Writings

New Essays Every Monday

  • 1924年に死んだカフカが、1959年のアメリカで高校生だったらという話。最初に読んだときの感想は「つまらん」だった。2回目の感想は「絶妙につまらん」。40ページ、25章ある作品。このうちある1章だけ抜き出してミニストーリーにしても十分じゃんと思った。

    授業の日、家庭教師の先生の意見も同じだった。ミルハウザーのベストではない。ふたりして、しぶしぶ授業を始める。進めかたは都度私が決めていい。今回は、すべての章を要約しながら、英語を正しく読めているか確認し、表現や解釈の質問を挟む形にした。

    いつもの先生は、ミルハウザーの昔の作品を繰り返し大学の授業で扱っているので、作品への評価や解釈がわりと固定的。でも今回の本は去年の夏に出た新作で、私との授業のために初めて読んだから、まだ定まっていなかった。

    私が何気なく投げた質問に先生がインスピレーションを受けたり、私も刺激をもらったりして、議論が盛り上がっていった。単調に見えていた物語が深くなる。

    1959年に高校生なら、ミルハウザーと同い年くらいじゃない? ミルハウザーはカフカに自分を重ねてるのかも? 自伝っぽい? ここはシーシュポス? 外に表現できないけど何か内に秘めたカフカ。ボニーはなんかいい人に見える。

    授業のあと、おたがいに「ベストではないが好き」という結論に達した。私がアメリカの高校生で、同級生と文学の議論をしたら、こんな感じなのかなと思った。

  • オデッサ

    帰宅してルームウェアに着替えた夫は、私に抱きついてきて「今日はとっても楽しかった!」と言った。私は驚いた。

    三谷幸喜の新作芝居、「オデッサ」。アメリカテキサス州のオデッサという町が舞台。警官、重要参考人の男、通訳の3人によって繰り広げられるコメディ。私たち夫婦の観劇デビューは、三谷の「国民の映画」だ。それ以来ずっと好き。今回は律儀にぴあの一般発売を待っていたのに、2階前列の席しか取れなかった。実は主催のメーテレが別のサイトで何度も先行発売済みだった。落ち込みながら向かった金山の劇場。あれ。意外と見える。よいかもしれん。

    リピーターがいるのも納得の芝居だった。演者たちはテンポよく笑いを提供し、観客は取りこぼさないように受け取った。ふと横の夫を見ると、彼も笑っていた。よし。古典や抽象度の高い作品だと、ぽかんとしてしまうことがあるのだ。今回は大丈夫そう。そう思って終演後の顔を見ると、硬かった。「どうだった?」と聞くと、「うん。よかった」だけ。ほ? あんまり好みじゃなかったのかな。

    時間が中途半端だったので、空いている店で食べて帰ることになっていた。焼肉屋の席に座る。彼は私の編んだセーターに臭いがつかないように脱ぐ。カルビ2種類1人前ずつと、石焼ビビンバ2つ。さっと食べて帰るセレクト。周りはガヤガヤと騒がしい。彼としても、場としても、芝居の感想を交わす雰囲気じゃない。黙々と食べる。彼から聞き出したのは、やはりこの店のビビンバはうまいということと、カルビAよりもカルビBが好きだということだけ。

    成城石井で紅茶、いちご、ティラミス、ポテトサラダを買った。努めて多めに買ったのは、紙袋が欲しかったからだ。商品を詰めて渡してもらったあと、私は芝居のパンフレットをそっと入れた。各商品が倒れないように気をつけていたら、家に着いた。

    この文脈で冒頭の「今日はとっても楽しかった!」に戻る。彼は笑いながら近づいてきた。白いトレーナーは空気を含んでいて、私に抱きつくとぱふっとする。それからぎゅーっと抱きしめてくる。

    あー。あ、なるほど。あー。ねー。わかった。彼は人混みに終始緊張していたのだ。芝居を見て感動しなかったわけじゃない。とても心が動いた。しかしそれを表現できなかった。もともと語彙が少ないうえに、人混み、騒がしい店、得意ではない外食。劇場でガチガチだったのが、食後のなじみの成城石井でほぐれ、家路あたりで本来の彼と切り替わり始めたのだろう。完全なスイッチは部屋着、間接照明、私だけがいる部屋。リラックス。私は抱きしめられながら、彼の頭をぽんぽんと撫でた。

    この日の彼を芝居にして上演したら、彼は「つまらん」「わからん」「で?」と言うと思う。でも私は、明らかに人を笑わせるために技巧を凝らした脚本とは別の方向で、大好きな気がする。

  • 第1幕

    第1場

    3月2日
    スーパーの鮮魚売り場。ひなまつり用の食材が並んでいる。

    妻「ねえ、ひなまつりのお祝いしたことある?」
    夫「ないよ。4分の3が男じゃ何もない」
    妻「6分の4が女の家も何もなかった」
    妻「ひなまつりって何?」

    第2場

    3月3日
    10時、妻、台所に登場。米を洗って浸水させる。退場。
    11時、妻、台所に登場。炊飯器のスイッチを押す。具材を作り始める。こんにゃく、ごぼう、たけのこ、干ししいたけ。
    13時、妻、混ぜごはんを作り終える。

    夫、台所に登場。しゃもじを持ち、混ぜごはんを10回混ぜる。
    夫「ふう、ぼくが紺ちゃんのために作ったよ」
    夫、退場。

    妻、角切りにした卵焼き、まぐろ(わさび醤油漬け)、サーモン、えびを載せる。薄切りかつ4つ切りにしたれんこん、斜め切りにした絹さやを散らす。バランスよくいくらを載せる。はまぐりの吸いものも作る。

