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  • 折れそうな人だった。春風に飛んで行きそうな背中。スーツは肩からずり落ちそうで、かばんを持つ手はもげそうだった。めがねが光る、4つ年上の人。後に夫になる人の、最初の印象だ。

    私は新人研修で、「同期全員と話す運動」に取り組んだ。文系は6人、理系は60人。製造業で働く以上、技術者との関わりは欠かせない。全員の自己紹介文がまとめられた冊子を握りしめ、ひとりひとりに声をかけた。彼とは愛読書が同じだった。『ソフィーの世界』。私から話しかけた礼なのか、お返しに褒め言葉をくれた。「あなたは、研修中の物理的な姿勢がいいですね」

    文系は理系よりも早く配属された。私は人事部の人材育成課に入った。新人研修を担当する先輩につき、技術系の研修を見学する日々が始まった。すでに仲良くなっていたエンジニアの同期いわく、めがねの彼が書くソースコードは美しいらしい。賢くて、技術力はありそう。でも体重はなさそう。そこにいるのにいないような人に見えた。

    初夏、研修の最終日。彼を配属先へ案内する役目を任された。その部門の新人は彼だけ。20分の道をゆっくり歩く。ばきばきに緊張している彼をなごませたくて、私は携帯の待ち受けを見せた。ゆるりとくつろぐリラックマ。

    古本屋に行ったり、公園でフィルムカメラの使い方を習ったりするような時間を過ごして、私たちはつきあうようになった。彼は恋文を作るのに苦労する。打っては消すを繰り返し、充電がみるみるうちに減っていく。ようやくとっておきの短文を完成させて、送信ボタンを押し、息をつく。返信が瞬時に届く。「困ります。あなたのことを考えて1日が終わります」

    人前でごはんを食べられない人だった。会社で昼食をとらない。デートでは私にもりもり食べさせて、その様子をにっこり見守る。かろうじてお茶とお酒は飲む。大学時代、最初の3年間はお昼抜きだったと言う。研究室に入ってからの3年間は、毎日キョロちゃんのピーナッツ味を2箱食べていた。昼食を忘れた人には、1箱差し出していた。集まりすぎる金と銀のくちばしも、研究室の人に惜しみなくあげていた。

    食事のときだけではない、人に対する硬さ。自分から消えてしまおうとでもするかのような体重のなさ。新米の人事なりに、彼の、キャリアのどこかで折れてしまいそうな感じを心配した。とはいえ他人だ。変化を強いてはいけない。

    彼の家で手料理を作ったとき、彼は少しだけ食べた。鶏めしを見つめて「おいしい」と言った。顔を上げ、照れくさそうな笑みを見せた。食べられるようになりたいんだな。私にできることをやってみよう。外食は個室を選ぶ。なじみの店を作る。料理を小さく分けて、「食べてみる?」とたずねる。食べられても喜びすぎない。食べられなくても残念がらない。平静でいる。私は自分のごはんを気にせず食べる。

    彼はたぶん、とても勇気を出したり、努力したりしたはずだ。だんだんと、一緒に食べられるものや量が増えていった。私はそのあいだ、食事の記録を取り続けた。卵は完全に火を通したものがいい。牛乳と生クリームを使った料理はだめ。チーズは平気。麺と赤身が好き。固形物は食べやすい。魚は臭みに注意。お酒が入ると、食べられる量が増える。変わっていく彼に寄り添いながら、私はずっと見守る側でいようとした。小盛りの手料理を完食するようになったころ、私は彼が私に慣れたように、いつか他の人といても「大丈夫」と感じられることが増えるといいと願った。それからは、いろいろな食べものをすすめた。

