1981)
    タイトルの訳: 「父の『ノートン 文学入門』第3版(1981年)」
    作者: HAI-DANG PHAN

    父親が大学時代に使っていた文学入門の教科書を、息子が偶然見つけて読む。「父親が教科書の余白に書き込んだメモ」、「『読む』という体験」、「一家の過去の記憶」、「文学作品の一節」「2か国語」を、息子がキルトのように繋ぎあわせてつくった詩。2015年の作品。2016年のベスト・アメリカン・ポエトリー賞を受賞。「読むこと」を通して「読むとは?」を考える詩。文学を扱いながら、「文学とは?」を問う詩。

    ■ノートンとは
    ノートン社(W. W. Norton & Company, Inc.)。文学研究に定評のあるニューヨークとロンドンの出版社。「英文科の生徒といえばノートン・アンソロジー」というほど、世界中の大学で採用されている。アンソロジーは、辞書のような薄いページの集積に重要な作品が詰め込まれた作品集のこと。1冊2000ページくらい。私は大学の英文科にいたときに3冊、卒業後に別の種類のものを1冊購入。

    ■登場人物
    ベトナム戦争後、アメリカに帰化した(ベトナム国籍を捨てて移住し、アメリカ国民になった)、ベトナム人一家
    父: 戦時中は南ベトナムの海軍将校。再教育キャンプ(北ベトナム政府運営の強制収容所で、共産主義者でない人たちの思想教育をおこなった)に収容されているあいだに、娘を失う。生きている姿を1度しか見られなかった。戦後、移住した新しい国で、その国の言語と文学を学ぶ。
    私: 夫婦の息子。第2子。この詩の作者。英文学者。大学の仕事と執筆の仕事を始めた2012年、両親の家の本棚で、父親が使っていた教科書『ノートン 文学入門』を見つける。
    母: 夫が再教育キャンプに収容されているあいだに、ひとりで娘の最期を看取る。
    娘: 名前はĐông Xưa。夫婦の第1子。1歳2ヶ月で死去。                                                                                        

    ■詩の構造

    大まかな流れ:
    ① 父親が使っていた教科書を息子が見つけて眺める
    ② 父親の「読みかた」を、余白の書き込みや下線、蛍光ペンなどから読み解いていく
    ③ 父親の沈黙=言葉にしていないものに思いを馳せる
    ④ 父親の過去、一家の記憶の回想
    ⑤ 回想終了。余白を見つめて途方に暮れる
    ⑥ 父親の書き込みに戻る。励まされる
    ⑦ 読み終える

    言語: 
    ベトナム語と英語が入り混じる = 父親が新しい国で新しい言語を学ぶ様子が表現されている。ベトナム語にはベトナムでの記憶が紐づく。

    詩の材料 = キルトの繋ぎかたのバリエーション:
    A 欄外の余白に書き込まれたメモを、息子が説明・解釈する
    B 教科書に掲載されている文章中、アンダーラインや蛍光ペンが引かれているところを、息子が説明・解釈する
    C 教科書に掲載されている文章の一節を、息子が引用して家族の描写に当てはめ、自分の詩の本文にはめ込む
    D 何が書かれていないかに思いを馳せる

    ■拙訳

    —-start—-

    Certain words give him trouble: cannibals, puzzles, sob,
    bosom, martyr, deteriorate, shake, astonishes, vexed, ode …    
    These he looks up and studiously annotates in Vietnamese.
    Ravish means cướp đoạt; shits is like when you have to đi ỉa;
    mourners are those whom we say are full of buồn rầu.
    For “even the like precurse of feared events” think báo trước.

    父はいくつかの英単語に手こずっている。cannibals、puzzles、sob、bosom、martyr、deteriorate、 shake、 astonishes、vexed、ode。辞書で調べて、熱心にベトナム語の注釈をつけている。ravish(奪い去る)という動詞は cướp đoạt。shits は đi ỉa、くそをする時に出るもの。mourners は buồn rầu、悲しみでいっぱいの人という意味。ハムレットに出てくるホレイシオの台詞「迫り来る不吉な出来事の前兆として」には、báo trước、警戒せよとある。

    Its thin translucent pages are webbed with his marginalia,
    graphite ghosts of a living hand, and the notes often sound
    just like him: “All depend on how look at thing,” he pencils
    after “I first surmised the Horses’ Heads / Were toward Eternity —”
    His slanted handwriting is generally small, but firm and clear.
    His pencil is a No. 2, his preferred Hi-Liter, arctic blue.

