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  • 「きみはティーチングアシスタント、やったことある?」
    夫にたずねたら、「あるよ」と言われた。

    ティーチング・アシスタント(TA)について

    優秀な大学院学生に対し,教育的配慮の下に,学部学生等に対するチュータリング(助言)や実験,演習等の教育補助業務を行わせ,大学教育の充実と大学院学生のトレーニングの機会提供を図るとともに,これに対する手当ての支給により、大学院学生の処遇の改善の一助とすることを目的とした制度。

    文部科学省

    私は大学時代にTAを見たことがない。文学部だからか、学部生と院生が共同で研究に取り組む部屋はなかったし、大掛かりな準備が必要そうな授業を受けたこともない。どこかにいたとしても、先生のために、お金のために、事務作業を淡々と、人によっては渋々手伝うものだろうなと思っていた。

    夫は理系で、情報系の仕事をしている。大学・大学院時代は、電子系寄りで研究していたらしい。情報系、ソフト屋さんは、電子回路で動かすソフトを作る人。電子系、ハード屋さんは、ソフトを動かす電子回路を作る人。ソフト屋さんもハード屋さんも、それぞれ設計係と実装係に分かれる。全体を見てあれこれ設計するのが好きな人もいれば、設計図を受けて実際に手を動かすのが好きな人もいる。

    「ひたすら回路を作っていた」
    「ん?ソフトじゃなくてハードやってたの?作ってたって…手を動かして?」
    「うん。美しい回路を作っていた」

    会社での彼は、ソフト屋の設計係だ。実装を好まない。なのに、TA時代、はんだごてを使ってもりもり回路を作っていたらしい。

    「設計は?」
    「他の人」
    「じゃあきみはほんとうにひたすら手を動かしてたの?」
    「うん。美しい回路を量産していた」
    「開発部というか、製造部ということ?」
    「そう。ぼくはひとりで製造部をやっていた」

    地元の小学生を集めて回路を配り、理系のとある仕組みを体験してもらうイベント。その回路の量産を、彼は短期的・集中的に任された。はんだごてで作業するのは楽しい。美しい回路を作るのは楽しい。数百枚をずらっと並べ、リズミカルに検査していくのも楽しい。エラーはだいたい自分のミスではなく、部品の不良。どや。そんなことをしていてまとまったお金が入ってくるのもうれしい。

    研究でカメラが必要になったとき、彼はアルバイト先のカメラ店を紹介した。先生はそこでカメラを購入した。彼はお買い上げ金額分のポイントをちゃっかり譲り受けた。

    手伝っているというか、単に好きなことをのびのびやっている人に聞こえる。きゃっきゃっきゃっと遊んでいて、結果的にお金と信頼がついてくる感じ。

    この話をしている夕食の時間、彼は目を輝かせながら、自分の作った回路がいかに美しかったかを繰り返し語った。まぶしかった。私が好きなのは、彼のこういうところ。哲学と美学をもっているところ。やりたいことと求められることの接点をうまく見つけられるところ。

    私が行きたい大学院に彼のTAのような仕事はないだろうけど、彼のような姿勢で学ぶというか、楽しむというか、生きたいと思う。

  • 手元に保育園の連絡帳がある。「今日はお散歩の日でした。自動販売機を見つけた紺ちゃんは、ボタンを押してもジュースが出てこないことにとても怒っていました」と、担任の先生が書いていた。

    夫とデパートに行く途中、駅のホームで喉が渇いた。自販機にお金を入れてミニッツメイドのボタンを押した。出てこない。私は少しむっとしたが、先生の言葉を思い出し、大人として自制した。よく見るとお金が足りてなかった。ひとりで恥ずかしくなり、もう少し小銭を入れた。小さいのに高いな。出てきたミニッツメイドを夫に渡す。「フタを開けてほしい」の合図である。お金はあっても握力がない。ぐびっと飲んだら、期待していた味と違った。私は少しむっとしたが、先生の言葉を思い出し、大人として自制した。

  • 昔、アイドルの女性が、かわいく自撮りする方法として果物と一緒に撮ると言っていた。さくらんぼ、いちご、マスカットとか、そういうの。

    成城石井で買った、れんこん天チップスレモン味。パッケージが黄色くてさわやか。あの固体のレモンではないが、同等とみなす。夕飯のあと、夫に持たせて撮ってみる。彼は顔の前ですばやく左右に袋を動かす。おかげでブレブレの写真しか撮れない。10枚撮って、全部ブレていた。

    一貫して懸命にぶらしたエネルギーや、袋に隠れた笑顔を想像するとかわいい。アイドルが意図した意味とは違うがかわいい。

  • “The Yellow Wallpaper”という短い物語がある。病気になった女性を極端に隔離し、行動を制限し、結果的に狂わせる話。女性が医学的にも職業的にも抑圧されていた時代の、抗議の意味をもつ作品だ。発表当時は賛否両論あり、隔離療法を支持する人たちは目をそむけたが、そうではない人たちは隔離や抑圧を止めたので、社会的な変革の一助となった。以下に引用するのは、著者がなぜこの作品を書いたのか、説明する文章。

    For many years I suffered from a severe and continuous nervous breakdown tending to melancholia – and beyond. During about the third year of this trouble I went, in devout faith and some faint stir of hope, to a noted specialist in nervous diseases, the best known in the country. This wise man put me to bed and applied the rest cure, to which a still good physique responded so promptly that he concluded there was nothing much the matter with me, and sent me home with solemn advice to “live as domestic a life as far as possible,” to “have but two hours’ intellectual life a day,” and “never to touch pen, brush or pencil again as long as I lived.”

    I went home and obeyed those directions for some three months, and came so near the border line of utter mental ruin that I could see over.

