折れそうな人だった。スーツは肩からずり落ちそうで、かばんを持つ手はもげそうだった。めがねが光る、4つ年上の人。私は新人研修で、「同期全員と話す運動」に取り組んだ。文系は6人、理系は60人。製造業で働く以上、技術者との関わりは欠かせない。全員の自己紹介文がまとめられた冊子を握りしめ、ひとりひとりに声をかけた。彼とは愛読書が同じだった。『ソフィーの世界』。私から話しかけた礼なのか、お返しに褒め言葉をくれた。「あなたは、研修中の物理的な姿勢がいいですね」
文系は理系よりも早く配属された。私は人事部の人材育成課に入った。新人研修を担当する先輩につき、技術系の研修を見学した。すでに仲良くなっていたエンジニアの同期いわく、めがねの彼が書くソースコードは美しいらしい。賢くて、技術力はありそう。でも体重はなさそう。そこにいるのにいないような、飛んでいきそうな人に見えた。
研修の最終日、私の仕事は彼を配属先に連れて行くことだった。その部門の新人は彼だけ。夏前、20分の道。ばきばきに緊張している彼をほぐそうとして、私は携帯の待ち受けを見せた。ゆるりとくつろぐリラックマ。
古本屋に行ったり、公園でフィルムカメラの使い方を習ったりするような時間を過ごして、私たちはつきあうようになった。彼は恋文を打つのに苦労する。ようやく送信ボタンを押して、息をつく。返信が瞬時に届く。「困ります。あなたのことを考えて1日が終わります」
人前でごはんを食べられない人だった。会社で昼食をとらない。デートでは私にもりもり食べさせて、その様子をにっこり見守る。かろうじてお茶とお酒は飲む。大学時代、最初の3年間はお昼抜きだったと言う。研究室に入ってからの3年間は、毎日キョロちゃんのピーナッツ味を2箱食べていた。昼食を忘れた人には、1箱差し出していた。集まりすぎる金と銀のくちばしも、研究室の人に惜しみなくあげていた。
食事のときだけではない、人に対しての硬さ。自分から消えてしまおうとでもするかのような体重のなさ。新米の人事なりに、彼の、キャリアのどこかで折れてしまいそうな感じを心配した。とはいえ他人だ。変化を強いてはいけない。
彼の家で手料理を作ったとき、彼は少しだけ食べた。鶏めしを見つめて「おいしい」と言った。顔を上げて満面の笑みを見せた。食べられるようになりたいんだな。私にできることを、だめもとでやろう。外食は個室を選ぶ。なじみの店を作る。料理を小さく分けて、「食べてみる?」とたずねる。食べられても喜びすぎない。食べられなくても残念がらない。平静でいる。私は私のごはんを気にせず食べる。
彼はたぶん、とても勇気を出したり、努力したりしたはずだ。ゆっくりと、一緒に食べられるものや量が増えた。私は私で、食事の記録をつけていた。卵は完全に火を通したものがいい。牛乳と生クリームを使った料理は食べられないけど、チーズはいける。麺と赤身が好き。固形物は食べやすい。魚は臭みに注意。酔うと食べられる量が増える。小盛りの手料理を完食するようになったころ、私は彼が私に慣れたように、いつか他の人に対しても、「この人といても大丈夫」と感じられることが増えるといいと思った。それからは、いろいろな食べものをすすめた。
まずは熊。リラックマはゆるさの先生だ。ローソンでシールを集めたらリラックマのお皿をもらえるキャンペーンがあり、彼に協力を求めた。私は「ローソンで買いものしたとき、シールがついてたらちょうだい」くらいの意味で言ったのに、彼は恋人のためと本気になった。ローソンに通いつめ、いちばんコスパのいいサンドイッチを買い、会社で食べるようになった。彼が昼食をとっていないことに気づいていた上司は嬉しかったのだろう、シール集めを手伝ってくれた。気づけば彼もすっかりリラックマ好きになっていた。ある日、東急ハンズでぬいぐるみを買ってきて、「これ、ぼくの」と宣言した。
11月の誕生日には、メッセージプレートとキャンドルつきのホールケーキを贈った。つーっと涙を流して食べていた。彼が「クリスマスイブにレストランに行こう」と言った。このころには、私となら店で食事できるようになっていた。私は「イタリアンがいい」と言った。「予約できた!」とメールが来た。12月24日、彼が得意げに連れて行ってくれたのは、イタリアンを出すガールズバーだった。人との食事が苦手な人だ、ホットペッパーを使いこなせなくて当然だ。私は年内こそぷりぷり怒っていたものの、年が明けると思い出し笑いでいそがしかった。帰らずに入ればよかったな。ふたりのあいだに、何が起きてもおもしろがる空気が生まれた。
次に、プロの技を食べてもらった。一緒に過ごす中、ちらちら出てくるかわいさ。これを持ち前の賢さや実直さと同じくらいのレベルまで高められたら最強では。かわいさは、やわらかさ、ユーモア、楽しむ姿勢、人に心をひらくことを含む。最寄りの理容室しか経験のない彼に、私の行きつけの美容室を紹介した。美容師さんは彼と同い年の男性である。彼は案内された席に座るなり、「『かわいくしてください』と言えと言われて来ました」と言った。美容師さんは仰天した。切りながら悩む。結果、くせ毛を活かしたマッシュショート、外国の少年風になった。とびきり似合っていた。内面のかわいさがうまく引き出されていた。私が目の色を変えて褒めたことに味をしめ、彼はその美容室に通うようになる。美容師さんは探究心が強い。かわいさについて私と議論し、考えを練り、彼の髪で表現する。通い始めて数ヶ月経ったころ、カットの翌日、彼は同僚に「あれ? なんかかわいくなった?」と言われた。数年ぶりに会った親戚からも同じことを言われた。美容室で順番待ちの見知らぬ人には驚かれた。声を聞くまで、女性に見えていたらしい。私と美容師さんが第三者評価にはしゃぎ、彼はドヤ顔で自分のポテンシャルを誇る。婚約のタイミングでは、オーダーメイドのスーツを作れるチケットをプレゼントした。かっこよさはかっこよさで強化し、かわいさとのバランスをとる。髪と同じく、「服なんてどうでもいいや」と閉じていた心をひらいてもらった。体に合ったスーツは、見るからに違う。プロと関わることで、かわいさとかっこよさに磨きがかかっていった。