    まずは熊。リラックマはゆるさの先生だ。ローソンでシールを集めたらリラックマのお皿をもらえるキャンペーンがあり、彼に協力を求めた。私は「ローソンで買いものしたとき、シールがついてたらちょうだい」くらいの意味で言ったのに、彼は恋人のためと本気になった。ローソンに通いつめ、いちばんコスパのいいサンドイッチを買って、会社で食べるようになった。昼食をとっていないことに気づいていた上司は嬉しかったのか、シール集めを手伝ってくれた。私よりも彼のほうがリラックマ好きになったのはいつからだろう。ある日、東急ハンズでぬいぐるみを買ってきて、「これ、ぼくの」と宣言した。

    11月の誕生日には、メッセージプレートとキャンドルつきのホールケーキを贈った。つーっと涙を流して食べていた。彼が「クリスマスイブにレストランに行こう」と言った。このころには、私と一緒なら、店でごはんを食べられるようになっていた。私は「イタリアンがいい」と言った。「予約できた!」とメールが来た。12月24日、彼が得意そうに連れて行ってくれたのは、イタリアンを出すガールズバーだった。人との食事が苦手な人だ、ホットペッパーを使いこなせなくても無理はない。私が別の店を探して、とりあえず入った。

    彼からのクリスマスプレゼントは、ティーカップだった。紅茶を注ぐとハートが浮かび上がるもの。事務用の茶封筒も添えられていた。角が少し折れていて、封は閉じられていない。「まだからっぽかもしれない。だけどひとしずくずつでも、これから満たしてあげたい」という手紙だった。まっすぐな彼は虚無感を隠す私を見抜いて、不器用なりにできることを贈ってくれた。「一緒にいて恥ずかしくない人になりたい。なれるかな」と自分を見つめつつ、「それにしてもレターセットくらい買おうよ」と心の中で突っ込んだ。

    私は年内こそぷりぷり怒っていたものの、年が明けると思い出し笑いでいそがしかった。ガールズバーで過ごしてみてもよかったな。ふたりのあいだに、何が起きてもおもしろがる空気が生まれた。

    かわいさは、やわらかさやユーモア、楽しむ姿勢、人に心をひらくことを含むと思う。ちらちらと現れる彼のかわいさを、もっと知りたくなった。理容室しか知らなかった彼に、私の行きつけの美容室を紹介してプロの技を食べてもらった。彼は案内された席に座るなり、「『かわいくしてください』と言えと言われて来ました」と言った。美容師さんは仰天した。くせ毛を活かしたマッシュショート(外国の少年風)は、彼にとびきり似合っていた。内面のかわいさがうまく引き出されていた。私が目の色を変えて褒めたことに味をしめ、彼はその美容室に通うようになる。

    婚約のタイミングでは、オーダーメイドのスーツを作れるチケットをプレゼントした。かっこよさはかっこよさで強化し、かわいさとのバランスを取る。髪と同じく、「服なんてどうでもいいや」と閉じていた心をひらいてもらった。体に合ったスーツは、見るからに違う。プロと関わることで、かわいさとかっこよさ、その両方に磨きがかかっていった。

    彼はLINEのスタンプも、食べた。もともとガラケー派だった彼は、LINEスタンプを気に入ってスマホを買った。やがて、スタンプみたいな言動をするようになった。たとえば、「がるるー」「ぺこり」「ガーン」「えへん」と漫画のように言う。うるうるの瞳で見つめてきたり、ドアの隙間からひょっこり顔を出したり。気の利いた返しや、スタンプの組み合わせ開発にも熱心。「今日、上司に『しょぼーん』って言いそうになった」と笑う日もあった。スタンプの力を借りた感情表現は、彼のユーモラスな性格の養分になった。

