Writings

New Essays Every Monday

  • have a finger in every pie
    直訳:どのパイにも手をつける
    意味:あちこちに手を出す、いろいろなことに首を突っ込む

    この表現を初めて見たとき、「わかるー」と思った。
    たくさんパイがあったら、全部ちょっとずつ味見したくなるよね。

    近年の私はいろいろなことを学んでいる。
    自営業しながら英文科の2年生をやってるみたいなスケジュールだ。
    後期の履修科目はこちら:

    英米文学史、英語史、現代アメリカ文学(ミルハウザー)、現代アメリカ文化(スター・トレック)、戯曲(ナショナル・シアター・アット・ホーム)、英語インテンシブクラス、フランス史、フランス文学(ルネサンス、渡辺一夫)、世界文学

    フランス史は修了。英文学史と英語史は昔学んだので、復習としておもしろい本を読む。ミルハウザーは月2でアメリカ人の先生による個人レッスンを継続。スタートレックは英語で全編見て、パトリック・スチュワートの自伝も読む。戯曲は月に2本くらい。英語はそろそろ英検1級の単語帳が終わるので、一度試験を受けてみたいところ。フランス文学と世界文学は全集があり、それを少しずつ読みたい。

    これに加えて、週3本のブログ投稿。大学のレポートを書くような気持ち。

    勉強の管理はバレットジャーナルでしている。タスクが多くて忘れやすいので、ハビットトラッカー形式に。10月から使い始めたものが思いのほか機能している。毎日勉強しなければならないという強迫観念はないけれど、チェックを入れられるとうれしい。

    一方で、そういうことから離れた趣味もやりたくて、来月から編みものを再開することにした。英文の編み図で作れるようになりたい。表記がやや独特で、最初は英語の勉強そのものな気がするけれど、まあ慣れたら気楽になるでしょう。

  • 10月16日(月)
    食後しばらくして、お風呂に入る前。夫の部屋に遊びに行ったら、仕事かばんの横にスタバの紙袋が置いてあった。袋の口が壁のほうを向いていて、中身が見えない。「え、何これ。スタバに行ったの?」と聞いたら、「開けてごらん」と言う。彼の職場から最寄りのスタバに行くには、自宅とは逆方面にひと駅、電車に乗らなければいけない。普段から、いくら私のためにと言っても、そのためだけに交通費や労力を使いたがらない人である。おみやげといえば、帰り道の途中にあるスーパーで買うアイスのピノである。私を甘やかさない方針で、ピノがハーゲンダッツになるのはごく、ほんとうにごくたまにである。そんな彼が、私のために、逆方向の電車に乗って、スタバで何か買ってきてくれた。ああ、君もこんなところまで来たんだね、と思いながら開けたら、黒いかたまりだった。彼が「ハードディスクケースだよー。その袋にぴったりなの」と言う。そのまま、ひーひっひっひっと笑う。私はむきーっとなる。ふん。どうせそんなことだろうと思ってたもん。期待してないもん。ふんっ。

    10月17日(火)
    昨夜のスタバロス事件の影響で、栄のスタバに行った。早朝から開いている店舗。朝のピークが過ぎた時間だったらしく、穏やかな雰囲気だった。入り口に「21周年おめでとうございます」と書かれた花束が飾られている。オーダーする前に「おめでとうございます」と言ったら、店員さんの表情がほぐれて、「ありがとうございます」と言われた。店員さんはひっひっひっなんて笑わなくて優しい。そういえば来る途中で、ラシックが18周年だというチラシを見た。栄~久屋大通あたりの街並みは、まだ新しいものなんだな。ラテを飲み終えて、病院に検診へ。少し処置をしてもらった。術後の経過は良好。今日からは激しめの運動をしてもいい。ジムにまた行ける!

