Writings

New Essays Every Monday

  • アメリカの本屋パウエルズで、ハードカバーを2冊買った。スティーブン・ミルハウザーの新作。タイトルはDisruptions(破裂、崩壊、混乱、妨害)。注文して3週間くらいで届いた。

    私はものが無事に届くかとても心配する性格だ。荷物の追跡番号で状況を数日おきに確認し、「よし、倉庫出発!」「出国まで時間がかかるなあ」「出国ー!」「あとは税関のみっ……」と一喜一憂していた。

    そうして届いたものがこちら。

    私が買ったのは2冊だけ。残りはホリデーシーズンだからとつけてくれたグッズである。ホリデー専用に制作されたものではなく、通年で売られているもの。3500円ぶんはあり、実は買おうか迷っていたものもあったので嬉しかった。

    待ちに待った本が、素敵なギフトと共に届いた。よかった。よろこびが膨らみ、緊張と不安が消えかけたところで本の横を見たらこうだった。

    私のぶんも、家庭教師の先生に送るぶんも、ひどい製本だった。ページの端がそろっていない。激しくギザギザしている。角が破れているページもある。私はぬああああああと絶望した。めっちゃ読みにくいやん。高価で、届くまで3週間待った、1年くらい使う予定の本。綺麗なものが来てほしかった。運が悪い。

    先生に郵送するとき、ピンクの付箋にメッセージを書いて表紙に貼った。

    Thank you always.  I was confused by the rough binding.  Exactly disruptive.  Sorry.
    いつもありがとうございます。ひどい製本に困惑しています。タイトルどおり、まさに混乱を伴います。すみません。

    授業の日、先生が「届いたよ!ありがとう」と言いながら本を見せてくれた。表紙に付箋が貼られたままだった。

    「届いて付箋を読んで、中身を読んで、もう一度付箋を読んだら爆笑したよ。確かにひどい製本なんだけど、これはきっと意図的なデザインだよ。なのに紺が謝ってるのがおもしろくて、2分くらい笑いが止まらなかった」

    きちんとしたものを好む私のことも知ったうえだと、余計におもしろかったらしい。先生は付箋をはがし、裏表紙を開いたところに貼りなおした。「元気のない日はここを開くね。素敵なクリスマスプレゼントをありがとう」

    読む前から、まんまと混乱した。作品を読むとなったら、もっと混乱するのだろうか。混乱したときは、先生の高笑いを思い出して抜け出せたらいい。

  • 「あなたの作品は本当は1位だったんですが、高校生らしくないということで2位になりました。ごめんなさい」

    高校3年の秋、電話がかかってきた。夏に受験勉強そっちのけで書いた英文エッセイ。大きめの全国コンクールの審査員からの連絡だった。

    私は言葉、英語の話を書いた。どういうところが好きで、どういうふうに遊び、学んでいるかについて、比喩的なイディオムを散りばめて書いた。電話をかけてきた審査員は大学の教授で、私の書いたことが言語学の分野だと教えてくれた。彼としてはどうしても私の作品を1位にしたかったのに、叶わなかったから、せめてもの励ましにと電話してくれたようだった。

    「高校生らしいってなんだろう」と思いながら、後日、受賞作がまとめられた冊子を読んだ。いろんな部門の、1位の作品が掲載されている。英文エッセイの高校生部門では、「留学に行って視野が広がった。この経験を活かして社会にとって有益な人になりたい」といった主旨の文章が1位だった。なるほどなるほど。つまらんな。大人たちが好みそうな、優等生像がそこにあった。こういうのをたくさん送る人がいる中で、無邪気な言葉への愛を爆発させた文章に引きつけられ、推す大人がいても不思議ではなかった。不思議ではなかったけれども、そんな大人は絶対に数が少ないと思った。歴史あるコンクールの威厳ある1位には、私の作品はふさわしくない。

    私は今、文章を書いて誰に褒められたいのか。それはあのとき「つまらん」と吐き捨てた自分である。彼女が「いいじゃん」と言う文章を書きたい。そして夫。もし私たちが同級生で、同じクラスの友だちだったら、彼は一緒に「つまらん」と言っていただろう人だ。私が何を大切にしているか知っていて、私がうまく表現できるとよろこぶ。ふたりに褒められたくて、私は書いている。