    入籍後、農園でのアウトドアウェディングをDIYした。「初めての共同作業は、結婚式の準備にしよう。ケーキ入刀じゃない」。コンセプトからバスの手配まで、仕事のプロジェクトのように、ふたりで意味を確認しながら作った。私の担当は、ディレクション、取引先探し、ウェブサイトデザイン、パンフレットデザイン、材料調達、装飾・小物の制作。彼は、ウェブサイト実装、計算系、布裁断系、印刷、運搬を受けもった。衣装や料理、空間デザイン、音楽、当日の撮影は、専門家にお願いした。一般的なファーストバイトは、新郎が「食べものに困らせない」、新婦が「おいしい料理を作る」という意味を込めてケーキを食べさせ合う。新婦は大きなスプーンを使う。私たちは「一緒に食いぶちを稼ぐ。料理も一緒に作る」という意味に変えた。日常的に食べているお米と直径1メートルの鍋で、特大のパエリアを作ってもらった。満月の下、木製の小さなスプーンで、ひとさじずつ相手の口に運んだ。

    生活が静かに、ゆるやかに変わっていった。先日、ピザパーティーをした。「できたよー」と呼ぶと、彼はるんるんでリビングに現れた。マルゲリータにまっしぐら。お酒を飲むスピードに対して、ピザを食べるスピードが速すぎる。自分のぶんを食べ終え、私のぶんを物欲しそうに見つめる始末。ふたりで2枚目を焼いた。マヨネーズ、しらす、青のりのピザ。これも早々になくなった。食後、彼はベッドに寝転がった。好物とお酒のおかげでご機嫌だ。私が隣に座ったら、待ってましたとばかりに腰に抱きついてきて、そのまま寝落ちした。身動きが取れない。

    うちには「こてね」という言葉がある。「こてね」は、仕事がうまくいった、楽しいことがあったなどで精神的に満たされている、ほどよい身体的疲労がある、おいしいごはんを食べる、お酒を一定量以上飲む、という条件がそろった上で、入浴前にこてんと寝てしまうこと。ぎりぎりまで「お風呂には入るよ」「横になってるだけ」「眠ってない」とつぶやき続け、最終的には嘘をつく。ふくふくの存在感に免じて、たまにであれば許される行為。「こてね」の彼は時折目を覚まし、ふざけて「すぴー」と言った。尊い。

    出会ったころに比べて、彼は肥えた。標準体重になった。かっこよさ、賢さ、実直さ。かわいさ、やわらかさ、ユーモア。技術力、仕事の実績、自信。これがいいバランスでまとまっている。昼はお弁当を食べる。私が連日同じメニューで手抜きしても、「ナポリタン・スリーじゃん!」とシリーズもののように喜ぶ。彼が飲み会で遅くなる日、もう私が「あんまり食べてこないかも」と夜食を作っておくこともない。帰ってくるなり、食べた料理の味や盛り上がった話題を教えてくれる。取引先の人が出張に来るときには、ランチのお店を探すし、手みやげを渡す余裕もある。周りの人と協力しながら、仕事を楽しんでいる。

    彼が「この人と一緒にいても大丈夫」と感じられる場面が少しずつ増えていけばいい。そう願っていた当時の私は、自分が未来の彼のそばにいることを想像していなかった。幼いころから、長く生きるイメージを持てずにいた。しかしいつの間にか、彼のそばで、私も以前と違う自分になっていた。彼の食べる量が増えるたびに、私もそっと栄養を分けてもらっていたみたいだ。

    からっぽのティーカップに紅茶が注がれる。湯気が立つ。ちびちびと飲む。こぼす日もある。たまにあふれる。飲みきると、また注がれる。私も彼のカップに紅茶を注ぐ。これからも一緒に変わり続けて、共にありたい。

    結婚して12年。一緒に「いただきます」と「ごちそうさま」を言う日々を、できるだけ長く続けられますように。

  • 大学院の相談会に行ったら、私が志望する専攻の先生たちが、昨年度の受験生の成績の悪さを嘲笑して盛り上がっていた。それまでの話しぶりが厳かで、笑いひとつない緊張感あるものだったので、はじけるように飛び出た素顔や普段の言葉遣いのようなものに面食らった。その場に違和感を持ったこと、入学できたとして人をああいう風に扱うのかということ、私の考えすぎなら訂正してほしいことをあとからメールで送った。返信はなかった。返事がないことが返事。

