昔、足首をひねって骨折したから、道では、特に階段では急がない。駆け込み乗車もしない。出発した電車を見送って、次の電車が来るまで列の先頭で待つのが好きだ。遮音性の高いイヤフォンをつける。音楽はかけない。すーっと自分に潜る感じがする。
その日はICカードのチャージ機が混んでいた。余裕で乗れるはずだった電車に乗れないと、ホームへの階段の途中であきらめた。階段をもう少しで上りきれそうだったとき、私の横を若いスーツの男性が通り過ぎ、発車する電車にすべり込んだ。それと同じタイミングで、中年くらいの女性が電車に背を向けて、ホームのベンチにゆっくりと腰かけるのを見た。彼女も彼のように走れば乗れたはずだった。私が「さては慌てていて骨折した経験があるのでは」と邪推しているうちに、彼女はかばんから毛糸と針を取り出した。私は少し離れたベンチに座って、太陽の光がまぶしいふりをしてうつむき、彼女の様子をうかがった。編みものが始まった。冬の正午、各駅停車の電車しか止まらない閑散とした駅で、太陽の光を受けて。美しくて見とれた。駆け込み乗車をしないところから特別な気がした。リズミカルに編む手つきも、編みぐあいを確認するために少し引いて見る仕草も、編みものに夢中になっているうちに緩んだマフラーを巻きなおすところも、きれいだった。
あの風景をいつでも思い出せるようにここに書いておく。