  • 昔、足首をひねって骨折したから、道では、特に階段では急がない。駆け込み乗車もしない。出発した電車を見送って、次の電車が来るまで列の先頭で待つのが好きだ。遮音性の高いイヤフォンをつける。音楽はかけない。すーっと自分に潜る感じがする。

    その日はICカードのチャージ機が混んでいた。余裕で乗れるはずだった電車に乗れないと、ホームへの階段の途中であきらめた。階段をもう少しで上りきれそうだったとき、私の横を若いスーツの男性が通り過ぎ、発車する電車にすべり込んだ。それと同じタイミングで、中年くらいの女性が電車に背を向けて、ホームのベンチにゆっくりと腰かけるのを見た。彼女も彼のように走れば乗れたはずだった。私が「さては慌てていて骨折した経験があるのでは」と邪推しているうちに、彼女はかばんから毛糸と針を取り出した。私は少し離れたベンチに座って、太陽の光がまぶしいふりをしてうつむき、彼女の様子をうかがった。編みものが始まった。冬の正午、各駅停車の電車しか止まらない閑散とした駅で、太陽の光を受けて。美しくて見とれた。駆け込み乗車をしないところから特別な気がした。リズミカルに編む手つきも、編みぐあいを確認するために少し引いて見る仕草も、編みものに夢中になっているうちに緩んだマフラーを巻きなおすところも、きれいだった。

    人を見ることは、時に滲み出るその人の歴史や美学を受け取ることだ。自分に反響させて、尊さをおすそ分けしてもらい、背筋が伸びる。

  • 鶏肉とキャベツのビール煮込みを作った。からあげ大くらいに切った鶏もも2枚をフライパンで焼く。そのあいだに、鍋に油とにんにく、薄切り玉ねぎ2個分を入れて炒める。玉ねぎが飴色になったら、鶏ももを入れ、ビール500mlも加え、40分、ふたをせずに弱火で煮込む。キャベツのざく切り1/4~1/2ぶんを追加し、10分煮込む。塩こしょうで調味し、チーズを振ってできあがり。材料を鍋にほいほい放り込み、調味料の細かい計量もせず、ただビールと煮込むだけ。これで勝手においしくなるのですばらしい。

    食卓に出すと、夫が「よし。ぼくはいっぱい食べるぞ」と言いたげな顔をしていた。椅子の背もたれを使わず、すっくと姿勢よく座っている。発酵がいまいちゆえにしっかりめに焼いたコーンパンと、いつもよりいいワインをセット。

    お肉はビールの炭酸のおかげでほろほろしている。アルコールが飛んだスープは香ばしくておいしい。私がゆっくり食べながら「キリンビールにしたけど、マルエフもよさそう」と思っているあいだに、夫は手を止めずに食べ、スープを飲む。ぱくぱくぱくぱくぱくぱくぱくぱくずごー。ワインも飲もうぜ。雰囲気のいい会話とかしようぜ。

    「おなかいっぱい。あとは明日の朝ごはんにとっとこう」と言うので鍋を見たら、ひとりぶんしか残っていなかった。「ぼくがすくすく育つのが、紺ちゃんのうれしいことだよね」と言うような、きらきらした瞳。たしかにそう思っているし、どんな量であれ譲るつもりでいたのだけど、先を越されると何かふつふつと沸きあがるものが。

  • 「紺ちゃんのことが、うらやましかったんだよ」

    昔お世話になった年上の男性と食事に行った。会うのが久しぶりなので、どうしたって近況報告になる。今どういう仕事をしているか話した。相手の仕事、悩みなどを聞いた。

    私はとても疲れて、次の日寝込み、その翌日には風邪をひいた。なにかもやもしたものがあるが、正体がわからない。夫と友人に話を聞いてもらった。自分ひとりでは、そして弱っているときはなおさら、自分のことがわからないのだ。ふたりの話からするに、私は年上の男性にばかにされたようだった。そうか、私は傷ついていたんだ。

    年上の男性の悩みのことを思い出した。彼がお酒を片手にばかにしたものが、彼の悩みに対して必要なものなんじゃないかと思った。価値観が違いすぎるので、たぶん理解しにくかったんだろう。必要性もわからないんだろう。でもだからって、人を傷つけていいわけじゃない。

    考え方はいろいろあっていいけれども、私を傷つけるようなことは言わないでほしいとLINEした。既読スルーなので、きっとこれっきりだろう。残念なことなのか、喜ばしいことなのか、わからない。

©2025 川瀬紺 / Kon Kawase