    人の感情の機微や、想像力を扱うのが文学だ。その専門家の肩書きを持つ人が、想像力を欠く。メールを返さない。論文の実績や学力以前に必要なものがある気がする。人を選ぶ立場に慣れると、選ばれる立場でもある認識といっしょに失くしてしまうんだろうか。

    もともと文学と創作を独学していて、「もっと原典を深く読めるようになりたい」「専門家と議論しながら研究したい」と思って作った大学院進学ルートだった。1年前から、大学院進学用も含めた勉強にシフトしていた。大学院の目標がなくなって残ったのは、相変わらずの独学への気持ちと、習慣と、1年勉強して身に着けた文学的な俯瞰性、そしてそこから出てきた新しい知的欲求だった。それをもとに新しく作った独学計画は、大学院のカリキュラムよりずっとわくわくするものだ。自分の目的に合わせて、本や動画などを選べる。納得できるまで時間を使える。苦手なものも、自分で意味づけして、自分で組み込める。

    私が大学院で会いたかったのは、偉そうな指導者じゃない。専門知識があって、楽しそうで、つい話し過ぎちゃうくらいマニアックな好みがあって、自分が人を傷つけうることに自覚的な人だった。その生きざまに触れたかった。

    森博嗣の本を再読した。理系の大学教授だった人。2014年に買って、今の自分にはぴんと来ないところも多い。でもこの部分は好きだった。

    たとえば偉大な科学者や数学者を思い浮かべてもらいたい。彼らの人生において、物理学や数学は自分を活かす場(現実)だった。そこでの個人的な思考は、まさにエキサイティングであり、一般人には経験することができないほど、大きな楽しみがあったはずである。そんなことが想像できるのも、僕が実際に自分の研究の過程で、それに近いものを味わった経験があるからである。

    そこには、「他者」というものが必要ない。自分一人だけの「静けさ」の中にある感動であって、人間だけが到達できる「幸せ」だと確信できる。その中にあっても、もちろん浮き沈みがある。沈んでいるときには、なにもかもが虚しい。けれども、一つの目標が達成されたり、これまでになかった新しさを見つけたときには、嬉しくてたまらない。どう説明をすれば良いのかわからないが、それは友人と楽しく遊ぶよりも、愛する人と一緒にいることよりも、もっともっと比較にならないほど大きな喜びである、と断言できる。

    (中略)

    なかには、大変な苦労をして研究を続けた人もいる。しかし、何故そんな偉業ができたのか。それは不屈の精神のなせるわざだと普通は語られるが、全然違う。ただ単にもの凄く楽しかったからなのだ。ほかのすべてを、ときには自分の命を削ってでも、それを求めたい。それほど、その楽しさは燦然と輝く存在だったからなのである。 

    森博嗣『孤独の価値』

    彼の深さではないかもしれないけれど、わかる。自分の求めるものを生み出す過程が、どうしても他者を必要としないことは十分知っている。私はもうずいぶん前に、「ふつう」や「社会人としての一般的なルート」からはずれた。それがたまに恐ろしくさみしいときもあるし、比較対象がいなさすぎて気楽だと感じるときもある。外の世界で、他者を必要としない楽しみを知ってしまっている他者に会いたかったんだと思う。

    「まあそんな出会い、やっぱりなかなかないよな」と思いながら、昔訪ねたことのある編み物教室に行った。頭を使わない趣味を再開したい。師範免許を持った快活なおばあさんが先生。私が大学院を目指していたことを知っている。やめた経緯を話したら、「行かなくて正解。嫌なやつってどこにでもいるね」と返ってきた。彼女は最近作っているレース編みの話を延々としたあとに、独自に仕入れている糸の良さを実物を見せながら語って、仕込んだ梅干しがめっちゃいい感じなことと、抹茶に炭酸混ぜるとおいしいことを話してくれた。自分でやってみる、実験してみる、徹底的に突き詰めるのが楽しそうで、一貫していた。

