New Essays Every Monday
-
手作りの地図とお気に入りの文章を壁に貼る
“The Yellow Wallpaper”という短い物語がある。病気になった女性を極端に隔離し、行動を制限し、結果的に狂わせる話。女性が医学的にも職業的にも抑圧されていた時代の、抗議の意味をもつ作品だ。発表当時は賛否両論あり、隔離療法を支持する人たちは目をそむけたが、そうではない人たちは隔離や抑圧を止めたので、社会的な変革の一助となった。以下に引用するのは、著者がなぜこの作品を書いたのか、説明する文章。
For many years I suffered from a severe and continuous nervous breakdown tending to melancholia – and beyond. During about the third year of this trouble I went, in devout faith and some faint stir of hope, to a noted specialist in nervous diseases, the best known in the country. This wise man put me to bed and applied the rest cure, to which a still good physique responded so promptly that he concluded there was nothing much the matter with me, and sent me home with solemn advice to “live as domestic a life as far as possible,” to “have but two hours’ intellectual life a day,” and “never to touch pen, brush or pencil again as long as I lived.”
I went home and obeyed those directions for some three months, and came so near the border line of utter mental ruin that I could see over.
Then, using the remnants of intelligence that remained, and helped by a wise friend, I cast the noted specialist’s advice to the winds and went to work again – work, the normal life of every human being; work, in which is joy and growth and service, without which one is a pauper and a parasite; ultimately recovering some measure of power.
(…)
It was not intended to drive people crazy, but to save people from being driven crazy, and it worked.
私は何年もの間、憂鬱になりやすい重い神経衰弱に悩まされ、それ以上の症状が出ていました。症状が出て3年目くらいの頃、私は熱心な信仰とかすかな希望を抱いて、国内でいちばん有名な神経疾患の専門医のところへ行きました。この賢明な男性は私を寝かせて安静療法を施しました。まだ元気な体はすぐに反応したので、私の体には大した問題はないと結論し、「できるだけひきこもった生活をする」、「知的活動は1日2時間だけ」、「生きている限り二度とペンや筆や鉛筆に触れないように」という厳粛なアドバイスを残して私を家に帰しました。
私は家に帰って3か月ほどその指示に従い、完全に精神が崩壊する境界線に近づき、その先を見ました。
それから、残っていた知性を頼りに、賢明な友人の助けも借りて、私はその著名な専門医のアドバイスを捨て去り、再び執筆に取りかかりました。仕事、つまりすべての人間の通常の生活です。仕事には喜びと成長と奉仕が含まれますが、それがなければ人は貧者であり寄生虫です。最終的にはある程度の力を取り戻せます。
仕事は人を狂わせるものではなく、人を狂わせることから救うものです。私は狂わずにすみました。
Charlotte Perkins Gilman, “Why I Wrote ‘The Yellow Wallpaper’?”ここでの仕事は、執筆とか、読書、勉強、家事、自分に与えられた役割などで、必ずしも賃金が発生するものではないと私は解釈する。
昔、ひどい不眠症にかかったとき、初めて精神科に行った。医師は威圧的に、「家にいて、頭を使うことをすべてやめなさい。読書も書きものも全部だめです。それがあなたを狂わせる。薬だけ飲んでいればいいです」と言った。
好きなことを全部奪われてたくさんの薬を飲むことは、それを命令されることは、とても怖かった。私は夫に電話し、医師に従わないことに決め、別の病院に行った。そこで読書や執筆が禁止されることはなかった。だけど、最初の医師の言葉が頭にこびりついて、知的活動に少しうしろめたさを感じるようになってしまった。外に行くよりも家にいようと思うことが増えた。言葉はうまく受け取らないと、すぐに処理しないと、影のような呪いになる。
“The Yellow Wallpaper”を読んで、当時のことを思い出した。知的好奇心を手放さずにいたら、体調が戻った。そこで希求したのは、もっと読みたい、もっと書きたい、もっと歩きたいということだったし、そう思えること自体が私をもっと元気にした。家庭教師の先生と出会って、夢中に勉強していい場所に行きたいと考えるようになった。
大切なものが奪われそうなときは、疑問をもっていい。弱って少なくなったエネルギーを振り絞って、別の人や場所に行ってみる必要がある。怒りをあらわすと、それが既に狂っている証拠と足をすくわれることがあるが、無視していい。相手はどこかで屈服させようと、あらを探しているだけだ。従わなくていい。
弱っていたときの教訓は、元気なうちに、信頼できる人との関係を築いておくこと。何かあったときに、まずその人たちに相談すること。
短編の主人公の女性は、隔離された部屋の黄色い壁紙が異常に気になり、そこに女性たちの顔を幻視するようになって発狂し、破り取る。私は自分の部屋の壁紙に、文学史の勉強で少しずつできてきた地図と、お気に入りの文章を貼る。
-
何者かになること
“No need to hurry. No need to sparkle. No need to be anybody but oneself.”
