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  • 1月1日の昼

    昼前に起きる。夫はグリルで餅を焼き、私は出汁や具材を作る。合わせて雑煮にする。別の皿に、仕込んでおいた数の子、出来合いの黒豆、かまぼこを載せる。毎年恒例の、元旦の風景だ。

    我が家にはテレビがない。静かだ。ひとつひとつに意味をもたせたおせち料理はお互いに好みじゃないので、食べたくないものを食べる気持ちの重さもない。帰省することもない。軽い。

    こんなに静かで軽くていいのかしらん、と思うことがある。でもふたりで自由に選んだ結果と考えると、大切にしたくなる。起きる時間、雑煮の具材、味つけ、なんちゃっておせちのラインナップ。

    夫に「あけましておめでとう」と言った。彼は「うん」と言った。「今年もよろしくね」と言ったら「うん」と返ってきた。軽すぎる。「言葉を節約しすぎるのはよくないよ」と付け足したけど、雑煮に熱視線を向けていたので諦めた。私たちらしい、1年の始まり。

  • 人と「好きなものが同じ」ということで仲よくなった経験がほぼない。私と親しくしてくれる人たちは、私と趣味が違う人たちばかりだ。具体的なレベルでは接点がないけれども、抽象的なレベルでは「自分で考えられる」「倫理観が似ている」「何かを作るのが好き」「国内外問わず情報を取りにいける」などの共通点がある。

    「花束みたいな恋をした」という映画がある。趣味が合うふたりのラブストーリー。私と夫は花束みたいな恋をしていない。ことごとく好きなものが異なり、ゆえに互いが新鮮で、質問して教えてもらい、思想をシェアしたり議論してきた関係である。

    Xにいると、「好きなものが同じ」人たちがつながりやすいんだなあと思う。私は社会人で、資格試験の勉強をしていないので、大学生や資格試験で勉強している勉強アカウントの人たちと少し色が違う。読書アカウントでは日本の本が人気に見える。私は海外の本が好きで、半分くらいは英語で読んでいるので、読書アカウントの主流に乗ってはいないと思う。料理も、わりと朝食と昼食はどうでもよく(名前のつかない料理を雑に作って食べる)、夫と一緒に食べられる夕食をたまにがんばるくらい。料理アカウントを名乗るには忍耐と持続性が足りない。

    というわけで、私のアカウントはカテゴライズしにくいものだ。それは自然とそうなったというよりは、初期から、各界隈のカテゴリーからずれてしまうことを把握し、仕方なく運用してきた結果だ。それなのに関わってくださる方がいて、定期的に新鮮な気持ちで驚く。

    昔は花束みたいな恋に憧れていたし、ツイートもただ好きなものでつながれるものだと思っていた。でも私はそうじゃなかった。そこに満足を覚える人間じゃなかった。わかりづらさを抱えたままで人と接するのは、いつでもどこかで健やかに怯えているのは、これはこれでいいものなのかもしれない。

  • 2023年、いちばんおもしろかった映画体験はコナンである。

    私が唐突に夫に「観に行こう」と言ったのは、ちょうど公開初日だった。別に初日に行きたかったわけではない。たまたまだった。平日、休みをとってホカンス(ホテルでバカンス)して帰る日、そのまま帰るのがもったいなくて、何か映画を観たかった。

    チケットは取れた。名駅のミッドランドスクエアシネマは人でぎゅうぎゅうだった。たくさんの人がコナンを楽しみにしていた。あまりマス向けの映画を観ないし、初日を狙いもしない夫婦なので、あの混雑は新鮮だった。私たちがよく観るような映画は、1日に2回上映されたらいいくらいのものが多い。コナンは混雑する駅の電車のダイヤ並みにスケジュールが詰め込まれていた。ミッドランドスクエアシネマの1と2で建物が離れていて、上映時間によって違う。1だと思ってたら2だった、あるいはその逆の人たちが、よく走っているのを見た。

    上映前、お手洗いに行った。すでに観終わった女性がふたり、手を洗いながら豪快にネタバレをしていた。過密なスケジュールだとこんなこともあるのかと思った。

    上映中、いなくなろうとする哀ちゃんにうるっとした。エンディングでスピッツが「美しい鰭(ひれ)」と歌っていた。事前に「どうして美しい鮨(すし)なんてタイトルにするんだろう」と首をかしげていたので恥ずかしかった。