    途中からやって来たおばあさんが、私たちの話を静かに聴いていた。そして、「あなた、まじめね。この人(先生)とざっくばらんに話せる人って少ないのよ」と言った。先生も、恐ろしくさみしいときがある、あるいはあったんだろうと思った。

    会いたい人を文学の世界だけで見つけようとしなくてもいいんだな。

    「また来ます」と教室を出た。軽く扉を叩いてから、2時間が経っていた。

  • 昔々、くまだった人がいた。XがまだTwitterだったころの話。白いくまのぬいぐるみのアイコンのその人は、夏は期間限定でアイコンを茶色のくまに変えていた。つぶやいていたのはとりとめのないことで、かわいいくま設定だからか、ハイテンションで明るかった。一生懸命生きているのが、独特の言葉遣いからでもうかがえた。

    そんなくまがうっすら落ちこんでいる日は、いつもの明るさとのコントラストで余計に暗く見えた。というか、いつもは明るさでかなりぎりぎりまで隠してたのかもしれない。

    DMで話しかけると返信があった。白いくまの文体とは全然違う、常温の落ち着いた文章だった。くまも人間だったんだねと思った。当たり前なんだけど。すごく人間だった。

    あれこれ長文でやりとりしたあと、Twitterからいなくなるということでメアドを交換した。それから、気ままなメール交換を続けている。以前、彼女はお手紙を書いてみたいと言っていたが、そんな牧歌的なこと、我々には不可能だと思う。あの長文メールの交換に慣れきった関係が、数枚の紙のお手紙に納まるわけがない。毎回ぶあついレターパックを送り合うことになりそう。

    大学院に行かないと決めて、落ち込んで、ぼーっとして、好きなものを食べて、掃除して、本を買って、気を抜いて薄着で寝て風邪を引いた。よくなったころにメールしたら、すぐに返信があった。悲しいことがあった日だったけど、私からメールが来てうれしかった、ありがとうと書かれてあった。メールの件名は「四捨五入で、はぴ」だった。

    うまくいかないこともあるけれど、楽しかったことやうれしかったことをたくさんかき集めれば集めるほど、しゅんとする部分の比率は減って、「四捨五入したらハッピーのほうが多い」になるんだろうな。くまから人間になっても、毎日を懸命に生きているのが言葉から伝わってきて、メールを一気に読めなかった。

    涼しい夏を。穏やかな夏を。できるだけはぴねすだらけの、よくばりな夏を。

  • 紙漉き

    水に浸した繊維をすくいあげ、少しずつ和紙を作っているような日々だった。暑いから、ずっと水の中にいたい。

    院進の目標を消した。ひとまず日本の院はもうない。「邪悪だ」と感じる場面があった。「とは言っても」といいところ探しを続けた結果、ようやく「いや、やっぱり、ない」に至ったので、本当に進学したかったんだと思った。頭が「さてさて、次ー!」と足早に通り過ぎようとした。危ない気がした。1年を振り向けていた目標だった。そこから離れるのだ。数週間使おう。

    決めてからしばらく、止まっていた。ノートを開かなかった。変わりたいと急ぐ自分を抑える。それで±ゼロくらいになるのがちょうどよいのかもしれない。悲しさと、悔しさと、入る前に気づけた安心と、何と言っていいかわからない気持ち。ぐちゃぐちゃしたものを言葉にせずにいた。近寄りすぎず、離れすぎず、ぼーっと見つめていた。

    混濁した液体に木枠を入れて揺り動かす。紙料が集まって、薄い層になる。それを何度か繰り返すと、ざらついていたものは溶けて、やりたいことの本質だけが残った。水気を切って乾かす。新しい紙。指でつまんで太陽にかざす。光が透き通る。