    薄い半透明のページは欄外の書き込みで、いわば血の通う手から出た黒鉛の亡霊で、クモの巣が張られているよう。その書き込みは、父が話しているかのよう。ディキンソンの詩「私は『死』のために止まれなかったので」のあとで、「すべては、物事をどう見るかに依る」と書き込んでいる。斜めに傾いた筆跡は、大体が小さい字だが、力強くてくっきりしている。鉛筆はHB、蛍光ペンは水色を好む。 

    http://www.haidangphan.com/blog-1/2015/11/1/norton

    I can see my father trying out the tools of literary analysis.
    He identifies the “turning point” of “The Short and Happy Life
    of Francis Macomber”; underlines the simile in “Both the old man
    and the child stared ahead as if they were awaiting an apparition.”
    My father, as he reads, continues to notice relevant passages
    and to register significant reactions, but increasingly sorts out

    his ideas in English, shaking off those Vietnamese glosses.
    1981 was the same year we vượt biển and came to America,
    where my father took Intro Lit (“for fun”), Comp Sci (“for job”).
    “Stopping by Woods on a Snowy Evening,” he murmurs
    something about the “dark side of life how awful it can be”
    as I begin to track silence and signal to a cold source.

    私には、父が文学的な分析の道具を試しているのがわかる。父はヘミングウェイの短編を読んで、主人公のターニングポイントがどこにあったかを明らかにしている。フラナリー・オコナーの短編では、「老人と孫はふたりとも、まるで亡霊を待っているかのように前を見つめていた」の箇所で、直接的な比喩を表すas if(~のようだ)にアンダーラインを引いている。父は読み進めながら、関連するくだりに注意し、意義深い反応を記録し続けているが、徐々にベトナム語の注釈を払いのけ、自分の考えを英語でまとめるようになる。
    1981年は私たちが vượt biển、国境を越えてアメリカに渡った年だった。父は大学に入り、仕事のためにコンピュータ・サイエンスを、気晴らしにと文学入門の授業をとった。父はフロストの詩「雪の夜、森のそばに足をとめて」のページで、「人生の影の側面は、どれほど恐ろしいことか」とつぶやく。私は父が言葉にしていないことや、その冷たさの出どころにつながるようなしるしを追いかけ始める。

    http://www.haidangphan.com/blog-1/2015/11/1/norton

    Reading Ransom’s “Bells for John Whiteside’s Daughter,”
    a poem about a “young girl’s death,” as my father notes,
    how could he not have been “vexed at her brown study / 
    Lying so primly propped,” since he never properly observed
    (I realize this just now) his own daughter’s wake.
    Lấy làm ngạc nhiên về is what it means to be astonished.

    少女の死を扱ったランソムの詩「ジョン・ホワイトサイドの娘への弔鐘」のページ。父の書き込みからは、いかに父が「この子がすまして支えを受けて横たわり、じっともの思いにふけるのは困ったものだ」と思えなかったかがわかる。ちょうど今気づいたが、父は自分の娘の通夜に立ち会えなかったのだ。Lấy làm ngạc nhiên về は、驚いてびっくりするという意味。

    http://www.haidangphan.com/blog-1/2015/11/1/norton
    http://www.haidangphan.com/blog-1/2015/11/1/norton

    Her name was Đông Xưa, Ancient Winter, but at home she’s Bebe.
    “There was such speed in her little body, / And such lightness
    in her footfall, / It is no wonder her brown study / Astonishes
    us all.” In the photo of her that hangs in my parents’ house
    she is always fourteen months old and staring into the future.
    In “reeducation camp” he had to believe she was alive