    10月18日(水)
    午前中に区役所、帰りにドラッグストア、昼過ぎから夕方までミーティングという日。歩道の横から、窓の外から、キンモクセイの香りが漂ってきていて、「もういいです」となった。香り自体は嫌いじゃないけれど、その状況から不可避なことが好きじゃない。「キンモクセイを打倒するにはどうすればいいかしらん」と考えて、「カレーはこの香りに勝るぞ」と思い至った。きのこと玉ねぎたっぷりのルーにした。部屋の中はカレーの香り。窓を開けてご近所さんにもお届け。X(旧Twitter)ではわりとおとなしめに発信しているけれども、出してないだけで、私の反骨精神はわりと強めである。大学時代のあだ名は「反逆のカリスマ」。ゼミで、先輩の論の破綻を物怖じせず指摘したのが由来。

    10月19日(木)
    週末に久しぶりの文学の授業があるので、その予習。絶対、年初より読めるようになっている。単語はもちろん、文法の特定や英文解釈が速くなっている。TOEICのスコアなんかじゃないんだ。誰に試されるでもない、誰かに証明するでもない、自分で感じる、密やかな成長。今日は10年前に結婚式を挙げた日。ささやかなお祝いとして、夜はポテトグラタンを作った。夫が好きそうな赤ワインを添えた。早々に食べ終えた彼が、私を待つあいだにスマホを開く。友人との食事の席だったらあんまり好きな行為じゃないけれど、彼がやるのは大丈夫。彼は写真フォルダを開いて、さっき食べたものの写真を見るだけだから。今日はポテトグラタンの写真を拡大し、「ぼくはこれを食べた」と「ぼくはこれをまた食べたい」という気持ちを合わせた感じでうっとり見入っていた。もうすぐ彼の誕生日。「何を食べたい?」と聞いたら、「これ。大皿で頼みます」と言われた。高級食材とか、凝った料理を言わないところが彼らしい。

    10月20日(金)
    授業の課題は、25章からなる短編。今日は11~20章を読んだ。夕飯の席で夫に話す。彼は自分で文学作品を読むのは好まないが、私に概要を説明されるのは好き。私は私で、理解したことの整理ができる便利な機会。「こういうことが書いてあったね。それでこうなって、あれが出てきて、なんちゃらかんちゃら」。夫が言う、「つまり・・・・・・まだ何も起こってないってことだね」。私が言う、「そうなんだよ。今のところね。とはいえ、あと5章で何かが起こる気がしないんだよね。いつもそうじゃん、ミルハウザー」。夫は何かが起こる話のほうが好きで、私は起こらなくても大丈夫。

    10月21日(土)
    来週夫が遠足に行くので、そのおやつを買いに行った。遠足というのは出張のことで、おやつというのは先方にお渡しする手土産である。彼がそう呼んでいる。毎日日記を書いていて、しょっちゅう彼が登場するのを、我ながら「どうなん」と思っているのだけど、彼が最重要登場人物だし、私は友達と遊びに行くタイプじゃないので仕方ない。今日も今日とて彼の話である。休日の午後の名駅は混雑するに決まっているので、事前に私がよさそうなお菓子を下調べしておいた。「これ、どうですかねえ」と提案すると、彼は「ほう。いいねえ」と言う。必要な個数を手にしてお会計に行く。店から出て「さあ、夕食を買いに行こう」と言う顔は、まるで独力で手土産を選んだ人みたいである。彼は遠足当日に、手土産の入った袋を後輩に渡す予定。後輩が手土産を先方に渡す。私は夫を手助けする。夫は後輩に花をもたせる。後輩はきっといつか別の後輩に花をもたせると思う。何かほわほわしたもののバトンリレー。

    10月22日(日)
    文学の授業の日。家庭教師の先生に会うのは2ヶ月ぶり。題材はミルハウザーの”The Barnum Museum”。先生はわりとおしゃべり好きで、今日の授業は90分のうち最初の30分をトークで使っていた。私は「このままだと私の質問が解消されない」と心配して、隙を狙って質問を始めた。先生が答えてくれたら、いい具合のところで切って次の質問に行く。それを繰り返していたら、先生が、「紺のおもしろいところは、質問のときに、サクサク進むところなんですよ」と言った。私が「先生のお話はおもしろくて、ずっと聞いていたいんですけど、先生は止めないとずっと話してるので意図的にやっているんですよ」と冗談っぽく言ったら爆笑していた。そのあと「時間が延びても大丈夫です、だから気にしないで」と言っていた。今日は結局3時間で終わった。

