Writings

New Essays Every Monday

  • ある日の夜

    第1幕

    第1場

    2LDKの部屋のリビング。18時30分。夫、荷物を携えて登場。

    夫「ただいま」

    妻、料理の手を止めて台所から登場。

    妻「おかえり。どうしてこんなに早いの」

    夫「今月は残業しすぎてて。調整さ」

    両者、退場。

    第2場

    夫の部屋。夫、多くの機材に囲まれて、コンピュータをいじっている。

    妻、登場。夫、手を止めて体を妻に向ける。

    妻「ごはんができたよ。どうしてこんなに早いの」

    夫「君に会いたくてね」

    妻「合格」

    両者、退場。

    リビングからポトフの香りと、ワインをグラスに注ぐ音。

  • 砂の男

    sandman
    直訳:砂の男
    意味:眠りの精、睡魔

    安部公房が書いたのは『砂の女』で、私に最近しつこくつきまとうのは砂の男。

    体のぐあいが戻ったので、ジムで筋トレを始めた。入会直後に足を骨折し、治ったころに別の病院通いになり、行けずにいた。本当にしっかりと体を作りたくて、付属サービスのパーソナルトレーニングを受けている。月曜にパーソナルトレーニング、筋肉の回復を待って木曜にセルフトレーニングというルーティン。しばらくはマシンの正しい使い方を覚える段階である。いちばん軽いウエイトで、10回×2セットだけやっている。

    ただ、あまりに運動と無縁な人生だったので、料理で言えば塩こしょう少々くらいの量のトレーニングでも、しっかり筋肉痛が来る。そして眠気も来る。1週間のうち、はつらつと元気なのは筋トレ当日の月曜と金曜の15時までで、残りの5.5日はふにゃふにゃしている。

    筋肉がついたら眠くなくなるんだろうか。レベルアップしても眠いんだとしたら、空き時間にトレーニングしているジムのスタッフさんもいつでも眠いということになる。それはそれでおもしろいが。

  • ひとくぎり

    生活はつまらない。日記にしてもおもしろくない。そう思って5月から始めた私の日記。気づけば半年経っていた。

    書き始めて気づいたのは、捨てるものの多さ。事実列挙が嫌で心の動きも含めたところ、ただひとつの事柄で数行にもなった。それをいくつも組み合わせ、1週間分にすると、「誰が読むんだろう、少なくとも私は読まない」長さのものができあがった。たくさんのおもしろいことを取捨選択した。日記はおもしろいことがあるから書くのではなくて、書くから、おもしろいものが見つかるんだと思った。

    私と夫の日常をブログに載せると、生活がインターネットの波に飲み込まれるのではないか、思いがけない個人情報が出てしまうのではと心配していたことも、杞憂だった。読み返した文章に、私たちのことは1%も書かれていない。数分で読める用に切り取っただけの時間に生きていない。書いてないことや、あえて別のほうを書いてもう一方を隠したこと、声色、表情、光、匂い、暗黙知。どの日も当たり前に、日記よりも現実のほうが大きい。

    ちょっと日記を窮屈に感じるようになってしまった。枠を取っ払って、自由に書きたい。書きたいことがわんさかあるんだと気づかせてくれた日記という形、ありがとう。私の日記、ひとまずおしまい。

  • レシピは同じなのに、同じ味にならないことがある。たいていの料理は「まあいいか」とごまかしてきた。でも豚のしょうが焼きだけは許せなかった。中学生のとき、ケンタロウさんのレシピで初めて作ったときの感動が、週1くらいの頻度でばんばん再現されなければならない。思いも材料もあるのに、大学を卒業して以来なぜか同じものを作れない。バラ肉よりもロースを好むまで年月が過ぎてしまった。

    変化のきっかけは物価高騰だった。あれもこれも高い。野菜や魚や肉は買わざるをえないので、調味料を見なおした。「ん? 私、愛知の調味料で育ってないじゃん。実家になかったじゃん」

    社会人になって名古屋に来て、色気を出して買い始めたのが三河みりん。色が濃く、四角いビンに入っていて、お高い。「もしかしたらこれが原因かもしらん」と、なくなったタイミングを見計らい、黄色くて小さなボトルの本みりんを買った。

    ごま油で肉を焼く。しょうゆ、酒、水、砂糖、オイスターソース、白ごま、おろししょうが、そして黄色くて安いみりんを入れて絡める。長いこと会えずにいたしょうが焼きと再会した。千切りキャベツとマヨネーズが奏でるハーモニーは、まるで私たちを祝ってくれているかのようだった。料理家さんの本を読むと、上質な調味料を使う人と手軽に買えるものをすすめる人に分かれる。私は後者の弟子につく。