    おいしいビールを飲んだ。黒トリュフ風味の高級なポテチを食べた。美術展の図録を買った。久石譲の曲を聴いた。ひつまぶしを作って食べて昼寝した。新調したボールペンの発送連絡が届いた。「そろそろ行っていいよ」と、自分にそっと許可した。

  • リーナス・トーバルズ、デイビッド・ダイヤモンドによる本を読んだ感想。

    好きになった人が投資家だとしたら、私は投資の本を読んで、その人を知ろうとする。見ている世界や考え方の根っこを、私も少しでも知りたいと思う。新しく関わるクライアントが建築家なら、自分の設計する家の断熱構造に誇りを持っているなら、『よくわかる断熱設計』みたいな本を3冊買ってきてすぐに読む。基礎を入れたうえで、どこがそんなに好きなのかを前のめりで聴く。

    私が恋をして結婚した人は、世界中で使われているオペレーティングシステム、Linuxのエンジニアだ。付き合い始めのころ、私は彼の考え方の後ろにいつも誰かいるように感じていた。「彼をそんなに惹きつけるなんて」という焼きもちが多少あったと思う。Linuxのこと、開発者のリーナスのことを知りたくなった。

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    自分でつくったものを無料で公開する。使う人は、公開されたものを使う代わりに、自分で新しい情報や知識を見出した時に同じように公開する。自分のものを自由に使ってもらう代わりに、相手のものも自由に使わせてもらうルール。それが「オープンソース」。リーナス・トーバルズは、もともとあったこのオープンソースの考え方を利用して、Linux(リナックス)というオペレーティングシステム(OS)を開発した人だ。

    OSはコンピュータの中で起こるすべての基本原理となる。だから、OSを作るのは、最高にやりがいのあることだ。OSを作るというのは、世界を作ることだ―その世界の中で、コンピュータを動かしているすべてのプログラムが生きている。基本的には、プログラマーは何が受け入れられ、何が可能で何が不可能かという法則を作っている。どんなプログラムもそういうことをやっているわけだけど、OSは一番の根本だ。

    従来の、工場での大量生産のようなものづくりは、経営者が情報、知識、技術、設備、人材を占有することで富を増やしてきた歴史がある。Microsoft のビル・ゲイツも、同じように会社を大きくし、莫大な財産を築いた。ちょうど反対の考え方をするのがリーナス。フィンランド出身で、幼いころからコンピュータの仕組みに夢中だった。

    ある既存のOSを自分のコンピュータに入れ、自分の目的や理想で使おうとした時に不満が生まれた。バグも見つけた。

    プログラムを書いているうちに、このOSにいくつかのバグがあることを見つけた―というか、マニュアルに書いてあるOSの動作と、実際の動作とに相違があったんだ。自分で書いたプログラムが動かなかったので、その事実に気づいた。だって、ぼくの書くコードはいつでも、エヘン、完璧だからね。だから、原因は他にあると思ったわけだ。そういう経緯から、ぼくはOSに手を入れることにした。

    見せびらかしたい気持ちも当然に持ちながらテスト版を公開すると、既存OSの筋金入りのファンが反応した。リーナスが「既存OSのどこが好きで嫌いか、どんな機能が欲しいか」を尋ねると、早速意見が寄せられた。テスト版を試し、バグを見つけた人もいた。リーナスは、「クラッシュしやすい」とか「私のコンピュータでは動かない」などの感想がとても嬉しかったと言う。手を加えてバージョンを上げ、公開し、またフィードバックを募る、国を超えた共同プロジェクトが始まった。

    好奇心で始め、楽しみに熱中していること。フィードバックをもらうことで、新しい課題が生まれ、楽しみが続く。フィードバックはコミュニケーションであり、個々の存在肯定でもある。技術を占有して懐に入るお金よりも、自由な共用によって純粋にものづくりを追求していくこと、楽しみ続けていくことのほうを、はるかに大切にしている人たちがいる。開発に協力する有志も増え、リーナスは核であるカーネルの開発に集中するようになった。UIやサポートなど(リーナスが興味をもてないところ)は得意な人が発展させていった。