    上映後、主に子どもと若い人が中心の観客が続々と出口に向かっていく。私たちもタイミングを見計らって出ようとした。ふとうしろの席に目をやると、老夫婦が座っていた。両隣が空いていたので、孫のお供ではなさそうだ。混雑ぐあいから、しばらく座っていそう。老夫婦。コナン。初日。なぜ。夫が「あのふたりが最大の謎だ」と言った。

    名鉄百貨店で夕食を買って帰った。鮨にした。

  • アメリカの本屋パウエルズで、ハードカバーを2冊買った。スティーブン・ミルハウザーの新作。タイトルはDisruptions(破裂、崩壊、混乱、妨害)。注文して3週間くらいで届いた。

    私はものが無事に届くかとても心配する性格だ。荷物の追跡番号で状況を数日おきに確認し、「よし、倉庫出発!」「出国まで時間がかかるなあ」「出国ー!」「あとは税関のみっ……」と一喜一憂していた。

    そうして届いたものがこちら。

    私が買ったのは2冊だけ。残りはホリデーシーズンだからとつけてくれたグッズである。ホリデー専用に制作されたものではなく、通年で売られているもの。3500円ぶんはあり、実は買おうか迷っていたものもあったので嬉しかった。

    待ちに待った本が、素敵なギフトと共に届いた。よかった。よろこびが膨らみ、緊張と不安が消えかけたところで本の横を見たらこうだった。

    私のぶんも、家庭教師の先生に送るぶんも、ひどい製本だった。ページの端がそろっていない。激しくギザギザしている。角が破れているページもある。私はぬああああああと絶望した。めっちゃ読みにくいやん。高価で、届くまで3週間待った、1年くらい使う予定の本。綺麗なものが来てほしかった。運が悪い。

    先生に郵送するとき、ピンクの付箋にメッセージを書いて表紙に貼った。

    Thank you always.  I was confused by the rough binding.  Exactly disruptive.  Sorry.
    いつもありがとうございます。ひどい製本に困惑しています。タイトルどおり、まさに混乱を伴います。すみません。

    授業の日、先生が「届いたよ!ありがとう」と言いながら本を見せてくれた。表紙に付箋が貼られたままだった。

    「届いて付箋を読んで、中身を読んで、もう一度付箋を読んだら爆笑したよ。確かにひどい製本なんだけど、これはきっと意図的なデザインだよ。なのに紺が謝ってるのがおもしろくて、2分くらい笑いが止まらなかった」

    きちんとしたものを好む私のことも知ったうえだと、余計におもしろかったらしい。先生は付箋をはがし、裏表紙を開いたところに貼りなおした。「元気のない日はここを開くね。素敵なクリスマスプレゼントをありがとう」

    読む前から、まんまと混乱した。作品を読むとなったら、もっと混乱するのだろうか。混乱したときは、先生の高笑いを思い出して抜け出せたらいい。

  • 「あなたの作品は本当は1位だったんですが、高校生らしくないということで2位になりました。ごめんなさい」

    高校3年の秋、電話がかかってきた。夏に受験勉強そっちのけで書いた英文エッセイ。大きめの全国コンクールの審査員からの連絡だった。

    私は言葉、英語の話を書いた。どういうところが好きで、どういうふうに遊び、学んでいるかについて、比喩的なイディオムを散りばめて書いた。電話をかけてきた審査員は大学の教授で、私の書いたことが言語学の分野だと教えてくれた。彼としてはどうしても私の作品を1位にしたかったのに、叶わなかったから、せめてもの励ましにと電話してくれたようだった。

    「高校生らしいってなんだろう」と思いながら、後日、受賞作がまとめられた冊子を読んだ。いろんな部門の、1位の作品が掲載されている。英文エッセイの高校生部門では、「留学に行って視野が広がった。この経験を活かして社会にとって有益な人になりたい」といった主旨の文章が1位だった。なるほどなるほど。つまらんな。大人たちが好みそうな、優等生像がそこにあった。こういうのをたくさん送る人がいる中で、無邪気な言葉への愛を爆発させた文章に引きつけられ、推す大人がいても不思議ではなかった。不思議ではなかったけれども、そんな大人は絶対に数が少ないと思った。歴史あるコンクールの威厳ある1位には、私の作品はふさわしくない。

    私は今、文章を書いて誰に褒められたいのか。それはあのとき「つまらん」と吐き捨てた自分である。彼女が「いいじゃん」と言う文章を書きたい。そして夫。もし私たちが同級生で、同じクラスの友だちだったら、彼は一緒に「つまらん」と言っていただろう人だ。私が何を大切にしているか知っていて、私がうまく表現できるとよろこぶ。ふたりに褒められたくて、私は書いている。

©2024 川瀬紺 / Kon Kawase