  • 無口な予約

    reserved 
    1番目の意味:予約した、とっておいた
    2番目の意味:控えめの、無口な
    単語の作り:動詞reserveの過去分詞の形容詞化
    reserveの語源:ラテン語 reservare(保留する)← re-(後ろに)+ -serve(とっておく)

    Hannah seemed somewhat depressed at the loss of her friend, and for several weeks was more reserved than usual.
     – Steven Milhauser, The Barnum Museum

    少女が友人を失い、しばらくいつもより無口だった、という文章。
    初めて読んだとき、「なぜここで予約!?」となったけれど、辞書に「無口な」とあったので意味はわかった。
    「予約」と「無口」はすぐにはつながらないけれど、reserveの語源を見るとわかる。
    誰か他の人に渡さずに後ろにとっておく「予約」と、言葉を口に出さずに後ろに引っ込めておく「無口」は、抽象度を上げると確かに同じ言葉でいけると納得する。
    ミルハウザーは古い単語をたまに使うので、家庭教師の先生に現代でも普通に使うか確認したら、「使うよー!」とのことだった。
    特に文語でもなく、口語で使う人もいるらしい。

    こういう単語はすばらしい。
    見つけると3日間くらい機嫌良くいられる。

  • ルセラフィムのファンである。
    きっかけはグループ名がアナグラムという点への言語学的な興味だったけど、コンセプトや作品を見て文学的な興味もわき、好きになった。
    リーダーのチェウォンが、インフルエンザの後遺症みたいなもので休養していて心配だ。
    今月末に新曲が出るため、この数日は情報が小出しにされ始めているけれども、そういう事前に用意されたものの後ろで休んでいる人がいると思うと、手放しに楽しめない。

    私はそもそもアイドルのファンになるのが初めてで、結構俯瞰して見ているところがある。
    コンテンツのスケジュールが解禁されれば「マーケの人たちががんばってるんだなあ」、内容を見れば「うまく設計したなあ」と思うし、DAYOFFといって休暇の様子がおさめられた動画を見れば、「何度もメンタルブレイクを起こしたらしいBTSでの失敗を活かして集められた、ケア専門の職種の人たちが会社にいるんだろうな」と推察する。
    私は昔、ブランディングの会社にいたことがあり、メンバー個々の伸びやかな表現や自由さ、美しさと、それを統合させる柔軟で強固なコンセプトメイキングは、「プロだなー」と学ぶものが多い。
    ライブに行ったら、「これ全体を設計した人がいるんだよなあ」「会場ごとに微調整とかするんだろうなあ」「うしろにすさまじい数の人がいるよな」という点にまず感動する。
    メンバーのことは、最終形態の写真やパフォーマンスなども好きだけど、ビハインドとか、曲作りとか、どう制作しているのか、どういう思想やチームワークや積み重ねが最終形態につながっているのかという視点で見る。
    どうしても、作り手の側から見てしまう。

    そんな楽しみ方なので、CDを買ったことがない。
    特典系のグッズやイベントにも興味がない。
    音楽番組や音楽配信サービスのランキング上昇に積極的に関与したこともない。
    マイペースに曲を聴き、MVを楽しみ、weverseでの発信を読んでいる。