    彼女の名前は Đông Xưa。古代の冬という意味だが、彼女は家でくつろぐ赤ん坊だった。「その小さな体はスピードにあふれ / 足音はいとも軽やかだったので / この子のむっつりもの思いにふける姿が / みんなを仰天させるのも無理はない」  両親の家にかけてある写真では、彼女はいつも1才2ヶ月のまま、じっと未来を見つめている。「再教育キャンプ」に囚われていた間、父には娘が生きていると信じることしかできなかった。

    because my mother on visits “took arms against her shadow.”
    Did the memory of those days sweep over him like a leaf storm
    from the pages of a forgotten autumn? Lost in the margins,
    I’m reading the way I discourage my students from reading.
    But this is “how we deal with death,” his black pen replies.
    Assume there is a reason for everything, instructs a green asterisk.

    というのも、面会に来る母が「娘の影に勝負を挑んでいた」から。忘れられた秋のページから吹きつける嵐のように、当時の記憶は父を押しつぶしたのだろうか。私は余白で途方に暮れてしまった。本来、文学の授業の生徒にはやめるように言っている読みかただ。しかしこれが「死にどう対処するか」ということだと、父の黒いペンは教える。『ノートン 文学入門』の「文学を読むときのこつ」の中で、緑のアスタリスクをつけた部分、「すべての物事には理由があることを前提にしなさい」を思い出せと。

    http://www.haidangphan.com/blog-1/2015/11/1/norton

    Then between pp. 896-97, opened to Stevens’ “Sunday Morning,”
    I pick out a newspaper clipping, small as a stamp, an old listing
    from the 404-Employment Opps State of Minnesota, and read:
    For current job opportunities dial (612) 297-3180. Answered 24 hrs.
    When I dial, the automated female voice on the other end
    tells me I have reached a non-working number.

    896ページから897ページ、スティーヴンズの詩「日曜日の朝」を開くと、新聞の小さな切り抜きが挟まっている。ミネソタの職業紹介所の古い案件リストだ。「最新のお仕事情報は、612-297-3180にお電話ください。24時間対応します」とある。かけてみると相手は女性の自動音声で、「この番号は現在使われておりません」と告げた。

    http://www.haidangphan.com/blog-1/2015/11/1/norton

    —- end—-

    ■詩の中に登場する文学作品: 
    生、死、亡霊のイメージが、本文の内容とリンクし、残響となる

    シェイクスピア「ハムレット」 
    「生きるべきか死ぬべきか」の台詞で有名な戯曲。主人公ハムレット、毒殺された父の亡霊。ホレイシオはハムレットの親友。

    ディキンソン「私は『死』のために止まれなかったので
    死についての詩。

    ヘミングウェイ『フランシス・マカンバーの短い幸福な生涯』
    臆病者だとののしられたマカンバーが勇気を振り絞り、結果死ぬ話。

    フラナリー・オコナー『黒んぼの人形』
    老人が孫に黒人を見せようと出かける話。亡霊を待つかのように突っ立っていた、という表現がある。

    フロスト「雪の夜、森のそばに足をとめて」
    夜、森で雪が積もるのを眺めている男についての詩。「森はまことに美しく、暗く、そして深い。だがわたしにはまだ、果たすべき約束があり、眠る前に、何マイルもの道のりがある」(亀井 p.125)との一節がある。「眠り」は死を想起させる。

    ランソム「ジョン・ホワイトサイドの娘への弔鐘」

    知人の幼い娘の死を悼む詩。からかい半分のおおげさな文体で少女の元気なお転婆ぶりを語ることで、痛切な哀惜の念を伝える。(亀井 p.220)

    スティーヴンズ「日曜日の朝」

    神のいない「うつろな」今日の世界に住む人間は、古びた信仰の夢にすがることなく、むしろこの好機をとらえ、みずみずしく洗われた想像力の目で現実を見つめなおすことで、限られた生を充実させるべきだと説く。 (亀井 p.146)

    ■私がおもしろいと感じる構図

    ■参考文献
    Mays, Kelly. 2018. The Norton Introduction to Literature. 13th edition. New York: W. W. Norton & Company.
    亀井俊介、川本皓嗣編. 1993.『アメリカ名詩選』 東京: 岩波書店.