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  • 肉屋に行ったら牛肉100%のミンチがあった。スーパーにはないので珍しい。これでハンバーグを作ろうと購入し、夫にその旨LINEした。彼は18:09に「これからー」と返信し、すみやかに帰ってきた。私たちのお気に入りの肉屋の、初めて食べる牛100ハンバーグ。よっぽど楽しみだったんだろうと思った。

    20:00過ぎ、郵便局の人が来た。我が家はメゾネットの2階なので、階段の上り下りがある。階段を上り切って、電気を消し、リビングのドアを開けた彼の顔は輝いていた。にやけている。「ぼくのパーツ♪」と言って荷物を自室に運んだ。

    早めの帰宅を促したのは、私のハンバーグじゃない。1日くらい前に、先約が入っていた。こういうことはよくある。本当によくある。帰ってきて表情が明るいから、料理を楽しみにしてたんだろう、私に会いたかったのかなと推測していると、ピンポーンと鳴って、コンピュータのパーツが届く。

    食後「今日は何の日?」とクイズを出した。彼はうーんうーんうーんと悩んだあとに、目をそらし、「ホワイトデー」と言った。そのあと頭を突きだしてきて、撫でて褒めるように要求してきた、「今日がホワイトデーだと知っていたこと」に関して。「えらい!」とがしがし撫でた。

    とはいえ遊んでみただけで、正直お返しを期待していない。言葉や言葉にならないものの贈り合いは毎日やっているわけだし、バレンタインデーのディナーを作って贈ったらご機嫌に食べてくれたわけだし。今日もいい日だったなーと自分の部屋に戻り、日課の勉強をした。

    21:30頃、彼は「じゃーん」と言いながら私の部屋に現れた。黒い箱を持っている。部屋の照明を落としているのでよく見えない。近づくと、いいドライヤーだとわかった。特にラッピングなし。ふたを開けたところにセロハンテープで貼ったメモがある。「きれいな髪でぼくをドキドキさせて」と書かれていた。

    「ぼくのパーツ」と言っていたことも、ホワイトデーうろおぼえも演技だった。しっかり用意していたのだ。数年間、ホワイトデーのお返しなんてなかったのにどうした、と尋ねたら、「毎年贈っていたらサプライズにならない」と返ってきた。何も贈ってこなかったこの数年は、実は戦略的な沈黙だったのだ。なんかよくわからないけど、長期的視野が壮大。

    お風呂から上がったあと、早速使った。ベッドに座って自分の髪を乾かそうとしたら、彼がひざまくらになって乗ってきた。彼の髪は短いのでもう乾きかけだったけど、新しいドライヤーで乾かしてあげた。「ちゅるちゅるになった!」と喜んでいた。先にその台詞を言うのは私の役な気がしたけれども、もういい。ホワイトデーにお返しを選べたこと、うまくカモフラージュできたこと、サプライズできたこと、いいマシンを選べたこと、私が喜んでいることが総じて嬉しそうだった。

    夫婦で生活していて、どちらか一方だけがよろこぶことは、我が家ではあまりない気がする。

  • スーパーに入るなり、いちごをカゴに入れた。300円の紅ほっぺ。旬だから軽率に買う。鮮魚売場であさりを見つける。ザルに載って塩水に浸かっている。「あさりを食べたい」よりも、「砂抜きしたい」が勝つ日がある。店員さんを呼んで、活きのいいやつをもらう。肉売場では、しゃぶしゃぶ肉が特売だ。薄いピンクの豚肉。ひらひら。明日、しょうが焼きにしよう。無脂肪のビヒタスヨーグルトも2つつかむ。

    帰り道、平日の14時。晴れた日。人は歩いてない。車も通らない。風が吹いて、涙が出てきた。ダウンの袖からトレーナーの袖を出す。XSでも長くて折っているのを伸ばす。目頭を拭く。激しくなったので、道路の端に買いもの袋を置き、今度は両手で拭く。どうして泣くのか。早めに仕事が終わったからといって、こんな時間に買いものしているうしろめたさか。人と同じリズムで生きられないさみしさか。いちごを軽率に買った、あるいは本来の目的外であさりを買った罪悪感か。他の些細なあれこれの蓄積か。ただ単に少し疲れているのか。そのすべてか。花粉症のせいにしたいけど、花粉症じゃない。私には別のアレルギーがあって、通年で薬を飲んでいる。

    向かいからパトカーがやって来るのが見えた。涙はそのままに、急いで買いもの袋をもち、角を曲がった。

  • 歩きながら左右の目を交互に閉じていた。「やっぱり右の度数が合ってないな。いつコンタクト屋に行くかな」と考えていたら、目が合った交通整理のおじいさんにウインクされた。距離のあるウインクではなく、すれ違いざまの、顔を少しこちらに傾けたうえでのウインク。にんまり笑っていて、私も笑った。あれはウインクし慣れている。危ない危ないと思いながら、ときめきを抑えた。

  • 月曜日。エッセイを3本書き終えた。うち2本のタイトルが決まらない。たくさんある断片の連なりに乗って春を進んでいくように表現したい。

    私はLINEを開いて夫に連絡する。「2桁の数字ふたつちょうだい」

    夫、しばらくして返信する。「62 19」

    私は「おっけー」と打ち、うさまるの「ありがとう!!!」スタンプを加える。2本のタイトルを作り、保存する。

    夫、LINEで追記。「電池残量と、PCのL1とL2キャッシュの容量の後ろと前より」

    私は「よくわからんけどありがとう笑」と返す。本当によくわからん。でもなんかおもしろいので、1本追加で残しておこう。ちなみにこのエッセイのタイトルは12時49分から。日常の中、やろうと思えば無数にできる意味づけ。

  • 1924年に死んだカフカが、1959年のアメリカで高校生だったらという話。最初に読んだときの感想は「つまらん」だった。2回目の感想は「絶妙につまらん」。40ページ、25章ある作品。このうちある1章だけ抜き出してミニストーリーにしても十分じゃんと思った。

    授業の日、家庭教師の先生の意見も同じだった。ミルハウザーのベストではない。ふたりして、しぶしぶ授業を始める。進めかたは都度私が決めていい。今回は、すべての章を要約しながら、英語を正しく読めているか確認し、表現や解釈の質問を挟む形にした。

    いつもの先生は、ミルハウザーの昔の作品を繰り返し大学の授業で扱っているので、作品への評価や解釈がわりと固定的。でも今回の本は去年の夏に出た新作で、私との授業のために初めて読んだから、まだ定まっていなかった。

    私が何気なく投げた質問に先生がインスピレーションを受けたり、私も刺激をもらったりして、議論が盛り上がっていった。単調に見えていた物語が深くなる。

    1959年に高校生なら、ミルハウザーと同い年くらいじゃない? ミルハウザーはカフカに自分を重ねてるのかも? 自伝っぽい? ここはシーシュポス? 外に表現できないけど何か内に秘めたカフカ。ボニーはなんかいい人に見える。

    授業のあと、おたがいに「ベストではないが好き」という結論に達した。私がアメリカの高校生で、同級生と文学の議論をしたら、こんな感じなのかなと思った。

©2025 川瀬紺 / Kon Kawase