    そんな私が、ルセラフィムをまねっこしたことがある。
    会社は、ファーストシングルの活動後、サプライズでホテルのスイートを貸し切った。
    前述の、休むためのコンテンツ、DAYOFFだ。
    ホテルでのバカンス。ホカンス。
    部屋の中にはプールがあり、ルームサービスがあり、メンバーはそれを楽しんでいた。
    今年の4月、とても落ち込んだときに、私も夫とホカンスしてみようと思った。
    ルセラホカンスには到底及ばないが、家から近い、高級なグレードのホテルを予約した。
    節約のため、冷たいものとドリンクは成城石井で買い、温かいものだけルームサービスをとった。
    大きめのテレビで映画を楽しんだ。
    「私もピオナ(ルセラフィムのファンの名前)だー!」と思った。
    熱烈なファンっぽいことをやれたと嬉しかった。
    (この影響で、夫はルセラフィムを「ホカンスの人たち」と呼ぶ)

    こんな私がファンの人とつながるのは、なんだかおそれおおいことである。
    7月にライブこそ行ったけれど、基本行動が曲・MV・weverse、作り手の仕事からの勉強、そしてホカンスだけなのだ。
    グッズを買ったり交換したり、ランキングの投票をがんばったり、メンバーの些細な行動に逐一感激したりしないのである。
    だから、X(旧twitter)で初めてファンの方をフォローしたときは緊張した。
    たぶん、握手会などでアイドル本人に会うのと同レベルだったと思う(行ったことないけど)。
    ファンがアイドルに憧れるように、私は王道のファンに憧れていた。

    タイムラインがアイドル一色になるのも、それが激流のようになるのも好きじゃないので、おひとりだけフォローしている。
    フォロワーが多い、ルセラ情報をたくさん発信している方。
    文章が落ち着いていて、思いやりがある。
    たまに熱量高めのポストをなさっていて、そのギャップも好き。
    ライブで遠征するとか、ネームボードを作るとかをやっていらっしゃるあたり、私が憧れる王道のファンって感じがする。
    なぜかフォローバックしてくださり、たまにお話しているが、きっと私が憧れていることを知らない。

    私がルセラ関連でフォローしているのは、オフィシャルと、その方だけである。
    なので、その方が楽しみにしていると言っていたバンコクのライブが中止になったことも、そのあとアカウントが削除になったこともショックだった。
    何も情報を見たくなくて消したと、後日復活したときに聞いた。

    俯瞰して見てしまう。
    ルセラフィムのメンバーが元気だといい。
    ルセラフィムというプロジェクトに献身している人たちが元気だといい。
    熱心なファンのみなさんが元気だといい。
    ライトなファンのみなさんが元気だといい。
    私は私なりにファンでいて、元気でいれたらいい。

    元気なカムバックになるといいな。
    長期的に考えて、ゆっくり休むほうがいいのであれば、そのほうが当たり前にいいといい。

  • 10月9日(月)
    外出からの帰り道。自転車に乗ってゆっくりと近づいてきた、にっこにこのおじいさんに道を訊かれる。警察に行きたいらしい。その場所からは交番と警察署に行くことができ、交番のほうが近かった。どちらがいいか尋ねたところ、警察署がいいとのこと。Googleマップを出して、「今ここで、行き先はここです」と説明する。「ああ、わかった、どうもありがとう」と言われたので見送ろうとしたら、私の目の前で反対方向に行き、神社の囲いの岩に突進した。「こりゃだめだ」と、大通りまで案内することに。90代らしいが、もっと若く見える。わかりやすい道に出てから、「お気をつけて」と見送りなおした。笑ったときに細くなる目とか、笑いじわとか、会話の穏やかなテンポとか、なんかよかったなあと思いながら、帰宅して夫に話した。彼は「交番じゃなくて警察署だなんて。もしかして出頭じゃない?」と言った。ヘルメットをかぶって順法精神にあふれていたようだけど、もしかして、もしかして。そう思うとちょっとおもしろかった。出頭かもしれない人の道案内をした私。

    10月10日(火)
    秋、2日間くらいだったと思う。もう冬だ。体温の高い夫は窓を開けるが、私は寒くて閉める。今日は体調が悪すぎた。洗濯物を片付けて、仕事は夜に回して、日中は寝ていた。横になるだけで覚醒してるつもりだったのに記憶がないので、深く眠ったらしい。夜はうまく眠れないくせに、昼に眠れるってなんなんだ。くやしい。

