生活が何よりも大事だなって思います。人生をかけて仕事をするのではなく、私は人生をかけて生活をして、それを仕事に落とし込みたいという気持ちがあって。だから、生活してどんなことを感じるか、大事にしたい。
杉咲花 NHKスイッチインタビュー
2025年度の入試日程はまだ発表されていない。おそらく例年どおりだろうから、このごろは直近のそれに合わせて勉強している。体が強い弱いの話ではないけれど、薬を飲んでいるので、その影響が変に強く出ることもあるし、ショックな出来事があれば落ち込み、がんばりすぎて疲れることもあるしで、穏やかで平坦な日々ではない。
この先の人生に、生活に、当たり前に英語の読み書きがあるようにしたい。英語・日本語ともに、もっと深く読めるようになりたいし、世界を感受する耳や目や心を豊かにしたいし、自分で書く文章の幅も広げて、書き続けていたい。夫はコンピュータに熱中し、私は文学に熱中し、できるだけ健やかに、笑い合って、助け合って生きる、という夢。これはふたりとも80歳くらいのときのイメージ。
「大学院を目指そう」と決めてちょうど1年が経ち、違う自分になった。「何のために大学院に行きたいのか」や、「その先」を意識することが増えて、ありたい自分でいられるように、送りたい生活を送れるように軌道修正してきた感じがする。お酒やお菓子、外食をやめて、本や貯金にまわすようになった。どうせ治らないと諦めていた睡眠障害を完治させようと、生活が数週間単位で不安定になることを覚悟していろんな薬を試し、合うものを見つけ、うまく眠れるようになった。運動量も増えた。
夢に対して必要なことが各種能力のレベルアップや読書で、それがうまいこと入試や大学院の過程でクリアすべきハードルになっているのだけど、今のところ、今日のところ、なんかまだ独学で行きたいな、行けるなと思う。試験に合わせて自分の能力を急ごしらえして、攻略して、「さ、さあ、次…(息切れ)」の学生生活を全然したくない。
専門的な研究活動はしたいのだけど、そこに至るまでに、お金や時間の心配なしに、自分でやっておきたいことがある。それがたとえ入試や大学院の授業で求められるレベル以上のものであっても、あるいは余計なものがあっても、私の夢には必要なのだ。道中に大学院があるだけで、大学院のために勉強しているのではない。そして勉強のために生きているのでもない。まず夫との生活があって、その中に勉強と創作がある。
夫と食べて寝て起きて暮らす生活の中に勉強する自分がいて、そこで得たものから何か新しいものを発見したり作ったりしている。仕事人間だった私は、たやすく勉強人間になる。衣食住と夫と自分のことをほったらかしにしてしまう。だから努めて、生活を何よりも大切にしたい。その基盤が、勉強や創作や、夫との関係をよりよくすると思う。
1年で学習習慣が確立した。次はもっと感じたい。自分が何を感じるのかを大切にしたい。想像や連想をやわらかくふくらませたい。苦手をつぶしていく戦略性と、作品を批判的に読む鋭さも持ち合わせたい。休むときはしっかり休んで、夫との時間も充実させたい。私がずっとしんどそうにしていると、彼は自分のしんどさを表現できないだろうから(そしてそういうことがこの前あったから)、気持ちの余裕を残しておきたい。
単にできるだけ早く入学したほうがいいのかな、という理由で今年の秋受験を予定していたのだけど、見送ろうとしている。冬の受験はどうだろう。わからない。せっかく現役の学生ではないのだから、一般的なキャリアからは早々に大きく逸脱しているのだから、生活第一に生きて、自分のタイミングで受けよう。完璧主義には陥らないように、でもやりたいことをできるかぎりやって次に行けるように。
このことを夫に話した。ジャージャー麺を「うまいうまい」と食べながら、「紺ちゃんのペースでいい。『この本を何時間で読まなきゃ』より、『あ、読んでたらこんな時間』のほうが絶対いいじゃん。そういう時間もたっぷり必要」と言っていた。彼は大学受験で2浪した。未来の就職先で私と同期として出会うために、時間調整していた。夢のために私も見習う。焦らない。あきらめない。「明日はそのジャージャーソースをうどんに絡めてお弁当にするよ」と返した。