    今や様々なところで使われているLinux。スマホのAndroidだって、実はLinuxのカーネル上にある。それがひとりの楽しみから生まれ、現在も世界の人々と開発継続中というから驚きだ。

    この本を読みながら、「1対1になるとコミュニケーションが発生する、それはつまり社会だ」と気がついた。ひとりで部屋にこもり、昼夜関係なく開発していた話がしばらく続くので、テスト版を公開して数人とやりとりを始めたあたりに、暗い部屋でカーテンを少し開けて光を感じる時のような瞬間的な眩しさがあった。彼の人生の中で、楽しみが社会につながったことが本当に大きかったのだと思う。TED の講演「Linux の背後にある精神」では次のように言っている。

    独りでやっていたのが、10人とか100人という人が関わるようになった—それが私にとって大きな変化でした。それ以外は徐々に起きたことで、100人から100万人というのは大したことではありませんでした。

    私は今のXのアカウントを2022年に、このウェブサイトを2023年に作った。開設当初からひとつひとつのいいね、ひとつひとつのアクセスが都度新鮮にうれしいのは、リーナスを私淑しているから持ち続けられている感覚だと思う。自分の文章が初めて数人に届いた7歳の記憶を彼の経験に重ねている。だれかひとりにでも届くって、すごいことだ。

    コンピュータの知識がない人でも読めるよう、専門用語のうち特に重要なものについては本の最後で説明されている。ごはんやみそ汁の比喩などで、とっつきやすい。ただ、私はその存在に先に気づかなかったために、『なるほどわかった コンピュータとプログラミング』という絵本でコンピュータの基本思想をつかんだあと、夫に質問しながら読んだ。

    カーネルは核の部分、真珠みたいなもので、貝殻をくっつけないと動かない…………貝殻、シェルにはいろいろな種類がある…………コンピュータの言語には、低級言語の機械語、アセンブリ語、高級言語のCとかPythonとかがあって、CPUが変換してくれる…………低級・高級といっても、優劣の話じゃなく、レイヤーにした時に上か下かなだけ…………機械語やアセンブリ言語のほうが難しい…………とても難しい…………OSをつくるには低級言語を結構使う…………へえ…………ほー…………つまりリーナスはすごいってことだ。

    私はこの本を、エンジニアはもちろん、何か夢中になっちゃうことがある人、オープンソースのものづくり哲学に興味がある人、恋い慕う人がLinuxのエンジニアで、見ている景色を垣間見たいと思う人に薦める。私は、夫が私にしてくれる助言、仕事の考え方の源泉を知れて、「あ、こういう背景で言ってたんだな」と思い至ることができた。

    私はすっかりリーナスとLinuxのことが好きになって、「C言語とLinux」という英語のオンライン講座まで受けた。プログラミングでおこなわれている言語活動はとても細かい。実際にコードを書いた。どうしても自力で解決できないバグ取りを夫に手伝ってもらった。私の書いたコードを見ながら話し合うのは、本物のエンジニアになった気分だった。えへん。

    私は1講座で十二分に満足した。細かすぎる世界だった。そして単語のダブルミーニングが許されない。私は言葉の多義性を愛しているので、「私はすばらしいあなたに釣り合わないわ。今までありがとう。元気でね」みたいな気持ちでLinux実践と別れた。それでもいやはや、夫が好きなものを少しでも知ることができてよかった。私も開発思想は大好きになったし、影響を受けた。

    表紙にもある、Linuxマスコットのペンギンは、「幸せそうに見えるペンギン」というのが選定理由。眼鏡をしているので、リーナス自身かな。読む前よりも愛らしく見える。

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