Virginia Woolf
急がなくていい。きらめかなくていい。自分以外の何者にもならなくていい。大学時代、広告業界で長くインターンしていた。特別な何者かになることがこの人たちに認められるということなら、私はいいやと思った。浅薄に消費されたくない。雑に要約されたくない。わかりやすいパッケージにされたくない。
会社で仕事をする指標に、定期評価がある。上司からのフィードバックがある。工夫して取り組んだことが評価されるとうれしい。だからもっとフィードバックを読み込んで、満たそうとがんばる。会社は役割と役割のコミュニケーションの世界で、個々の人間性が隠れやすい。うっすら感じてはいたけれど従っていた上司の尊敬できない性格を、退社後に目の当たりにした。この人に認められたいと、こういう人が集まる会社で認められたいと思ったことを後悔した。
この前Xで、「めっちゃ意識の高い人」と言われた。夫に話したら「ぷっ」と笑われた。かけ離れた人間だからだ。
私は小柄で、マッシュボブで、薄いメイクをする。スニーカーやオーバーオールが好き。よく言えばかわいらしい、悪く言えば子どもっぽい。だから昔から、「クールで綺麗なおねえさん」に憧れている。構成要素はわからないけど漠然と憧れている。それを矯正歯科の先生に話したら、「私嘘つけないのよ。紺ちゃんにおねえさんの素質はまったくないわ」と断言された。衛生士さんも深くうなずいていた。帰って夫に話したらまた笑われた。
彼らの中には、私のイメージがある。Aではない、ときっぱり言えるということは、Bであることが明確なのだ。私がのびのび生きていて、周りの人がそれをポジティブに受け取ってくれているのは、マスメディアや会社の評価よりも、ずっと大切なことのような気がする。わざわざ言葉にして肯定されなくても伝わってくる。
私は今の感じで、私でいたい。なるものではなく、もうここにいるのだ。好きなことに夢中になっていたら、私は発光せずとも、光のなかにいられる。
-
いただきますぺんぺん
食卓につく。手を肩幅くらいに広げる。「せーの」と言って、ぱちっと合わせる。「いただきます」と言う。そのあと「ぺんぺん」と言って手を2回叩く。10年以上続けている、私たちの儀式だ。
当初はおそらく、「いただきます」と「ぺんぺん」は分離していた。「いただきます」と言ったあとに、夫が好物に「わーあ!」と手を叩いていた。その拍手も一緒にやりたくなり、気づけば合体し、習慣になっていた。昔、回転寿司屋のカウンターで横並びに座り、目を合わせ、「いただきますぺんぺん」で食事を始めたことがある。近くに座っていたおばあさんたちに「あら、かわいい」と笑われた。「はっ!いつものくせが!」と恥ずかしかったけれど、続けている。
人間なので、疲れているときもあれば、欲に負けるときもある。長年連れ添っている慣れ、甘えもあるのだろう。夫はたまに「いただきますぺんぺん」を手抜きする。だらーっとした空気を出したり、早くからあげを食べたくて2倍速ですませたりしようとする。厳しい「いただきますぺんぺん」保存会会長の私は、彼を許さない。彼を叱り、正式な「いただきますぺんぺん」をおこなう。
失敗した「いただきますぺんぺん」が1回、正式に成功した「いただきますぺんぺん」が1回。合計2回の「いただきますぺんぺん」。私は奇数が好きなので、偶数回で終わることができない。もう1回、ふたりで正式な「いただきますぺんぺん」をおこなう。そしてようやく食事が始まる。
こんな日もある。いつもどおり「いただきますぺんぺん」をする。そのあと、私が「あ、ケチャップわすれてた」と言って台所に行ったり、立ち上がってお玉で鍋をよそったりすることがある。私はそのあと、なめらかに「いただきますぺんぺん」をもういちどおこなう。1回目の記憶がすっかり抜けているのである。夫はなめらかな「いただきますぺんぺん」になめらかに参加したあと、「紺ちゃん、さっき1回やったよ」と言う。私は「しまった!」と思う。偶数回の「いただきますぺんぺん」が気持ち悪いから、私たちはもういちどなめらかに「いただきますぺんぺん」をする。
ふたりとも熟練しているぶん、今ではまれな例ではあるが、ちょっと雑な感じになった、気持ちがこもってない、姿勢が悪い、私がすっかりわすれてた、息が合わなかったなどが奇跡的に連続で発生し、合計5回や7回、「いただきますぺんぺん」をすることもある。そこまでいくと、高速アルプス一万尺をやっている感じになる。
「いただきますぺんぺん」が1回で綺麗に終わる日だって多い。そのときは、おたがい静かに「やった、今日は1回ですんだ!」と思っている。
私はこの先も、彼と「いただきますぺんぺん」をやるだろう。1回でうまくいっても、延長戦になっても、私たちは笑う。おじいちゃんになっても当たり前につきあってくれそうという意味で、私は彼と結婚できてよかった。
さて。今夜は何回で終わるかな。