    Then, using the remnants of intelligence that remained, and helped by a wise friend, I cast the noted specialist’s advice to the winds and went to work again – work, the normal life of every human being; work, in which is joy and growth and service, without which one is a pauper and a parasite; ultimately recovering some measure of power.

    (…)

    It was not intended to drive people crazy, but to save people from being driven crazy, and it worked.

    私は何年もの間、憂鬱になりやすい重い神経衰弱に悩まされ、それ以上の症状が出ていました。症状が出て3年目くらいの頃、私は熱心な信仰とかすかな希望を抱いて、国内でいちばん有名な神経疾患の専門医のところへ行きました。この賢明な男性は私を寝かせて安静療法を施しました。まだ元気な体はすぐに反応したので、私の体には大した問題はないと結論し、「できるだけひきこもった生活をする」、「知的活動は1日2時間だけ」、「生きている限り二度とペンや筆や鉛筆に触れないように」という厳粛なアドバイスを残して私を家に帰しました。

    私は家に帰って3か月ほどその指示に従い、完全に精神が崩壊する境界線に近づき、その先を見ました。

    それから、残っていた知性を頼りに、賢明な友人の助けも借りて、私はその著名な専門医のアドバイスを捨て去り、再び執筆に取りかかりました。仕事、つまりすべての人間の通常の生活です。仕事には喜びと成長と奉仕が含まれますが、それがなければ人は貧者であり寄生虫です。最終的にはある程度の力を取り戻せます。

    仕事は人を狂わせるものではなく、人を狂わせることから救うものです。私は狂わずにすみました。

    Charlotte Perkins Gilman, “Why I Wrote ‘The Yellow Wallpaper’?”

    ここでの仕事は、執筆とか、読書、勉強、家事、自分に与えられた役割などで、必ずしも賃金が発生するものではないと私は解釈する。

    昔、ひどい不眠症にかかったとき、初めて精神科に行った。医師は威圧的に、「家にいて、頭を使うことをすべてやめなさい。読書も書きものも全部だめです。それがあなたを狂わせる。薬だけ飲んでいればいいです」と言った。

    好きなことを全部奪われてたくさんの薬を飲むことは、それを命令されることは、とても怖かった。私は夫に電話し、医師に従わないことに決め、別の病院に行った。そこで読書や執筆が禁止されることはなかった。だけど、最初の医師の言葉が頭にこびりついて、知的活動に少しうしろめたさを感じるようになってしまった。外に行くよりも家にいようと思うことが増えた。言葉はうまく受け取らないと、すぐに処理しないと、影のような呪いになる。

    “The Yellow Wallpaper”を読んで、当時のことを思い出した。知的好奇心を手放さずにいたら、体調が戻った。そこで希求したのは、もっと読みたい、もっと書きたい、もっと歩きたいということだったし、そう思えること自体が私をもっと元気にした。家庭教師の先生と出会って、夢中に勉強していい場所に行きたいと考えるようになった。

    大切なものが奪われそうなときは、疑問をもっていい。弱って少なくなったエネルギーを振り絞って、別の人や場所に行ってみる必要がある。怒りをあらわすと、それが既に狂っている証拠と足をすくわれることがあるが、無視していい。相手はどこかで屈服させようと、あらを探しているだけだ。従わなくていい。

    弱っていたときの教訓は、元気なうちに、信頼できる人との関係を築いておくこと。何かあったときに、まずその人たちに相談すること。

    短編の主人公の女性は、隔離された部屋の黄色い壁紙が異常に気になり、そこに女性たちの顔を幻視するようになって発狂し、破り取る。私は自分の部屋の壁紙に、文学史の勉強で少しずつできてきた地図と、お気に入りの文章を貼る。

  • “No need to hurry. No need to sparkle. No need to be anybody but oneself.”
    急がなくていい。きらめかなくていい。自分以外の何者にもならなくていい。

    Virginia Woolf

    大学時代、広告業界で長くインターンしていた。特別な何者かになることがこの人たちに認められるということなら、私はいいやと思った。浅薄に消費されたくない。雑に要約されたくない。わかりやすいパッケージにされたくない。

    会社で仕事をする指標に、定期評価がある。上司からのフィードバックがある。工夫して取り組んだことが評価されるとうれしい。だからもっとフィードバックを読み込んで、満たそうとがんばる。会社は役割と役割のコミュニケーションの世界で、個々の人間性が隠れやすい。うっすら感じてはいたけれど従っていた上司の尊敬できない性格を、退社後に目の当たりにした。この人に認められたいと、こういう人が集まる会社で認められたいと思ったことを後悔した。

    この前Xで、「めっちゃ意識の高い人」と言われた。夫に話したら「ぷっ」と笑われた。かけ離れた人間だからだ。

    私は小柄で、マッシュボブで、薄いメイクをする。スニーカーやオーバーオールが好き。よく言えばかわいらしい、悪く言えば子どもっぽい。だから昔から、「クールで綺麗なおねえさん」に憧れている。構成要素はわからないけど漠然と憧れている。それを矯正歯科の先生に話したら、「私嘘つけないのよ。紺ちゃんにおねえさんの素質はまったくないわ」と断言された。衛生士さんも深くうなずいていた。帰って夫に話したらまた笑われた。

    彼らの中には、私のイメージがある。Aではない、ときっぱり言えるということは、Bであることが明確なのだ。私がのびのび生きていて、周りの人がそれをポジティブに受け取ってくれているのは、マスメディアや会社の評価よりも、ずっと大切なことのような気がする。わざわざ言葉にして肯定されなくても伝わってくる。

    私は今の感じで、私でいたい。なるものではなく、もうここにいるのだ。好きなことに夢中になっていたら、私は発光せずとも、光のなかにいられる。

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