    10月11日(水)
    リスニングの勉強で見ているドラマ。英語字幕と英語音声で見ていて、わからないときに、「んー、ざっくりとこんな感じかな」と予想して日本語字幕を確認するのだけど、それが結構な確率でざっくりしていることが多い。「うん、制限時間的にこうなるのはわかる、けどさ、英語はわりと長めにいろいろ話してたじゃん、それをひと言で訳すって何?」みたいな気持ちになる。表現のおもしろさやユーモアは省かれがち。日本語字幕はもう別物だと思った。

    10月12日(木)
    夕方、スーパーに行った。コミュニティスペース的な建物の横を通る。下りているシャッターに文字を描いている女性がいる。ちょうど、英語のセリフ(台詞じゃなくて、セリフ/サンセリフのほう)の部分を塗っていた。買いものを済ませて、来た道を戻る。さっきのシャッターの前での会話が聞こえた。年配の女性が「綺麗に描いてくれてるわ。ありがとう。今日はもうそろそろね。また明日」と穏やかに言った。描き手の女性も何か言っていたけれど、風が吹いて聞き取れなかった。年配の女性は姿を消す。描き手の女性は筆や絵の具を片付け始める。私は車が来ないのを確認して、道路を横切る。会社にいたころ、あんなふうに仕事を終えたことなんてなかったな。

    10月13日(金)
    体調が戻るまであと少し、というところだ。まだ激しい運動が許可されていない。散歩とかこつけて、花を買いに出た。白や赤、ガーベラやカーネーションなど、わかりやすい色・花が欲しいときは、近所のお店が安くていい。けど、絶妙な色、様々な種類の花の中から選びたいときは、高級なお店に遠出しなければならない。1輪でスタバのフラペチーノの新作がひとつ飲めるくらいの金額。我が家の花瓶は細くて、1輪しか買わないので許容範囲。いつもは「部屋が明るくなるように」「夫が癒やされるように」という目的で買う。今日は自分のために買った。くすんだピンクの小さなバラ。濃い緑の葉っぱがつやつやしている。

    10月14日(土)
    落ち葉がくるくる回っているのか、自分の頭が変なのか、どっちもなのか、わからない。朝からひどいめまいがする。薬を飲むと眠くなるので、飲むのはぎりぎりまでおさえたい。疲れもあるんだろう、気持ちが珍しく虚無的で、すべてがどうでもよく、何が食べたいかもわからない。こういうときに英単語帳はいい。いつものようにそこにある。単語は、3日続けて正答できたら線で消す。今日もいくつか消した。「やった!」と心がぷくっと動いた。まだだいじょうぶだと思った。午後、ひととおり勉強を済ませ、「もうじゅうぶんでしょ」と薬を飲んで寝た。

    10月15日(日)
    おやつにクレープアイスを食べる。開封して夫の部屋に行き、「ちょっとどうぞ」とアイスを差し出す。私が「ま、こんなことしても、いつもみたいにきっと食べないんでしょ」と思って手を戻したタイミングと、彼が口を小さく開けてかぶりつこうとする瞬間が重なった。彼はとても恥ずかしそうで、それを隠そうと口元がぴくぴくしている。私は私で、いじわるな人みたいで心外である。でも、かわいい表情を見られてラッキー。呼吸を合わせて再度アイスを差し出し、彼は食べた。安くて新鮮な天然のぶりを買ったので、夕飯はぶり大根。ぶり大根の制作時間のほとんどが、大根の下ゆでだ。鍋を火にかけたまま自室に戻るわけにはいかないので、台所の横のリビングで、大江健三郎の講義録を読んでいた。この人もなかなかチャーミングだ。本屋で、自分の本が少し積まれている横で、村上春樹の本が山になっていた話をしていた。

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