Writings

New Essays Every Monday

  • 口止め

    えびせんの袋に口止めシールがついていた。
    ぱっと「口止め」だけが目に入ったばっかりに、うっかり「食べたことをえびせんに口止め?」っていう問いを経由したんだ。
    と夫に話したら
    「罪悪感があるってことだな」と返された。

    ひとりじめするはずだったえびせんを少し分け、共犯にした。

  • 「最後に質問はありますか?」
    「このあたりでおいしいひつまぶし屋を教えてください」

    学生時代、インターンでマスメディア業界の中を見て、「私はモノを作る会社に入りたい」と思った。誰かが作ったモノの情報を扱うよりは、「当社はこれを作っています」というふうに言葉をつかえる人になりたかった。メーカーならどこでもよかったので、視界に入るものの製造元を片っ端から調べ、エントリーした。

    時代のせいなのか、自分のせいなのか、私は就活に苦戦した。たくさん落とされて、愛知の会社だけが残った。最終面接で私は笑われた。何を話しても笑われた。バカにはされてなさそうだったが、意味がわからない。ずっと笑われるので、「落ちたな」と思った。最後の質問を促されたとき、ひつまぶしの店を聞いた。「もう愛知には来ないだろう。記念に食べよう」と思ったから。面接官たちはあいかわらず笑っていて、丁寧に教えてくれた。

    教えてもらった店で、泣きながらひつまぶしを食べた。手持ちのカードがなくなってしまった。またエントリーからやりなおさないと。あーあ。ここ、あんまりおいしくないじゃん。

    お茶漬けのネギを振りかけているときに、人事から電話がかかってきた。内定が出た。初期から一貫して最高評価だったと知らされた。笑われていたのはよい意味だった。

    「10分くらい、今後の手続きの話をしていいですか?」と聞かれた。「よくないです、かけ直します」と言って電話を切った。熱い出汁をかけてお茶漬けを食べた。今度は味がした。涙はわさびのせいにした。

  • 友人のウェブサイトと、友人と一緒に始めるプロジェクトのウェブサイトを作っている。

    ウェブサイトに使う写真は、夫に撮ってもらう予定。彼はカメラが好きで、バイトも写真屋だったこともあり、撮るのがうまい。証明写真はともかく、デザインワークで使う写真にはディレクションが必要なので、私がディレクター兼カメラアシスタント、彼がカメラマンのタッグを組む。ディレクターだけだと技術がない。カメラマンだけだと何をどういう意図で撮っていいのかわからない。

    私はプロジェクトを企画して彼と協働するのが好きだ。補完関係は私たちの日常に当たりまえにあるけれども、プロジェクトのときの彼はいつにもましてかっこいいのだ。スイッチが入ったときの鋭さ。私との協働だけで出しているであろう柔らかさ。仕組みやコツの説明をいとわない親切さ。好きなものへの愛情を隠さない感じ。「ぼく、すごいでしょ」と技術力を自慢してくるユーモア。

    彼のそばにいるには、いつまでも同じ自分でいてはいけない。彼が日々、コンピュータやカメラ、音の知識をアップデートしているように、私も新しいことを学び、挑戦し、彼と協働できる人でいなければならない。私が彼との協働を楽しいと思っているように、彼も私との協働を楽しいと思ってくれていたらいい。

  • 辞書はわからない言葉を引くためのものだけど、意味が予想できていて、あえて引くときもある。文章を早く読むなら知らない単語の意味の推測は不可欠で、推測で事足りるならいちいち調べなくていいんだけど、カフェでお茶やインテリアを楽しむのに似て、辞書に書かれてあることをじっくり読みたいとき、しばらくそこに留まりたいときがある。

    preloved

    以前愛された、だから、「中古」かな。当たり。「以前は人のものだった」の意味で、家やペットに対して。

    婉曲的で、あまり使われない言葉。「中古」の類語で引いても、出てこない言葉。偶然、辞書の隙間に入り込んだみたい。

    珍しく遅くまで出歩いた日、ネオンや提灯で光る町の中、もう誰も住んでいない家を見かけた。起き抜けに窓を開けたり、部屋のすみずみを掃除したりする誰かにprelovedされたんだろうと、信号待ちの間だけ思った。

  • 「あ、紺ちゃんがお花をお世話してる」

    私は台所で花の水を替えていた。年末に買ってから2週間ももっているカーネーションの小瓶。年明けに買ったチューリップの長い瓶。

    夫に「お世話」と言われて、「なるほど、確かにこれはお世話」と思った。カーネーションは手がかからないので朝の水替えだけだが、チューリップは茎が動いたり花びらが開いたりするので、光や温度に気を遣う。

    彼はもっぱら花を見る人のほうなので、自分から水替えすることはない。私がお願いして、たまにやってくれるくらい。彼はそのときの自分の行動に、「ぼくはお花のお世話をしてる」という言葉を当てないだろう。あくまでも、「お世話」は私に紐づいている。彼はいつも、私が水替えする姿を「お世話してる」と見ている。

    彼と暮らす部屋、彼と囲む食卓に花を欲しがるのは私だ。買ってきて花瓶に活け、いちばん綺麗に見える角度を彼が座る席のほうに向ける。秘密の習慣。「君のことが好きですよ」とか、「ちょっと和んでくれるといいな」と思いながら。「お世話してる」の言葉選びは、そんな私の気持ちを受け取ってくれているからこそのものな気がした。

    ある日、水替えからテーブルに戻すところまで、彼にお願いした。私は洗濯をしていた。リビングに戻ったら、テーブルに花瓶が置かれていた。花のベストポジションは私の席のほうへ向けられていた。

©2025 川瀬紺 / Kon Kawase