彼はLINEのスタンプも食べた。もともとガラケー派だったけれど、スタンプコミュニケーションを気に入り、スマホ共々使うようになった。そしてLINE以外の場面で、スタンプみたいな言動をするようになった。たとえば、「じーっ」「えーん」「キリッ」「ぐっ!」「わくわく」「がるるー」「おおー」「イエーイ」「ぺこり」「ガーン」「えっ……」「えへん」と戯画的に言う。わざとうるうるの瞳で見つめてきたり、深刻な表情で落ちこんだり、ドアの隙間からひょっこり顔を出したり、ほっぺたをむうと膨らませてすねたりする。主に、無料でダウンロードできる楽天のパンダと、私が好んで使うねこぺんのトレースである。気の利いた返しや、スタンプの組み合わせ開発にも熱心。経験を積みすぎて、「今日、上司に『しょぼーん』って言いそうになった」と笑う日もあった。スタンプは、彼のユーモラスな性格の養分になった。
入籍後、農園でのアウトドアウェディングをDIYした。「初めての共同作業は、結婚式の準備にしよう。ケーキ入刀じゃない」。コンセプトからバスの手配まで、ふたりで意味を確認しながら作った。私はディレクション、取引先探し、ウェブサイトデザイン、パンフレットデザイン、材料調達、装飾・小物の制作を担当した。彼は写真、ウェブサイト実装、計算系、布裁断系、印刷、運搬を受けもった。衣装や料理、空間デザイン、音楽、当日の撮影は専門家に頼んだ。一般的なファーストバイトは、新郎が「食べものに困らせない」、新婦が「おいしい料理を作る」という意味を込めてケーキを食べさせあう。新婦は大きなスプーンを使う。私たちは「一緒に食いぶちを稼ぐ。料理も一緒に作る」という意味に変えた。日常的に食べているお米と直径1メートルの鍋で、特大のパエリアを作ってもらった。満月の下、普通サイズのスプーンで、ひとさじずつ相手の口に運んだ。
先日、ピザパーティーをした。「できたよー」と呼ぶと、彼はるんるんでリビングに現れた。マルゲリータにまっしぐら。お酒を飲むスピードに対して、ピザを食べるスピードが速すぎる。自分のぶんを食べ終え、私のぶんを物欲しそうに見つめる始末。ふたりで2枚目を焼いた。マヨネーズ、しらす、青のりのピザ。これも早々になくなった。食後、彼はベッドに寝転がった。好物とお酒で腹を満たし、ご機嫌である。私が隣に座ったら、待ってましたとばかりに抱きついてきて、そのまま寝落ちした。身動きがとれない。我が家には「こてね」と「ぽてね」という言葉がある。「こてね」は、仕事がうまくいった、楽しいことがあったなどで精神的に満たされている、ほどよい身体的疲労がある、おいしいごはんを食べる、お酒を一定量以上飲む、という条件がそろった上で、お風呂に入る前にこてんと寝てしまうこと。ぎりぎりまで「お風呂には入るよ」「横になってるだけで眠ってない」とつぶやき続け、最終的には嘘をつく。ふくふくの存在感に免じて、ごくまれになら許される行為だ。「こてんね」からの音変化。「ぽてね」は、彼が山盛りのポテトサラダを食べたあと、「こてね」に至ること。ポテトサラダはカロリーが高いので、「『こてね』しない」と約束して出すことが多く、「こてね」と違って重罪である。ピザはカロリーがそこそこあり、「ぽてね」と同罪の「ぴざね」を作ろうと思ったけれど、「こてね」判定にしておいた。彼は時折目を覚まし、ふざけて「すぴー」と言った。尊い。
出会ったころに比べて、彼は肥えた。標準体重になった。かっこよさ、賢さ、実直さ、かわいさ、やわらかさ、ユーモア、好奇心、技術力、仕事の実績、自信が、いいぐあいにまとまっている。昼はお弁当を食べる。私が連日同じメニューで手抜きしても、「ナポリタン・スリーやな!」とシリーズもののように喜ぶ。たまに、会社の人とも食事する。彼が飲み会で遅くなる日、私が「あんまり食べてこんやろな」と夜食を作っておく習慣もなくなった。帰ってくるなり、食べた料理の味や盛り上がった話題を教えてくれる。取引先の人が出張に来るときには、ランチのお店を探すし、手みやげを渡す余裕もある。周りの人と協力しながら、仕事を楽しんでいる。
昔、「彼が『この人と一緒にいて大丈夫』と思える場面が増えるといい」と願った未来に、私は自分のことを含めていなかった。彼と出会う前からずっと、長く生きるイメージをもてずにいた。しかし、彼が自身を外にひらき、栄養を吸収し、血肉を作っていくそばで、感化されていった。日々を楽しむ意欲、共に生きる決心を得た。結婚して10年が経つ。一緒に「いただきます」と「ごちそうさま」と言う日々を、できるだけ長く続けられますように。