  • 11月6日(月)
    リスニングの教材として「新スタートレック」を見始めた。基本は英語音声と英語字幕。最近、日本語字幕が苦手になっている。「ああ、なるほど」「センスいいな」と思う作品もあるけれど、「ここを飛ばすのは手抜きじゃないか?」「たしかに、たしかに、要点はそれだけど、簡潔すぎやしない?」とか気にし始めるときりがない。たとえば、今日はある士官が艦長に”She left my quarters”と言ったのがわからなかった。quartersって何。ストーリーはわかる。文脈的に「部屋」っぽい。日本語字幕はどうなってるんだろうと確認したら、「出て行きました」だった。勉強にならない。辞書をひくと、複数形で「宿所、兵舎、軍事的宿舎」とあった。地味だけど英語で聴いて、英語を読んで、辞書をひく方法を続けるつもり。

    11月7日(火)
    Xのポストにたくさんいいねがついて、フォロワーがとても増えた日。このブログまで読んでいる人は多くないと思うので本音を書いておくと、あまり嬉しくない。鍵をつけた人や、タイムラインがリポストばかりの人が多くて怖い。自分の書いた言葉が、得体の知れないものになって浮いている感じ。何を求められているのかは知らないが、バズを再現しようとか実用的なことを書こうとか迎合せずに、いつもの自分でいようと思う。

    11月8日(水)
    ジムに行くのを再開した。本格的には1年ぶり。骨折やら手術やらで、行こうにも行けずにいた。普段、何かを習慣化するときのプログラム作成は得意である。会社の研修設計が専門だったので、目的を確認して、手段、目標、期間、手順、道具を決められる。挫折しないようなレベル設計もできる。体力を戻すのもその方法でやろうと思ったけれど、やめた。最短で健康を手に入れたくて、パーソナルトレーニングを申し込んだ。通っているジムの店長さんがボディビルダーで、パーソナル専門のお店より安い。朝電話して、夕方には受けられた。まだ始まったばかりだけど、正解だと思う。続きそうだし、健康になれそう。春までは、週1でパーソナル、週のどこかもう1日でセルフトレーニングの予定。

    11月9日(木)
    朝、私と夫は台所で会う。向き合って「おはようございます」と言う。彼が台所に来たとき、私はコンロの前でお弁当を作っていた。彼に向き合う。彼が腕を高く上げる。「頭をなでられるのかな、わくわく」と思っていたら、換気扇のライトをつけただけだった。向き合ったまま「むー」とふてくされていると、即座に頭をなでてもらえた。「私は頭をなでられてしかるべき存在」と自己肯定できるあたり、我ながら猫みたいだなと思った。健やかなメンタル。「むー」だけで私の意図を察知した彼もすごい。夜には昨日の筋トレの筋肉痛が来た。ちょっとした段差もきつい。それをおもしろがった夫が、私の行きたい方向に先回りし、自分のお尻を突き出してぺんぺんたたき、「早くここまでおいでよ、ひひひ~」と意地悪に言った。前言撤回。すごくない。

    11月10日(金)
    日曜日の文学の授業の予習をしている。短編を一度読み終わったので、わからなかった単語を細かく調べている。今日はsolutionがおもしろかった。「解決策」「解答」で覚えていたので、一読ではわからなかったけど、化学薬品の文脈では「溶剤」だ。辞書のいちばん下に載っていた。夕食の席で夫に共有した。こんな話に興味を持ってくれるのは彼くらいだ。それにしてもミルハウザーははずれない。どの作品もおもしろい。

    11月11日(土)
    昼食は牛丼にした。たれを作ったら、煮立たせないようにして、肉をしゃぶしゃぶのように入れて火を通す。食べながら、「久しぶりに松屋の牛丼を食べたいね」「でも注文&会計システムが粗悪だよね」という話で夫と盛り上がる。家の牛丼はどうしてもお店の牛丼の味に近づかない。食後しばらくして昼寝。起きてから、わからなかった単語を調べる作業の続きをやった。そのあと全体を読み直し。英語に触れていると気持ちが安らぐ。

    11月12日(日)
    文学レッスンの日。90分の予定なのに、いつも先生とふたりして時間が延びてしまうので、午後から午前に変更した。お昼になればお腹がすいて終えられるだろうとの算段。正確には、うちの夫が始まらない昼食に荒ぶることが予想された。私と先生は、今日こそ90分で終わるぞとテキパキした。今日の質問はあまり多くなく、ちょっとリラックスした雰囲気もあった。ふたりともいい具合に頭を使い、お腹をすかせた。最終的に10分オーバーだったけど、私たちにしてはすばらしい出来だ。「(ほぼ)時間通りに終わったよー!ごはん食べよー!」と夫の部屋に行ったら、ほたてチップスを食べていた。時間通りに終わると思ってなかったらしい。「えー」とがっかりしながら、1枚もらった。

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