    第3場

    妻、夫、食卓に登場。
    妻、ちらし寿司をテーブルに並べる。日本酒とあまおう、吸いものも添える。スマートフォンで写真を撮る。
    夫、桃の節句の主役のように、にっこにこでポーズを決める。
    ふたり、「いただきます」と手を合わせて食べ始める。

    A. ひなまつりとは、ちらし寿司とはまぐりのお吸いものを食べながらはしゃぎ、おたがいの健康を願う日

  • エッセイを週1回、3本更新している。最近はここに隔週1回のポッドキャストも加わった。シーンを切り取るという意味で、エッセイとポッドキャストは似ている。

    ペンネームで書き始めたのは1年前で、その時から週1で3本だった。はてなブログ(今はすべてここに引っ越し済み)。調子が悪いとスキップしたり、本数を減らしたり。基本のリズムはそのままなので、我ながらよく続いているなと思う。

    その前のブログは、月1で1本書くかどうかくらいだった。それが週1で1本になり、でも書き続けるのが難しくて、週次報告書みたいな箇条書きのものになった。

    箇条書きの文章も、日記も、わりと「形が書かせる」タイプのものだと思う。形が決まっているので書きやすい、悪い言い方をすれば考えなくても書ける。書かせる形ゆえに、いつのまにか露骨に表出してしまうものがある。1年前に書いていたものの3分の1は短い日記だったのだけど、それですら、私はずいぶん気をつけていた。日記目当ての人たちがブックマークしてきたり、他の人のもっと長い日記にはてなスター(いいねの機能)が集まったりするのが少し気持ち悪かった(日記好きな人を否定はしない)。

    何が書けるかではなくて、何を書きたいかが大切。それを学べたので日記を書いて公開していてよかった。日常の断片を切り取るのが好き。直接的に書かないことで、何かが浮かび上がるのが好き。遊ぶのが好き。新しい形式を試すのが好き。

    詳細な日常の記録で、「ああ、この人はこんな日常を送っているんだ」と共感してもらわなくていい。大勢の人に「変なの」「何がおもしろいんだろう」「つまり、何?」「感動や実用性がないじゃん」と思われてもいい。たまに、ごくわずかな人が、読んだあとについ少し口角を上げちゃうようなものを書けたらいい。もちろんそうできなくてもいい。私は私がおもしろいと感じる文章を書く(し、話すよ)。

  • Steven Millhauserの、A Haunted House Storyという短編の感想です。2024年2月26日時点で、日本語訳は出ていません。訳は私によるものです。以下、ネタバレを含みますので、受け付けない方は飛ばしてください。

    ハリントン博士の家は、町で噂の心霊スポット。奥さんが突然死してからは引っ越してしまい、長いこと誰も住んでいない。奥さんは自殺したとも、殺されたとも言われている。

    夏。それぞれの進路が決まった高校生の少年たち。夜、ハリントン博士の家で肝試ししてみようという話になる。率先して行ったトムは、戻って来てから話さなくなる。次に主人公が手を挙げる。

    幽霊が出ると散々言われる話の流れのなか、部屋をひとつひとつ確認していく主人公は、次第にハリントン博士の家のことが好きになる。

    in a house I had already come to love.

    既に愛するようになった家で

    Steven Millhauser, ‘A Haunted House Story’, p.125, from “Disruptions”

    部屋のあちこちに残っているもの、たとえば木の机、椅子、ランプ、ふくろうの形の瓶が載った冷蔵庫、麦わら帽子、オルゴール、バイオリン、野球帽をかぶった大きなクマのぬいぐるみを見ていくうちに想像する、かつてのこの家の姿。あたたかい。楽しそう。居心地がいい。こわくない。主人公はこう言う。

    this dark house awakened me, pierced me, with something I hadn’t known I longed for. It occurred to me that only once had I thought of the hanged wife. A death might have happen here, but this was no place of moans and sighs, of eerie whispers. Only people who knew joy could have lived in this house.

    この暗い家は、ぼくが切望していたとは知らなかった何かでぼくを目覚めさせ、突き刺した。ぼくは一度だけ、首を吊った奥さんについて考えたことがあると気づいた。死はこの場所で起こったのかもしれないけれど、ここはうめき声やため息、不気味なささやきが響くところではなかった。喜びを知っている人だけがこの家に住むことができたんだと思う。

    Steven Millhauser, ‘A Haunted House Story’, p.126, from “Disruptions”

    あまり直接的には書かれていないけれど、主人公の家は冷たい。父親は仕事熱心で厳しく、滅多に書斎に入らせない。母親は存在感が薄い。ハリントン博士の家で感じた、楽しい気持ちや、穏やかな気持ちを、主人公は自分の家で感じたことがなかった。主人公とトムはおそらく同じ気持ちを抱いた。幽霊がいるとかいないとかそういうことじゃない。それを他の人と共有できないと思って、トムは黙って町を出たし、主人公も黙った。じきに新しい町で、新しい生活が始まる。ひとつずつインテリアを選び、使い、愛着をもち、人を呼んで一緒に過ごしていくなかで、自分の部屋、自分の家、自分の家族や人生をどんなふうにしていこうかと考える気がする。They will remain haunted by the question of what is peaceful or joyful.

    ミルハウザーの作品は、基本的に大きなことは何も起こらない。でも、指に針をぷちっと刺すような、小さな、確かな痛みをくれる。pierceという単語は、ジーニアス英和大辞典だとひとつめの意味に「先のとがったものが人や物を刺す」とあり、ふたつめの意味に「深く感動させる、心に響く」とある。最新作のDisruptionsという短編集は、正直なところ、昔のテーマの繰り返しが多くてあまり好きじゃないのだけれど、この作品はとても響いた。

©2025 川瀬紺 / Kon Kawase